杜籠県

前編

2:杜籠県-①

 酉後7時。真夜中も真夜中な時間だ。

 スズスハ・フウギは駐車スペースにて自動車のエンジンを止める。シートベルトを外し前ドアを開けた所、寒気が暖房の入り切っていた車内へと押し寄せる。

 再加熱式カイロがまだ機能していることを確かめ、速やかに自宅へと帰宅する。


 帰宅してすぐ廊下に灯りをつけ、口輪入れへと自身の口輪を入れる。そういや惰性で竹製のものを使っていたが、耐久性の問題でアルミ製に換えたのを思い出した。コラツルは頭に重量がかかっている時の方が冷静になるというので金属製のものを与えたんだったか。

 床に置いたバッグの取っ手を口に加えるまでに誰かが出迎えることはなかった。3ヶ月の巣篭もりを経てようやく娘に会えるようになったのだし、もうちょっと優しくしてもいいのに。などと内心で愚痴りながら台所へと向かう。床が冷たくフウギの両手足へと突き刺してくる。手袋と靴下を履いていてなお冷たく、もしかしたら気温は2桁を下回ってるかも知れない。縁側を通ることなど想像もしたくなく、可能な限り室内のルートを通ることと決めた。


 台所に辿り着き、然るべき場所でバッグを口から離す。ドサッという音と共に内容物が溢れる。すぐさま涎の付いた取っ手をハンカチで拭き、ミントの芳香剤でも付けておく。ちょうど台所なので衛生用品には困らず、棚を開ければすぐ手に入る。立ち上がって冷蔵庫を開け、特にラベルを見もせずに缶詰でも手に取る。

 サバの水煮であることを確認したのち、プルタブを爪に引っ掛け缶を開ける。内容物を皿に乗せ、そのまま電子レンジの中へ容れる。本来の加熱時間は2分24秒となっているが、少しでも温かいものが食べたいので『+6秒』のボタンを2回余分に押した。電子レンジがガラス越しに黄色く光り、次第にジワジワと水分が飛ぶ音が立ちだす。


 調理が完了するまでの間は『マキタエゴ』のLTLローカルタイムラインでも眺めておくこととした。フウギにとってインターネットとは人の観察に医療従事者との交流、あと戦闘機や乗り物、重機等を眺める為程度の付き合いであり、国産のミニブログはどうも肌に合わない、ゴシップを吐かない類の人物であれば信用しているし、彼らを馬鹿にするつもりは決して無いが、即物的に騒ぎ散らす烏合の衆の中に居たいとは到底思えない。


 電子レンジからブザーが流れ、場に流れていたファンの音が弱くなる。数秒遅れで飯が炊けたことを察知し、取りに向かう。無線PANに繋げば食べながらでも携帯の画面は見れる。まあキーボードまでは持ち合わせてないし、食べるものが食べるもの故手が汚れるかもなので、動画サイトにつくった自作リストでも上映することとした。どうせ娘も自分に構ってくれないものだし、ここで寝落ちしても良いだろう。


 PANに繋ぐ設定をしようと、盆を持ちながら身を屈めたときだった。


「……?」


 フウギはふと、福笑いでもしたかのような顔をした何者かがこちらを向いていることに気がつく。

 黒い鬣と黄色に似て異なる肌をし、白い結膜を見せるその生物はとてもこの世の生き物と思い難いし、そもそも我が家に自分とコラツル以外の者が居るわけがない。無視しようにも無視できず、とうとう幻覚でも見たかとフウギは目を擦る。しかしその存在はそこに在ったままだった。よく見ればちゃんと影を落としているし、風呂上がりの娘のような匂いを発している。


 やがて向こうに居る誰かは気まずそうに後退って行った。一瞬外人が強盗でもしに来たかと疑ったが、異邦の人が我が家を標的にするとは思えない。自分の部屋にあるものなど一般的にどうでも良い部類であるし、それ以外も100ていショップに行けば良い部類のものだ。医師の勘だが、さっきの人は蒼尾族に似た精神性に感じられるし、病的な人固有の挙動にも思えない。蒼尾族の大半は精神病を煩わせると衛生観念に欠けるか病的に意識しだす為、ああも自然に清潔な感じを出すとは到底思えない。


