1:岶岼市-⑦
行きと比べ帰りにすれ違う車両は多かった。田舎住まいは帰宅の際に車を使わざるを得ない為だ。対向車線を大型トラックやタンクローリーが通過する様を見たコラツルは、『パパにでも見せるか』、と携帯を構え撮影する。携帯に備え付けられたカメラ機能はあまり良いカメラでもないので、光跡も大いに映るし単純にボケも激しい。暗所が潰れる点も厄介だ。郊外に着いた頃には実用に耐えるもののみを残し、後は全て削除した。
カータクはニンゲンと名乗る彼から様々な情報を得た。やはりというべきか、彼の世界はこちらより発展している。例えば、灰色い煙を上げる発電所を珍しがるので、聞いてみた所『核融合発電所しか見たことがない』。車を手動で運転する様子すら珍がるし、清掃用ロボが市街地を清掃していないのにも驚いていた。我々の地球では、ロボットの類はユゴス連邦を初めとした鳥人圏の国がギリギリ作れている程度だし、実用化には程遠い。彼は道路や建物が地下を貫かない事も不思議がっており、相応に大気の状態が悪いのかと思い訪ねた所、『経済的に重要な地域は地下に設けられている』、とのこと。核シェルター代わりにもなっている、とも。
最初に彼からこの国の印象を聞いた時の返答が忘れられない。
しかしまあ、最先端の方々も全部を理解している訳ではない。一般人だったという彼は言うまでもない。どうやってこの世界に来たか、を聞いた所彼は難色を示した。本当に分からないと返す。なぜこの世界に来たか、も上手く言葉にできないという。そもそも異世界が実在するなんて知らなかったとさえ言っている。異世界に関する情報の協定でもあるのか? 記憶を無くしているように見えるが、ニンゲンの世界の倫理はどうなっている?
カータクには、彼の元いた世界がなんでもありの世界だとは思えない。実際、日本を含む文化圏の国の間でも複数のトラブルを抱えていたというし、宇宙開発関連には利権が大いに絡んでいたという。記憶を完全に消す技術があったとして、乱発出来るものではないだろう。コラツル曰く哺乳類に近いようだし、本人の口でも生命はDNAが基になっているという。そんな生物の記憶の仕組みが我々と大きく異なるとは思えない。記憶というものは脳内を巡る電気信号のパターンによって定まる。故に重要な情報の1つ2つを破壊したところで復元可能だ。多くの情報が破壊され、通信経路たるシナプスの数も絞られる認知症患者ですら多少の事実は言えるのだから、植え付けるならともかく、削除するならば脳細胞同士の結合全てを操作しなければ削除など出来ない。軽く組合せ爆発だ。まあ、そこまで出来る世界だった、というなら反論不可能だが。そこまで出来る世界じゃないと彼が言い張ったとして、彼の脳から消されているだけかもしれない。聞くだけ無駄だ。
コラツルの家はよく覚えている。郊外にある家で、カータクの棲むアパートからは16キロ程度しか離れていない。本通から外れる地点に到達し、カータクは『そろそろ着くっすよ』と二人に呼びかける。しばらく道なりに運転し、白い壁に囲まれた一軒家がカータクの右隣に映される。
スズスハ家だ。コラツルはシートベルトを外し車のドアを開けた所、寒風がコラツルの服に張り付いた。カイロの発熱時間が切れたようだ。
二人は、軽太も後部座席から外に出たのを確認し、カータクは排気ガスとエンジン音を静かに鳴り響かせる。
コラツルは早急に家に帰り、風呂に入ることに決めた。このままでは間違いなく体が凍りつき動く気を無くす。まず、灯りがついていないことから父は帰宅していない。とっとと玄関ドアの施錠を解き帰宅する。スライド式ドアの乾いた音が場に溶け込む中、リュックサックを早急に床へと下ろす。軽太が土間に入るや否や、『リビングで待っとれ、好きに使っていいが壊すな』と伝言し、そのまま廊下を這い回る。
脱衣所にて、風呂釜の給湯器のスイッチを入れ、『お湯貼り』のボタンを押す。風呂が炊くまで2分ほどかかるのだが、待つ気にもならず脱衣し、そのまま風呂場へと入る。彼に暖房を付けるよう言うべきだったが、恒温動物でも寒いもんは寒いし、暖房の使い方くらい自分に聞くだろうと信じ浴槽へ浸かる。
