後編

5:東果列島-⑧ これはやりすぎ

☆☆


 軽太を誘拐した日、リョウセイは彼が睡眠についてから1時間を測り、彼をゲストルームから連れ出していった。大学病院の薬局から貰い、飲み忘れていた睡眠薬を砕いて盛ったのだが、彼は糸目のまま虚ろな声を上げる程度しかしない。


 海汢地方某所。リョウセイは蛇人だに使わぬ半端な山道を車体で選り分けつつエンジンを轟かせる。汽陸族は海辺に携わるものが多く、時には中深層へさえ潜る。暗視に特化した彼女にとって、山道とは鮮明に見えるものだ。穢い色をした草と葉とをつとめて見ないようにし、ひび割れた黒灰色と白の道のみに注視する。規制標識が本当に『赤』であるのか苦悩したが、今となっては興味を抱いてさえ居ない。赤とは一般的生物の鮮血の色であるし、危険信号の色であるのでこの『乾いた黄色』は赤に決まっている。


 到着予測時刻は酉後10時半、目的地は鮎畑県尹羊歯。概ねC字をした県にて本島を隔てる海に囲まれた島であり、リョウセイはその島の廃墟に用がある。貴重な生物の保護のためだと言い訳をし、杜籠県との県境を超える。


 ライフラインは自ら確保すれば良い。どうせ地元民とは仲が悪いが、少し変装と細工をすればバレないものだ。下手に既存のライフラインを活用し、水道利用記録等を残す方が余程悍ましい結末を迎える。彼女は第二の地元たる岶岼市における『サバイバル生活』にて何度か電気を止めた経験があるが、停電中の作法は身につけたつもりだ。山中で死にかけた経験も活かせば、希少生物たるを生かし続けることも容易いだろう。


 目的地に付いたリョウセイは眠りこけさせた彼を起こさぬよう、慎重にドアを開けてリアゲートへとたどり着き、化学防護衣の入った袋を手に取る。まずは足鰭を覆うゴムシューズごと下半部を、次に上半部、ガスマスクを装着、最後に手袋をはめて完全に密閉する。外出を見られた地元の民には『化学物質過敏症』と言い張る予定だ。自己中心的な蛇人や蒼尾人を見やって気がついたが、汽陸人は同族に対して甘い。リョウセイはゴム越しに彼の背中を触ると、軽々持ち上げて運んでいく。曙を背景にした建物は彼女の目には一層目立ち、どこに何があるかは分かるものだ。


 一通り間取りを把握したのち、彼女は軽太の『保護』へと遷った。寝室をどうするか迷ったが、それこそ流れの疎い川の底かどこかで寝ていれば良いだろう。冬季山登りの際に気がついたが、ガスマスクのフィルタを外せば浸水するし、防護服を着たまま寝ることも可能だ。夢現のままの軽太を縛った後、リョウセイは一旦川の底に浸かっていた。


☆☆

 

 失踪したリョウセイが岶岼市に連れ戻された日のこと。その後の半日は雨音響かせる山道の中、黒い色をしたパトカーにて過ごした。警官は事情を問おうと世間話を持ちかけていた。残りの半日は警察署で過ごし、朝になって軽太は家に帰された。


 帰宅してすぐ、軽太は布団に潜り込んだ。着替えもせず、雨特有の臭いも片付けず、ただ布団に入り込んだ。もう何も考えたくない。何故、どうしてリョウセイは軟禁に至ったのか。全く説明がつかない。それほどに人間に希少価値があるとでも言うのか。彼女の言い分が今になって思い出される。何も理解ができない。


