第38話 聖女は静かに激怒する

「おや、どうなされましたか、エルミーゼ様?」


 グライトの声にエルミーゼは我に返った。慌てて視線をグライトに向ける。


「申し訳ございません。少しぼうっとしておりました」


「ふふふ、この男が気になりましたか?」


 さすがは抜け目ない上級貴族だ、エルミーゼの視線に気がついていたのだろう。


「確かに少しわかった風貌の男ですね。ですが、腕は確かです。どんな相手がきたところで返り討ちにしてくれるでしょう。ゆえに、祖父も私の専属護衛を任せているのです。名をデスリオと呼びます」


「デスリオです。用がございましたら、いつでもお声がけください」


 公爵家の勤め人らしく、美しい動きで頭を下げる。

 男の声にも聞き覚えはあった。前世の記憶と合致する。前世では名前を名乗っていなかったので、そこの照合は取れないのが惜しいところだ。


(腕は確か、か――確かに、かなりの使い手だった)


 前世で正面激突したエルミーゼもそこに異論はない。

 どうやら、前世では初対面だと思っていたけれど、公爵領にきたときに人生は交差していたらしい。だけど、そのときは印象に残っていなかった。


(ルシータが殺されたときの印象が強かったから覚えていただけで――それで反応してしまったから、グライトも紹介してくれたのだろう)


 前世では紹介してもらった記憶がない。


「今日は楽しみましょう。またお声がけします」


 にっこりとほほ笑むと、グライトはデスリオを連れて立ち去った。

 ようやく準備が整い、みんなで狩り場へと向かった。わざわざ誘うだけあってグライトの腕前はなかなかのもので、鹿やら鳥やらを次々と落としていく。そのたびに付添人たちが、おおおおお! と喜びの声を上げた。

 グライトが話しかけてくる。


「どうですか、エルミーゼ様も? こちらのクロスボウで狙ってみては?」


「いえいえ、私ではとてもとても」


 謙遜である。教会で護身の関係で、一通り武芸も学んでいるので、狙えと言われれば当てる自信もある。どちらかというと、近接戦のほうが得意だけれども。

 だけど、今日は無理だったかもしれない。

 エルミーゼの意識はほとんど、頭の中に向けられていたから。何かを話しかけられても、感情のこもっていない生返事しかできない。


 ――ディンバート公爵は長年、会計不正をして私服を肥やしていた疑いがある。

 ――その不正を調べているのが、ルシータの父親。その調査書類は家に保管してある。

 ――前世において、ルシータの父は馬車が谷底に落ちて事故死した。

 ――前世において、ルシータを殺した男が、今、ディンバート公爵家に勤めている。

 ――ルシータが住んでいた家は、父親の死後、公爵家によって封鎖された。


 そして、前世でデスリオが言っていた言葉を思い出す。


『ルシータは死んだぞ。お前なんかを庇ってしまったせいで……せっかく助かった命だってのに、親と同じく引導を渡されるなんてなあ……。お前なんかに関わってしまったばかりに!』


 あのときはルシータが殺されたことで動転していたので、あまり気にしていなかったが――


『せっかく助かった命』


『親と同じく引導を渡される』


 思えば、妙な言葉を口走っている。

 そう、ルシータの親が死んでいることを知っていて、そして、何かしら陰謀に巻き込まれながら九死に一生を得た――と仄めかしている。


(………………!)


