2:杜籠県-⑪
カーラは毛布の中に埋もれ、意志には反して動く両翼に反して飛ばずに居た。羽の中の爪に擦れ、赤黒い繊維が剥がれる。
唐突な部屋の揺れから地震だと察知し近くの毛布に潜り込んだのだが、妙な違和感を覚え出られずに居た。とうとう戦争にでもなったかと、安全地帯に居ながらも啼き叫んでいたのである。
鳥用フードに包まれた脳は、理知的思考を巡らせるには十分であった。――東果国は地政学上、単独では大して強くはない。だが、保安上の欠点はユ連で、経済は民衆群国で埋め合わせを行うその国家戦略は、歪ながらも双方から手を出せなくしている。ユ連も科学技術方面で支援を受けており、双方の文化圏に属する国にも芋づる式に恩恵関係が結ばれていると父から聞いた事がある。ユ連と民衆群国は仲が悪いものの、戦争に至らない要因の一つにこの国の存在が挙げられる。
一番の要因としては、プライド如きで内紛を起こす程ならば、外に向けるべきという共通認識がある為か。一瞬、東果の裏側にある国々の連中を疑ったが、数国を除き、彼らに核を造るほどの技術力は確認していない。その数国にしろたかが東果に落とすと思えないし、せいぜい原子力発電所を意図的にメルトダウンさせる程度だろう。そもそも山に自爆フラグを置くほど東果政府は愚かではないし、不正な目的で列島に近づこうものならば機体問わず撃退されている。パニック状態で思考が巡るのに一分以上掛かることもなく、今はPC画面と床に置かれたキーボードを首を振りながら見ている。自動切替盤の表示は蒼いランプを光らせ、非常用電源は作動していないことを示す。インフラが通っている以上、上記の可能性は皆無に等しい。
どうして急に揺れだしたか、気掛かりとなり、布団から這いずりでた後に部屋を翔び立つ。生活感のある壁紙が部屋の外で途切れ、無機質な剛鉄の壁と階段の縞鋼板とがカーラの嘴を突き刺すように見せてくる。彼としてはこの秘密基地感が好きだ。瞬膜も閉じずに徐ろに着地し、ハッチのスイッチを押す。非常時でもない今は空気が外へと溢れ出すことはなかったが、慣習としてカーラは手摺を掴む力を強めている。
地上にある入口は、コンテナによる軽い防護が成されている。脱出不能にこそ到底至らない設計になってはいるが、防護には難があると父から聞いている。先程の振動は内装を乱したようで、軽い工具類が硬い床へと散乱し、中にはささくれた金属やガラスの枝に破片がカーラの方へと顔を向ける。幸い飛び散っていなかったので、カーラは足で細かいものを跳ね除け避けるように歩く。
ドアに足が届くすんでの所で、真下のカッターに付いた血液を目にして身を固める。何故ここに血の跡があるのか理解が出来ない。彼は普段から地下室を自室のように扱っているのだが、友人以外に存在を知るものは居ない筈だ。
はて、誰が侵入した? 眠るように、首を真後ろに振り向かせるが誰も居ない。『まさか上?』と勢いで見上げてみたが、白黒の吊り天井があるだけだ。
何処にも居ない。居るべき不審人物が居ないことに、カーラは安静を保てる自信を失くす。一瞬、自然災害の可能性が脳裏に浮かんだが、山火事にしろ臭気探知機が感知するだろう。
どの可能性も浮かんでは棄却され、幼いカーラの精神は堪えられずに居た。気がつけば風も吹かない大気を翔び、ドアノブに脚を掛けていた――
☆
「――お、開いた開いた」
待機していた彼は、ひりつく右手から左手を離し、両手とも飛び出した何かを掴むことに全力を費やす。
「は? おいちょ待――」
カーラの灰色の脚が、出入り口の横から飛び出た黄色い両手に握られる。嘴で頭を突き離させることを考えたが、ヘルメットを視認した瞬間に諦めが付き、すぐさま標的を腕へと変える。
「そうはいかねえっすわ」
カータクが思うに、彼は服装を乱し整えさせようといたのだろう。そして両手を離させて飛び立とうという魂胆だ。彼は両手のうち、右手を下へずらすようにして外し、右手でカーラの嘴を掴む。実のところ、カーラにそんな意図はない。
