3:茜洛都

3:茜洛都-①

 軽太は東果に来る前、トランシーバーを自作しようなどと考えていた事がある。軽太の中では、『電波法が嫌いだったから』以上の理由はない。軽太の時代ではとっくに無意味な法律に成り下がってこそいたのだが、撤廃やその目処も立たない謎の法律として軽太の脳裏に刻まれていた。さて堅いトグルスイッチに指をかけ傾けさせる、縁側を壁伝に渡る。軽太は通路のライトアップを見、若干慄くようにそぞろ気味に脚を進ませる。野山であれば暗闇も気にならないが、家ではどうか。場面が場面だけに彼は幽霊を連想して仕方ない。


 縁側の蛍光灯は一定の通路全体でオンオフが連動している。軽太の感覚としては飛騨シェルター都市廃区画のシステムに似ているし、義祖父の家にあった、階段のオンオフスイッチにも似ている。通路内のスイッチ全てがXORエックスオア回路で繋がっている、などと聞いたが理解出来ていない。無線局が現役である東果では、電波に携わるものを自作などしようものなら捕まるだろう。故に頭に入れる価値を見出だせないと、コラツルの捲し立てる熊のような説明を聞いた後に理由付けが為され、今では完全に電波の理解をする気がない。


 照らされたエリアを抜ける際、軽太はしばし、目を瞑り覚悟を決めた。前進のみを考え、瞼越しに光が透過しなくなった隙に目を開く。消灯は考えることさえしなかった。天井は最早闇色のみを放っており、軽太は言語化し難い不快感を覚える。床からは有機的な質感が木霊する。自然的なソレであれば高揚感さえ覚えていたのだろうが、五感全てが逆効果にしかならず、笑顔にも近い不快感が顔から表明される。


 軽太は突き当たりを曲がろうともせず、外に出てしまうことにした。草の混ざったペトリコールが軽太の鼻へ入り込む。すぐ先に段差があることを思い出し、僅かな光を頼るのみと慎重になる。足を芝生目掛けておろした際に何か堅いものにぶつかり、反射的な声と共に床へ這い上がる。瞬く間に彼は、人間用のサンダルの存在を思い出す。義祖父の押し付け半分で貰ったものだ。数少ない心を許せる身内のものであり、東果にも為守へ持ち込みを頼んだ数少ない品だ。普段はスノーブーツかアウトドアシューズを着用しているが、東果国の祭りの際には履こうと決めている。


 見上げるまでもなく南東の方には春の大三角が浮かんでいた。軽太の知識の範囲内では星座の配置に大きな乱れは無い。こぐま座α星の方角にも軽太としては異常があるようには見えない。

 とっくに酉後6時――正子と呼ばれていた時間を跨いでいる。コラツルの寝室は勿論、フウギの寝床からも遠い場所だ。低温を嫌う彼らはここまで辿り着こうと思わないと確信している。目を夜空へと向ける。白い粒と、僅かに茜色がかった黒とが目に入る。彼は自らを思い返すに、無意識に壁を作っていた。まずコラツルの奇怪な発言には慣れていた筈だし、彼女を認めた筈だ。うっかり夕方の頃を思い出してしまう。何度、詰問癖が再発したか思い出せない。本音といえば、ただ眼の前の目障りを消してしまいたい。消したくて消したくて仕方がなかっただけだ。彼女のぶっきらぼうな態度は心底、鼻に障って仕方がない。あの態度は本心からのもので、本音では自分も誰も等しく気にかけてないのだろう、と軽太の理性は弾き出していたが、思い出すだけ信じられなくなる。さて自分が相応にストレスを溜めていると思い出しつつあり、今となってはお星様が彼の網膜へ入り込む事も許容していた。軽太は両親を思うがまま、頭に浮かばせる。


「……なんで?」


 いつの間にか、腹に声を揺らせてまで、涙を溢そうとしていた。両親も義祖父も既にこの世に居ない。自明な真実である。まず、義祖父は年齢として、余命僅かでない方がおかしい。両親も無事な訳が無い。なにせ軽太が最後に見た外の世界の風景は、為守いもりという、一世代前のAIの伝聞でしか知り得なかった事だ。

 軽太の世界では脊髄動物の大量絶滅が相次いで報告されていた。特に、クジラにイルカ然り、知性の高い動物に限って直ぐにレッドデータ入りし、彼らが衰退するとともに生態系は瞬く間に混乱した。

 東果に来る一週間前には述べ25%もの種が絶滅していた。生態系の変化は当然、人間という種にも響く。最後に見た人間が誰だったか思い出したくもないし、両親が助かっている訳がない。


 思えば軽太は、初対面でさえ、本能的に、カータクの期待に応えようとしていた。かつての社会の末路に関しては、考えても気が重くなるだけだ。定住してから事の脅威に気が付いてしまい、スズスハ一家に相談しよう、とも考えてはいたが、自分の望む考えは抱いてくれないだろうと諦念を固めていた。


 軽太は自らの精神性が、人間として不適切であることを、誰に言われるでもなく理解していた。どれだけ疑おうにも彼は周りから不気味がられる。やれ野宿しに行く、やれキャンプする、やれ怪我をする。ああ元気そう、ああ懲りない。彼の友人からは壁を置かれた。信じていた親友でさえ、都合の良い顔を見せているに過ぎなかった。


