第33話 前世でお世話になった人
前世でのこと――
失墜するガルダニア王国で1つの裁判が行われた。その結果はこうだ。
『この荒廃の罪は全て聖女エルミーゼに帰する! 国の幸福を祈り、願うべき存在でありながら、それらを怠ったがゆえの結果なのは明白! その穢れた身を浄化の炎で厄災とともに焼き払うのだ!』
エルミーゼ視点では、やなこった! である。全く覚えがないのだから。
(そもそも、ずっと完璧な聖女って言っていたじゃないの!?)
なのにこの手のひら返し。実にひどいものである。
そんなわけで、エルミーゼは逃げた。
しかし、王国の全民衆がエルミーゼを敵視している状況だ。おまけに、エルミーゼは献身的に全国を回っていたのもあって顔が知られている。
その逃避行は困難を極めた。
そんなとき、エルミーゼを救ってくれたのが、ルシータだ。
「お疲れでしょう、エルミーゼ様。見苦しいところではございますが、私の家でお休みください」
偶然の再会だった。そのときのエルミーゼは疑心暗鬼になっていた。全ての人間を疑ってかかっていた。あんなに尽くしたのに、こんな仕打ちを――誰も信じない。
「どうして私を……あなたとは10年前に少し顔を合わせただけなのに……」
――私を閉じ込めて、居場所を密告しようとしているのか。
そんな醜い考えが頭をよぎる。
(ああ、きっと、私の顔もまた醜い表情をしているんだろうな……)
ルシータの表情が少し寂しそうに揺れた。
「そんなこと言わないでください――10年前のあの日々は、私にとって素晴らしい時間だったのですから」
公爵領の滞在時、エルミーゼは世話役のルシータを捕まえて色々な話をした。どんな話だったのか、もう記憶の泡沫に消えてしまっているけれど――
(確かに楽しい時間だったな)
その確信はある。
「エルミーゼ様が完璧な聖女だったことを私は知っています。エルミーゼ様が言われているようなことをする人ではないと思っています」
だから、エルミーゼは抵抗せずにルシータの誘いに乗った。逃走に疲れていて、これが罠なら罠でも別にいい、とも思っていたから。
連れていかれた家は、確かに広くはなかったが、掃除の行き届いた綺麗な建物だった。
「ルシータは、どうして、ここに? ラキアーノ公爵領に住んでいたのに?」
そう、そこは公爵領から離れた場所だった。
「ええと……母の実家がこちらにありまして――」
少し昔を思い出すような目つきで遠くを見ながら、ルシータが説明する。
「エルミーゼ様がお帰りになった後、父親が亡くなりまして。公爵様から支度金を援助していただいて、こちらに引っ越したんです」
「……あなたも苦労なされたのですね」
「ありがとうございます。人生にはいろいろありますね」
それからしばらく、エルミーゼは平穏な日々を過ごした。
ルシータは本当に二心のない人で、心からエルミーゼのことを憂い、尽くしてくれた。それはまるで、人々を焼き尽くす、荒れ果てた砂漠の片隅にある清涼なるオアシスのようにエルミーゼの心と体を癒してくれた。
(もうこのまま、時間が止まってくれたらいいのに……)
そんなことを思っていたけれど。
そんな幸せな時間が続くはずもなくて。
――その日、エルミーゼは夕食の時間になったので、2階の自室から階下に移動しようとドアを開けた。
そのとき、微かな異臭を感じ取った。
いつもこの時間に漂っている香りがエルミーゼは好きだった。ルシータが作ってくれる晩御飯の香り。それは食欲を刺激して、エルミーゼを幸せにしてくれた。
なのに、これは――
(血の臭い)
血生臭い逃避行をしていたエルミーゼには馴染みのある嫌な臭いだった。不愉快な思いを胸に抱いたまま、エルミーゼは階下へと降りていく。
「――!」
そこで見た光景は、見たくもないものだった。
血まみれのルシータが倒れていた。体中のあちこちを刺されて、床に流れ出た血の池を作って。
壁際に長身で痩せた男が立っていた。着ているローブの下には革の鎧が見え隠れしている。手には真っ赤な短剣が握られていた。輪郭が四角形に近く黒目の大きな双眸が印象的な男で、間違いなく異相と呼んでいいだろう。
「ルシータは死んだぞ。お前なんかを庇ってしまったせいで……せっかく助かった命だってのに、親と同じく引導を渡されるなんてなあ……。お前なんかに関わってしまったばかりに!」
ゲラゲラと笑いながら男が、壁から背を離して短剣を構える。
「お前は生け捕りにしろと言われている。さて、おとなしく来てもらおうか?」
ルシータは死んだ。
こんなエルミーゼにも、優しさをくれたルシータは死んでしまった。
「う、う、う、うわあああああああああ!」
怒りが絶叫となって口から迸った。
こうして、エルミーゼとルシータの幸せな日々は急な終わりを告げたのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「あの、エルミーゼ様?」
現世のルシータが困ったような声を出す。当然だろう、テンション高く抱きついてきたと思ったら、突然、黙り込む聖女がいたら、どう反応すればいいのかわからない。
「ごめんなさい! うっかりして!」
正気に戻ったエルミーゼは慌てて距離をとる。
ルシータが服装を正してから、口を開いた。
「……あの、以前にお会いしたことがありますか?」
「あ、いや、その!?」
エルミーゼは怪しげな動きで両手を動かす。完全に挙動不審者である。
(前世で会っていたとか言っても!?)
頭がおかしい人と思われるのがオチである。
「ええと、その、人違いでして……申し訳ございません!」
「ああ、大丈夫です。気になさらないでください」
にっこりと笑ってルシータが許してくれる。
「御用がありましたら、いつでもルシータまで申し付けください。それでは、また」
一礼すると、ルシータは部屋を出ていった。
エルミーゼはベッドに腰掛ける。
(うんうん、ううううんと楽しい時間を過ごそう!)
再会したとき、ルシータはエルミーゼとの時間を『楽しい時間だった』と言っていた。そんなふうに思ってくれていたことがエルミーゼも嬉しい。前世よりも、もっと素晴らしい時間を提供しようと張り切ってしまう。
(だけど――)
エルミーゼの心の中で嫌な気分がわだかまる。
前世でのルシータとの時間は唐突に、悲劇的に終わってしまった。あの未来だけはいただけない。あんなに尽くしてくれた、優しいルシータをあんな目に合わせてはいけない。
(どうにか未来を変えなくちゃ)
どうすれば未来が変わるのか。そんなことをエルミーゼは考え始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます