3:茜洛都-②
同日の白昼、コラツルは市営バスを用い岶岼大学へ向かう。バス停の日影から離れるや否や、コンクリートタイルの程よい熱が四股に行き渡る。大学の参考書が入ったリュックサックは背にすると実際より分厚く感じられ、見慣れた道中を通っているだけの彼女に新たな体験を与える。
「……なんで居るんじゃか」
奇抜な色の草履と蒼・黄色の鱗を見、顔を上に上げた所案の定カータクであった。彼女が蒼尾人や汽陸人と出会ったのは数える程度であり、思わぬ偶然から脚を止める。
「ちょっと、本返しに」
カータクは右手に持っていた本を少し目立たせる。袖が少し捲れ落ち、脱皮途中の乾いた色の鱗が垣間見えた途端、カータクは恥じらいとともに様相を隠す。
「儂もだな」
コラツルは彼の手の中を見、見慣れない単語から海外文学の類だと察する。海外の本には特に興味はなく、タイトルを見た後に関心を失い、大学図書館の方へと向かう。彼女にとって外国語とは論文か規格書に現れる程度の概念でしか無いし、小説とも概ね無縁である。彼女の斜め後ろで、硬い足音と僅かな地鳴りが続く。
「ああそうだ。
図書館近くの駐輪場にて、カータクは不意ながら口を開く。
「いつ」
足音の正体を今一度確認した後、コラツルは彼の会話に乗る。
「夏休み」
杜若色の自転車を眺めた後、カータクは肩を組んで気楽そうに振る舞う。
「3ヶ月先じゃろ」
入口へと向かうスロープを尾を振り回しながら登る。普段は手すりに手をかけて階段を登るのだが、簡便に終わらせたかった。
「そこはまあ、3日分前借りして、
彼は聞き流しつつ、指で触れようとする。正体が知人の自転車であるとは知っており、普段からぞんざいに扱っている人物のものであった為に忌避感は無い。
「兌方日は平日じゃろ」
風に舞う埃が右腕に触れるのを見て、彼女はもう片方の手で払う。彼女は埃っぽい香りが苦手である。特に図書館前は清掃が行き渡ってないのか頻繁に埃が舌に入る。極力彼女は口輪のフレームに意識を向け、アルミニウムの慣れた臭いを嗅ぐことに徹している。
「無いに等しいんじゃないすか?」
黒色の平たい爪で触ろうとした寸でグルーミングを止めて振り返る。彼女はとっくに、多少の段差を埋める為のスロープを登りきっていた。
「……まあ。確かに、来週は定期試験じゃな」
コラツルは正面の扉の自動ボタンに手を掲げて開かさせる。中の湿った風が彼女の頭に吹き付ける。
「あと、アイツ連れてく方が良いか?」
彼女が言い終わる頃に、概ね、視界が内部の木製の床壁に染まっていた。
「正気かお前?」
不意に、切羽詰まった声が彼女の後ろでこだまする。外で彼は睨みつけていたが、彼女の意識に入ることはなかった。
「……」
足を止めだす彼女を前に、暫く、カータクは説明の方針建てに苦悩する。
「茜洛の治安を考えてみろ、あの天然記念物どうせ死ぬぞ。マジでやめとけっす」
思考と並列させた結果、彼は伝わりもしない手振身振りを交えることとなった。
「確かに。そうか」
納得した後、暫くカータクの方を見つめる。彼女は、自分が何をしようとしたか忘れていた。
「どうして急に言い出したっすか」
ふと、彼は彼女らしからぬ無知の理由が気になった。生物学に考えて見ても、『外来種一匹などただの獲物』にしかならないだろうし、彼女がその想定をしないとは思えずにいた。
「ストレスが祟ってるようでな。どうも自由に外出がしたいらしい」
カータクは彼を泊めたことを思い出す。気が悪くなり、そっぽを向く。
「――俺も付いてってい~?」
適当な方向を向いた所、たまたま人が見えた。魚皮の靴を履き、山桜色の肌に色とりどりの服を来た女性を見、反射的にツェラヒラだと理解する。
「あ、獣医がサボってる。来年院生なのに」
カータクは少し顰めた顔つきをする。無意識に彼女を嗅ぎ回すように舌を出し入れさせ、難癖をつけんとしていた。
「ボイコット」
彼女は多少、彼に目線と顔を合わせた後、真っ先に自転車の方へと向かっていく。
「……ガチ?」
ツェラヒラは彼の困惑など知らぬと自転車のタイヤと同じ目線の姿勢を執り、それを指で器用に挟む。
「ガチ」
空気が抜けてないと知り、そばに屯する彼を威嚇するように返事をする。
「おい院生だろお前来年」
焦った声と態度をする彼のことをよそに、彼女はコラツルの方へと近寄っていった。
「……難癖多すぎて無理。そんな俺の白い肌が嫌か?」
