第36話 お友達の家に行ってみよう!

 ルシータの家に行くという話をモーリス大司教に告げたところ、烈火の如く反対された。


「いやいやいや! 個人の家に行くなど――聖女である身分をお考えください! その光栄に預かりたい人間は多くおります。例外を許せば収拾がつかなくなりますぞ!?」


 ご高説はごもっとも。確かに、その意見は正しい。

 だけど、真実は必ずしも、理屈の先にはない。納得するのは感情だから!


「嫌でーすぅぅぅぅぅ。私はルシータの家に行きますからぁぁぁ!」


 鋼の意志でノーと言い切る。

 お友達の家に呼ばれたら、行きたいものだ。好きではないと呼んでくれないのだから。


(憧れのお泊まり会をしたい!)


 必死の形相でエルミーゼは意見を押し通した。

 モーリス大司教は嫌味をぶちぶちと言いながらも、最終的には、護衛のクレアを連れていく案を提示して妥協した。

 自室でその話をすると、クレアはすんなり応じてくれた。


「……お邪魔かもしれませんが、仕事上、仕方がありませんので我慢をお願いします、エルミーゼ様」


「大丈夫でしょう。きっとルシータも受け入れてくれますよ。あなたがいてくれると助かります。困ったときは私の身代わりにもなってもらえますからね」


 もちろん、あの芸術ホールの入れ替わりのことである。


「……もうやめてください……胃が痛くなります……」


 クレアはお腹を抑えて、うぐぐぐ、と呻き声を吐く。真面目なクレアは、見つかったらどうしようと死にそうな思いで観劇をやり通したらしい。おかげで、演劇の内容はまるっきり覚えていなかったとか。


「ごめんなさい。でも、あなたのおかげで私は私らしくあることができました。あなたの献身には日頃から感謝しております」


 にっこり聖女スマイル。


「うっ……そ、そそのようなお心遣い! 前言を撤回します! このクレア、エルミーゼ様に命を捧げる所存でありますゆえ、いつでもご命じください!」


 ちょろい。

 聖女スマイル一発でこの陥落である。


(あ、いや、私の無茶振りに答えてくれるクレアには感謝しているけれど! 本当に嬉しいこと言っちゃってくれているけれど! でも、でも、ちょろすぎるから、お姉さんは心配だよ!)


 そんなことを思ってしまう。

 ともかく、当日、エルミーゼはクレアとルシータとともに馬車に乗って目的地へと向かった。


「あまり広くはない場所ですけども……のんびりしていってください」


 たどり着いた家は、公爵の邸宅や教会に比べると確かに小さいが、一般人の家よりも立派で豪勢なものに見えた。

 ルシータから聞いた話によると、ルシータの父親はラキアーノ公爵に仕える文官の仕事をしているらしい。公爵からの覚えもめでたい――ということは、お給金もそれなりので、わりと立派な家なのも当然だろう。

 馬車を降りると、玄関前に立っていたルシータの両親たちが出迎えてくれた。


「聖女エルミーゼ様、娘の不躾な呼び出しに応じていただき、ありがとうございます。私は父のラクトーと申します。今日この日は、我が家が末代まで誇れる日となることでしょう」


 灰色になった髪がダンディーな感じの中年の人物である。表情はとても柔和で、きっと優しい人物なのだろうと類推できる。


(うんうん、ルシータのお父さん! って感じだねえ)

「ありがとうございます」


 エルミーゼは聖女らしく丁寧なお辞儀をした。


「ルシータさんから伝わっていると思いますが、こちらは私の護衛のクレアです」


「クレアと申します。ただの護衛ですので、私のことはお気になさらず」


「お仕事お疲れ様です。こちらも邪魔しないようにいたします。気になることがございましたら、何なりとお申し付けください」


 その後、ルシータの家族たちが紹介されていく。

 お母さん、お兄さん、弟さん――

 とても愛想が良さそうで、明るい家庭だ。そして、それを再確認すると同時にエルミーゼの心は重さを増していく。お父さんは事故で死んでしまうのだ。お兄さんと弟さんが乗せた馬車と一緒に谷底に転落して。

 そして、一家はこの地を去って、お母さんの実家のある領へと帰る。

 そこでしばらくは二人で静かに過ごすが、お母さんも病にかかって亡くなり、ルシータは一人で生きていた。

 そう、前世のルシータが話していた。

 その未来を知っているので、エルミーゼは気分の悪さを覚えてしまう。

 この明るくて楽しい家庭には死の宣告がくだっている。


(……それだけは、どうにか回避しないと……)