彼女の手足に湯が割り込み、悴んでいた指先が解けてゆく。上腕と脹脛の半分が浸かったくらいで片足を上げ悴んでいた指を曲げてみる。機敏に動けるようになった。ちょうど半身が浸かる頃に『お風呂が炊けました』と電子音が鳴る。
コラツルは手足に加え、よく頭を洗っておくこととした。体に掛かったオニカナヘビの体液はすぐに拭いたのだが、やはり衛生的に怖い。大小様々な彼女の鱗が、温厚な質感の湯によって洗われてゆく。浴槽の中が朱く染まることはなかったが、一安心だ。血の付いた服はカータクが引き取り洗濯してくれるという。そういえば、コラツルは頭に巻くタオルについて何も言っていなかったのを思い出した。血について何か聞かれたら、友人が怪我したからハンカチ代わりに使ったと言い張ることとしよう。
「スズスハさん? だよね」
軽太は脱衣所と風呂場を仕切るチェッカーガラスの扉を開ける。右手にリモコンを持っている。『これの使い方が分からない』、とかその辺だろう。
「使い方は電源を押してから――」
「暖房ってどのボタン?」
と軽太は言い、リモコンをコラツルの方へ差し出す。『文字読めなくてさ……』ともぼやいていた。
「……四角の枠で囲われとるところの左上のボタンを何回か押せば良い。スクリーンの矢印が上から2番目になれば暖房になっとる」
彼女は立ち上がり、何の説明を要求されているか確認した上で説明をする。矢印ボタンは温度調節なので触れるなとついでで言っておく。数字が読めない以前に、彼の思うの『0度』が我々の『0度』なのかさえ分からない。変な温度に指定されても修正が困るし、手元に書けるものがないのに数字の字形を伝えるのも困難だ。
「暖房付けていいの?」
と、軽太は疑問文を発する。彼は電気代を気にしているようだが、どうせコラツルも使うので関係ない。
「勝手にしろ」
最初から聞けと言いたいが、そういう情報共有の仕方をする種族だと思い我慢することとする。
「それと、風呂一緒に入って良い?」
軽太は目をつむり首を傾けている。一日風呂に入っていなかったので相応に不潔だし、風呂に入る権利くらいはあるだろうと彼は見積もっていた。
「……儂16じゃぞ?」
コラツルは彼の価値観を疑う。種族も違う彼に性的興奮を覚えることはないが、向こうが『そういう種族』であるのかもしれない。法的に駄目な行為であることは伝えておくべきだろう。
「え、……16だったの?」
コラツルは彼の角膜が萎み、結膜のスペースが増えたことを見逃さない。彼女の推測では、ニンゲンないし彼は驚いた時に角膜を縮ませがちだ。
「お前、いくつ?」
そういえば彼の年齢を聞いていなかったのを思い出した。年の功ほど勝手に物を言うものはないので、コラツルとしてはどれくらい彼のモラルを信じてよいかを見極めておきたい。
「12です、小6」
と、軽太は頬を緩ませて答える。小学校が6年制なのは東果も変わらないようだ。
「お前らの第二次性徴期はいつじゃ」
コラツルは彼の顔を凝視しながら質問する。
「まだだけど……って、何聞いてるんすか」
急に何を聞き出すんだ、と困惑している。別に性的な話に恥じらいを覚えているのではなく、『年齢的に彼女から聞かれると想定していなかった』、のベクトルの困惑だ。
「……別に入っても良いが、お前の体が温まれん」
彼の申し出を許諾することにした。彼女にとって裸とは社会通念として見せてはならないもの程度の認識でしかなく、実際に見られても何も思わない。性欲の概念も無い相手ならば社会通念に則る必要性もない。
「もうちょい沸かしていいかな」
ただ、この水かさでは彼の体が十分に浸かることはない。彼は給湯器のボタンに手をかけたフリをする。
「ああ、ちょっと待て。儂がお湯入れる」
と言いながら、コラツルは一度軽太のそばに寄り操作を行う。彼女自身は風呂釜に備え付けられた台の上で寝そべってればいいので、溺死の心配はない。