「おはよう」


 軽太は通りかかった緑の鱗に挨拶を交わす。気が滅入っていた中ようやく、最小限親しい人に反応するだけのモチベーションが復活したのだった。


「もう夕方じゃぞ?」


 彼女は困惑した後、すぐに通り去ろうとする。少し上を向けば夕日が照っていた。


「意味がわからない」


 軽太は寝返りを打つと、青い外の芝生へと目を背ける。雑草は雑草でしかないが、かつての外の世界で見やったものと遜色ない色艶をしている。


「何がじゃ」


 彼女は立ち止まった。


「なんで、人間を知ってるの」


 莫大な後ろめたさと共に、虚ろな目で、軽太は虚ろに口を開く。スズスハ・コラツル。アマチュアといえど生物に詳しい彼女を誤魔化すことは叶わなかった。コラツルはある日、軽太に微妙な態度をしつつ面と向かって打ち明けた。『水主軽太は元々、この地球に生息していた動物なのではないか』と。軽太はコラツルに対して嘘で応えたが、今になって後悔の念が這い出て仕方がない。


「?」

「リョウセイが」


 軽太は掛け布団を丁寧に折り返し、手を付けて起き上がる。彼女の硬い足音が縁側を通り直す。


「そりゃ、儂が合わせたからな」


 コラツルは何を言いたいのかと、襖の向こうで立ち止まったままだ。


「リョウセイさんね、話通じなかったんだよね」


 俯くフリをして更に、朧気に口を開く。気がつけば両手は膝の谷間にて組まれていた。


「それは知っとる」


 コラツルは顛末を思い出す。現在、彼女は支離滅裂な言動から精神疾患を疑われ、岶岼大学病院に医療保護入院となっている。


「ぼくの保護のためだーとか言って縛り付けてきたりとかね」


 不本意な悪意が声のトーンに這い寄るのを感じ、ちょうど湧いてきた欠伸に託つけて誤魔化す。


「あの女、良くわからん」


 彼女は重い口を開きだしたので、軽太は軽い態度で便乗した。


「急に腕を斬り落としたりじゃとか」


 唐突な情報を前に、さっきまで浮かれていた軽太はインテロバングに寄った疑問符を反芻しきれないように発する。気が付けば、軽太はハッキリと、コラツルの顔を見ていた。


「その時はせなじゃったか、何か唸っとったな……せなと」


 コラツルは、半年前の惨状を慎重に思い返していた。


「せな?」


 軽太は疑問を燃料にして立ち上がる。『せな』と読める東果語は存在しない。辞書を調べれば見つかるかも知れないが、軽太が知らないということは間違いなく日常語ではない。


「儂も何なのかは知らないんじゃが、あの女、発狂しながら斬り落とした腕を潰しながら、何か叫んでおった」


 彼女の口から発される、知性的かつグロテスクな情景が軽太の脳内にて思い浮かんだが、そんなことはどうでも良かった。


「『せな』って何? そんな単語があるの?」


 彼女の様子を見れば詮索すべきではないというのに、言語に出来ない衝動が軽太に襲いかかり、何故か質問を重ねていた。


「ささきせな、じゃな、ささきせな……」


 ササキセナ。


「ああ。なんか言っとったな。言っとった。リョウセイが、リョウセイ……」


 軽太の脳内にて、『佐々木瀬奈』という5文字が浮かび上がる。


「……『ササキセナ』って、何?」


 軽太は思わず口に出す。万が一を考えた疑問詞でしかなく、問いたいものは最早『誰』でしかなかった。


「ああ、ああ? ああ。ササキセナ、ささき、ささ……言っとった、言っとった」


 佐々木は面識もない義祖母、峠浦とうげうら瀬奈せなの旧姓である。軽太は謎の義務感から開放されたと同時に、これがリョウセイの話題であることを忘れていた。


「言っとった言っとった」


 コラツルは棒立ったまま、同じ言葉を壊れた蓄音機のように発し続ける。


「ちょっとコラツ――」


 軽太は不審な彼女に近寄ろうとした。近寄り、コラツルの肩に手をかけようとしたその時である。


「――」


 再び、軽太の頭が冴え始める。軽太は昨日の出来事を鮮明に思い出していた。気がつけばコラツルは彼めがけて左腕を振り回しており、軽太は回避行動を取っていた。


☆☆


 軽太の発した音韻と鮮血と、腐蝕したコズミン鱗の臭いとが交互に想起され何も考えられない。コラツルは見るもの嗅ぐもの全てが鋭く、鮮明に感じられていた。


「ぉ゛あアぁァアア゛゛!!!!」


 彼女は獣そのものの咆哮を上げ、機敏に手足を動かしていた。暴れるようにして彼女が飛びかかってきたので、軽太はすぐさま横に倒れて横転。手を付けた反動で脚を昇らせ立ち上がる。彼女はすぐ前にあった家具を押し倒しては床に打ち付ける。藺草の繊維が千切れては舞う。何も見えていないかのようであった。


