第37話 天網恢恢疎にして漏らさず
「ラッキー!」
小さな輝きに近づくと、そこには1冊の本があった。表紙が革製で、なかなか豪華な装丁だ。
開けてみると――
「ノート?」
本ではなかった。白い紙に人の手による文字が書き付けられている。窓の下に移動して、月明かりの下でざっと眺める。
「おうおうおうおう……」
なんだかさまざまな数字が並んでいる。エルミーゼは高等な教育も受けていて本人も頭がいいが、その意味まで理解できなかった。
だが、併記されている文章によって、何を意味しているのか推測はできた。
「まさか公爵領の、不正……?」
ここに書かれている内容は、どうやら長年にわたってコツコツと調べ上げられた内容をまとめているらしい。何かと何かの記録を比較して、明らかな金額的なズレを導き出している。その消えた金額はどこに消えたのだろうか。
「誰がその不正で利益を得ているのか――」
ノートには所々、己の苦悩を吐き出すかのようなメモが走り書きされていた。
『まさか、これほどの不正会計が長年にもわたって行われているなんて……』
『これは公表するべきだろう、だが、それは私の主人を裏切ることになる。そして、この領の安寧を破壊する行為でもある……』
『この調査は正義の行為だ。だが、もしもこの行為がバレればどうなるだろう。きっとあの人は容赦しない。やめるべきだろうか』
エルミーゼはノートから目を離して月に目を向ける。
おそらく書いているのはルシータの父親だ。そして、彼はある日、公爵領の不正に気がついて調査を始めた。それは直感ではなく事実で――
犯人は、ルシータが仕えるラキアーノ公爵その人であろう。
確かに悪人顔なので、驚きはない。私腹のひとつやふたつ肥やしていても不思議ではない。
(この資料が事実ならば、公爵は悪いやつなのね)
これで、病気を治さない理由がまたできてしまった。
もちろん、資料の信憑性を確認できていないので断言はできないが。
「ううん……」
だけど、これ以上の詮索も難しい。ルシータの父親にこの資料について問い詰めても、彼が感動に咽び泣きながら話をしてくれるとも思えない。ルシータの父親は家族にも内緒で黙々とこれを作り上げているのだから。誰かに知られることを最も恐れているのに、見ましたよ、とは言えない。
エルミーゼはノートを元の位置へと戻す。
誰もいないことを確認してから、こそこそと書庫から出て再び廊下を歩き出した。
そして、考える――
このノートが示す事実は、公爵が不正を行っていることだけではない。
それよりも重要な仮説が成り立つ。
ルシータの父はバレたときのことを恐れていた。
――ルシータの父たちを殺し、平和な家庭を破壊したのは公爵ではないか?
(だとすれば、それは絶対に許すわけにはいかない……!)
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ルシータの家で心温まる歓待を受けた後、エルミーゼは再び多忙な聖女生活に戻った。
その仕事にはラキアーノ公爵の看病も含まれている。
その日、エルミーゼは公爵の資質を訪れた。
「それでは治療を開始します――」
エルミーゼはラキアーノ公爵の老体に癒しの力を注ぎ込む。
しかし、それは本気にはほど遠いものだ。
病気の進行速度を10とすれば、それを10で相殺している――つまり、現状維持だ。
(……どうしたものやら……)
エルミーゼとしては心労が絶えない。いまだに自分の方針を決めかねているからだ。
公爵に対する嫌悪感は日々募っている。
だけど、決定的な証拠がないので、まだ判断を決めかねている。人の命がかかっている問題なので、簡単な結論はくだせない。
――だけど、ルシータの幸せを守るためならば。
もしその確証が得られれば、エルミーゼは一切のためらいをしないだろう。
治療が終わった。
「聖女よ、感謝するぞ……」
そう言って、ラキアーノ公爵が静かな眠りにつく。
周りを囲む従者たちの緊張がすっと弱まった。そんな中、一人の20代半ばくらいの青年がエルミーゼに声をかけた。
「エルミーゼ様、少しよろしいですか?」
知っている人物で、名前はグライト・ラキアーノ。ラキアーノ公爵の孫に当たる人物だ。血族だけあってラキアーノ公爵と似た雰囲気を漂わせている。
「祖父の容態はどうでしょう? 治る見込みはありますか?」
「……努力しているところですが、わかりません。天がお決めになることですので」
「祖父は王国に必要な人物です。これまでも多くの素晴らしい歴史を作り、これからも多くの素晴らしい未来を作ることでしょう。王国に山積する諸問題を解決するには、祖父の統率力と国への忠義が必要です。何卒、よろしくお願いします」
「……最善は尽くします」
エルミーゼの硬い返事の後、グライトは固かった表情を柔らかくした。
「もちろん、エルミーゼ様の献身に疑いの余地はありません。お疲れでしょう、どうでしょう少しばかり息抜きをされてみては?」
おや、これはケーキ祭りへのお誘いだろうか、そんなふうに期待していると、
「どうでしょう、狩りにでもご一緒に?」
「狩り」
とんでもないものが出てきた。猪狩りに大興奮だったのは、観光地エフェクトだったのと猪鍋というご馳走が控えていたからだ。
(自分が行きたいだけでは? 女子に狩りとか、ちょっとチョイスおかしくない?)