お湯を払わなかったので、彼女に粘りついていた水滴で軽太のズボンと服とが少し濡れた。怒りたくなったが、そもそも人の家を使わせてもらってる立場なので我慢する。
風呂の水嵩が増し、彼女は台の上で湯浴みしながら今日やるべきことを思い浮かべる。そういえば父の許諾を取っていない。コラツルは後で電話することと決めた。
☆
天井の照明の紐を引っ張り、灯りをつける。棚上の航空機のフィギュアが彼女を出迎える。左手で机に転がっていた多色ボールペンを拾い、スケジュール表をめくり、无の欄に加筆を行う。コラツルにとって既に予定は完全に決まっている。軽太というイレギュラーこそ入ったが、彼にとって留守番が困難なら彼を連れていけば良いと思っている。酉前の3時から酉後の1時まで、大雑把な予定をしっかりとした筆圧で書き込んでゆく。一方、今週のページにある、
コラツルは、彼女の口を抑える竹の口輪を外し、机の引き出しの中に入れておく。彼と共に風呂を入ると決まった時からずっと嵌めていたのだが、自身の毒牙一つで幼い彼は死にうる。飲食中以外では口輪をしておくこととした。付けっぱなしで居るのも睡眠の質が下がるので、自室は例外とし、かつ軽太には勝手に自室に入らないよう厳重に言った。
風呂を共にするのも今後は控えるよう言った。というのもコラツルの口輪は一部に革を使っている為、風呂場に持ち込むと浸水して使い物にならなくなる。一々パパのお古を使うのも面倒くさい。こういうのは偶にで良い。
机においていたタブレット端末を左手に取り、パパの電話番号を入力し通話ボタンを押す。しばらく通話を試みる電子音が鳴ったのち、プツンと繋がる。
『もしもし』
蛇人族の男の声がタブレットから発される。音質が悪いと云えど、馴染み親しんだパパの声だ。
「家の問題で、しばらくうちに棲むって子がおる」
タブレットを手に持ち、布団の方へと向かっていく。
『ほう』
「しばらく家に住まわして良いか? 彼、他に身寄りない」
タブレットを手から離す。彼女の赤い布団に衝撃は吸われる。
『んー……何歳くらい?』
「12」
床に座り、タブレットに口を近づける。フウギはしばらく躊躇う後、口を開いた。
『うーん、まぁ泊めてええぞ。パパ今日は遅えでな』
フウギは意外と暢気な人だ。大抵の娘の行動は許してくれる。
「切るわ」
事後承諾が成功したことを知り、コラツルは電話を切る。
『おう』
フウギの声がしたくらいで、彼女の手は切電ボタンに触れていた。
☆
コラツルは寝巻きに着替えながら、今日やるべきことが他にあるか思い返す。歯は磨いたし、夕食は軽く採った。風呂も入った。あとは明日の学校の用意をするだけか。着替え終わった後、バッグの中を入れ替えていく。
飲みかけのお茶のペットボトルの蓋を開け、口の中へとお茶を流し入れる。そろそろ就寝しても良い頃合いだと思い、電灯を消す。布団の中へと這いずり潜り、枕に自分の顎を当て瞼を瞑る。
彼女は寝付けない間に考え事をすることとしている。そういや、軽太は文字が読めないと訴えていたのを思い出した。幼児教育向けの書籍は家にないし、『妣國の図書館』でも与えて音読するべきかと考えた。たしか、リビングの本棚に置いてあった気がする。大分古いものなので文字がかすれている可能性があるが。最悪著作権切れしているだろうし、インターネットにある文章を読み上げればよいか。しかし、何故彼は口語は話せるのか。ネイティブレベルではないにしろ、不自然に聞こえない程度には巧い。カータクは記憶操作を疑っていたが、考えすぎだろう。恐らく勉強するだけで言語習得が出来るタチだ。カータクも大して、プログラミングをしている訳でもないのにユニ言語が使えるのだし。サーバー建てるのが面倒臭い。学校のやつ間借りしたい。
暫くした後、彼女の意識はレム睡眠へと移っていた。
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