3:茜洛都-⑩
☆
入間荘2日目の起床は快調であった。寝ぼける事も取り乱す事も無く、ただただ一日を過ごした。やるべき事が無いことに変わりは無く、初めこそゲームを続けようとしたが数分で飽きた。
後に折り紙をする、小学生の頃の教科書を借りてみる、蛇人族と会話を試みる等。暇を潰す手段は全て行った。
最も嬉しかった出来事は、宿民とは完全に打ち明けたことだ。彼の奇妙な顔や髪の毛、髪の留め具を見に来るものも少なくない。昨日夕方から接し続けた甲斐もあったものだ。軽太にとって、人間の相手とは『茶番』以上の認識もないが、多種多様な彼らへは悪辣な思いを抱かずに居た。
☆
そして今。彼は、リョウセイに元いた世界を語っている。東果の常識を大して知らない彼にとって、最も話せる話題であった。
「そんな世界なんだな」
彼女は昼にカータクの失踪を知り、憤りから逃れる手段としてコミュニケーションを選んだ。初めこそ雑談の延長として聞き流していたが、今となっては真剣に聞いていた。
軽太の語る元いた世界とは、彼女が知り親しんだ現世とは全く異なっている。地下シェルターを構える日本国に、単一種族で構成された巨大な企業群。海を隔てた国防は量子の域であり、地上に人間など殆ど居ない。彼女にとっては偶に手に取って楽しむSF小説のようであり、彼の奇妙な外見へ深い違和感を抱くこともなくなった。
「アタシらの世界って……お前の世界だとどんくらいの時代区分?」
ふとリョウセイは気になり、尋ねる。
「えー……昭和」
彼は適当に思いついた言葉を吐き出す。
「判んねえよ」
リョウセイは乾いた声を沸かせる。突飛な固有名詞には慣れているが、何を指して『昭和』かの理解に苦しむ。
「100年前!」
茶を飲みつつ、固有名詞に注釈を入れる。彼が棲んでいた時代では、最も長い時代区分のみが民衆の言語に根付いており、100年前など須く『昭和』でしかない。
「何あったっけな……」
リョウセイは脳内で年表を思い浮かべる。現在から97年前――東歴2268年に、現在のイィキロフ国を構成する島々や半島を、東果国が占領したと思い出す。115年前には
「じゃあそっちは……東果の100年後みたいな国なんか?」
ふと軽太から目線を離し、テレビの方を見る。どうも彼らも軽太の世界に興味があるようで、数人のオーディエンスが去っては来るサイクルを構成している。また、黙々としゃがみ込んでメモを取るものも居た。
「多分違う」
軽太として、日本国とは東果国ほど時代錯誤な世界観をしていない。民族衣装など誰も着ないし、五重塔を高さ方向に延ばした建物など林立していない。地上も新古入り乱れた空間であったが、人の気配さえなく、東果国がそうなるとは到底思っていない。
「だよなあ」
全力で肯定する。リョウセイは、あと100年もすれば寿命で死ぬが、だとしてもディストピアめいた社会になってほしくはない。
「家……も地下よな」
リョウセイは辿るようにして、地下室の方を眺めていた。汽陸族の中には海底でキャンプ、野宿を行う者も存在するが、海水一つだにない空洞など想像もつかない。
「一応ね」
軽太は、角砂糖の形状をした菓子を口に放り込む。ごま茶の後味の中に、和菓子めいた淡い味わいが付加される。
「よく外に行っててさ。家族と」
十分に喉に流し入れた後、『
「妹か」
「爺ちゃんね!」
彼は言葉を、釘を刺すようにぶつける。
「爺ちゃん?」
リョウセイは周囲を見渡す。幸い、ギャラリーは突発的な彼の鳴き声に恐怖を覚えていないようだ。
「うん。
「よく会いに行ってたんだ」
リョウセイはつい、彼の情景を想像していた。外はビル街や、飲食店、コンビニなど、本来生えて然るべきインフラなど無い。寺院や神社は大半が地下へと移転したという。あるがままに放棄された宗教施設を見、軽太は『神様の最後の抵抗』と思いを馳せたとも聞いた。
