2:杜籠県-⑩

 森が岳市は南北に広く、南は西を杜籠市に通じる長閑な平野である。『森が岳分屯基地』の配置も南部であるし、その他主要施設も基本的には南部に位置している。

 さてKhRの扉が開くや否や、カータクはただ、コンクリートの床を一人で噛みしめる。『森が岳駅』のホームは体裁整った葵色を見せるというのに、名も知らぬこの駅はただ、無愛想に茶の塗装を剥した柱・天井が迎えてくるばかりである。

 数十年前に行われた合併理由も当駅含む北部の自治体へのお情けだという。カータクはICカードを翳し、外に出る。気分の良い平日は誰も居ない昼道を一人で歩きたいものだが、煩い子連れで気分が崩される。目の前のお出迎えの建物で涼むアイツは何だというのか。せめてシャッターでも閉められていればよかった。彼は自身の嘆かわしい気分を、すぐ足元のアスファルトの香りで誤魔化しながら歩く。現地民としても背景に背景が混ざっただけであり、床を鳴らす彼に何も反応しない。それが一層、彼の精神衛生に悪くて仕方がない。出来るだけ、ミニバッグで持った人特有の華奢な様相を繕う。


 彼らがカータクの聴覚範囲から離れたことを確認し、カータクは横隔膜を最大限に使う。冷淡な影の中、自身が気が晴れたのを確認して足踏みをする。カータクの理想としては真っ先にカーラと名乗る人物の元に行ってしまいたかったが、生憎、彼が捕まえられたのは相方の方であった。彼女の棲家だろう場所に実際に訪れた所、『ハズトル』と外来の苗字を発見し、すぐにインターフォン越しに彼女と連絡を取った。彼女に伝えた要件と言えば、『カーラにサプライズしたいが住所が分からない』だったか。氷渡族の習性を利用すれば情報漏洩させるなど容易いものだ。鉄納戸色の羽毛のイメージの次に、白妙に紅の袖をした彼女が思い浮かぶ。あの子もこれくらいガードが緩ければよいのに。彼の頭は癖由来の僻みに覆われていた。



 数分後、カータクは徒歩での移動を諦め、バス停の腰掛けに鎮座していた。彼の家まで15キロ泛は歩く必要がある、と覚悟をしていたのだが、バス停を見てふと寒気を覚えた。彼は寒気の命令するままに、地図アプリにバス停の二次コードを読み取る。各駅の場所を確認した所、バスを用いれば桁違いに短縮出来る事に気がついた。急な寒気を覚えて正解であった。数分後には市内バスの背もたれの穴に尾を通し、光り輝く窓辺を望む。この距離を徒歩で挑もうとした自分が滑稽に思えて仕方がなく、どこか遠くを見てはほくそ笑んでいた。


 規定のバス停にて、カータクは出口の階段を降りて行く。濃青の車体が遠くへと向かい、青空の中へフェードアウトするのを見届け、携帯へと目を移す。地図上にピン留めされた家までは5.4キロ泛先と出ている。

 さて目の前の光景と言えば、坂だ。ドーナツ状の窪みを道路に浮かばせる道路を一瞥し、脚が重たくなる。極力解釈を挟まないよう、ただ『等間隔のまるがエモい』に脳内を置き換える。ついでに粗い側面をした塀も一枚絵の中の情報に入れてしまおう。廃屋の雑草も生相図のようでエモい。自分の共感を頑張って引き、ただ無心で、片足づつ坂を登ってもらう。


 小学生は地獄のようにキツイ坂でもその世界観に溶け込めるというのに、彼はそこに値しない。兄ならば素直に溶け込めるのだろうが、今更引き返す訳にも行かず、妄想に逃げても無駄なのだろうと一旦瞼をつぶる。

 ――どうせ、バスを使っていなかったら折れていただろうし。白い袖を見せる彼女ならこうも生産的、かつ無情な解釈をするだろう。極力、もしもの可能性を悲観的に想像し、目の前の現実は些事だと捉える。幸い坂道は八分目まで登っていたし、カータクは緊張をほぐそうと、反射的に目を瞑る。そして腕を伸ばし欠神を誘発させる。


 バサバサとした羽音が彼の意識に割り込む。上を見上げた所、迷彩柄の腰布を付けた黒い鳥が空を羽ばたいていた。


「……うわあ」


 首を正面に向け直した所、未だに目的地などに辿り着いていないと知り、ただ嘆きの言葉を吐く。もう一度地図の表記を確認しようとスマホを取り出し、ピンを刺した場所をよく見る。更に道なりに進んだ場所であると把握し、反射的に右折しようとした。カータクにとって、正面に用意された道として認識出来なかったのだ。なにせ正面に進もうにも逆∪字のフェンスのお陰で通行不能に思えるし、そもそもその先は舗装されてすらいない獣道である。


 カータクは直前に見た、服を着る大きい鳥が空を翔ぶ光景を思い出す。鳥ならばそんな場所に棲んでいてもおかしくない。フェンスのバリケードを避け進む。身近に未開の場がある事に彼は嬉しい。抑鬱感は何処かに消え去っており、不思議と土くれの床へと足を進ませられる。

 正直、山中に棲む孤独な人には対して惹かれない。というのも、蛇人族の中でも特に風変わりな者はそうして暮らしがちな為だ。彼らは野生で生きていける程に逞しい。民話や伝説の一部は彼らが元になったとも耳にする。『山大蛇やまおおはぶ』なんかは十中八九彼らだろう。そして一度彼らと話す機会があったのだが、その内面は高度に独想的で、的確に理解が出来ない。それでいて法律なる抽象的なものを把握し、道具として扱うだけの力を持っているのは本当に気味が悪い。

