3日目
3:茜洛都-⑨
☆
酉前3時、コラツルにツェラヒラは
「カータクのやつ、居ないな」
国道線が貫くこの地区は開け、鉄と木々、セメントで形成された景色を見せる。 烈日を目視しないよう、コラツルは俯き気味に周囲を確認する。
「アー、マジで痛えよ。あそこまでしなくてよかっただろ」
ツェラヒラは手枷で擦り剥いた跡を撫でてしまう。強く擦るような痛みを覚えるが、微弱な疼痛に比べれば不快ではなかった。足では一時停止をする度、同様の跡を踏むようにして気にする。
「『パパと同じようにやるべき』と、リョウセイから聞いたからな」
両目を左右に忙しなく向ける彼女は、茜洛都庁の通過を確認した。カータクは撮影したいと言っていた気がするが、張本人が居ないので興味の対象ではない。
「責任転嫁かよ……」
ツェラヒラは、陰を背に負うように言う。日の光が暗いものに感じられた。非常に罰が悪い。何をどう言い訳しようとも、服薬の怠りは失策でしかないとこそ受け入れている。だとして彼女は、コラツルの良い振りに納得など出来る筈もなかった。
「ここにも居らんな」
コラツルは外の敷地を確認した後、全ての入口が『一般の立入禁止』であることを確認した。
カータクがこの場に居ないことは偶然ではない。彼は未明に失踪した。例日通りの時間に起きたコラツルは、カータクの不在を気にしなかった。彼は夜道を彷徨く癖があると聞いたし、朝には戻って来るだろう。そうして一時間ほど、空港のライブ配信を眺めていた。
「交番行ったんだし、もう良いだろ」
スネーツリ家の人物として、こうも最悪な目覚めをしたのは彼女だけだろう。酉前0時半にツェラヒラの手枷が外された瞬間、必死に立ち上がり足についたソレを剥がしたことは鮮明に記憶されている。
固まった肩を回しながらも、ツェラヒラは彼の不在に気が付いた。朝食にありつく時間になってなお彼が姿を表すことはない。出発20分前になって彼女は、飄々とした態度を崩さないコラツルに問い質す。
「見つからんくとも、新幹線の予約は変わらんじゃろ」
彼女と言えば、ただ唖然とした表情で、『不在には気が付かなかった』とのみ答えた。
宿の人を訪ねてもみたが、とうとう彼が見つかることもなかった。忙しなく首を上下左右させる彼女を前に、ツェラヒラは咄嗟に交番への相談を提案した。『蛇人族は予測外を嫌う』の不文律が脳裏に、鮮明に浮かんで仕方ない。コラツルは特にステレオタイプ的だ。大学で癇癪を起こし、学生を突き飛ばしたとも伝わっており、西鶴へ出発するまで気が気でなかった。
「そうじゃなくてさ。カータク探す必要ある?」
結局、ツェラヒラの杞憂だったが。現に彼女は普段通りに道を這いずり回っており、普段通りに会話が成立しないでいる。口こそカータクを心配しているが、実際は損した気分の言い換えである。彼女もコラツルに付き合い、普段通りの観光を再開するつもりで居た。
「形式上」
コラツルは一言で吐き捨てる。最早カータクに興味などなく、ただ眼の前の信号を待っていた。
「そういやアイツの家って茜洛だったじゃん?」
ツェラヒラは普段通りに軽口を叩く。彼女はただ、眼の前の縞々を渡る車に着眼していた。
「……行けるか?」
暫くして、歩行許可を示す葵色の光を発し、歩行者用信号から独特の音響が鳴り響く。周辺視野の不特定多数につられる形で、ツェラヒラは前へ歩き出す。
「今更予定とかどうでもよくねー?」
十歩ほど歩道から外れた所で、彼女は後ろを振り向き俯く。手足は疎か、頭を俯かせたまま動かそうともしない彼女が居り、数秒は体を止めていた。
「正直――」