「さぞ。良い祖父だったんだろうな」
工場に標識、その他公的機関の施設のみが点在し、それ以外の全てはロボットか、同族以外の有機物が埋め尽す。そんな末法な大地に、一般人は脚など運ばないだろう。彼女は気が付けば、いつもの表情で声を発していた。
「うん。一人で行ったこともあるけど。大怪我した時に駆けつけてくれてさ」
記憶を辿る。彼は山へと登ろうとした際、坂を転落し、脚の骨を折った。幸い麓での出来事であり、保定した後に腹ばいで帰ろうともした。激痛と逃げゆく意識の末、峠浦の声と腕とが彼を包んでいた。
「は。お前マジ!?」
鰓を立たせ彼を睨んでいた。尾鰭は勢いで椅子の背を打ち付け、重厚な音を鳴らす。
「死んだらそれまでかなって」
軽太は飄々と腕を組み目を瞑る。当時は本心から『死』を意識した一方、瞳孔を縮ませる程の痛みの中、ただ地を這い進む体験は、一度きりならば非常に愉しいものだった。
「責任取れなくないか?」
鰭を糺した後、その後を尋ねる。死亡事故未遂など小学生に負える責任ではないし、今後外に行くことも叶わなくなるだろう。胸鰭はただ、そわそわと動く。本当にあった出来事と思い難くなっていた。
「爺ちゃんがなんとかしてくれた」
軽太は知らないが、龍之介は全責任が自分に向くよう、相当に骨を折ったという。事実、軽太は完治したし、小学生一人の事故への監視が続くこともなかった。故にその後も二人は半定期的に、地上での冒険を続けていた。
「なんというか。パワフルだな」
リョウセイは、彼らを遠い目で眺めていた。背後の掲示板を見つめる。来月のイベントは何だろうか。
「また見れたら良かったな」
軽太は上の空だった。
「思い出かい」
彼女はちょうど、西岶岼科学館での催しを思い出す。貴重な資料が見れるというので数人は赴くだろう。後で背後の掲示板を張り替えることと決めた。
「星空」
軽太は憂いた声を発する。
「ふむ」
リョウセイは泡が割れたように彼の方へ向き直す。相変わらずな顔だけがそこにあった。
「ダムの近く」
満水の廃ダムを思い出す。高度な技術を用いて築かれたそれは決壊せず、水面はもう一つの星空を浮かばせていた。
「ほう」
リョウセイは話を進めることに専念した。彼の涙ぐんだ目尻からして、詮索する場面ではない。
「爺ちゃん、泳いでて大人気なかった」
軽太は半笑いを浮かべる。得意な泳ぎだからと大声を上げる祖父は、彼を半分興醒めさせた。
「流石だな」
リョウセイは何となくで携帯電話の電源をつけ、SNSを開いてみる。
「……んあ、ちょっと身内探し」
聞かれるでもなく、カータクの失踪を確認する為と言い訳する。
「何するの。特定とか?」
彼は不安げな音を浮かべていた。椅子は横を向けており、見慣れた顔がその先に居る。
「特定じゃないな」
リョウセイは口をパクパク開閉する。『未来にも誹謗中傷は存在するのか』と小脳で憤っていた。
「良かった」
ほっと溜め息を付く。全くの嘘なる可能性も思い浮かんでしまったが、軽太もアウトロー派ではあるので詮索する気はない。
カータクのアカウントのページを開く。『ミニブログ 岶岼大学』と検索し、一番上に出たリンクを踏む。次にユーザー検索欄に『カータク』と入れ、表示されたアカウントをタップする。
「……」
ページが表示されてすぐ、写真付きの発言に目が留まる。彼の細い脚を写したものだ。靴下を水溜りで濡らしたようで、言葉では憂鬱な感情を表現している。
「どうしたの」
リョウセイは、無言で席を立とうとしていた。
「いや」
振り返る。ただキョトンとした彼が居た。どうにかと、彼女は乾いた怒りを発散すると、掲示板の張り紙を外しに向かった。
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