第29話 小聖女の祈り

 初日の出を見る、という予定は決まった――

 とはいえ、夜の話だ。出発までにはずいぶん時間がある。


 それまではダラダラと散歩でもして『何もしない』を堪能することにした。


 宿の周辺を歩いていると、アリアナよりも少し年上――10歳くらいの女の子が木の板を使って何やら作業しているのが見えた。


「おや、あの子は――」


 宿屋の主人の娘のスカリーだ。まだ子供なのに、宿の手伝いを積極的にしていて顔を覚えた。ハキハキと話す頭のいい女の子だ。

 作業をしていたスカリーも、エルミーゼたちの姿に気がついて立ち上がる。


「おはようございます! 今日はお散歩ですか?」


 にこやかな表情に快活な声、こちらも元気になってくる。実に宿屋の娘らしい。


「ええ、お散歩ですよ。何をなさっているのですか?」


「犬小屋を作っているんです!」


「犬小屋?」


「はい。知り合いが育てていた子犬を1匹もらえることになりまして!」


 本当ににこにことした表情で心の底から嬉しそうな様子だった。


「そうなんですね。でも、大丈夫ですか? 危なかったりしますか?」


 金槌やらノコギリやら、子供が使うにはどうなんだろう? という感じの工具が並んでいる。


「大丈夫ですよ! 小さい頃からなんでもやってますから! 任せてください!」


 そう言って、腕を折り曲げてタフさをアピール。


(小さい頃から両親の手伝いをしているから、これが当たり前なんでしょうね)


 宿の親父さんの雰囲気も『やってみろ精神』が強そうな感じだから。

 この犬小屋づくりの話も、ご両親が承認済みの話だろう。部外者であるエルミーゼが過保護を訴えるのは筋違いだ。


「そうですね、ではお手伝いしてもいいですか?」


「え? でも、お客さんにそんなことは……」


「いえいえ、大丈夫ですよ。昨日は猪狩りも手伝いましたからね」


「え、あの猪鍋の?」


「はい。私がキックして倒しました」


「おおおおおおお!? マジですか!?」


「猪を狩ることに比べれば、犬小屋を作るなんて訳ないと思いませんか?」


「あははは、それは頼もしいですね!」


「実際は、暇なだけなんですけどね。暇つぶしにお手伝いさせてもらえませんか?」


「わかりました。お願いします」


 にこやかにスカリーが折れた。エルミーゼが引かないことに気付いたのだろう。


「それは良かった。では手伝いますね――このアリアナが」


「え!?」


 完全に部外者気分で話を聞いていたアリアナが驚いた様子で目を丸くする。


「私がですか、エルミーゼ様!?」


「はい、あなたがです。アリアナ。これも社会勉強の一環です」


 どうせなら、子供同士でやったほうが楽しいだろう。そう思ったからだ。

 さすがに、こんなに小さな子は危なくないですか? と6歳のアリアナの身をスカリーがおもんばかったが、エルミーゼは押し通した。


「材料を取らせたりとか、木材を支えさせたりとか――それくらいなら問題ありませんよ。大丈夫です、この子も厳しく躾けていますから」


 それは事実だ。聖女として鍛えられているアリアナはそこら辺にいる女子たちとは別物である。


 クローディア大聖堂で出会った頃のアリアナの表情を思い出す。あの冷たく凍りついた、自分自身に絶望したような、あらゆるものに期待していないような顔を。


 この旅行に来てから笑顔は増えた気もするけれど――

 どうせなら、もう少し増えて欲しい。


 普通の、世代の近い女の子と接すれば、少しは変わるかもしれない。


(普通の楽しさを、知って欲しいな)


 そんなことをエルミーゼは思った。前世の自分では、縁のなかったことを。


「わかりました! やります!」 


 覚悟を決めたアリアナがスカリーと一緒に作業を始めた。

 最初は二人ともぎこちない動き、ぎこちない雰囲気だったけれど、『二人で何かをする』――それは魔法のようなもので。二人の距離感はだんだんと近づいていき、会話も増えていった。


(うんうん、いいねいいね)


 少し離れた切り株に座りながら、エルミーゼは生暖かい気持ちでその光景を眺めていた。二人の女児が仲良く楽しんでいる姿はそれだけで眼福だった。


 子どもたちの垣根は、とても低い。

 大人からは考えられない速度で打ち解けていく。あっという間にアリアナとスカリーは昔からの友人のように楽しく作業を進めていた。


 空気はとても冷えている。でも、澄み切っている。青空は鋭い青を広げているけれど、それでも太陽は優しくて温かい日差しを投げかけている。その環境に、トントントンと小気味よく金槌で釘を打つ音が聞こえる。


(うーん、平和だなあ……)


