第13話 助けてあげようかな、悪女として

 聖女エルミーゼが目を覚ましたのは、ロイヤル・ワインのワイナリーだった。

 気絶から復活したルークは眠ったままのエルミーゼを回収、もうすぐ夜なので、近くにあるこの建物へと移動したのだった。

 エルミーゼはルークの顔を見た瞬間、驚いた。

 左頬が赤くぽっこりと腫れ上がっているからだ。


「どうしたのですか? 痛そうですね?」


 煽っているわけではなく、酔っ払っていたエルミーゼには純粋に記憶がなかったのだ。

 動揺した様子のルークは恥ずかしそうに体を揺すりながら、

「い、いや……その、これは――瘴気溜まりの影にやられたのだ!」


 ルークにとって(あるいはエルミーゼにとっても)幸運なことに、ルークが殴られるシーンを見たものはいなかった。周辺にいた兵士たちは影の対応に忙しかったためだ。状況的に、聖女よりも影の攻撃を受けた、と解釈するのは普通のことだった。


「ああ……それは大変ですね……心中お察しします。回復魔法を使いましょうか?」


「ひ、ひいいい!?」


 エルミーゼが手を伸ばすと、なぜかルークが大袈裟な反応を示した。殴られたときの記憶がデジャブしたからだが、エルミーゼにはわかるはずもなかった。


「いらない! 気にするな!」


 そう言って、逃げるように去っていく。


「はて……どうしたんでしょうね?」


 エルミーゼは不思議そうに首を傾げた。

 建物内にはクレアやソフィアたちもいた。ソフィアは瘴気酔いからすっかり回復して、とても元気そうだった。


「エルミーゼ様! ご無事で何よりです!」


「私は聖女です。あれくらいは問題ありません。……そうそう、瘴気溜まりは解決しておきましたよ」


「ほ、本当ですか!?」


「はい。ウィルトン領は昔のように戻ることでしょう」


 ソフィアの瞳から涙があふれる。ずっと領地の状況に心を痛めていたのだ。その苦労がついに報われる――その喜びは当然のことだ。


「あ、ありがとうございます! 聖女様! 本当に、本当に!」


 ソフィアはそう言って、エルミーゼに抱きついた。

 大丈夫ですよ、と応じつつ、エルミーゼはソフィアの頭を撫でる。

 誰かの幸せに貢献できる。聖女の仕事も悪くはないな、と思った。


(……だけど、悪女として好きに動いていただけなのに?)


 なぜに? そんな疑問がエルミーゼの頭をよぎるけれども。

 これで、めでたしめでたし――

 というわけにもいかなかった。

 結果的に問題を解決したとはいえ、勝手な行動をしたという事実は消えない。ウィルトン子爵の屋敷に戻った後、その件についての話し合いが行われた。

 教会側からはエルミーゼ、大司教モーリス、クレアが、子爵家からはソフィアとウィルトン子爵が、そして、ラクロイド伯爵家の代表としてルークが会議室に集まった。


(ルークは関係なくない?)


 エルミーゼはそんなことを思うけれども、ルークは私が出るのは当然だが? という感じで座っている。左頬はまだ腫れていた。

 まずはモーリス大司教の小言から始まった。


「エルミーゼ様、なぜこのような勝手なことをされたのでしょうか。御身は替えのきかない身。勝手な行動をされてもしものことがあったらどうするというのですか! そもそも、教会で再調査する方向で話がまとまっていたではないですか――!」


 くどくどくどくど。

 実は屋敷に戻ってきてすぐに説教されているので、2度目である。


(飽きないなー……)


 そんなことを思いつつも、やや神妙な聖女スマイルを浮かべて、

「どうしてもウィルトン領の苦労を見過ごすことができませんでした。ただ、モーリス大司教のおっしゃることはわかります。今後、軽率な行動は慎みます」


 と応じる。もちろん、そのつもりはなかったけれども。

 モーリス大司教の説教が終わり、次に口を開いたのはルークだった。


「気をつけます――で終わるものではないでしょう? 責任は誰かが取らなければならない」


 冷たく言いながら、その双眸が静かにソフィアを捉える。


「帰還が決まっていた聖女エルミーゼ様を無理やり焚き付けて、自領の利益のために危険に合わせた罪――どう落とし前をつけるつもりかな、子爵令嬢?」


「――!?」


 ソフィアが言葉を失ったのは当然だった。

 完全な言いがかりである。


(ロイヤル・ワインが欲しくて出ていくことにしたのは、私なんだけど?)


 精神を立て直したソフィアが言い返す。


「無理やり焚き付けただなんて――そんなことしていません!」


「そうですよ。私が決めたことですから」


 エルミーゼが助け舟を出すも、ルークに引く様子はなかった。


「聖女エルミーゼ、お優しいあなたのことだ、子爵令嬢を庇っている可能性もなくはない」


「む」


 同席していたクレアを証人として建てることもできるが、理不尽モード全開のルークが聞き入れる可能性は低いだろう。あなたの護衛の意見など信じられるか! とでも言いそうだ。


「王国貴族として、子爵令嬢の横暴を見逃すわけにはいかない。王国法に則り、訴えさせてもらおう。申し開きはそこで聞かせてくれ」


 子爵とソフィアの顔が露骨に青ざめる。


(ううん……なんだか大きな話になってきたなあ……?)


 エルミーゼ的には、全部もうマルっと上手く片付いたんだからネチネチ言うなよ! 聖女パンチ喰らわせるぞ! という気分だ。

 ソフィアが口を開く。


「そこまでの話ではないでしょう? エルミーゼ様がそれを望んでいられるようには思えません!」


「理想の聖女の慈愛を盾とするのかね? モーリス大司教、今回の件、見逃すべきだと思いますか? 教会側にご負担をかけていることになりますが」


「見逃せるものではありませんな!」


 容赦なく、ためらいなく大司教が言い切る。


「教会側が多大な迷惑をこうむったこと、聖女様を危険な目にあわせたこと。許容できる範囲を超えております!」


 モーリス大司教の言葉を聞き、ルークがくっくっく、と笑った。


「だ、そうだ。諦めたらどうかね、子爵令嬢? あまり歯向かわないほうがいい。そちらの領が我々にしている借金を忘れてもらっては困る――返済に便宜を計っている部分もあったとおおうが……今すぐに徴収しようか?」


 ソフィアが口をつぐんだ。

 気持ちよさそうにルークが続けた。


「厳正なる審議の結果を待とう。結果次第では――君たちのロイヤル・ワインの免状も剥奪されるかもな」


(厳正なる審議、ねえ)


 それが怪しいものなのはエルミーゼも知っている。前世の最後で、思いっきり身に覚えのない罪を着せられたから。死刑だったけど、懲役で換算すると1000年くらいになった。

 結局のところ、その時代の権力者の気持ち次第だ。

 悔しそうに顔を歪めるソフィアを哀れだと思った。少しばかり前世の自分と重なる。ようやく、これから領地が立ち直っていくところなのに。


(しょうがない……助けてあげようかな、悪女として・・・・・


 この領地、もらってもいいよね?

 聖女エルミーゼは片手を挙げて、厳かな声で宣誓した。


「教会法107条に基づき、このウィルトン子爵領を聖女エルミーゼの直轄領として申請します」


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