第35話 チーズケーキで世界は分岐する
「おお!?」
店に到着するなり、エルミーゼは声を上げた。店の周りをぐるりと囲むように人が並んでいる。人、人、人――大人気店だ!
「すごいですねー、並んでいますねー」
「本当にお時間は大丈夫ですか?」
「なんとかなります!」
(……バレたところで、私が叱られればいいだけだし……)
こちとら10年後に死ぬ覚悟はできてるんじゃい! どんなことを言われたところで、ふーん! である。エルミーゼはすでに無敵の人であった。
エルミーゼたちは列の最後尾に並んだ。
「こうやって店に並ぶの、初めてです」
「価値がありますよ、ただ――」
不安げにルシータが語尾を揺らし、小声で囁いた。
「教会から、聖女だと話を通してもらったほうが良かったのでは? 並ばずにすみますよ?」
「うーん……」
確かに、それは快適で効率的だろう。
だけど、それはエルミーゼのしたかった『普通』ではない。
(こうやって、誰かと一緒に美味しいものを食べるために並ぶのが、普通では?)
そういうことがしてみたい。
だけど、それはきっとルシータにはわからない価値観だろう。
「確かにそうですけど……そうですね……私はケーキを食べてもいいと思っていますけど、教会としては避けて欲しいみたいで……秘密にしておいてくださいね?」
エルミーゼは唇に指を当てて、イタズラっぽく笑って見せた。
ルシータが、なんてことをしてしまったのかしら、と囁きつつ、あわあわと慌てる様子が、少し可愛かった。
列は着実に消化されていって、エルミーゼたちの番になった。
「いらっしゃいませ」
店の制服を着た女性に、テーブル席まで案内される。さすがに流行っているケーキ店だけあって、ホワイトとライトブラウンで整えられた内装は居心地が良くて気持ちがいい。
「お待たせしました」
そして、オーダーすることなく料理が出てきた。なぜなら、メニューはケーキセットのみの取り扱いだからだ。
「おおおおおおお……!」
テーブルの上には、茶色い表面がしっとりと輝くチーズケーキに、芳しい香りが匂い立つティーセットが置かれている。
(おおおおおお……これはこれは……!)
見ているだけで食欲がそそり立つ――
じゅるり。
これ一つで芸術品みたいに綺麗なんですけど!? スポンジの色合いからチーズに至るまで、これもう国家の至宝じゃないですか!? 崇め奉る対象じゃないですか!?
見ただけで、満点です。
エルミーゼはチーズケーキを切り取り、口に放り込む。
「はあ……!?」
思わず左頬を触ってしまうエルミーゼであった。あふれだす、美味しい! という感情にきっと頬が刺激されたのだろう。ふわん、とろんとしたスポンジ部分の優しさ。そして、かぶさっているチーズの存在感。それらが上品に混ざり合い、口内が大変なことになっている。
(ああ、人類に味覚を与えてくださってありがとうございます、神様……)
思わず感謝してしまう。
そして、紅茶に挑戦する。なんでも、この紅茶と一緒に飲んで欲しいからテイクアウトお断りという厳しい店なのだ。
(それは――どれほどなんですか!?)
恐ろしさすら感じてしまう。こんなに甘くて美味しいチーズケーキを出してくる店が、自信満々に勧めてくる紅茶。それはもう、禁制の品ではないだろうか。
琥珀色の液体を口に含む。
「ふわっ……!?」
えらいことになってしまった!?
口の中の芳醇なチーズの香りを、紅茶の清涼な香りが包み込む。それは確かな幸福感として昇華された後、魔法のように口の中をすっきりと綺麗にしてくれた。
(え、これって、お口を綺麗さっぱりにして、またチーズケーキを食べられるってこと!?)
まるで、今、口が生まれたばかりのような。
まっさらになった舌先にしっとりチーズケーキをのせる。
「うんまー」
幸せ、これはまさに幸せである。
そんな様子を見て、前に座るルシータがくすくすと笑った。
「ど、どうしましたか!?」
「あ、いえ、すみません……その、エルミーゼの食べる様子がおかしくって」
「ええ!?」
そんな自覚が全くないのだけど。
「そんなに変でしょうか?」
「変というか、ふふふ、表情がコロコロと変わって――でも、本当に美味しそうに食べているのがいいな、って思います」
「むう……だって、仕方がありません。こんなにも美味しいんですから」
「はい。喜んでもらえて嬉しいです」
それから二人はいつものように、取り留めのない会話をしながら時間を楽しんだ。
(うううん……最高の時間だねー……)
何よりも、あのルシータとこんなふうに過ごせるのが嬉しい。前世でも楽しかったけれど、今世ではもっと距離感が縮んだ気がする。
(うんうん、人生やり直して良かったなー)
ケーキを食べ終わった。
「そろそろ出ましょうか、エルミーゼ様?」
「はい、そうですね」
まだまだお喋りはしたいけれど、でも、もう少しで止めておくのも魅力的。また次も、という気持ちになれるから。
席を立つ前にルシータが切り出した。
「そうだ、エルミーゼ様。良かったらなんですけど――今度、うちの家にいらっしゃいませんか?」
「え?」
「あ、あ、冗談です! 忘れてください! お、怒られますよね?」
「いえ、その――」
全くダメではない。
むしろ、嬉しかった。前世だと、誰にも気軽に誘ってもらったことなんてなかったから。
(そうなんだよね。前世ではルシータからもこんなお誘いなかったのになあ……)
前世でも、ルシータとは仲良くしていた自信がある。だけど、ここまで踏み込まれることはなかった。
(何かが変わったのかな?)
それがなんなのかはわからないけれども。
前世のシナリオは、確かに変わっている。
「大丈夫です! お願いします!」
嬉しそうにルシータの顔がはにかんだ。
「本当ですか!? ああ、どうしましょう、我が家の名誉ですね、これは……!」
「……あ。すみません。でも、忙しいので行くとしたら泊まりになっちゃいますけど、大丈夫ですか?」
夜から行って翌朝に出る――これならモーリスが予定する行事とも抵触することはない。
「むしろ光栄です。じゃあ、準備を進めておきますね」
ニコニコとした表情のルシータは、本当に心から幸せそうだった。
だが、このシナリオの変更は、エルミーゼにとって大きな運命の分岐点となる。
なぜなら、そこで彼女は前世で知ることのなかった情報を手に入れるから。
偶然、ルシータの家でエルミーゼが見つけたものは『ラキアーノ公爵家の不正に関わる資料』だった――
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