第42話 終わりの顛末

 戦いはそう時間もかからず終了した。

 聖女エルミーゼが一方的にボコボコにしたからだ。エルミーゼは護身術を学んでいるし、神からの加護で強い力も秘めている。突進する猪だって蹴り飛ばす。深窓の令嬢などでは決してないのだ。

 前世と同じように、エルミーゼはデスリオを容赦なく叩きのめした。


「ぐっふぉ……こ、これほどまでに強いのか、聖女は……」


 片膝をつき、信じられないものを見るような表情をデスリオが向ける。


(前世でもワンサイドゲームだった上に、その前世で予習済みの動きなわけだから、そりゃ相手にならんわなー)


 楽勝だった。


「さて、役人に突き出してあげるから覚悟しなさい」


「ははは、どうかな……?」


 ニヤリと笑ったデスリオの口元から、つーっと赤い血が垂れた。


「――まさか、毒!?」


 きっと奥歯に仕込んでいたのだろう。

 エルミーゼは反射的に解毒の魔力を解放、デスリオに放つ。それはデスリオを捉えたが、まるでそれを嘲笑うかのように、ゴホッゴホッと血の咳を吐く。


「は、ははははは……解毒が来るのはわかっていたから――ギリギリまで我慢した。俺はもう助からんぜえ?」


 内容のわりに声に活力はなく、体から力が失われていく。


(ああ、まさか失敗したら毒を飲むなんて……)


 前世でも同じ展開ならば、きっと防ぐことができただろうに。

 前世ではルシータを殺された怒りが極まりすぎていて、気がついたら、デスリオはただの物言わぬ肉塊になっていた。自殺している暇さえなかった。


「ひっひっひっひ、死者復活の魔法でも使うかい?」


「はい、そうします」


 まさか、あっさりと頷かれると思っていなかったのだろう、デスリオは顔を引き攣らせる。そして、その表情のまま、どさり、と音を立てて倒れた。

 頸動脈の無反応を確認してから、ポツリとエルミーゼは言葉をこぼした。


「……まあ、強がりなんですけどね」


 最後くらい嫌がらせをしてやろうの精神である。

 残念ながら、死者を甦らせる奇跡をエルミーゼは持たない。残念ながら、理想の聖女エルミーゼにとっても、死とは覆し難いものなのだ。

 証言を残さず実行犯は死んだ――

 それで証拠がないかと言えば、そうでもない。デスリオがラキアーノ公爵家に勤めているのは明らかで、教会を通して強烈に避難をした。


 もうエルミーゼが忘れた頃、新当主から来た返答はこうだった。


 ――公爵家の血を引く人間からデスリオに聖女エルミーゼを襲撃するよう指示した証拠は得られなかった。デスリオは公爵に忠義を誓っていたので、個人的な動機と推測される。公爵家の主導ではないと断言しても良いが、結果として、当家の人間がご迷惑をおかけした点については深く反省し、謝罪をしたいと考えている。

 デスリオの独断です! でも、一応、謝ったるわ!


(……まあ、こう言ってくるよなー)


 想像通りだった。デスリオ本人が死んでいる以上、追求できる点もない。

 エルミーゼとしては冴えない結果だが、教会としては多額の寄付金をゲットできたらしく、モーリス大司教はホクホクだった。


「はっはっはっは、聖女様もたまには命を狙われてみるものですな!」


 こいつは何を言っているんだ。

 そんな感じで、エルミーゼのラキアーノ公爵領行は終わりを告げる。前世とは大きく違う結末を受けて、シナリオもまた大きな分岐を始める――


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 新しいラキアーノ公爵が決まった。

 前ラキアーノ公爵の次男にあたる人物で、歳のころは50代。


 ――最も実力のあるものに継がせる。


 その言葉の通り、長男よりも優秀な男が地位についた。それは事前の下馬評通りの結果ではあるが――

 全く楽勝からはほど遠い、ひやりとする展開であった。


(あいつのせいで……!)


 いらいらを募らせたラキアーノ公爵は、己の継承が決まってすぐに息子を呼び出した。


「これはこれは父上! お喜び申し上げます!」


 執務室に、息子グライトが呑気な顔でニコニコとした顔で現れた。当然だろう、父の栄達は子の未来を約束する。今頃、脳内のお花畑で、自分が公爵家を継ぐ未来を想像しているのだろう。


 そのせいで、父の冷たい瞳に気づいていない。


 ラキアーノ公爵が楽勝だったはずの継承戦で苦労をしたのはグライトのせいだ。


 デスリオによる聖女エルミーゼ襲撃の失敗――

 グライトが父親のメンツに泥を塗ったからだ。そしてそれは、グライトの父親が複数候補のいる『公爵家継承レース』において大きな傷となった。

 教会から抗議を受けて、すぐに公爵家は首謀者がグライトであることを突き止めた。


 完璧なる聖女への愚かな意趣返し――

 おまけに失敗。


 そんな事実を、歴史ある公爵家として公表できるはずもない。キッパリと否定しつつ、デスリオの独断による暴走と言い切った。

 だが、それは表面上だけ。

 裏側ではきっちりと代償を徴収された。子息であるグライトの暴挙を許したため、その父として継承レースにおいて失点をつけられてしまったのだ。


(おかげで、危ないところだった……)


