第41話 復讐するは我にあり

 その晩、聖女エルミーゼ渾身の祈祷も届かず、ラキアーノ公爵は没した。

 少なくとも周囲の認識はそうなっている。


「貴様、この無能聖女め! お祖父様を救えないとは何事だ!?」


 ラキアーノ公爵の孫グライトが、没した直後に色めき立つ。


「申し訳ございません。力およばず――」


 エルミーゼは深々と頭を下げた。前世ではあっさりと治したので、

 ――おお、さすがはエルミーゼ様! これほど簡単にことをなしてしまうとは! 理想の聖女、完璧な聖女という二つ名は伊達ではありませんな!

 と誉め殺してきたのに。


(まあ、別にいいけども)


 このグライトにも前世で因縁があり、王国が傾くにつれてかなりイジメられた。正直、このときはニコニコとフレンドリーだったのに、急な手のひら返しをされたので、印象としてはかなり悪い。


(へん! 悪女エルミーゼ、今回の選択に後悔なんて微塵もないけど!)


 それはもう嘘偽りなく。

 悪女なんだ! 己の未来に影を落としそうなやつを暗殺して何が悪い!

 悪女なんだ! 自分の友達を苦しめるやつを暗殺して何が悪い!

 ていうか、公爵は悪者すぎ! こらしてめて、何が悪い!?

 そんな心境である。


(悪女というだけで、何事も正当化。私も悪女の素質が開花してきましたなー)


 若干、菓子を貪ることだけに特化していた己の微妙な悪女さに迷っていたのは事実だ。今回から、ブランニュー悪女として生まれ変わるとしよう。

 エルミーゼにとっては終わったことだが、公爵ラキアーノの死去は始まりの鐘として、王国のあちこちに激震を起こした。

 大貴族にして貴族たちの精神的支柱が亡くなったのだ。貴族たちの驚愕は当然のことだ。

 さらに、彼は第二王子推進派でもある。

 混迷を極める次代王子の勢力争いにも、大きな激震が走る。


(……まあ、もちろん、私はどうなるのか知らんけども)


 それが吉と出るか不吉と出るか――それには少しの時間が必要だ。

 超大物ラキアーノ公爵の葬儀はすぐには行えなかった。国王も含めた、多くの貴族たちの参集を待ってから執り行うらしい。

 当然、そこは弔いの場ではなく、貴族たちの暗躍の場。

 きっと、それらがひと段落する頃には、新たなる動きが出てくるのだろう。

 教会側からも大物が参加することになったが、そこにエルミーゼは含まれない。

 グライトが、


「祖父を助けることもできなかった無能の参加など不要! さっさと帰れ!」


 と強行に反対したからだ。


(よっしゃあああああああ! その判断、最高おおおおおおおお!)


 参加したくねえええええ! が本心だったエルミーゼは内心でガッツポーズした。何度も何度もガッツポーズした。


(グライトさん、ありがとおおおおおおお!)


 そんなことまで思った。

 そんなわけで、エルミーゼは公爵の死去からそう日が経たないうちにラキアーノ領を離れることとなった。

 見送りには、ルシータたち一家が来てくれた。


「申し訳ありません……なんだか、追い出すような感じで……」


 そう言って差し出してきたルシータの手を、エルミーゼは握り返した。


「追い出すような、というか、追い出されていますね?」


「うっ……!?」


「無理もありません。それだけ、グライトさんはお爺さんである公爵を愛していたのでしょうから」


(厳密には、お爺さんの持つ公爵としての権力を、だけど)


 その見方には自信がある。前世でのグライトの発言が、まさにそうだったから。祖父の権力を傘に着て威張り散らしていた。

 そのグライト青年が、祖父を失った今、どうなるのかもまた不分明だ。


(前公爵が辣腕だっただけで、公爵家は強いし、普通に次期公爵の権力を頼みにして威張るんだろうなあ……)