おまけに万物を愛する聖女という言葉から遠くないですか?
まあ、猪鍋は食べたけれども。
そんなエルミーゼの感情など気にすることなく、グライトが言葉を続ける。
「なかなか面白いものですよ。どうです?」
「そうですね……興味はあるのですが、聖女としての仕事が詰まっておりまして……モーリス大司教が相談が必要ですね」
そう言って、視線をモーリスに向けた。
(いつも、私がスケジュールに文句を言っても緩めてくれないモーリスだ。ここもビシッと断ってくれるはず――!)
モーリスはニコリと笑い、揉み手する。
「エルミーゼ様のことを気遣っていただき感謝いたします。エルミーゼ様の予定は先の先まで詰まっておりま――」
(行け! そうだ! 容赦なくやっちまえ!)
「すが、とても大切なことだと私も認識しております。万事、調整いたしますので、お日にちのご相談から始めたいと思います」
(えええええええええ!?)
まさかの、あっさりイエスだった。
(モーリスぅぅぅぅ!? なんか権力あるやつと話をすると、愛想良くなりすぎない!?)
困るのはエルミーゼなのだけれど。日頃の、エルミーゼへの容赦ないスケジュール管理を徹底してもらいたいものである。
グライトが爽やかな笑みを浮かべた。
「よかったよかった。エルミーゼ様が多忙なのは知っていたから、そこが心配だったんだ。ぜひ楽しい時間にしましょう」
そう言って、グライトが手を差し出してくる。
(モーリスが断ってくれると思ったのに……今さら、興味ないっすー! とも言えないか……)
観念しながら、エルミーゼはグライトの手を握り返した。
そして、あっという間に狩りに向かう日が来た。
その日、参加者はラキアーノ公爵邸の庭に集まっていた。教会側からは、エルミーゼと護衛のクレア、モーリス大司教くらいだが、公爵側は多くの人間が随行する。
(まあ、何事かあったら大変だからねえ……)
護衛や身の回りの世話をすることも考えると、これくらいにはなるのだろう。
「いい狩り日和ですね。実に楽しみです」
にこやかな表情でグライトがやってくる。
「そうです、ね――!?」
適当に応答を返そうとして、エルミーゼの言葉尻が激しくブレた。
(え、え、え、嘘……?)
心の動揺がおさまらない。おさまらないまま、その視線が一点に吸い寄せられる。グライトではなく、その後ろ斜めに立つ男の顔に。
輪郭が四角形に近く黒目の大きな双眸が印象的な男で、間違いなく異相――
エルミーゼが知っているよりも幾分か若いが、それはそれはそれで問題ない。出会ったのは、10年
(まさか、ルシータを殺した殺し屋!?)
脳内に浮かび上がるのは、逃亡先のルシータの家で起こった惨劇。
真っ赤な血の池に沈むルシータと、その横に立っていた男――
全く同じ男が、そこに立っていた。
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