 腹が立ったのでグライトを軟禁状態にしておいたが、どうやらグライトは深く考えてはいないらしい。その能天気さがまた怒りを刺激する。

 グライトがよく回る舌をさらに回転させた。


「父上が家督をお継ぎになれれて本当によかった! 私に兵をお貸しください! 今度こそ無能な聖女エルミーゼに怒りの鉄槌を――!」


「もういい」


 心底から、どうでもいいような声を公爵が吐き出す。


「そんなことをして何になる? 前公爵は病に倒れたのだ。聖女殿のせいではない」


「あの女が、その病からお祖父様を助けられなかったのですよ!?」


 グライトは絶対的な存在である前公爵に心酔していた。だから、どうにも奇妙な方向にばかり思考が向かってしまう。


(育て方を間違えたか……)


 公爵はため息を飲み込んだ。


 ――グライトは優秀だ。私の若い頃を見ているようだ。お前がラキアーノ公爵家を継げば、我が家も安泰かもな。


 前公爵がグライトの才能を高く評価していた。実際、グライトは優秀だった。剣術も学問も成績が良く、公爵家を継ぐかどうかは別として、それを支える優秀な人材になると期待されていた。

 だから、様々な思惑を込めつつ、公爵はグライトを前公爵の側仕えとした。


(そのせいで、こうも視野が狭くなってしまうとは……)


 偉大なる人間の近くにいることで、己の分をわきまえない人間になってしまった。今となっては自分の子であっても、公爵家にとってリスク・ファクターでしかない。


「グライト、カランサダル地方への赴任を命じる」


「――なっ!?」


 カランサダル地方とは、ラキアーノ公爵領でも田舎の中の田舎だ。ほぼ領地としての価値もないところ。グライトが驚くのも無理はない。


「どういうことですか、父上!? そのような場所に、私が……!?」


「理解できていないようなら、もう少し細かく言おう。蟄居ちっきょを命じる。2度と表舞台に顔を見せるな」


「説明をお願いします! こ、この俺が、そのような――!」


 グライトの顔面が憤怒と動揺と屈辱で真っ赤に染まっている。輝かしい未来を思い描いていたのだから当然だろう。


「公爵家の名前に泥を塗ったからだ。親として命までは取らない。余生を静かに過ごせ」


 グライトはそれでもなお抗議したが、父の意思の固さを知り、肩を落として部屋から出ていった。

 静かになった部屋で、次に公爵の頭に浮かんだのは聖女エルミーゼについてだった。


(完璧なる聖女エルミーゼ、か……)


 エルミーゼの様子が変わったことは公爵も耳にしていた。去年の夏までは文字通り、教会の操り人形のような印象だったが――

 伝家の宝刀、教会法107条で子爵領を手に入れた上に、港湾施設の開発まで押し進めている。もはやそれは聖女のすべき領分をはるかに超えている。

 その聖女が公爵領に現れて、助かると思われていた先代が死に、貴族社会に大きな衝撃を与えた。現に最も渦中であった次代国王の継承争いは混沌を深めている――


(全ては偶然なのか?)


 そう思っても問題はない。だが、為政者とはあらゆる想定をするもの。そこに意図があるかどうかは慎重に判断しなければならない。

 最も恐ろしい可能性が公爵の頭にちらつく。


(……あえて助けなかったとすれば……?)


 聖女にしか治せない病気なのだ。聖女が『わざと治さなかった』としても、それを見抜くことはできない。


(だが、なぜ……?)


 何も思い浮かばないわけではない。思い当たる節がありすぎる。

 教会の傀儡ではない――何かしらの意図を持った聖女エルミーゼ。子爵領での振る舞いからして、政治への横槍を意識はしているのだろう。であれば、王位継承争いに一石を投じるのも理解はできない。

 己の欲望のためなら、助かる命すらも握り潰す。


(だとすれば、とんだ悪女だな)


 だが、別のことも公爵の頭には浮かぶ。


(あるいは、義憤に駆られたか……?)


 公爵もまた、前公爵の不正会計は知っていた。それにより、公爵家が潤っていたことも。

 辣腕家らしく、それは徹底的で容赦がなかったが、現公爵としてはさすがにやりすぎだろうと思っていた。その辺の是正も自分の仕事だと認識している。


(もしも、エルミーゼが父の不正を知り、誅殺したのだとすれば……?)


 無辜の人々を救うためならば、己の手を汚すことすら厭わない正義の行使。ある意味で、それは聖女の形だろう。 

 政治の籠絡を狙う悪女か、法で裁けない闇を打ち砕く聖女か――


「悪女か、聖女か……お前はどちらなのだ、エルミーゼ?」


 まとまらない考えを、ラキアーノ公爵はため息とともに口から吐き出した。

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