第34話 美味しいケーキを食べにいこう!

 今はラキアーノ公爵領にいる! お客様として邸宅に泊まっている!

 これは、仕事以外はのんびりできる!


 ――そんなはずはないことを、前世で体験済みのエルミーゼは知っている。


 モーリス大司祭が厳かな口調で告げた。


「本日の予定は、まず朝はラキアーノ公爵への癒し、この管区にある教会の大司祭との昼食会、カラッパ博物館の聖遺物の視察、大商会パルックの御息女が生誕されたので祈りの言葉を、そして、最後にパルック主催の晩餐会に出席してもらいます」


「……はい」


 詰め詰めだった。どこまでも、詰め詰めだった。これでもか、と仕事を入れてくる。

 周辺領地の仕事も入れてくるので、心と体を休める暇がない。


「大変でしょうが、なかなか王都の外に出る機会もありません。聖女を求める声に少しでも応えるよう努力しましょう」


「……はい」


 王都は王都で、いつも仕事で一杯で、いつ休めばいいのでしょうか? 的な状況なんですけども。

 ともかく、聖女は休む間がない。

 そんな中にある束の間の空き時間を使って、エルミーゼはルシータと歓談する。

 最初は硬い様子だったルシータだが、エルミーゼの気さくさにガードを緩めて、だんだんと普通に会話できるようになってきた。

 ある日、しばらく歓談した後、ルシータはおかしそうにくすくすと笑いながら、

「エルミーゼ様がこんな方だと思っていませんでした。面白い人ですね!」


「え!?」


 エルミーゼは驚いた。

 確か、前世でそんなことを言われた気がしなかったから。


 ――素晴らしいお言葉をありがとうございます、エルミーゼ様!

 ――こんな私のために、聖女のエルミーゼ様がお話をしてくれるなんて……感動しております!

 ――話しているだけで、心が洗われるようです……。


(前のときは、こう畏敬とか尊敬とか感謝の気持ちみたいなのが前面に出ていたような……)


 目がキラキラ輝いていた。

 今は、ゲラゲラ笑いながら、涙で目がキラキラしている。


(同じキラキラだけど!?)


 何かが違う。

 とはいえ、エルミーゼ本人も理由には気が付いている。前世では完璧な聖女モードで接していたけれど、今回はわりと普通に接している。尊敬が不足気味なのはそのせいだろう。距離感の遠さは、憧れの強さに比例しやすい。

 ルシータが言葉を重ねた。


「でも、すごく素敵です。もっと恐れ多いものを感じていたんですけど――親近感を覚えることができて!」


「そう、それならよかった」


 うんうん、とエルミーゼは頷く。若干、尊敬が不足している関係で、10年後に困ってしまったら助けてくれないんじゃないか……という心配もあるけれども。


(それはそれでいいか……ルシータが死なないなら)


 彼女の優しさは知っている。そして、心から感謝もしている。

 だから、ルシータには幸せになって欲しい。自分のために、ルシータが死ぬのはゴメンだ。それならば、助けに来なくてもいい。


(……まあ、でも、きっとルシータは助けてくれるんだろうけど……助けてくれるよね……助けてくれ……ます……よね……?)


 そんなセコい感情もまたあるのだけど。

 そんなわけで、エルミーゼとルシータの会話は前世のものから大きく内容が変わっていた。

 だからルシータが、


「ああ、そうだ。実はこの街には有名なケーキ屋がありまして。そこのチーズケーキがすっごく美味しいんですよ!」


「ほほー」


 はい、優勝!

 このエルミーゼ様の前で『ケーキ』の3文字を並べちゃったな!? それは役ありでーす。


「それは、そのケーキ屋のケーキを食べないといけませんね?」


「え、聖女様ってケーキを食べていいんですか?」


「はい、もちろん」


 一切のためらいなく、エルミーゼは応じた。聖女としての良心を置き忘れることなど、一番の得意技かもしれない。


「ぜひ、食べてみたいです。買ってきてくれませんか?」


「ああ……実はそこの店、店長がこだわり職人でして、店内でないと食べさせてくれないんですよ。店長がおすすめの最高の紅茶と合わせて食べないとダメらしくて」


「最高の紅茶」


 その単語の強さよ。

 美味しいチーズケーキに、最高の紅茶。えらいこっちゃえらいこっちゃ!


