3:茜洛都-⑩


 入間荘2日目の起床は快調であった。寝ぼける事も取り乱す事も無く、ただただ一日を過ごした。やるべき事が無いことに変わりは無く、初めこそゲームを続けようとしたが数分で飽きた。

 後に折り紙をする、小学生の頃の教科書を借りてみる、蛇人族と会話を試みる等。暇を潰す手段は全て行った。

 最も嬉しかった出来事は、宿民とは完全に打ち明けたことだ。彼の奇妙な顔や髪の毛、髪の留め具を見に来るものも少なくない。昨日夕方から接し続けた甲斐もあったものだ。軽太にとって、人間の相手とは『茶番』以上の認識もないが、多種多様な彼らへは悪辣な思いを抱かずに居た。



 そして今。彼は、リョウセイに元いた世界を語っている。東果の常識を大して知らない彼にとって、最も話せる話題であった。


「そんな世界なんだな」


 彼女は昼にカータクの失踪を知り、憤りから逃れる手段としてコミュニケーションを選んだ。初めこそ雑談の延長として聞き流していたが、今となっては真剣に聞いていた。

 軽太の語る元いた世界とは、彼女が知り親しんだ現世とは全く異なっている。地下シェルターを構える日本国に、単一種族で構成された巨大な企業群。海を隔てた国防は量子の域であり、地上に人間など殆ど居ない。彼女にとっては偶に手に取って楽しむSF小説のようであり、彼の奇妙な外見へ深い違和感を抱くこともなくなった。


「アタシらの世界って……お前の世界だとどんくらいの時代区分?」


 ふとリョウセイは気になり、尋ねる。


「えー……昭和」


 彼は適当に思いついた言葉を吐き出す。


「判んねえよ」


 リョウセイは乾いた声を沸かせる。突飛な固有名詞には慣れているが、何を指して『昭和』かの理解に苦しむ。


「100年前!」


 茶を飲みつつ、固有名詞に注釈を入れる。彼が棲んでいた時代では、最も長い時代区分のみが民衆の言語に根付いており、100年前など須く『昭和』でしかない。


「何あったっけな……」


 リョウセイは脳内で年表を思い浮かべる。現在から97年前――東歴2268年に、現在のイィキロフ国を構成する島々や半島を、東果国が占領したと思い出す。115年前には崐央こんねい大震災により、多くの被害が生じた。他には何があっただろうか。個々の事件に比べ、当時の文化への理解は疎く、彼の期待に答えられそうなトピックは出せなかった。


「じゃあそっちは……東果の100年後みたいな国なんか?」


 ふと軽太から目線を離し、テレビの方を見る。どうも彼らも軽太の世界に興味があるようで、数人のオーディエンスが去っては来るサイクルを構成している。また、黙々としゃがみ込んでメモを取るものも居た。


「多分違う」


 軽太として、日本国とは東果国ほど時代錯誤な世界観をしていない。民族衣装など誰も着ないし、五重塔を高さ方向に延ばした建物など林立していない。地上も新古入り乱れた空間であったが、人の気配さえなく、東果国がそうなるとは到底思っていない。


「だよなあ」


 全力で肯定する。リョウセイは、あと100年もすれば寿命で死ぬが、だとしてもディストピアめいた社会になってほしくはない。


「家……も地下よな」


 リョウセイは辿るようにして、地下室の方を眺めていた。汽陸族の中には海底でキャンプ、野宿を行う者も存在するが、海水一つだにない空洞など想像もつかない。


「一応ね」


 軽太は、角砂糖の形状をした菓子を口に放り込む。ごま茶の後味の中に、和菓子めいた淡い味わいが付加される。


「よく外に行っててさ。家族と」


 十分に喉に流し入れた後、『新境しんさかい川』近辺にある放水路跡地を想像する。両脚が自然と階段を登る動作をしていた。地上と地下を繋ぐ通路は限られており、主要なものは免許・許可制となっていたことも思い出す。


「妹か」


「爺ちゃんね!」


 彼は言葉を、釘を刺すようにぶつける。


「爺ちゃん?」


 リョウセイは周囲を見渡す。幸い、ギャラリーは突発的な彼の鳴き声に恐怖を覚えていないようだ。


「うん。峠浦とうげうら爺ちゃん」


 峠浦とうげうら龍之介たつのすけ。国防のIT部門、宇宙開発会社の経理部等の高度な職につき、疎遠であった父母に代わって、水主軽太の親と呼べる存在であった。


「よく会いに行ってたんだ」


 リョウセイはつい、彼の情景を想像していた。外はビル街や、飲食店、コンビニなど、本来生えて然るべきインフラなど無い。寺院や神社は大半が地下へと移転したという。あるがままに放棄された宗教施設を見、軽太は『神様の最後の抵抗』と思いを馳せたとも聞いた。


