3:茜洛都-⑪
☆
西鶴区の観光後、二人は今後の全ての予定をキャンセルして
行くだけの強い動機を要する場所であるが故に閑散としている。コラツルは数分もせずに調子を取り戻し、今となっては忙しなく歩き回ってカータクを捜していた
ツェラヒラは地元住民に聞き込みをしてみたが、案の定な回答のみを耳にした。数年も岶岼に隠居する彼を知る人など殆ど居らず、『ナイラスという姓の人は居ない』とまで言われた。
尤も、ツェラヒラの義憤でしかなかったが。数十分で探偵の真似に疲れ、楠白地層資料館に赴くなり、民営の飲食店で茶を一服するなり、希少種を集めた民間の水族館を偶然知るなり楠白を満喫した。
☆
帰省を決めたツェラヒラは都心部のビルを遠くに望んでいたが、茜崐陸通に乗り換えた時には周辺の建物で隠れ、見えなくなっていた。椅子に腹を付け、うとうとと振れる広告や吊り革を眺める。
暫く、鉄の濁音とアナウンスとのみが場を支配していた。この場に居合わせる彼にとっても同様であり、彼女たちは気を向けず、じっと座っていた。
「どこ行っとったんじゃ」
コラツルは席を立つと、見慣れた縞鱗を見上げる。彼は聞き慣れた声であると気が付いた途端、目を瞑り現実を遮断しようとする。
「墓参りっすよ、身内の」
鬱々しい陰に包まれる車体を蛍光灯が照らす。結局、少ししてカータクは、声のみを彼女に返す。つとめて、自身の左方を意識しないようにしていた。
「どうして急に抜けたんじゃ」
ツェラヒラはぼんやり、声が向けられる方角を見つめる。
「昨日の朝、抜けてた癖に」
明後日の方向を向き、悪意の感情を撒き散らす。誰かが用を持つことの無いこの区間は席が空いており、誰かに彼の嫌悪が当たることはなかった。
「伝言はしたじゃろうが」
コラツルは揺れる車体の中、覚束ない脚で彼へ近づく。ツェラヒラは視界に移る彼をお目当てだった人物と我に戻り、すぐさま彼らの異様さに当惑する。
「教えたんだろ、お前」
カータクは、元カノの身分たる彼女が嫌いで仕方なかった。元から厭ではあったが、今となっては気にもかけないこの存在に吐き気を催していた。
「何を?」
ツェラヒラは彼の汚穢の無視に努め、素っ気ない対応を心がける。
「地元」
カータクはとうとう、窓に向かって話しかける。反射光が非常に鬱陶しい。閉扉音と険悪さのみがこの場を支配していた。
「交番送りになった俺等に一言あんだろ?」
彼はとうとう無言を貫く。憤りだけで吊り革にしがみつく彼女など、存在を認識する気さえない。ツェラヒラはこうも幼稚さを誇示する彼が、舌も出ない程に厭であった。
数駅もの間、彼と彼女たちの間に会話は無かった。無造作な環境音がなるだけの空間は筆舌に尽くしがたく、無機質な車体も癒やしにならなかった。
「……雪隠行くわ」
事切れたツェラヒラは無表情とされる振る舞いを取り繕いつつ、前方車両へと移る。そしてまた暫く、無音の空間が続く。
「ずーーーっと乗ってたんすけどね」
沈黙を破り、コラツルへ青黒い視線を浴びせる。ツェラヒラはどうせ用など足しに行っていない。化粧室の案内と真逆の方角に行った時点で察していた。少しして言葉を待つ彼女へ『同じ車両に』の嫌味を付け加える。
「わざわざ車両を替える奴が居るか?」
コラツルは彼を睨み返す。彼から、こちらを釘付けにさせようという魂胆が透けて仕方がない。彼女はだんだん目を見開き、縦長の瞳孔を彼に隠さなくなる。
「本当、自由っすよね。蛇人で生まれて良かったっすね」
カータクは『親が良くて』と気遣ってあげることにした。事実、蒼尾族に比べ、蛇人族は親族関係の問題が殆ど無い。あるとしても孤児、経済的や貧困に喘ぐ程度だ。
