第40話 悪女の仕置き
暗闇の中で聞こえた言葉は。
「――さあ、まだまだ死出の坂は続きます。ゆっくりと味わってくださいね?」
まるで氷柱で作り出したレイピアのように公爵の胸を突き刺す。
身を起こそうとするが、起こせない。胴体がまるで鉛のように動かない。腕と足だけがジタバタともがく。
「……き、貴様、な、何を!?」
「公爵様、あなたはゆっくりと死ぬ――それだけです」
「わ、私にこのようなことをして無事ですむと思うのか!?」
「この部屋には誰もいませんし、そもそも魔法で音が漏れなくなっています。ここでのことは全て私とあなただけしか知りません」
「なぜ……なぜ!?」
「なぜ……? ふふふ、では、少し話をしましょうか」
エルミーゼが近くの椅子に座る音が聞こえた。
ぱちん。
まるで暇でも潰すかのように指が鳴らされて、公爵の腰が感覚を失った。
「この後、あなたは己の不正を誤魔化すためにルシータの父ラクトーを殺します」
ぱちん。
公爵の左腕が力を失う。
「そして、次にあなたの推す第二王子が王となり、国が荒れ果てます」
ぱちん。
公爵の右腕が力を失う。
「その全ての罪を背負わされて、私が傾国の聖女として断罪されます」
ぱちん。
公爵の左足が力を失う。
「逃亡する私を匿ったルシータが、あなたの使わしたデスリオによって殺されます」
ぱちん。
公爵の右足が力を失う。
「これほどの恨みを、どう晴らせばいいのでしょうね……?」
公爵には何を言っているのか全く理解できなかった。
全く身に覚えがない話ばかりで――それどころか、未来の話だ。
(この女、狂っている!?)
公爵は心臓が冷え上がるのを覚えた。この狂人の暴挙によって、今自分の命は終わろうとしている。人が最も恐怖するものは人――理解できない存在。公爵にはエルミーゼが人の形をした何かに思えた。もしも震えることができたのなら、公爵はベッドを揺らしていただろう。
「私が狂っていると思いましたか?」
ふふふ、と笑い声を挟んでエルミーゼが続けた。
「いいえ、違います。これは確かな未来です。私は未来を知っています。あなたという存在を軸に優しいルシータの人生は狂わされていくのです」
「わ、わかった! わかったから!」
公爵は全く理解できていなかったが、そう叫んだ。とにかく理解しているふりを示して落ち着かせないと!
「許してくれ! 私が悪かった! ラクトーの一家には手を出さない! 不正も自ら明らかにして罪を償う! 第二王子からも手を引く! 私は引退して家督を継がせよう! 他に要望があればなんでも――」
最後まで言葉を喋ることはできなかった。
ぱちん。
公爵の舌と喉が力を失った。
「悪人の言葉は信じない――前世で辛い日々を過ごした私の人生訓なんですよ」
(ぜ、前世!? 何を言っている!? 意味がわからない!?)
公爵は泣き出したい気持ちだった。
前に立つ聖女が何を考えているのか、心から理解できない。狂人の戯言で人の命を弄ぶ悪魔にしか思えない。
(やめろおおおお、助けてくれええええええ!)
もうそんな言葉も声にはならない。心の奥底で反響するだけ。
最後の声は、公爵のすぐ耳元から聞こえた。
「さようなら、公爵――悪女を怒らせたら、こうなるんですよ?」
ぱちん。
公爵の世界から音が消えた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
(終わったな……)
もはや心臓を動かすだけの木偶の坊となった公爵の体をエルミーゼは見下ろす。
エルミーゼが使った魔法は、言ってみれば、残った生命エネルギーをエルミーゼの聖なる力を燃料として一気に燃やし、一瞬の元気を与えるためのもの。本来の使い方としては、家族と笑顔でお別れする時間を作るための魔法だ。
その代償として、残った生命エネルギーを一気に使い尽くす。
もともと枯れ欠けていた公爵の命は、文字通り風前の灯だ。まだ生きてはいるが、今日のうちに間違いなく死ぬだろう。
(……まあ、残った数日の命が縮まっただけだけど)
エルミーゼは公爵の体をベッドに収めて、寝具を整える。別に敬意があったからしたわけではなく、不自然な証拠を残すわけにはいかないからだ。
全てはエルミーゼの立てた計画通りだ。
狩りの日から、エルミーゼは公爵の治療を手抜きした。おかげで、あっという間に公爵の病気は進行した。
だけど、制裁を与えるかどうかはまだ決めかねていた。
本当に公爵が断罪者でいいのか?
その最後の判断のために仕込んだのが、今日の芝居だ。
どうにか公爵と二人だけになり、自分の病気は治ったと錯覚させて、うまく調子に乗せて証言を取る――
本番一発勝負の難しい挑戦だったが、どうにかエルミーゼは自分が納得できるだけの話を聞くことができた。逆に言えば、公爵には挽回する余地もあり、もしも、そちらでエルミーゼを納得させていれば、ここからエルミーゼが本気で病気を治すルートもありえた。
エルミーゼは自分のたどり着いた答えに満足している。自信もある。
そして、なすべきこともやり遂げたと自負している。
ラキアーノ公爵が死んだ今、ルシータたち家族が追い詰められることはないだろう。彼の笑顔は花のようにこの地にて長く咲き誇るだろう。
(うん、これでよかったんだ。私のほうはどうなるかわからないけれど……)
当然、貴族の中心人物であり、第二王子擁立派の巨頭が死んだ以上、大きな激変が起こるだろう。それがどれほどのものか、エルミーゼには全く予想がつかない。
(できれば、イージーモード! 前世よりもイージーでお願いします!)
そう心の底から切に願った。
「これでいい、かな……?」
エルミーゼは整え終わったベッドを眺めて、満足そうに頷く。一見、不審な点はない。ぱちん、と指を鳴らして、部屋に買っていた防音魔法サイレントの効果を消した。
「よし、終わった」
スタスタとドアへと向かっていく。
ドアを静かに開けて、悪女は退室する。静謐な部屋には魂を抜かれたも同然の、公爵だった抜け殻がベッドに横たわっていた――
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