そのまま渡り切ろうと判断し前をむこうとした刹那、ツェラヒラは、重そうに口を開く彼女へ視線を向けて居た。
「――儂は。トラウマ克服の目的で茜洛に赴いとる」
「藪から棒」
蛇人族全般として、唐突な説明口調は珍しくないものである。皮靴が妙に暑苦しい。彼女がこちらを向かないのを良いことに、前に進もうと、恐る恐る後ずさるようにする。
「じゃし、何事もなく観光すれば解決すると思っとる」
彼女は相変わらず、うわ言を口にしてはその限りで終える。
「何事もってなんだよ。もう起きてんじゃん」
ツェラヒラは、彼女のこの自己紹介の真似事もどきがとても癪に障っていた。足元の苛つきは最早、腕まで伝わっていた。
「カータクが原因と言えばよいか」
彼女はとうとう、前を。相方の居る方角のみを向いていた。
「……は?」
目線を離さないよう、葵信号の残り時間を目視しようする。表記が無い形式だと知ってしまい、十歩先の壊れたスピーカーへは目を瞑っていた。
「家族」
「お前が関係あんのか?」
彼女の鈎爪の先が平面上に並ぶ。自覚は無かったが、抗昼薬の加護から、ツェラヒラは彼女に殴り掛からずに済んでいた。
「ある」
強烈な惰性から目を開いていた。彼女は四肢に力を入れ、ただ前だけを向いていた。逆らうことへも嫌厭を覚え初めたツェラヒラは、足を引きずるようにして、コラツルの元へと戻っていく。
「茜洛、儂は元々気になってたんじゃよ。どんな都市なのか」
信号が赤へ点滅し、光りきった所で葵色の光が失せる。ツェラヒラはただ傾聴を向けていた。
「カータクに訊こうとしたんじゃよな。何度も。学校がどうだったかとか、文化圏としてどうだったとか」
初めは単に、首都圏の人々に対する興味であった。宇沽野は勿論、岶岼からも遠い茜洛とは映像上の存在でしかなく、情報の錯綜も多いが故、Wikiや口コミを眺める程度では分析出来ない存在である。
故に、偶々友人となったカータクが、茜洛出身だと知ったときには興味の対象となった。彼は饒舌な割に、茜洛についてははぐらかすばかりであった。苛立ちを覚えながらも、カータクはそういう人だと割り切り、何度も踏み込んだ質問を繰り返していたものである。
「ある日、同じように訊いたんじゃが。急に暴れてだして、――」
コラツルは当時に何が起きたかを想起し、ただただ口を使って羅列する。
市街地からは離れた、人気の無い場所のことであった。彼は急に機械のような奇声を上げ、近くの街路樹を殴りだした。次に『お前さえ居なければ』と、抜け出せないWhile文に入ったかのように、コラツルや周囲のものをあちこち見ては罵倒を繰り返す。ただ何でもない蒼色をありのままに晒す姿は断じて、彼のするものではなった。
暫くして、彼の息遣いだけがこの場に残った。異常な量の落ち葉に、その場から一歩も動けない自分。そのまま彼は帰路となる方角へ、金切り声を上げつつ駆けて帰っていく。息絶え躍るだけの尾だけが彼女の前で、卑しい主張を繰り返す。
さながら、メモリが破壊されたコンピューターのような振る舞いだった。コラツルはああも崩れ落ちたことが理解出来ず、数週間は足枷を引きずる程度の思いで過ごしていた。
「……何聞いたんだ?」
ツェラヒラはハンカチを床に敷くと、慣れない四つ這いで目線を合わせる。彼女は舌を口内に留め、大蛇に睨まれたように何も無い目の前を伺っていた。
「家族」
コラツルの言を聞き、彼女は衝動的にハンカチの皺を増やした。
「えっ。普通だったぞ。俺の時は」