「――! ――……」
しばらく、不快な両手の拘束から逃れようとカーラは藻掻いたが、息切れし脱出を諦めた。ユゴスの文化圏上、体罰はそこまで忌避されていない。とりわけカータクは漆鳥族のホームビデオを見たことがあるが、何時思い出しても虐待に見えて仕方がない。
さて簀巻きにする道具を壁に見つけたカータクは、抵抗を諦めたカーラの翼を包む。実際彼らの文化圏でも過激な躾であるし、『ここが東果国である』という認識がなかった場合の悪い想像をしては先端のない尾を振り散らす。
漆鳥族一般として、罪悪感を持ち合わせにくい。カータク視点でカーラは顕著な方に思えるし、実際、折檻対策として、こうも陰でトラブルを起こしているのではないだろうか。といえど、東果国民のカータクとしては踏み込む気はないし、この拘束にも逃亡させない以上の意図も込めていない。キャンバス地の布に巻かれたカーラを机の下に置く。斬り付けられたと言い張れば正当防衛だろう。カータクは少しの間、言い訳を考えていた。
「何、ナイラスくん。ショタコン?」
カーラは一層、息を荒らげながら声を発する。蒼と黄色をした彼は、麻の葉文様の手提げを背にして漫ろ歩きをしている。
「なんで苗字なんすかね」
呂律の淡い声の解読にカータクは数秒をかけた。彼は乱れた配置をした棚を物色し、少ししてから興味をなくす。
「何、カータクくん。ショタコン?」
不格好な顔で文句を垂らす彼を睨みつけるも、彼はその萎え萎えしい鳴き声には耳を貸していない。
「なんすか、このトラップ」
一旦、手提げを床に寝かせ、適当に、床にある光るものへと手を伸ばし、床に寝転がしたカーラの嘴へと見せつける。カッターだ。黄色を基調としたそのボディは小学校を連想させる。刃には僅かながら、鈍い色の血が付いている。爪で撫でた所、先だけが朱く染まった。
「入ってくる方がおかしいだろー」
反射的にカーラは抗議しようと彼に飛び掛かろうしたが、翼も伸ばせない以上は少し、跳ね転がる程度であった。カッターのトラップなど仕掛けた覚えがない。どうせ、先程の揺れでドアノブに掛かっただけだろう。
「ギロチンぐらい落としてくれたら面白かったんすけど」
カータクは突っ立ち肩を伸ばす。重心に違和感を感じた後、自分が先程自切したことを思い出す。どうせ二週間もすれば生え変わるが、何度やっても慣れないものだ。
「死ぬけどそれ。パパに怒られるし」
カーラは正気を疑う。実際カーラも、父に罰された事は二度と行わない。父が嫌いではないと悟ったカータクは、態度をコラツルと比較しては小声で愚痴を反射的に垂れ流す。
「――あーお前も大概っすよ。怪文書送り付けちゃってさぁ」
「怪文なんて酷いなぁ――」
急に言葉に言葉を重ね捲し立ててくる彼に対し、カーラは脊髄反射でだけで応答を返していた。
「全く、公務員を敵に回しちゃダメっすよ。爆破予告なんてして回っちゃって――」
「は? 言いがかりひっっど」
「送りつける胆力は認めるっすけど」
「公務員って何。爆破予告なんて送るわけ無いじゃん」
反射的なまま、カーラは愚痴る彼を貫くように怒鳴り散らす。
「送っただろババアに」
カータクの耳に彼の鳴き声は入らず、相変わらずの態度を続ける。
「ババアって誰だよ」
もう一度、カーラは彼を貫くように怒鳴る。こうも蒼尾人はやりにくいのかと思いつつ、ベルトを解かんとする嘴に力を入れる。彼は母国に居た際は折檻道具を都度破壊していたが、東果に来てからは破壊するわけにもいかなくなった。蛇人は酔狂なことで、小柄な者はわざわざ拘束されにいく。実際その状態になった彼らに悪戯するのは楽しい。例えば数滴、布に温水を垂らされるだけで暴れだすのはとても愉快であるし、母国連中とは違いワンパターンにならない。自分から快感情を棄てるような真似をしようとは、カーラには到底思えない。
