第39話 悪女ですが、何か?
全ては計算通りだった。
ラキアーノ公爵と二人だけで話をする――それがそもそものプランだった。
だけど、エルミーゼがそうしたいと言っても、誰も許してくれないだろう。そして、そんな証拠を自発的に残すと面倒だ。
最後の段階になればグライトが暴発するので、それに乗じて提案しようと考えていたが、実にうまくいった。
エルミーゼは手のひらに灯した黄金の輝きを部屋中に撒き散らした。
サイレンス――特定の空間の音声を外部に漏らさなくする魔法だ。これで、この部屋で起きた音を聞かれる心配はない。
続いて、エルミーゼはラキアーノ公爵の胸に手を当てて、再び癒しの力を与えた。それは最前までのものとは違って、大きくて眩しいほどに輝く強い光だった。
痩せ細った公爵の口が大きく開き、ごはあ、と大きな息を吐く。
エルミーゼは手を引いた。
しばらく公爵の体は痙攣していたが、それも時期に収まっていき、荒い呼吸も静かになっていった。表情からも険しさがとれて――
ずっと閉じていた瞳が開いた。
その目には、明らかな活力が輝いている。生きている人間の瞳が。
「わ、私は――どうした? これは?」
ハリのある声でラキアーノ公爵が呆然とした声を上げる。そして、その体を起こした。今まで、ずっとベッドに寝ていた体を。
「良かったですね、病気は治りましたよ」
エルミーゼは、にこやかな聖女スマイルを浮かべて公爵に話しかけた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「良かったですね、病気は治りましたよ」
不意にかけられた声を聞き、ラキアーノ公爵は初めて他者の存在に気がついた。慌てて顔を向けると、そこには聖女エルミーゼが慈悲と慈愛の笑みを浮かべて立っていた。
「聖女殿……気づかずに申し訳ない。あなたが治してくれたのか……?」
「はい。公爵にはぜひ長生きしていただきたいと思っておりましたので、願いが通じたようです」
そのとき、公爵はエルミーゼの口調の裏にある、粘り気に気がついた。権力を持つ人間に擦り寄ろうとする際に放つものに。そして、それがラキアーノ公爵は好物だった。擦り寄られることが、たまらなく心地よいから。自分の手駒が増えて、権勢が拡大していくことに繋がるのだから。
だがなぜ、完璧なる聖女と名高いエルミーゼが?
公爵は一瞬、違和感を覚えたが、すぐに思い当たる点に行き当たった。
(ああ、そうだった……エルミーゼは教会法107条を行使して、ウィルトン領を自分の配下に収めた。政治的な野心があってもおかしくはない……)
内心で公爵は舌なめずりをする。
「聖女殿に礼をしたいところだ。なにか興味はあるかね?」
公爵の言葉を聞いて、エルミーゼはさらに笑顔の濃度を深めた。
「買ってもらいたい情報があります」
「ほう?」
少し予想外だったが、公爵は逆に興味が惹かれる。何を売ろうとするのだ?
「リクキット鉱山――バクレリア商会――ダンレジマ商会――ミレンシア家――バーンナウト鉱山――ガルファシオ商会――さて、この並びをどう思いますか?」
その言葉を聞いた瞬間、公爵は心臓が大きく鳴ったのを聞いた。
「そ、それは――!?」
百戦錬磨の公爵といえど、すぐに言葉が出てこない。下手な言い訳など意味はない。聖女は意図を持って話しているのだから。
言い淀む公爵にエルミーゼが続けた。
「はい、ラキアーノ公爵が時間をかけて構築した不正会計の流れです。もちろん、そのごくごく一部ですが」
公爵は鉄面皮を纏う。
聖女が口にしたことは間違いなく正解だ。不正会計。公爵家が他者から奪い取った利益。その仕組みをエルミーゼが口にした。
(意図は、なんだ……?)