「ね、ねえ、何やってんの!」


 軽太の制止など耳に入った様子ではない。彼女は敷布団を口にしては吐き飛ばし、ランダムウォークのように走り回っては通りがかる全てを破壊せんとする。その異様な挙動を前に脚が震えていた。野生動物等、殺意のある動物の対処は心得ているが、現在のコラツルはただ狂乱のまま動いているだけだ。


「う、うわあああああ!!!!」


 パニックにパニックが重なり、軽太はすぐさま部屋を抜け家を駆けた。コラツルは力が強いし、何を考えているかわからないから怖い。軽太は無意識の中へと押し留めていたが、今となっては意識の中へと顕在化して仕方がない。


 縁側に出た所、自分のものでない足音が跡を付けていると気が付き、目の前の芝生を見ては絶叫し逃げ回る。次に鳴ったのは転げ落ちるような衝撃音であった。ふと振り返る。コラツルが芝生に落ち、片方の手首を放ったらかしつつその他の四肢をのたうち回らせている。


「あ、ォ゛あァ゛!!」


 軽太は恐る恐る、すぐ横の部屋にあった入ることとした。コラツルを助けたいのだが、彼はそれどころではなかった。一旦目を瞑り息を整え、改めてこの場を見回す。スズムシらしき鳴き声や土と水の臭い、壁に並べられた虫籠に水槽、テラリウムに、壁にかけられた長さ60cmほどの航空機の写真が目に入る。


 続いて軽太は縁側でない方の出口に向き、襖に掛けられた看板を見やる。『スズスハ・コラツル 親以外立入禁止』と、漢字ドリルの手本と見紛う東果文字で書かれた看板が見えた。


 軽太は落ち着けていなかった。ここが彼女の部屋であり、プライベートを詮索してはならないとは理解していたが、命の危機にも等しい今の軽太にとって、机の引き出しを開くことなど容易いことであった。最初の段は東果空軍の雑誌が収められており、。次の段を開けようとしたが、鍵がかかっていることに怖気立った。

 続いての縦長の段は口輪が収められており、竹製のものや、普段はめているものと寸分違わぬものが鎮座していた。


 二つの輪が連結されたものであり、フェルト製のものや、鉄をチェーンで繋いだものが無造作に置かれていた。何かと疑問に思い手に取る。鉄の冷たい感触が熱くなった掌の中で響く。

 暫くして、輪となった部分は鍵が挿されたままであると気がつく。軽太はようやく、これが拘束具の類であると把握した。


「なんでここに……あっ」


 首を傾げるまでもなく、彼は外に手枷や足枷をはめた個体がいたことを思い出す。用途を尋ねた所、カータクはぶっきらぼうに『精神安定剤』と答えたことも思い出す。


 二つ手に取り、再び外に得る。コラツルは自分自身に襲われたかのように疲れ果て、微動だにしなかった。


「……ちょっと両手貸して」

「……」


 軽太は彼女の右手首を握る。硬く鈍く追従するそれに輪の部分を嵌めると、錠をかけた。もう片方の手首も同じようにした。


「なんじゃ」


 足首に手をかけたところ、彼女は疎い様子で反応した。


「ちょっと大人しくしてて」


 軽太は拘束作業を続けた。用途が用途であるので、鍵は挿したままにしておいた。


「ああ」


 完全にコラツルの四肢に枷を嵌めた後、軽太は再び入間荘へ向かうと伝え家を後にする。情動に突き動かされるがまま、初めに赴いた時刻のバスに乗り、蒼尾人用の座席を陣取った。

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