「本当に送ってないんすか?」
一瞬、カータクは自身の思考を疑った。
「パソコン見たら? オレの」
カーラの呆れ声を最後に場に沈黙が走る。寒くも暑くもない室温だった。
「……。あー。あぁーやべえ。プライバシー権でしょっぴく気だ。このガキ」
カータクは腕を鳥のように広げた後、カーラを簀巻きにする布を持ち上げる。
「児童ポルノより軽いじゃん?」
低いトーンに低いトーンを重ね、勝ち気に鷲掴みにする彼を一瞥しようと、首を反時計回りに動かしていく。
「お前のパパごとしょっぴかれるっすけど。児童虐待で」
カータクは彼に腹を向けさせようと、無意識に手首を回していた。述べ5つの、彼を留める金具が顔を見せる。
「治外法権だぞーここは」
首を器用に動かし、同じ角度を向くように心がける。カータクは常に視線が合わさる様に気味を悪くし、腕の力を強めていた。
「だから脅迫してもオーケーなんすねー」
カータクの右手がカーラの胴体を圧迫する。こうも理解不能な思考の元に癇癪を起こされたら不愉快であり、鉄灰色の嘴を蒼い目へと向け威嚇する。自由に翔び立てたなら、彼をそのまま精神科送りにしてしまいたい。
「スズスハって人には送ったよ、ウッザ! おじさん」
発作混じりな不快な眼で、感動詞を嘴から撒き散らかす彼の言葉を耳にし、カータクは腕の力を弱める。しばらくした後、彼の入った簀巻きを両手で包むように持っていた。
「肉筆で送ったっすか? ババアみてーな人に」
ああも悪びれた自分が厭で仕方がなく、躁的に笑みを浮かべる。実際、彼は『自分は正しい』と言外で伝えるためだけに、勢いで質問という体で話しているだけだ。
「うん、水色ババア!!」
足で床を打ち揺らすカータクに対し、ただ大きい声を出す。意味内容はおまけである。蛇人では無いので伝わるだろうと見込んでいたし、彼は期待する通りにした。
「……。どーやって特定したんすかねー」
野暮ったそうに灰色い空気を二・三度、肺に入れた後、カータクは左手を耳に当てる。器用にカーラを掌から落とさないよう、手癖で心掛けていたが、巻物を落とすような触感から背筋が凍った寸前で再び彼を抱え直してしまった。カーラの目が彼に突き刺さって来る。先程まであった焦燥感は忘れ、ただ筒から顔と脚だけを出す彼を『可愛い』と感じていた。
「パソコンで頑張りゃ出来るでしょ」
「へー。めーっちゃすごいっすね君」
カータクは白い歯を彼に見せつけると、枝状の脚のすぐ近くに括り付けられたベルトの金具に手を触れる。
「……犯罪褒めて大丈夫なの?」
ベルトが外れた途端、脚に掛かった開放感から脚をジタバタさせる。カーラからすると、彼の態度は蛇人に近い。少なくとも、坵暁国に生息する蒼尾人とは相容れないものを感じる。
「警察も同じことやってるっすよ」
カータクは再び右手に彼をゆるく握ると、左手をベルトへとかけ始める。口を開いた瞬間、主語として『俺ら』が思い浮かんでしまったが、同族に良い思いをしていない彼はすぐに主語を改めた。
「うわー、ヤバい人みたいなこといってるー」
さて、外された金具はベルトと共に左右へと垂れ落ちるのだが、その様子はカーラの耳には入っていない。
「ヤバい人っすよ?」
最後のベルトを取ろうという際、カーラが金具に嘴を付けていたことに気が付く。そのまま、彼を簀巻きにしていたキャンパス地の布は重力に従って左右に広がる。
「つーかさー、そんな反社会的なこと言って大丈夫なのー? 君」
カーラは自由になったと知り、適当なタイミングで、バターを塗ったパンがひっくり返るようにしてカータクの両手から翔び立つ。
「はは。思い通りに進みやがる世界なんてゴミじゃねえっすか?」
カータクは、飛び立った鳳を夢うつつのように見届ける。暗黙の文脈を明示するまでもなく、カータクは理想の世界に感傷を覚え切り、フリーハンドに手提げで遊んでいた。