 それこそが前世のルシータから託された己の使命であり、絶対に今世でやり遂げないといけないことだと思った。

 それから部屋に通された。広めの部屋をクレアと一緒に使うことになる。休憩が終わった後、夕食会が始まった。美味しいものを食べながら、心優しい人たちと話す。それはとても素敵で誇らしくて、美しい時間だった。


(こんな日々が毎日続けばいいのになー)


 そんなことを思ってしまう。

 もちろん、他者であるエルミーゼには今日だけなのだけど、ルシータについては永遠であって欲しい。彼女の不幸は絶対回避! エルミーゼは強く誓った。

 食事会が終わった後、お風呂をいただき、就寝の時間になった。

 そして、夜が深まった後、エルミーゼはむくりと起き上がった――

「トイレ」


 調子に乗って、パカパカと果実水を飲みすぎたからだ。


「ううううう……も、漏れる……」


 客が宿泊する用の部屋まで用意されている、それなりには広い邸宅なので、なかなか大変だ。トイレはどこだどこだと必死に探して、

「はああああ……間に合った……」


 わりと喫緊のピンチだったので急死に一生を得た。聖女がお泊まり先でお漏らししたら洒落にならない。悪女ムーブだ! とも言い張れない。ただの迷惑な人である。


「よかったよかった……」


 トイレから出て、明敏なエルミーゼはすぐに己の状況を把握した。


(……ここ、どこ?)


 己の尊厳を守るため必死に動き回ったせいで帰り道を覚えていなかった。


「ま、まあ、同じ建物の中にあるんだから、なんとかなるなるなる……」


 そんなことを己に言い聞かせつつ、エルミーゼは月明かりだけを頼りに廊下を歩いた。


「ここだ!」


 自信を持ってドアを開けた。開いた先にはクレアが眠っているベッドが――

 なくて、壁という壁を本棚で埋められた書庫だった。部屋の端に、書き物をするための小さなデスクがある。


「外れたかなあ……」


 エルミーゼはガッカリして部屋から出ようとした。

 そのとき――

 いつもなら、堕落の日々を過ごすエルミーゼの脳細胞が活動を始めた。記憶の中にある情報が一瞬にしてフラッシュバックしたのだ。

 前世でのルシータとの会話を漣のように思い出された。

 ――家には書庫があって、お父さんがよく使っていました。結構、夜遅くまで入っていることもあって、何をしているんだろう? と家族で話題になったんですよね。

 その話をするときのルシータの表情は懐かしさを楽しむ感じだった。


(ああ、ここがその書庫なのかな……)


 ――お父さんたちが亡くなってから、急に公爵家の人たちが家を封鎖したんです。犯人を探すためらしいですが……宿泊先は用意はしてくれたんですけど、心の整理もつかないままだったので大変でしたね。

 その話をするときのルシータの表情は腑に落ちない感じだった。


(ふぅむ……)


 エルミーゼは考えてしまう。前世で辛酸を舐める日々を過ごしたので、現世では善良な気持ちで物事を受け止めることができないのだ。 

 例えば、ルシータのお父さんが事故死ではなく、何者かに謀殺されていたとしたら? 謀殺者はこの家にある『都合の悪い証拠』を奪うために家を封鎖したとしたら?

(この家のどこかに、そういうものがある?)


 もしも、父親が絡んでいるのなら、彼がよく時間を過ごしたこの書庫とか?


(まあ、そんな都合よくいかないよね?)


 おまけに、この部屋の中から探そうにもヒントは何もない。とは言いつつも、せっかくなのだからトライしてみよう。

 実はエルミーゼには『お試し』でやるにはちょうどいい特技があった。

 ――神託である。

 雑に『神様ー、困っているから教えてー』と問いかけてみると、ときどき正しい答えがもらえるのだ。エルミーゼは小物をなくしたとき、探すのが面倒なときに使っている。

「我らが主人よ、お答えください。私に道をお示しください――」


 両手を組み合わせて、エルミーゼは祈った。

 それは真摯な――とても真摯なものだった。心の奥底からの望み。決してエルミーゼが己のために使うときには潜らない深奥。

 なぜか?

 前世でのルシータの恩義に報いるためだ。

 ルシータの幸せを切なる願いながら、真摯な気持ちで神に願い出た。ただ一度の奇跡を。ただ一度の光明を。

 あの親切で、優しい少女の未来を守るために。

 願い出るは、完璧なる聖女エルミーゼ。

 その祈りの強さもまた、それに違わず。

 想いの強さが今、奇跡の扉を開く――

「うん?」


 本棚の一角にほのかな灯りが輝いていた。



 

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