「確かに、肉親とは円満じゃな」
コラツルはふと鱗が痒くなり、右耳の後ろを掻いた。彼女も例外ではない。父は当然として、母も疎遠ではあるが偶に電子メールで会話をする程度には仲が良い。
「家族ってクソじゃねえっすか?」
彼は一転して、彼女へ投げやりな目を見せる。手を向け、救いか共感か、何とも言えない感情をコラツルへ強請っていた。
「儂が女じゃないなら、結婚して姓を替えとったな」
今度は頭の先が痒くなり、口輪の頭革の裏を何とか掻こうとする。実のところ、その他の親族との仲は最悪だ。
「なんでこんな目に?」
目を瞑り、適当に思いついた言葉を吐き散らすばかりだった。自身の境遇を呪う言葉のようで、彼はコラツルこそを呪っていただろう。
「知らんぞ」
コラツルは両腕を地面に付け直し、そっぽを向く。ここ数年の親族同士の争いも冷めた目で見ており、彼女の方が典型的な蛇人像をしている。IT系の求人広告が目に入り、関係データベースの練習になる題材を適当に考案しだす。彼女は既に、地元に帰った気でいた。
「だろうな」
カータクは前を振り向き直すと、ツェラヒラが向かった方角の反対へと歩き出す。淡い夕日が彼らを照らしていた。
「手洗いか」
コラツルは最大限の注意を彼へ向けていた。暴れ出した場合に備え、彼を力ずくで止める準備さえしている。ツェラヒラの抗昼薬は薬理上、彼らとしては強度の鎮静薬として効く。左腕は彼女のリュックを捕らえる準備さえしていた。
「……言えば良いのに」
彼は振り向きもせず、扉の先へと消えていった。
☆☆
乗客が密集しだす区間に差し掛かったところで、コラツルは彼らを呼び戻した。再び多種多様な種族が顔見せし、車両は混沌としたベールを纏う。ツェラヒラは罰が悪そうに立ち続けており、華奢な腕を必死に吊り革に停めている。外来服を羽織っていた彼はバッグの中へと仕舞い、下に着ていた藍色の袢纏が顕となっている。
「あー。んなことあったのか」
四足種族用の席を陣取る、黄色い肌をした彼は元気そうにコラツルに話しかける。
「あと、茜洛空港での発着の映像がこれ」
コラツルはビデオカメラの液晶を彼へ見せる。音割れを起こす寸でのエンジン音が僅かに機材から漏れる。
「お宝映像じゃん。写真ある?」
彼は左手を地面に付け彼女に迫る。発された声の全てがその他の雑音に紛れず、対岸に立つツェラヒラの耳を煩わせる。
「現像したら渡すか」
淡々と情報交換を進める。コラツルは指摘をしないよう努めて意識する。あぐら座りをする程度の人がルールの遵守など出来ないだろうし、実際何度か不毛な口論をする羽目になった。
「サンキュー」
男前な声をコラツルは聞き流す。ツェラヒラは吊り革を離すと、車体の揺れに倒されないよう慎重に歩み寄る。
「キャラチェン速くね?」
ツェラヒラは彼の態度を揶揄する。幼稚なカータクのことなので、気を引くために人柄を替える程度のことはやりかねない。
「なんすか、アルビノ女」
彼は舌をハッキリと見せて話す。その様はメスのオオトカゲ科の威嚇のようであった。
「あ、元に戻った」
ツェラヒラは彼の心情を察し、皮肉な口調をする。
「イグザクトリー」
意地の悪い態度に皮肉で応じない彼を見、ツェラヒラは冷笑気味な表情を浮かべる。夕日を肌に帯びた彼女は大層、嫌らしい態度を醸し出していた。
「アルビノじゃなくて、白変種」
コラツルは単に、彼の語彙の濫用を指摘する。彼らの交わす社交には興味がないし、そもそも『社交』なる高階の概念をコラツルは認識していない。
「似たようなもんだろ」
彼は両手の甲を壁に付け、後頭部を付けるクッション代わりにする。硬質な微音がコラツルに伝わった。
