理想の聖女は来世で悪女を志す 〜黄金の人生をご所望です!〜

三船十矢

悪女は己の領地を望む

第1話 聖女転生

 視界に映る世界が、全て真っ赤だった。

 燃え上がる炎が全身をめ尽くしている。一点の汚れもなかった真っ白な肌は焼けただれ、以前の面影はどこにもない。息をするだけで熱せられた空気が肺を焼く。


 激痛――

 激痛。

 燃えて落ちる。私の全てが。命と共に。


 聖女エルミーゼは生きたままはりつけにされて、火炙りの刑を受けていた。

 聖女としての力を正しく使わなかった罪で。


 あっという間に命が燃えて尽きる間、痛みが全身をさいなむ。だけど、そんな痛みはどうでも良かった。それ以上の辛さに比べれば。

 王国民たちが火で炙られるエルミーゼを見上げている。

 ある人は、その瞳に怒りを湛えて叫んだ。


「どうして裏切ったんだ! あんなにも信じていたのに!」


 ある人は、その瞳に愉悦を湛えて叫んだ。


「俺たちを騙した報いだ。苦しめ、ゴミ聖女!」


 全員が、目にエルミーゼをさげずむ感情を宿し、口汚く暴言を吐いている。


「お前が無茶苦茶したからだ! 王国をすり減らした悪魔め!」


「俺たちの幸せを返せ! 俺たちから奪ったものを返せ!」


「好き勝手なことをしやがって! 死んで許されると思うな!」


 エルミーゼへの敬愛に満ちていた視線も、声色もすっかり消えてしまった。そこにあるのは、深い憎悪と激怒だけ。

 その事実が、肌を焼き続ける煉獄のような痛みよりも、エルミーゼには辛かった。


 全く覚えがなかったからだ。


 エルミーゼには彼らの言っていることが理解できない。

 なぜなら、常に理想の聖女であろうと努力し続けたから。嘘偽りなく、恥じることすらなく、己の全ては国と民に捧げられたと断言できる。


 ――なのに、なぜ?


 その行き違いが、エルミーゼは悲しかった。

 だから、エルミーゼは涙をこぼして大声で泣いた。なぜですか、なぜですか。どうしてですか。私の献身の行き着いた先がこれとは、あんまりではないですか。なぜ彼らを怒らせているのですか。なぜ私は罰せられているのですか。私は何を間違えたのですか。


「あっはっはっは! 痛くて泣いているぞ! ざまぁみろ!」


 そんな様子を見て、民衆たちが笑っている。

 彼らに、死にゆくエルミーゼの言葉も絶望も届かない。

 狂ったような冷笑を浴びせられながら、聖女エルミーゼは25歳の生涯を閉じた。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「うわっ!?」


 エルミーゼは目を開いた。

 そこは窓から月の明かりが差し込むだけの、薄暗い部屋だった。暖かくて平和なベッドにエルミーゼは横たわっている。

 よく知っている風景で――教会内にあるエルミーゼの部屋だった。

 身を起こす。

 薄暗い中で、頭の中に残っている光景を思い出した。


「……夢……?」


 普通に考えれば、夢なのだろう。あの真っ赤に燃え上がる世界も、肌を焼き尽くす痛みも、心に毒をもられたかのような辛さも綺麗さっぱり消えている。

 自分の手のひらに視線を落とす。

 傷ひとつない、真っ白な肌だ。


「夢……」


 それが現実的な答えだ。でも、そうではない、という直感があるのも事実だ。


 体には傷ひとつないけれど、激痛そのものは思い出せる。まるで本当に味わかったかのようにはっきりと。風景も、人々の嘲笑も、全てがクリアに。


 夢にしては、現実的すぎる。

 いや、それだけではない。

 夢の中のエルミーゼは25歳で亡くなった。


 恐ろしいことに、25歳までの記憶もまたエルミーゼには残っていた。


 だけど、おかしな話なのだ。

 エルミーゼの自己認識だと、エルミーゼは15歳になったばかりだから。なのに、25歳までの記憶がある? おまけにその内容はとてもリアルで、少し検証しただけだと破綻もない。一個人の妄想では決してない。本当に、一人の女性の人生であり――

 これからエルミーゼが歩むであろう、人生の延長線上にあるものだった。

 エルミーゼは荒唐無稽なことを思いついた。


(まさか、死んだ後にここまで戻った?)