「食べてもらえると嬉しいんですけどね……チーズケーキがですね、本当に美味しいんですよ。チーズの部分がトロッとしていて、口に入れた途端、ふわっとチーズの芳しい香りが広がって。なんなんでしょうね、こう……甘くて繊細なものが口の中一杯になるんですよね。それにちょっと渋めの紅茶がすごく合うんですよね」


 鬼の所業である。

 まさか、テイクアウトできないと言いつつ、こんな描写をしてくるなんて!

 エルミーゼはごくりと唾を飲み込む。

 頭の中は、甘いものへの渇望で一杯になってしまう。

 それはエルミーゼの心を折るにあたわず、むしろ、熱く燃焼させてしまう!


「行きましょう」


「……え?」


「その、ケーキ屋に行きましょう!」


「行列ができる感じですから、エルミーゼ様の空き時間的には――」


「大丈夫です! 我に策ありです!」


 食欲の権化となったエルミーゼに撤退の2文字はない。

 そして、それはついに決行される日を迎えた。


「……あ、あの……さすがに、無理ないですか……?」


 巻き込まれた護衛のクレアが乾いた声で指摘する。

 彼女が心配するのも無理はない。

 クレアがエルミーゼの身代わり役だからだ。今、エルミーゼは庶民服に身を包んでいるが、クレアはエルミーゼの聖女服を身につけている。クレアのほうが身長的にも胸囲的にもボリュームがあるので、少しパツンパツンだが、なんとか収まっている。

 作戦はこうである。

 クレアが聖女のフリをして周囲を騙している間に、エルミーゼはルシータと合流、そのケーキ屋を目指す。


「大丈夫!」


 エルミーゼは勢いよく断言した。根拠ならある。

 普通ならば、確かに無理だろう。だけど、今いる場所はラキアーノ芸術ホールの最上位VIP向けの部屋であれば可能だ。

 ここから4時間くらい、ホールでも高い場所にある個室でエルミーゼは歌あり劇ありの鑑賞タイムを楽しむ予定である。つまり、他の観客からは遠目ででしか聖女の姿を確認できないため、衣装を着て静かにしていれば問題ない。


(……観劇は前世でも見ているしね! 感想を聞かれてもバッチリ!)


 まさに、抜かりなし。


「だ、大丈夫ですかねえ……」


「大丈夫♪ 大丈夫♪」


 誰かが尋ねてきたらアウトだけれど、誰も尋ねてこないことは前世の人生で履修済みだ。観劇タイムの聖女に話しかける無粋者もいないのだろう。

 そんなわけで、不安がるクレアを置いて、エルミーゼは芸術ホールを脱出した。


(急がないと……)


 あまり時間的な余裕はない。領都ラキアーノをエルミーゼは足早に移動する。

 訪れた広場の中央には噴水がある。そこに近づくと、こちらも、いつものメイド服ではない、外出着に着替えたルシータが立っていた。


「ルシータ!」


「エルミーゼさん!? 本当にいらっしゃったんですね!? 大丈夫なんですか!?」


 なんとか時間を作るから、と待ち合わせの約束をしていたら、本当に来てくていた。


「大丈夫大丈夫!」


 ニコニコと応じる。

 そして気がついた。


(……あっ、これってひょっとして、人生初の待ち合わせ?) 

 もちろん、いかめしいイベントに顔を出すため、モーリス大司教などと時間を合わせて動くことはあるが――そういうことではない。こういった感じの、友人同士が気軽に出かけるための待ち合わせをした経験がエルミーゼはなかった。

(なんだか、照れくさいものだな)


 少しばかり胸がキュッと締め付けられる気分になる。待ち合わせした人がいてくれたことも、声をかけることも、全てが新鮮で照れ臭かった。いつもなら屈託なく話をする仲なのに、かしこまって挨拶する感じが。


「はははは……」


「……? どうしたんですか、エルミーゼ様?」


「いえ、なんでもありません。参りましょうか。道案内をお任せしても大丈夫ですか?」


「はい、お任せください!」


 そう言って歩き出すルシータの背後を、エルミーゼは楽しげな足取りでついていった。

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