悪女は未来を選択する

第32話 治すか、治さないか。それが問題だ

 新年が明けてしばらくして、エルミーゼはモーリス大司教や護衛のクレアらとともにラキアーノ公爵領を訪れていた。


「こちらでございます」


 執事に連れられて、ラキアーノ公爵邸の奥へと連れられていく。

 通された部屋には大きなベッドが配されていて、真っ白な髪の老人が横たわっていた。

 彼が現当主ラキアーノ公爵だ。

 公爵、という肩書きが示す通り、王国で最重要の位置にいる人物だ。そして、肩書きだけではなく手腕もまた。辣腕家であり、多くの王国の歴史が彼の手によって生み出された。大物中の大物貴族と言っても過言ではない。


「……聖女殿か。足労に感謝する」


 ラキアーノが身を起こす。その動きは機敏からも力強さからもほど遠く、生にしがみつくしかない人間の弱さが目についた。

 こけた頬やくすんだ肌の色もまた、まさに病人のそれ。

 ラキアーノ公爵は重い病気に犯されていた。

 だが、その目は――

 まだ死んでいない。強い眼光が光り、国の多くを采配しようという覇気に満ちている。

 まだ死ぬつもりはないと雄弁に語っている。


(……まあ、実際に死なないのだけれど)


 前世では死ななかった。

 なぜなら、エルミーゼが治癒の魔法で治してしまうからだ。現国王とは違い、ラキアーノ公爵が患っているものは『深くて重い、運命に傷跡を残すほどの病』ではない。

 それならば、エルミーゼの魔法で治癒できる。


「失礼します、公爵」


 短く断り、エルミーゼは診察の魔法を使用する。

 手のひらの光が消えると同時、ラキアーノ公爵が口を開いた。


「……ふむ、どうかな、聖女殿?」


「そうですね――」


 当然ながら、前世と病気は変わらない。診察魔法は、これが治癒可能なものだと判断している。

 前世のエルミーゼは聖女スマイルを浮かべてこう答えた。


 ――大丈夫ですよ、問題なく治せます。ご安心ください。


 それは相手を安心させようとする、善意から生み出された言葉。聖女として当然吐くべきもの。だけど――


「申し訳ありません、まだ分かりかねます。ただ、最善を尽くすつもりです」


 今回は言葉を濁した。


「そうか、ならば仕方があるまい」


 ラキアーノ公爵は落胆することなく応じた。この辺の豪胆さは、さすがは貴族の社交界に君臨してきただけある。

 エルミーゼは一礼すると、部屋を出た。

 用意された自分の部屋に戻りながら、エルミーゼは悩む。

 病気を治すことは容易い。そこは問題ではなく、問題はラキアーノ公爵の立ち位置だ。彼は、第二王子ガルガドを推していた。

 そう、前世において長男を抑えて、王位についた第二王子ガルガドだ。

 そして、彼が王になることで王国は失墜して、その責任をエルミーゼがかぶることになって処刑される――


(ラキアーノ公爵を生かすことは、私の死につながるんだよね……)


 そんなわけで、はい! できますできます! 私、ほいほーいと治しちゃいますねー! ほいほーい! なんて気前のいい返事ができなかった。


(未来を変えるのなら、ここで公爵を見殺しにするべき)


 それは大きな分岐点となるだろう。

 なぜなら、ラキアーノ公爵は超大物貴族である。その彼がここで死んでしまえば、社交界が揺らぐのは間違いない。特に第二王子派も中心となる先導役を失い、大きな方向転換を迫られるだろう。

 一石二鳥! 殺すしかない! 今なら完全犯罪でお得! 運命の女神もニッコリ!


(――なんだけどなあ……)


 それはそれで気が乗らない。

 自分の保身のために、助けられる命を見捨てるというのは、根が善人なエルミーゼにとって神経に触る話だ。


(悪女としては乗り越えないといけないんだけどなあ……)


 他人を蹴落とすなんて、むっちゃ理想的な悪女ムーブ――というのはわかっているけれど、まだ踏み越えられないでいた。悪女レベル1の悲しさだ。

(それに……そもそも公爵を暗殺しても本当に未来が変わるかな……?)


 その保証はない。

 確かにラキアーノ公爵は第二王子擁立派の中心人物ではあるのだけれど、彼だけが影響を及ぼしているわけではない。意を決して公爵を排除したとしても、大勢は変わらないかもしれない。


(――だとしたら、完全に『うっかりやっちゃいました!』だよなあ……)


 保身で殺すのは100歩譲ったとしても、その結果、保身にすらならなかったら笑い話にもならない。

 その辺を「ごめんあっさっせー、おーほほほほほ! わたくしの目についた路傍の石が悪いのですよー!」と笑い飛ばせるのが理想の悪女なのだけど、まだ、エルミーゼは理想からほど遠い位置にいる。


(ごめんではすまないよなー……)


 結局、人のいいエルミーゼは結果を棚上げにした。

 治療をやめれば、いつでも公爵は見殺しにできる。そして、治療には一定期間、継続的な魔法による働きかけが必要だ。つまり、しばらくの時間的な猶予がある。


(ちょっと考えよう……)


 棚上げというよりは、消極的な妥協だったが。タイムアップまで考え続けると、公爵の病気は完治してしまうのだから。そして、自分がお人好しであることを自覚しているエルミーゼは、その未来にたどり着いてしまうんだろうなあ、とも思っていた。


(その場合はその場合で仕方がないか。別の方法を探せば)


 エルミーゼはそう結論づけた。深くは考えない! きっとなんとかなる! そんな精神である。

 ちなみに、そのとき、もうエルミーゼは与えられた部屋に着いている。ベッドに一人で腰掛けて、うんうんと考え事をしていた。

 ちょうど考えがまとまったとき、不意にドアがノックされた。


「はい、なんでしょうか?」


『エルミーゼ様のお世話をさせていただくメイドのルシータです。ご挨拶に伺いました。入ってもよろしいでしょうか?』


 ――ルシータ!


 その名前はエルミーゼにとって重要な名前だった。一瞬にして心臓が飛び跳ねて、思考が白くなってしまうくらいには。


「ル、ルシータ、ルシータなのですね!?」


『は、はい……?』


 ドアの向こう側の声が少し驚いている。無理もない――

(そ、そうか、こっちだと初対面か……)


 少し気分を落ち着かせてから、エルミーゼは言葉を吐いた。


「はい、お、おはい――お入りください」


『失礼します』


 ルシータが入ってきた。眼鏡をかけた16歳くらいの女性だ。その職業に相応しくメイド服を見に纏っている。

 その顔を見た瞬間、エルミーゼの胸は懐かしさでいっぱいになった。

 エルミーゼが丁寧な仕草でお辞儀をする。


「ルシータです。お目にかかれて光栄です。エルミーゼ様の滞在中は私が世話をいたしますので、何なりとお申し付けください」


「また会えて嬉しいです!」


 そう言って、エルミーゼは爆発しそうな感情を我慢できずルシータに抱きついた。


「――え」


 絶句して、ルシータは体をこわばらせているが、一方的でも構わない。

 それくらい、エルミーゼは嬉しかった。

 なぜなら、ルシータは前世でとてもお世話になった人物だから。傾国の聖女として逃亡の日々を過ごすエルミーゼに、優しく接してくれた数少ない人物だから。


(あの日々は、私にとって救いだった……)


 だから、エルミーゼはルシータに深く感謝していた。


(また会えて嬉しい!)


 それはエルミーゼの、心からの喜びであった。

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