それが読めない以上、公爵としては不用意な言葉を吐けない。
「そう警戒しないでください、公爵様」
にっこりと笑顔を浮かべる。
「私はこれを調べた人間が何者か知っています。その者の名前を買っていただきたいのです」
「……なぜ、それを私に売ろうと?」
「公爵様と関係を持てれば、私も色々と『美味しい思い』ができるのかな、と思いました」
ラキアーノ公爵はエルミーゼの瞳をじっと見つめた。
果たして、その言葉は真意か否か。
(確か、聖女エルミーゼは半年前から妙な言動が目立ち始めたと聞いている……)
教会法107条を使っただけではない。今までなら決して手をつけなかった菓子の類も平気で頬張るし、常にピント伸びた背筋はダルそうに曲がり、椅子にはだらしなく座る。
世の中では、堕落した、などとも言われているが――
(ああ、そうか……箱入り娘が世の中の妙味に毒されたのだな)
内心でラキアーノ公爵はせせら笑う。
エルミーゼを己と同類だと理解した。どうやって甘い汁だけを吸い続けるか、そこにしか興味がない人間だと。
(でなければ、教会法107条など使うことはない)
一定の信頼をエルミーゼに置くことにした。
「どれくらいの値段をつけたい?」
「そうですね。公爵が手にいれる横領金の半分でどうですか?」
(半分とは! このごうつくばりめ!)
だが、おかげでラキアーノ公爵はエルミーゼへの信頼を深める。欲の深い人間ほど、金で動くのだから――信用しやすい。
「犯人は、ミズリッタ、ラクトー、ペランサ、バッタモンのうちの誰かであろう?」
ラクトーがルシータの父親の名前である。
聖女エルミーゼの表情は揺るがず、うっすらと笑みに動揺はない。
公爵は構わず言葉を続ける。
「実は、薄々その動きには気がついていた。こちらも対応できるよう調査を進めている。お前の情報がなくても叩いて潰していた話だ」
公爵はせせら笑う。
「既知の情報に半分はやれんなぁ……1割でどうだ?」
それでも十分に莫大な金であるが。
(堕落した聖女との関係は長く保ちたい。全てを与えるよりは少しずつだ)
「……さすがですね、公爵様。まさかご存じだったとは――確かに、その中の人物で相違ありません。その情報網、手腕。ますます公爵様とお近づきになりたいと思いました」
それから、質問を投げかける。
「それで、どのように仕置きをなさるおつもりで?」
「叩いて潰す、と言ったな。そのままだよ。証拠は隠滅し、一族はもろとも殺す。私に楯突くということはそういうことだ。そんな連中の破滅は私の気分を良くさせる……はっはっはっはっはっは!」
「恐ろしい……公爵様にはそんなこともできるんですか?」
「当たり前だ。専門の人間を雇っているからな。特にデスリオという男は優秀だ。事故死に偽装してうまく殺してくれるだろう」
上機嫌でそんなことを言う。
それに対するエルミーゼの声は、今までと比べて恐ろしく冷えていた。
「そうですか」
ぱちん。
エルミーゼが指を鳴らすのが見えた。それが公爵の最後に見た光景だった。突然、視界が暗くなった。全くの闇――無。
「……こ、これは、な、何が!?」
「そんなに驚くことですか? ただ視力が消えただけですよ」
「は、はぁ!?」
闇の向こう側から、エルミーゼの声が冬の刃のような冷たさで降り落ちてきた。
「本当に病気が治ったと思っていましたか? 浮かれていましたか? 死に瀕したあなたの体を、私の力で一瞬だけ回復させただけ――じきにあなたは全てを失います。命も含めて。あなたが、今まで多くの人から奪ってきたときのように」
「うがあああああ!」
公爵がエルミーゼの声を頼りに襲いかかろうと身を乗り出す。
ぱちん。
活力を失った公爵の体がベッドに伏す。
「――さあ、まだまだ死出の坂は続きます。ゆっくりと味わってくださいね?」
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