「こういうの。本当良くないよね」


 軽太は空を見上げ、涙ぐんだ頬と無邪気な微笑みを浮かばせた。眉間と額には皺を生じさせ、淡い夜空の光がその陰影を彩る。


 彼は声だけでも笑おうと考えていたが、その意に従ったのは高々彼の口程度であった。



 そん方日。軽太は酉前1時に起床し、布団を畳んで自室を後にする。強い空腹感からスズスハ家のリビングへ、ひとりでに向かい、戸を開ける。テレビの音声と液晶とが軽太の五感として受け取られる。ボイスレスのアニメーション作品である。軽太はその様相から大昔に見たカトゥーン・アニメを連想する。振り返り、嫌な顔をして背の低い冷蔵庫へと向かう。悩んだ末に、ラップされた塩焼きゴキブリの容器を手に取り、炊飯器からよそった米に中身を盛り付ける。木製の盆を持ち、重みを感じながら座卓へと運ぶ。


 テレビを点けた張本人の彼女は、アニメを聞き流し、大型タブレット端末を睨んでいる。コラツルは、『私用・百科事典』のタイトルが付けられたWebアプリへと、別のタブに記された論文の内容を纏める。情報を蒐めては纏める作業は休日のルーチンワークとなっている。今日は『ホクイシロオオトリ』の記事を加筆していた。


「そのページ、どっかで見れたりしない?」


 ふと、軽太は彼女に口を開いていた。どうも疑問を覚えて仕方がなかったのだ。


「自宅の回線から繋がるぞ。それかSSH」

「せきゅあしぇる…って何――」

「調べろ」


 コラツルは彼の疑問を、抑揚の無い声で断固と遮る。


「……口強くない?」


 軽太は顔を微妙そうに顰めて指摘する。


「そら毒牙持ちじゃし」


 コラツルは不機嫌からアニメの方を見、軽太の声を半分聞き流していた。


「……。口悪くない?」


 軽太は呆れ笑いを浮かべつつ言い方を改める。


「技術エアプにトラウマがな」


 コラツルは重い口輪を下に向け、頭に巻いた布をタブレットの方へと垂らす。


「まだ未プ勢だよぼく」


 軽太は周囲の米ごと、ゴキブリの塩焼きを舌へと放り込んだ後、彼女の方を睨んでいた。


「済まなんだ」


 間を開け、コラツルは作業を再開した。


「何があったのさ」


 軽太は他人への詮索を嫌うし、普段の彼なら問うことはない。彼は単に強い退屈を覚えていた。平日の酉前の時間帯は彼一人であるし、外出が望ましくない都合上フラストレーションの発散も上手く叶わない。故に彼女の態度が妙に、ストレスフルなものとして感じていた。


「キューガの奴」

「はあー」


 軽太は全容をおおよそ理解し、ぼんやりと手に取った器の中身を眺める。


「昨日に謝ったんじゃけど、まだ返信がなくてな」


 彼女はふと顎を上に上げた後、テレビの方を凝視する。


「え、謝ったの」


 軽太はふと彼女の方へ振り向こうとし、器の中のひじきを溢しかける。


「うむ?」


 彼の様子などいざ知らず、コラツルはただ疑問符を浮かべる。


「あ、おめでとう」


 軽太は彼女の表情を見、返すべき言葉を言う。


「?」


 コラツルは軽太の言う意味がよく分からずに居たが、不条理が連続するシーンに気を取られており、訊き返す気がない。


「ちなみに、何書いたの?」

「事情を知らなんだ事へ詫びたのと、自己紹介」


 彼女の視界に入るものは変わっていない。ただ受動的に返答をする。


「……ええ?」


 軽太は味噌汁を飲み干した後、適当なリアクションを返す。


「前提が食い違っとるように見えたのでな」


 テレビがアニメの終わりを知らせると、コラツルは再び下を向く。コラツルにとっては『規格書等の説明書無しで自分を運用させた』という認識以上はないし、そこが彼女として謝罪をすべき理由であった。


「まあ、うん。コラツルっていつ起きてるの」


 軽太は詮索という名前の会話を続ける。狭すぎる、カータクの長屋への憂さ晴らしとして十分ではない。とにかく彼女と会話がしたかった。


「10時半」


 コラツルはタブレットとすぐ横にあったリモコンを持ち、立ち上がる。軽太は酉後10時半の略だろうと察し、午前に換算する。彼女の様相にはぼんやりとしか気付いていなかった。


「……朝の?」


 日も昇らない時間帯であることに気が付き、自身の計算を疑う。本当に酉後なのかも疑いたくなる。


「休日はそうしとる」


 コラツルは『電源』のボタンに指をかけた後、すぐ横にあった尾を回すように振り返る。


「早すぎない?」 

「早いな」

「起きれるの?」

「起きれとる」

「外出れなくない?」

「端末弄っとる」


「……なんで、テレビ点けてたの?」


 軽太は食い下がる。片意地になっていた。


「アニメ見るため」


 戸が自然に閉まり、部屋には軽太一人となる。彼はラジオの原理を気にした頃を思い出していた。食器を片付けようと、顰めっ面でキッチンへと歩いていく。荒々しい様相の食器がシンクへと雪崩込み、底へと打ち付けられる音を轟然と奏でた。この程度で壊れないと知っていたが、軽太は痛快な様子から満足し、暫くは冷静でいられた。

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