 そんな感じでエルミーゼがぼんやりとしていると――


「あ、痛!?」


 スカリーの鋭い声が雰囲気を一変させた。


「大丈夫、スカリーちゃん!?」


 アリアナが真っ青な顔をして、スカリーに声をかけている。

 エルミーゼが慌てて駆け寄ると、金槌を地面に取り落とし、左手の指先を右手で押さえているスカリーの姿があった。


「金槌で打っちゃった?」


「……はい……お恥ずかしいです……あ、でも、大丈夫ですよ。ちょっと痛いだけなので」


 ぺろっとスカリーが舌を出す。強がっている様子はなく、事実を口にしただけなのだろう。


(アリアナを任せたから……ちょっと注意力が散漫になっちゃったかな……?)


 少しばかりエルミーゼは責任を感じてしまう。おそらく、一人で黙々と進めていればこんなミスはなかっただろう。


(……治そうか?)


 聖女であるエルミーゼは癒しの術が使える。こんな痛みなど、イタイノイタイノトンデイケーと言えば、治るレベルである。

 だけど、聖女の力をみだりに使っていいものか、という心理的な抵抗もある。ここにはお忍びで来ているのだから、そういう力を示すのはよろしくない。


(とはいえ、申し訳ない気持ちも……)


 そんな感じでエルミーゼが悶々としている間に、別の人物が動いていた。


「ごめんなさい、スカリーちゃん! 私がうるさかったから……」


 顔を真っ青にしたアリアナがスカリーに謝っている。


「大丈夫大丈夫。そんなに気にしないで。それに、本当に痛くないから。これくらいへっちゃらだよ? 少し休憩したら大丈夫だから!」


 そんなことを言うけれども、アリアナはスカリーの痛めた左手を手に取る。


「お願いします、神様……直してください。お願いします!」


 アリアナは蒼白な顔でそんなことを口にした。


 ――だけど、彼女は『聖女降誕の儀』で神から拒絶されていた。その願いには特に意味はないのだけれど。


 ただただ、仲良くなった友人を思う気持ちだけがそこにはある。

 そのときだった。

 スカリーの手を包む、アリアナの手から小さな光が溢れた。


「……え」


 とうのアリアナが、驚きの声を漏らす。輝きはスカリーの手を優しく包み込むと、次の瞬間には消える。

 そして、


「不思議な……え、うん?」


 スカリーがびっくりしたような表情でアリアナから離した左手を眺める。指をわきわきと動かした後、


「あれ? 痛みが消えてる?」


 その言葉に驚いたのは、スカリー以上にアリアナだった。アリアナは大きく見開いた目をぱちくりとさせた後、エルミーゼに顔を向ける。その表情には驚愕と歓喜と疑心が混じり合っていた。

 そうであって欲しいような、見間違いのような、勘違いのような――

 エルミーゼは小さく頷いた。

 見間違いでもなく、勘違いでもなく、あなたの思う通りのことが起きた。

 そのメッセージはアリアナに正しく届き、アリアナの表情が喜びでくしゃっと崩れる。


(まさか、聖女の奇跡を使っただなんて……)


 どうやら、仲の良くなった女の子を救いたいという願いを、気まぐれな神様は聞き届けてくれたらしい。冬空の下、寒い池で祈ってもガン無視してきた癖に。

 アリアナにとっては初めて発動した奇跡。どんなに頑張っても、本当にできるのかと疑うしかなかったもの。それを成し遂げたのだ。


(嬉しいんだろうなあ……)


 聞くまでもない。アリアナの表情を見ればわかる。


「どうしたんだろう? アリアナちゃんのおかげで傷が治った?」


 楽しそうな口調で、スカリーが冗談めいた口調で言っている。

 この世界において治癒魔法は一般的ではない。言葉の上でしか存在しない『聖女』が目の前にいるなど思いもしないのだろう。


「なんだか、元気になってきた! よし、頑張るぞー!」


 どうやら、回復魔法が効きすぎたようだ。元気になったスカリーはアリアナとともに犬小屋を一気に作り終えた。


「やったー、ありがとう、手伝ってくれて!」


 そう喜ぶスカリーと別れて二人だけになったとき、エルミーゼはアリアナに言った。


「おめでとう、アリアナ。良かったですね?」


「はい、本当に……神は私を見捨てていませんでした」


 感動を思い出したのか、鼻をぐすぐすと鳴らしながらアリアナが応じる。


「これもエルミーゼ様のお導きのおかげです。ありがとうございました」


(え、私、何もしてないよ!?)


 どうやらアリアナの中で『エルミーゼのおかげ』に属する話らしい。

 こうして、エルミーゼが意図しないうちに、次々とアリアナの心にはエルミーゼへの感謝と想いが積み上げられていく。

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