ツェラヒラとして、カータクはかなり幼稚で女々しい。付き合わせた商品の売り切れ程度で拗ね、彼女に不快の感情を数時間に渡って喚き散らす様は『図体と知能だけある幼児』との形容がふさわしい。しかし、記憶上の彼はこうもバグってはなかった。彼は逆上するにしろ、その時はコラツルを粘着質に責めるだろう。そんな様子など見たことはない。秋頃に限定するならば、間違いなくない。
「お前、元彼女じゃろ」
四肢を地面に固定するようにして問う彼女に対し、ツェラヒラは慌てた二つ返事を返す。
「そん時、こんなことする奴じゃったか?」
両者の視界は赤信号を捉えている。景色を識別する上でそれが精一杯だった。
「しねえ。んなこと」
彼女は走行風を布で浴びる。感情では完全に、彼が未曾有な事案を起こす程度の男だと割り切れていた。
「……なんで?」
コラツルは、自分が何を思い出しているか、何をしたいか、最早判らなくなっていた。空と木々、多少の昆虫とがよく見える。その他の存在はいつもよりぼやけて見え、いつもより鮮明に認識していた。
「――! 話を戻す! 後日、儂は彼に謝りに行った」
彼女は地面の匂いを嗅ぎ取ると、衝動的に、腕と膝とを起こす。赤信号を完全に認識しており、次に葵になれば渡る心構えで居た。
「え、これで謝るん?」
ツェラヒラは適当に左右に首を動かす。彼女の価値観として、コラツルが詫びる必要など露ともない。むしろカータクが謝罪すべき場面だし、どうせ、彼が多少の粗相も詫びられない程度の存在とは割り切れてしまった。
「謝るもんじゃろ? 普通」
信号が葵となり、独特のブザー音が場を支配する。
「……謝ったならいいんじゃない?」
俯き気味に彼女の話を聞く。気が付いた時には彼女は横断歩道を渡っており、ツェラヒラも葵信号を確認して彼女に続く。
「忘れとった。向こうが、その日のことを」
失意の後に再び、大学に赴いた頃を思い出す。足枷を引き摺る思いでカータクの講義を待ち、彼女は彼の前で、自分の無力さを詫びた。
返答は非常に素っ気ないものだった。はぐらかそうとする彼にトラウマを覚えつつ、コラツルは必死に経緯を説明しようとした。結局、彼は次の講義があると言い、先のない尾を彼女に見せた。
コラツルが抱いたものといえば、ただの疑念であった。どう分析・解釈しようにも被害妄想へと陥る一方であり、いつからか茜洛へは強い苦手感情を抱くようになった。
「それ、――」
『思い出したくないだけ』と続けようとする自分の口を噤む。既に彼女たちは道路を渡り切っていた。レンガ状の歩道の上、凩に吹かれたように木々が揺れる。
「――そりゃ嫌になるって。本当、なんなんだよアイツ」
気持ち仰向く。彼女にとって、カータクとは面白さを覚える対象でしかなく、あまりにもな狂気っぷりから嘲笑わない道徳を失いつつあった。
「精神病じゃろ。どうせ」
コラツルはレンガの浮き沈みを両手で味わいながら、考え始める。典型的な抗昼症を見せる横の彼女は、精神医学に疎いコラツルにとって対処は容易い。しかし、カータクといえば何だ。誰がどう見ても、明らかに精神に異常を来している。彼女の中では病名も特定できている。
一方で彼女の父は、彼の異常を然程気にしていない。精神科医であるならば気付かない筈もないし、彼女にも注意するよう言っているだろう。
そもそも、コラツルは彼の精神性をよく知っている。本人は社会適合に支障が無いことから治癒を拒んでこそいるが、結局本質は精神病でしかないのではなかろうか。
「言いすぎだろ」
白い鱗の彼女は立ち上がると、再び二足歩行を開始する。コラツルにとって、彼女の反応が全てだった。
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