 25歳で死んだエルミーゼが生まれ変わって、15歳のエルミーゼとして人生をやり直すことになった――

 無茶苦茶だと思ったけど、その思いつきはなぜか腑に落ちた。

 頭の中にあるパズルが、ピタッとハマった感じというか。

 今度は同じフレーズを口に出して繰り返してみる。


「……まさか、死んだ後にここまで戻った?」


 しっくりときた。気持ち悪さを感じない。自分の無意識が、それを受け入れている。

 でなければ、説明ができないのだ。残された謎の記憶の現実感は決して予知夢などでは説明ができないから。


「そんな――」


 つまり、こういうことだ。

 もう一度やり直して、10年後の破滅を回避せよ、と。


 それは希望だった。


 失敗してしまった人生をもう一度やり直すことができるのだから。次こそはハッピーエンドに至る機会が与えられたのだから。

 だけど、しかし――


「絶望、しかないよ……」


 エルミーゼの声はひび割れた。手が小さく震える。

 あれ以上はないのだ。

 前世でのエルミーゼは聖女を完璧にやり遂げた。教会からの指示に従い、己を殺し、全てを捧げて聖女としての仕事を全うした。あれほど万民を愛して、あれほど万民に尽くしたのに。


 ――好き勝手なことをしやがって! 死んで許されると思うな!


 その結末が、あの煉獄と憎悪の未来だ。

 今もまだ、民衆の笑い声はエルミーゼの耳にこびりついている。


「うっ!」


 胸に痛みを覚えたエルミーゼは、反射的に耳を両手で塞いだ。その目から、涙がこぼれた。前世の最後で流したものと、同じ涙が。


「……できないよ」


 あれ以上の聖女など、自分にできるはずがない。それはわかり切っていた。どうやっても越えられない限界を越えなければ、死にます。それは優しさではなく、残酷なだけ。


 未来はわかりきっている。

 再びエルミーゼの身は炎に焼かれるのだ。愛した民衆たちに冷笑を浴びながら。


 ぶるりと体を震わせた。

 あの恐怖と屈辱を、また味わうことになるのか。

 そんなことが頭の中をぐるぐると回っていると、今度はエルミーゼの腹の底から別の感情が生まれてきた。

 怒りである。


「……ふざけるなよ……」


 エルミーゼはシーツを握りしめて、唇を強く噛んだ。


「どうして、私があんな目に合わないといけないんだ……あんな言葉を吐きかけられないといけないんだ……あんなに精一杯やったのに……」


 前世でのエルミーゼの人生とは、まさに聖女の生き方そのものだった。己の欲は全て殺して、人々の幸せのためだけに生きていた。

 そこにあるのは、ひたすらの我慢と滅私のみ。

 なのに、あの言われようであの結末だ。本人的には理不尽なこと極まりない。そして、同じように我慢と滅私を繰り返したところで、同じ結末にたどり着くだけ。


「ははは、詰んでるじゃない……」


 乾いた笑いがこぼれた。生まれ変わったけど、すでにチェックメイトを決められている状態は変わらない。ここから起死回生の大逆転をしてみてください?

 そんなの、できるはずがない!


「だったら……好きに生きる?」


 それは真逆の発想だったけど、エルミーゼには気持ちのいい結論ではあった。

 ずっとずっと抑止されていた前世――あらゆるものを我慢し続けていた人生。そんな人生をまた繰り返すなんてごめんだ。その果てが、あの悲劇の再演であれば救いようがない。


「どうせ失敗するんだったら、好きに生きたらいいんじゃない?」


 その言葉はとても心に馴染んだ。

 あれだけ努力しても報われない。あれ以上の努力もできない。だったら、何もしなくていい。好きなことを好きなようにして、楽しくおかしく生きていけばいい!


「それだ!」


 拳をぐっと握りしめて、エルミーゼは結論に至った。

 今度の人生は思う通りに生きよう。好きなことだけをする存在になる。すなわち――


「聖女はやめた! 今日から私は悪女だ!」


 こうして、聖女エルミーゼの2度目の人生が始まった。


「……だけど、悪女ってどんなことをするんだろう?」


 教会で純正培養されたエルミーゼにとって、なかなかに難しい挑戦だったけど。

 

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