 ふと娘との電話を思い出す。 彼か彼女か知らない存在を納得したフウギは、夜食にありつくことを優先した。


 ☆


 4月15日、酉前4時。

 水主軽太はマウスカーソルを握り、東果国で使用されているとされる文字の群列を選択する。現時点では辛うじて訓読点と約物が判読できる程度である。

 一文が選択されきったところで右手で特定のボタンを同時押しする。現時点の軽太の知識でも理解できる情報として選択した箇所の文章が読み上げられる。

 

 今手元にあるPCは借りている部屋の中にあったものであり、たまたま電源が入ったので勘で使っている。最初は適当にファイルをクリックして色々調べようとしたのだが、まあ何も理解できない。幸いだったのはマイクの描かれたキーが音声入力を使う為のキーだったことだろうか。軽太の声質では音声認識に拾わせにくいようだが、数十回ほど試した所受け取られ方の癖が見えてきた。そして今は検索には手間取っていないくなった。


 軽太の持つ僅かな言語への知識と照らし合わせれば、少なくとも東果語は日本語に似ている。SVO型だし、修飾語が非修飾語より前にかかることや、概ね助動詞や助詞の類は動詞/名詞の後ろにつく点、濁点のような記号の存在等、箇条書きすれば日本語そのものである。共通項こそ見いだせるものの、所詮似てるである。まず仕組みからして軽太の慣れ親しんだ平仮名片仮名とは微妙に異なるし、観察した所漢字ほど文字の規則性に乏しいように見えない。

 『文字』と入力し、検索結果へ下へと潜らせ片っ端からリンクを踏んだ所、(子音+)母音(+子音)で一文字を表記することや子音に濁点が付く等の表記規則は把握した。多少の不規則を除けば表記通りに読めば良いだけであり、文章を読み上げること自体は然程困難でもない。英語程理不尽でないことに彼は少しだけ安堵した。


 ただタイピングや肉筆での表記となるとそうも言ってられない。とりわけ軽太の中で厄介だと察したのは縦書き、横書きの存在だ。横書きこそ朝鮮語の表記法を複雑にした程度の存在なのだが、縦書きは横書きと大きく表記が異なる。そもそも縦は続け文字になるので読み上げにくいし、サイトを読んでも仕組みがよく分からない。幸い横書きが主流なようなので当分問題になることは無いと見切ってこそいるが、軽太にとっては分からないことが正直悔しい。


 他にコラツルに聞くべきことを挙げれば、東果文字ではない文字の存在だろうか。たまたまコピー&ペーストの方法がわかったので適当に数文字ほどサンプルを取り検索欄にペーストしてみたのだが、検索結果は全て東果語でない何かで覆い尽くされていたので深入りを諦めた。ノートに字形だけ書き写してあるので、見せれば何か答えてくれる筈だろう。


 因みに、軽太は『ニンゲン』と手打ちしてみたが、0件の検索結果を突き返される。やはりこの世界には人間が居ないのだと再確認した。



 その後も5、6時間ほど軽太はパソコンと格闘していた。この世界について何も知らない以上、外出は相当にリスクが高い。車道の仕組みからして自動車に轢かれて死ぬ可能性が高いし、見えないリスクがあると考えると到底出たいと思えない。そこで情報を集めることに徹することとした。『東果』と検索してみた所、東果列島に関する情報が見つかった。ワグンローデア大陸から東へと海を泳いだ先にある列島らしく、その様相は日本列島を連想させる。国旗も掲載されており、『●』を含む点では共通している。とはいえ、それ以上に有意義そうな情報は見つからない。というか、恐らく日本語でも把握できないだろう。