 なるべく近づかないでおきたい限りだ。


「帰る私のことはお気になさらず。ルシータさんたちこそ落ち着くまで大変でしょう。お体に気をつけて頑張ってください」


「はい、ありがとうございます!」


 手を離す前に、エルミーゼはルシータの手をぎゅっと握りしめた。

 そして、彼女の未来に幸運が来ることを祈る。前世のような、不幸な未来に至る再会がありませんように。彼女の世界が幸せと笑顔で満ちますように。

 エルミーゼは手を離して、にこりとほほ笑んだ。


「それではお達者で」


「ありがとうございます、エルミーゼ様」


 そして、ルシータの家族に順に挨拶していく。

 ルシータの父ラクトーと挨拶をしたとき、エルミーゼはこんなことを思った。


(不正会計の調査、どうするんだろう……?)


 厳密にはそれが正されたわけではないのだけれど。ここで全てを白日に晒す! 全てを浄化するのだああああああああ! なんて豪快なリセットを、ラクトーはしない気がする。

 ここは彼にとっての故郷であり、彼は公爵家に忠誠を誓っているから。この状況下で、大切なものに追い討ちをかけたりしない。でなければ、あんなにノートに悩みを書いたりはしないだろう。

 故郷の状況が落ち着くまでは――あるいは、次代の公爵がどんな資質の人間かを見極めるまでは何もしないのだろう。


「今までありがとうございました。またいずれ」


 エルミーゼは馬車に乗って公爵領から旅立った。

 最初の宿場町に泊まる。


「ああああ、疲れたアアアアア! 休むぞおおおおおお!」


 そんなふうにベッドに倒れたエルミーゼだが、夜中になるとむくりと起きて、そのまま部屋から出て、そのまま宿から出ていく。

 宿から少し離れた、無人の空き地まで歩いてエルミーゼは足を止めた。


「――何をしているんですか?」


「はは、まさか、バレていたのか……?」


 木陰から姿を現したの見覚えのある異相だった。

 その通り、バレていた。エルミーゼは本人自身の近くも鋭いのに加えて、神からのご加護もあって、敵意を持った気配に敏感なのだ。

 前世では逃走に次ぐ逃走の疲労のせいで、ルシータに近づき危険は察知できなかったけど。

 いい加減うっとおしかったので、こうやって自らを囮にしたのだ。


「名前はデスリオ――つっても聖女様が覚えてないよなあ?」


「いいえ、覚えていますよ。3度目ですからね」


「覚えてねーよ! 数え間違えてるじゃねえか!?」


 ボケと判断してツッコんできてくれる性格らしい。ちなみに、ボケてはおらず、エルミーゼ視点では正しい答えだ。


「私に何か用ですか?」


「公爵を助けられなかったんだ。落とし前は必要だろ?」


 デスリオが腰に差していた短剣を引き抜く。


「お前にも同じ目にあってもらうぜ?」


「ふーん……」


 つまり、エルミーゼを殺しにきた。

 おそらくは公爵家――いや、孫のグライトの差金が濃厚か。

「死ねやああああああ!」


 デスリオが飛びかかってきた。その動きは速く、鋭い。生半可な人間であれば、反応すら難しいだろう。

 だけど――

 振り下ろされた短剣をエルミーゼは左手で掴んだ。


「な、なんだとおおおおお!?」


「あなたなら勝てると思ったから出てきたんですよ」


 凄腕の暗殺者デスリオ――何も怖くはない。

 なぜなら、前世でも1対1で戦って、きっちりと倒しているから。


「この恨み――」


 ぎゅっとエルミーゼは右の拳をぎゅっと握る。

 憎しみもまたそこに収縮していく。今世でルシータの未来は変わったけど、前世でルシータを殺した人間なのだ。そして、ルシータの家族も。

 あのときもボコボコにしてやったのだが――

 今も怒りは収まらない。こうやって敵として出会った以上、容赦の必要もない。


(ああ、よくぞきてくれた! ボコリたかったんだよね!)


 エルミーゼの満身の激情が一点に収束した!


「はらさでおくべきか!」


 ゼロ距離で放ったエルミーゼのボディーブローがデスリオの腹に突き刺さる。


「ガフゥッ!?」


 デスリオの体が大きく折れ曲がり、口から唾液がこぼれた。

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