 前世でルシータは父親が事故死をしたとき、こんなことを言っていた。


『急きょ、公爵様の別荘に呼び出されて慌てて出向くことになったのです。家族全員で一緒に向かう予定でしたが、私が熱を出しまして――泣く私を慰めるために母親が居残ってくれたんです』


(……ルシータの発熱がなければ家族総出の旅だった。で、そのまま馬車は谷底に落ちた)


 ルシータは運良く助かった。

 デスリオはそれを揶揄するような言葉を放っている。

 なぜ、彼はルシータの運命が発熱で変わった、という趣旨の言葉を吐けるのだろうか? もちろん、それを知っていたからで――

 まばらだったエルミーゼの思考は一本に集中していった。


(シンプルに考えるのなら、ラキアーノ公爵がルシータの父を排除しようとして事故死に見せかけて殺した。だから、配下のデスリオも当初のシナリオを知っていた。いや、むしろ、デスリオが実行犯の可能性もある)


 前世だって、単独でエルミーゼを追ってきた男だ。護衛や執事の領分ではないだろう。


(誰からの追手なのか聞いておけばよかった……)


 あまりにも頭にきていたから、そこまでの心の余裕がなかったのが残念だ。ただ、前世だと王となった第二王子の後見人として絶大な権勢を誇ったラキアーノ公爵が、エルミーゼを追い詰めるために個人的な追手を派遣してきてもおかしくはない。


(もう、人のいい聖女のままではいられないか)


 ラキアーノ公爵は、あまりにも黒すぎる。

 ルシータの笑顔が浮かんだ。

 前世で仲が良かったルシータ。困っているエルミーゼを見捨てずに助けてくれたルシータ。

 そのルシータを不幸にする存在をエルミーゼは許さない。

 ふつふつと湧き立つ怒りの熱を、エルミーゼ自身は感じ取っていた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 それから2週間の間に、ラキアーノ公爵の容態は急変した。

 今までは会話が可能だったのに、日が経つにつれて口数が減り、今ではもう荒い息を吐きながらベッドに横たわるだけの日々を過ごしている。ときおり口を開いたかと思えば、痛みに耐える苦悶の声だけ。

 発熱で体力を損耗した顔面は完全に色艶をなくし、死の影を強く感じさせる。食事もろくに摂ることもできず、日に何度か湯を口にするだけ。


 連日、聖女エルミーゼが力を注ぎ込むが、一向に回復の兆しは見えない。


 今日もまた、エルミーゼは聖なる力でラキアーノ公爵を癒そうと試みるも、苦しそうな公爵の様子には何の変化も見られない。

 エルミーゼが癒しを止めると同時、横で見ていたグライトが声を荒らげた。


「エルミーゼ様! 祖父の容態は一体いつになったら良くなるのですか!?」


「……病状はもう私の癒しの限界を超えていると思われます。正直なところ、これ以上の治療は無意味でしょう」


 エルミーゼの言葉に、ラキアーノ公爵の関係者たちがざわめく。激怒したグライトが敬語すら忘れて叫ぶ。


「ふざけるな! 治すのがお前の仕事だろうが! できませんでしたですむか!? この人は偉大なるラキアーノ公爵だ! 多くの貴族たちを束ねる王国の支柱! 失敗が許されると思っているのか!?」


「最前にも申し上げました通り、治せる保証はありません。命数は天がお決めになること。公爵の命運はここまで――それだけのことです」


「まだ祖父は死んでいない! 最後まで挑戦しろ! 諦めるなんて許さない!」


 エルミーゼは沈黙して、押し黙って、それから口を開いた。


「わかりました。あなたの要望を受け入れましょう」


「それでいい!」


「ですが、条件があります。祈りに集中したいので、全ての方はご退席ください」


 公爵の関係者たちが顔を見合わせて、それでいいのか? という表情をする。相手が聖女とはいえ、寝込んでいる公爵と二人だけにしていいのだろうか。


「公爵様の身の安全を考えると――」


 臣下の一人が口走ろうとしたが、それをグライトが却下した。


「不要だ。どうせこのままだと死んでしまうのだから。聖女のやりたいようにさせろ」


 グライトにそう言われては仕方がない。場の総意は決した。


「ありがとうございます」


 一礼したエルミーゼとベッドで朦朧とする公爵だけを残して、部屋から全員が出ていく。

 エルミーゼは無言のまま、死にゆく老人の顔を見下ろした。


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