「ーーーーーーっ!」


 例えばwikiは概要半ばで読むのを投げ、気がついたら肩を伸ばしていた。固有名詞が多すぎて理解できないし、そんな長文読むくらいならお外に行きたい。


 外出願望に駆られた彼が次に行うことは画像検索である。擬似的にでも願望を発散したくてしょうがなく、家を適当に右往左往し冒険ごっこでもした末に思いついたことだ。『岶岼市』、『杜籠県』等、覚えている限りの地名を検索欄に打ち込むことだった。夜中通った時といえば、東果国は日本の田舎の風景が延々と続いているように思えていたが、実の所は大きく異なった。建築技術こそ発展しているし、重機の類も散見される。ただしそれにしては非常に伝統的な様式が守られ続けている。例えば町中のお店は歴史の教科書に乗っている町家そのものだし、オフィスビルの外見は城や多重塔を連想させる。暖房の方式に関しては北海道地方のそれに近いし、高床式住居も散見される。

 端的に表現すれば、日本列島らへんの文化を共時的に眺めた上で一緒くたにしたように見える。そういえばコラツルは作務衣のような服を来ていたし、カータクは薄い生地の甚平の上に洋服っぽいものを来ていた。現実世界では産業革命後に衣類の形式が画一化されたというが、この家にパソコンが3台ある以上は産業革命相応の出来事を経ている筈である。

 古典的なライトノベルにありがちな内容だが、『異世界が常識的な方がおかしい』。軽太はこれ以上深入りしないこととした。


 やがて調べるのにも飽き、軽太はBBSやSNSを眺めていた。コラツルの態度からして、この世界の住民は会話を情報共有手段としかみなさないタチなのかと軽太は疑っていたのだが、翻訳してみると特にそうではない。人間相応のゴシップやナンセンスを好む様を見て、軽太は恐らく学校も本質としては変わっていないのだろうと想像する。ふざけあえるならぼっちにはならないし、これならぼくは学校に通っても大丈夫そうだ、と少しばかり期待する。

 そしてやはりというべきか、TLに添付された画像に映り込む手脚は断じて人間のそれではなく、爬虫類らしい色の鱗と、暗い色の爪でしかない。軽太はこうも人間が居ない写真ばっかりで、流石に身内が恋しくなっていた。


 よく分からない文字について、軽太はコラツルのお父さんだというフウギに訊いてみることとした。坵暁文字といい、東果国を含む苙圻りゅうごん文化圏に於いて標準的な文字として採用されているという。仕組みが単純であり学習しやすいしコンピュータで描画させやすいからとのことだ。


「ほぇえー。らてん文字、かー」


 フウギにとって、自らをニンゲンと名乗る彼の話はとても興味深い。とりわけ『ラテン文字』という表記体系が余程の僻地でもない限り使われるという話は信じがたい。


「ニンゲンってさ、人付き合いも良かったりする?」

「うーん……そんなこともないかも。田舎に隠居してた方もいらっしゃいましたし」


 彼が威嚇を言い切る前に、フウギは自分の甘ったれた認識を訂正することとなった。抑、彼の世界は大半がニンゲンで構成されているという。故に人同士が啀み合うこともない世界だったのだろうか、と想像していたが見当違いも良い所だった。

 彼が想い直すに、恐らく、こう苙圻りゅうごん民衆群国のような問題が彼の星全土で発生しているのだ、同一種族による思想浄化合戦は不毛以外の何者でもないし、中々に終末な世界に違いない。


「まあ……ぼくの友達は、ね。あんま思い出したくないです」


 フウギは彼の意を汲み、これ以上聞かないことにつとめた。誰の考えた理想の世界もどうせ実用に耐えないのだろうと落胆する。

 実のところ、『しょうもない人間関係ばっかだった』という言葉は耳に届いていない。


「てか、泊まってて大丈夫なんですか?」

「見つかんなきゃいい」

「えっ」

「まーなんとかなるっしょ」


 『難民申請とかその辺で』と宣うフウギを前に、軽太は顔を青くした。

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