「全然違う!」
コラツルは憤りの感情を隠そうと、腕へ顔を埋める。過去のこの手のトラブルを思い出してしまった。蒼尾族にありがちであるが、彼らは似た概念の語彙を一緒くたにする。『北夷族は白くて昼間出られないからアルビノ』などの出鱈目を弄する輩の思考など理解したくもないし、この手の指摘を何度したか彼女も覚えていない。
「日ぃ浴びても大丈夫なだけだろ」
コラツルは対話を諦め、車内案内表示を見る。蒼尾族としては実際行動に移す時に場合分けすれば良いものであって、彼女の発言などナンセンスでしかない。
「そうやって医療事故でも起こしてろ」
ツェラヒラは彼に興味を失い、元いた場所に戻っていく。大学で数多の固有名詞の暗記が義務付けられていたツェラヒラとしては、彼が恨めしかった。
電車は目的地へと進んで行く。駅からの影の柱が3人を覆う。
「あ、転けてやんの」
転倒する彼女を見て嘲るも、最早彼女は得体の知れない彼など気に留めていなかった。
☆
『新幹線茜洛駅』に降り立ち、白・灰の流線型の車体に乗った後も、彼はツェラヒラを面倒がらせた。
彼女の皮肉は素直に受け止め流すし、コラツルとは戦艦や飛行機の話ばかりを続ける。
挙句の果てには乗務員を見、陰で肉欲に塗れた発言をする。それも同種族相手であるので、ツェラヒラは彼の人格を疑った。
「は? お前正気か?」
一瞬コラツルの方に目を向けるが、彼女は案の定ぼんやりと携帯の液晶を眺めている。カータクの専門家として、どうも異常事態ではないらしい。
「そーゆー差別って良くねーっすよ?」
両手をスカート越しに腕に付け、真剣そうな口調で彼は返す。意図を曲解して返す青い袢纏を見、ツェラヒラは緊張から右往左往する。
「……。俺の方が好きなんだろ?」
彼女はその様相から安堵し、容赦無く背持たれ掴み彼に背を向ける。
「性別って食い方変わるし、一長一短なんよねっす」
黄色い彼は品定めするように背中に見とれる。その次に下腹部を覗こうと顔を傾せる。
「へえー」
冗談だと思い、コラツルの方を見る。案の定、彼女は携帯を付けたまま眠りこけていた。
「車種の性別議論してる馬鹿共、無機化学に謝ってほしーね、っす」
彼女は手から崩れ落ち、ドタバタと体を鳴らす。
「……冗談よな?」
微妙な顔で彼を睨む。下ネタにしては度が過ぎているし、それが故に妙な焦燥感を覚えた。
「え。普段何に欲情してるんすか?」
ツェラヒラは彼から目を背けながら、元いた場所へ戻っていく。
「そりゃ、野郎とか」
彼女は恥じらいなく自身の好みを語る。繁殖期でもない彼女は異性と交尾したいとは考えない。恋愛上での好意でしかないし、それも今後の共同体構築における品定めの練習、以上の意味はない。カータクとの恋愛も予行練習程度のウェイトでしかなかったが、ウィットに富む彼は理性的好意の存分に及ぶ対象である。
「へー! さっき乗務員にも発情してたんすねー」
コラツルなど気にかけず、彼はわざとらしい大声を上げる。
「……お前正気か?」
一般性癖を嘲る彼に対し、朗らかさを帯びた声を返す。
「そんな言うなら犯すが」
彼は彼女の鼠径部に指を指す。服に秘された背中を透視するのも良いが、本能は舌から脳まで逆らえない。
「はいはい、法でも犯してろ」
ツェラヒラは元気な悪態を捉え、腹を見せるように寝転がる。
「六法全書にシャーペンぶっ刺したら美味そうよなー」
彼は揚々と雑談を続ける。
「腹でも壊してろ……」
彼女はやり取りが面倒になり、コラツルのように目を瞑ることにした。
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