ツェラナザはつい、彼女の研究室の教授を思い返してしまう。とりわけ、鱗の色なるどうでも良い存在で悪い冗談を言われると印象に残って仕方がない。脚を速めんと、階段を這って移動することにした。
「言う程っすか?」
カータクは服の裏の荒れ放題の鱗を思い返し、反射的に右拳を握る。左手で袖を握り、適当に済ませた肌の手入れを見せるまいとしていた。
「アイツの授業でも見りゃ判るんじゃない? まず手振りがキショいね」
コラツルは、階段を登った彼女に教授について聞かれたが、知らん、と、廊下の隅で寛ぐ。院の専攻学科を既に考えている彼女にとって特に縁はない人物の話である。
「非常勤のがカスっすよ、無知か浅薄かの二択じゃねえっすか」
カータクは内心同意していたが、興味もない男性であるし、何より目の前でコラツルに話しかける彼女の前で同意する気などなかった。
「まあ……それはそう?」
同意のフリをしたが、世間話よりは信用出来る範疇であり、ツェラナザにとって特に実感はない。
「なーんで蛭子なんすかね、軒並み」
彼女は早速実感の無さの正体を知ってしまい、その低俗さから衝動的に耳に掌を当てる。少しして肘が地面とぶつかったことに気が付き、後付けの疼痛から手を離した。
「儂の高校はそうでもないな」
コラツルは何時もの平坦な口調で返すとともに、音を立てて肘をぶつけた彼女を気にする。痛がる彼女の手は埃塗れになっていたが、特に気にしていなかった。
「『私は余所者をナンパしました。』やぞ」
ツェラナザは心配する彼女に『大丈夫大丈夫』とだけ返し、肘を回すようにして痛みをごまかす。
「……慣れたわ」
コラツルが図書館の入口の方角へと進むと、彼女と彼は後に続いた。
☆
入間荘の調理室にてリョウセイは、共用部屋の心地良い会話を聞きつつ、雉肉を小型鉄板で加熱する。大して見た目も変わらない肉の焼け具合を臭気と概算の時間で把握し、適当に裏返す。鉄板に設置した瞬間、油の飛ぶ音が勢いづき、そのまま元のペースに戻っていく。白い割烹着には数滴の汚れがついていた。
『来たぞー』
聞き慣れた獣声がリョウセイの胸鰭へと入り込む。この高く割れるような声の特徴はスズスハ・コラツルのものだ。彼女はふと、昔に汽陸族がソナーに似た原理で音を聞き取っていると聞いた事を思い出した。原理は全く理解していないが、爬虫類種族は耳の穴の鼓膜から聞き取っているとも思い出す。
「面倒な調理をやってるから、待ってて」
リョウセイは、当然の来訪者の存在に対して適切に対応する。というのも、今週になって彼女から預けたい人が居ると相談を受けている。独断で動く彼女にしては珍しいことだ。
預ける対象は『カコ・カルタ』という少年で、名前は異世界の東果語かのように感じられた。拾った経緯などを詳しく聞いている。どうも東果国外の人物であり、見たこともない種族だという。3週間ほど彼は彼女の家で預けられていたというので、悪い人ではないのだろう。具体的にどのような人かと想像を巡らしながら、調理を続ける。彼女は肉にどれほど火が通ったか、外見で識別できていない。概ね『この程度の時間を費やせば焼ける』という概算の元焼いており、離れようものならどこをどれ程焼いたかを忘れてしまう。尤も、彼らも彼女自身も焼け切れていない程度で腹を壊す種族ではないのだが、栄養価と見栄えに関わる問題を放置したくはない。とりわけ蛇人はかなりの肉食科なので、決まり悪い調理結果では信用を失う羽目になるだろうと想定している。そもそも魚は鱗ごと売る癖、何故雉肉は羽毛と共に売られないのだろうかと愚痴を心の中で流しつつ、妥当な時間で火を止める。
「終わったぞー」
リョウセイは大声で知らせる。鰾の振動数と振幅が高いが為に音割れした。僅かなシクロヘキセンの臭いが浮袋の方へ入り込んだ。足音を聞き、直線的に響いている事からコラツルではないだろうと察する。扉は既に開いていた。
大声になりすぎたことを反省し、飄々さを取り繕って口を開く。期待を膨らませつつ、リョウセイはへと調理室の外へと出ていく。
「よく来たな、いらっしゃい――」
リョウセイは続けて、自己紹介をしようとした。
「お邪魔しまーす」
例の少年は瞼を瞑り、体を曲げて黒そのものの色をした髪を彼女へ見せている。
リョウセイはただ、眼の前の光景に目を留めていた。暫く、眼の前のそれに何も認識できずに居た。
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