「さぞ。良い祖父だったんだろうな」


 工場に標識、その他公的機関の施設のみが点在し、それ以外の全てはロボットか、同族以外の有機物が埋め尽す。そんな末法な大地に、一般人は脚など運ばないだろう。彼女は気が付けば、いつもの表情で声を発していた。


「うん。一人で行ったこともあるけど。大怪我した時に駆けつけてくれてさ」


 記憶を辿る。彼は山へと登ろうとした際、坂を転落し、脚の骨を折った。幸い麓での出来事であり、保定した後に腹ばいで帰ろうともした。激痛と逃げゆく意識の末、峠浦の声と腕とが彼を包んでいた。

 

「は。お前マジ!?」


 鰓を立たせ彼を睨んでいた。尾鰭は勢いで椅子の背を打ち付け、重厚な音を鳴らす。


「死んだらそれまでかなって」


 軽太は飄々と腕を組み目を瞑る。当時は本心から『死』を意識した一方、瞳孔を縮ませる程の痛みの中、ただ地を這い進む体験は、一度きりならば非常に愉しいものだった。


「責任取れなくないか?」


 鰭を糺した後、その後を尋ねる。死亡事故未遂など小学生に負える責任ではないし、今後外に行くことも叶わなくなるだろう。胸鰭はただ、そわそわと動く。本当にあった出来事と思い難くなっていた。


「爺ちゃんがなんとかしてくれた」


 軽太は知らないが、龍之介は全責任が自分に向くよう、相当に骨を折ったという。事実、軽太は完治したし、小学生一人の事故への監視が続くこともなかった。故にその後も二人は半定期的に、地上での冒険を続けていた。 


「なんというか。パワフルだな」


 リョウセイは、彼らを遠い目で眺めていた。背後の掲示板を見つめる。来月のイベントは何だろうか。


「また見れたら良かったな」


 軽太は上の空だった。


「思い出かい」


 彼女はちょうど、西岶岼科学館での催しを思い出す。貴重な資料が見れるというので数人は赴くだろう。後で背後の掲示板を張り替えることと決めた。


「星空」


 軽太は憂いた声を発する。


「ふむ」


 リョウセイは泡が割れたように彼の方へ向き直す。相変わらずな顔だけがそこにあった。


「ダムの近く」


 満水の廃ダムを思い出す。高度な技術を用いて築かれたそれは決壊せず、水面はもう一つの星空を浮かばせていた。


「ほう」


 リョウセイは話を進めることに専念した。彼の涙ぐんだ目尻からして、詮索する場面ではない。


「爺ちゃん、泳いでて大人気なかった」


 軽太は半笑いを浮かべる。得意な泳ぎだからと大声を上げる祖父は、彼を半分興醒めさせた。


「流石だな」


 リョウセイは何となくで携帯電話の電源をつけ、SNSを開いてみる。


「……んあ、ちょっと身内探し」


 聞かれるでもなく、カータクの失踪を確認する為と言い訳する。


「何するの。特定とか?」


 彼は不安げな音を浮かべていた。椅子は横を向けており、見慣れた顔がその先に居る。


「特定じゃないな」


 リョウセイは口をパクパク開閉する。『未来にも誹謗中傷は存在するのか』と小脳で憤っていた。


「良かった」


 ほっと溜め息を付く。全くの嘘なる可能性も思い浮かんでしまったが、軽太もアウトロー派ではあるので詮索する気はない。


 カータクのアカウントのページを開く。『ミニブログ 岶岼大学』と検索し、一番上に出たリンクを踏む。次にユーザー検索欄に『カータク』と入れ、表示されたアカウントをタップする。


「……」


 ページが表示されてすぐ、写真付きの発言に目が留まる。彼の細い脚を写したものだ。靴下を水溜りで濡らしたようで、言葉では憂鬱な感情を表現している。


「どうしたの」


 リョウセイは、無言で席を立とうとしていた。


「いや」


 振り返る。ただキョトンとした彼が居た。どうにかと、彼女は乾いた怒りを発散すると、掲示板の張り紙を外しに向かった。

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