「分っかるー!」
カーラの羽音や堅い着地音は最早耳に入っていないし、全力の共感を示す様子から何まで、網膜から先へと進もうとしていない。
「世界なんて皺だらけなもんよな。全力でアイロンかけりゃ治せる程度の皺なのに、誰も治そうとしねえし」
カータクは仄かな夢を大昔から抱いていた。『同じノリの友だちが欲しい』。蒼尾族にとっては些事のような夢であるが、同族を友好関係の対象から外す彼にとっては叶わぬ夢にも等しかった。法典並に我が分厚い蛇人に、人を釣り餌のように利用する汽陸人にとでは叶いそうにもない。唯一価値観こそ合う北夷人の彼女にも理想を語れた試しがない。
「うわ、痛い中二病だー」
そんなカータクのことは他所に、カーラは毛繕いを始める。まずは胸毛の、皮由来の埃から取り除いて行く。
「ま、ただの大学生っすよ」
引き続き、彼は夢うつつの気分のままである。
「うわ、痛い大学生だー」
グルーミングの最中、適当に合間を縫って言葉を鳴く。実際、カータクは寝起き程度には見当識を取り戻しつつあるが、やはり彼は共感性羞恥を覚えさせるスキーマの塊でしかない。
「そんな奴が人の家特定してくる東果なんて、ねえ」
カータクは自分の夢に理解を示すカーラに対し、強い親近感を覚えていた。同族連中には共感されようもないし、他種族ともどうも、根本が噛み合わない。
「楽しそうじゃん」
カーラはようやく、虱の入った全ての部分を終わらせ、彼の様相の方へと頭を向ける。
「だから保護しに来るついでに、友人になっとこうかな、と」
ようやく見てくれた彼に対し、カータクは地の優しい顔をしていた。自分を見てくれる人など何処にも居ないのだろうと、強迫的な焦燥感に苛まれた夜は何日、真っ青な光で誤魔化してきたことか。過去の孤独の全てが、単に共感する彼に祓われた感覚でいた。
「母国語怪しいよキミ。発声練習したらオレみたいに」
カーラは自分の嘴を鉛筆に見立て、自身の体温が染み込んでいる拘束具の布へと擦り付ける。
「死罪」
その意図を言語化するまでもなく察したカータクは、走ってカーラを捕まえようとしてみる。
「やーだよ」
カーラは視認するまでもなく翔び立ち、吊り天井に脚をかける。爬虫類では爪先立ちでも届かない高さだ。
「外人風情が文句つけるなや、従えボケっす」
カータクは当然、義務的に飛び跳ねてみるが、当然彼の足元にさえ届くことはない。
「やーだー」
三度四度とカータクは再び捕まえようとしたのだが、カーラは足音一つ、吊り天井から立てることはなかった。
「てなわけで、メルアドくれっす」
一番高く跳ねてみた後に着地し、その勢いのままにカータクは会話を続ける。純粋な親近感さえ除けば、純粋に彼らの情報が知りたいだけではあるし、目の前の夢に冷めてきた自分を繕うように話している。
「やだよ」
冗談混じりに彼の夢想家めいた態度に言葉を返す。
「くれないならチクるっすけど」
カータクは息を弾ませた調子を止め、三者面談の教師のような顔面をする。天井の僅かな金具の音を、カータクは聞き逃してない。
「……そこまで?」
冗談で言っていないと悟り、カーラは首を左右へキョロキョロと振る。パーソナルコンピュータで喩えるならば、単に応答待ちの状態を身体で示しているだけである。
「そこまで」
カーラとして、一般的大学生に興味はない。しかし目の前の大学生といえば、こうも同年代のような感性をしている。黄色い色調とで明るく取り繕ってこそ居るが、その内面にある暗澹たる何かが興味を引かせて仕方がない。
その辺の蛇人より余程、楽しい相手かもしれないと考えた彼はすぐ、天井の『枝』から翔び立ち、すぐさまハッチの方へと向かう。
「……書くから、待ってて」
カーラは自室へ、ハッチを開けた状態のまま戻っていった。
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