 一息付き、膝に脚を付けてみる。カータクにとって、そんなに強くて中身も相容れない輩が反乱も屈折もせず、ただ引き籠もっている事実はとても面白い。偶に麓に降りた彼らと話してみるのも毒蛇を突く程度には楽しい。だが彼らの元へはもう行こうとは思わないし、今後も一人で山を登る気は無いに等しい筈だった。一旦、カーラを思い出す。空を翔べる鳥類にとって山と平地は等価な存在なのだろうか。興味が湧いて仕方がない。


 インターホンを鳴らし、じっと待つ。鶺鴒の鳴き声が彼の耳をすり抜ける。彼は家庭訪問に対してやましい感情など持ち合わせていないし、どちらにせよ彼の方が悪いと割り切っている。もう一度、インターフォンのボタンを押す。山の中にチャイムの音が虚しく溶け渡る。

 しばらくして待つのにも飽き、インターホンの装置でも眺めることとした。蛇人は道具を自作しがちだし、それでいて使うことに興味がない。その点についてはカータクも共感出来る。そしてそんな彼だからこそ、市販のインターホンをくっつけただけのようなインターホンには強烈な違和感を覚える。


 手癖でフェンスを見やったが、特に錠前が付いていない。不用心だなと思い、フェンスを開ける。当然その先には玄関扉があり、『どうせ開いてんだろうなぁ』と、一瞬嫌な思考が走る。


「まさかな」


 好奇心を少しでも封じる為、カータクはドアに付いている棒状の物へと向かう。丁度、手を水平に動かせば届くくらいの高さである。


「えっ」


 目の前のそれに少し手にかけた所でドアは音を立てて開ききる。予想外の光景を前にカータクはバランスを崩しかけた。ユゴス連邦の文化圏では高い位置に感圧式の『ドアノブ』を設置し、嘴で突くものなのだが、カータクは周囲の異様な雰囲気故に失念していたのだった。

 すぐ後ろを見る。段差になっており、このまま後ずらそうものなら怪我していただろう。不安から、後頭部を軽く撫でる。


「……鍵くらいするっすよね。普通」


 蛇人ではあるまいし、不用心ではないだろう。カータクは自分がカーラに招かれたのだと解釈し、玄関へと進んでゆく。清掃が行き届いていない土埃混ざりの床を一瞥し、靴のまま上がることとした。カータクとしてはせっかくの靴下を汚したいと思えないし、この荒れ模様ならば画鋲程度落ちているだろう。坵暁国の文化を参考にして規範の無視を試みる。カータクは既に山中集落が齎す世界観に呑まれていたし、彼にその自覚はあった。

 といえど、ミニマリズムな者は砂埃すら外に廃する。ただ手入れが無いだけのリビングはカータクに、的確な違和感を覚えさせる。興ざめな程に何もない内装を見ている間は警戒心を解かずに居られた。


 適当なタイミングで殺風景が続くだけの1階に飽き、上と赴こうとする。

 しばらくして階段の類が無いことに気づき、梯子の類がないかとクローゼットを探す。廊下の天井が一部欠けており、そこから上に渡れるだろうと睨んだ。さてクローゼットに辿り着き、カータクは戸を開く。

 動物の死体が濁った色の血痕と伴に場に現れた。ただただカータクは動悸を覚えつつ、梯子をさっと手に取り見なかったことにした。こうも常識的に取りうるワンシーンは、蒼尾人としては死体より怖い。動悸の半分は目的を忘れかけたことへの恐怖心だ。


 単独で行くべきではなかったと後悔しつつ、カータクは例の穴に梯子を懸けて昇っていく。暗闇の中に差し込む日光が気持ち悪い。昇った先にも何もない。鼠やら虫やらの死骸が散らばっていたが、彼らならば丸呑みにするだろう。串刺し等、小学生の遊びを延々と見せつけられているようだ。カータクは微笑ましい気持ちで白く光る床へと行き、ベランダ前へと到着する。流石に自室には何か用意してあるだろうし、自然な世界観に呑まれては元も子もない。蒼尾人としての本能的防衛故の行動であった。


 カータクから見れば、クースン家は2階にも玄関があるような構造である。自然に右手が取っ手を取ろうとするも、先程の光景を思い出し躊躇する。すぐ下に落ちていた長い棒を手に取り、槍の要領で突く。瞬く間にして扉が開き、凄まじい応力からカータクは両手を棒から離す。


 上層玄関とでも呼ぶべきベランダに出て、外を見渡す。ただ誰も居らず、木々と若干の扇状地の風景だけがカータクの視界に映る。カータクはベランダに飛んできた彼をひっ捕まえてやろうかと考え、準備をしようと∪ターンを決める。そのまま開きっぱなしの二階玄関から家に戻ろうとしたが、一つの張り紙が目を引き足を止める。


『友達へ。ぼくはふだん、別のとこに居ます。


 ついき:あとキミ! 不ほうしん入はダメだよね~ 』


 燦々と乱反射光を撒き散らすそのモノクロの紙は、カータクの蒼い網膜に入るには十分だった。黒鉛の色褪せ度合いの違いから最近に書き加えられた項目だと察する。衝動的にカータクはベランダから、近くのコンテナへと降りようとする。


 飛び降りる際、きちんと梯子を降りるべきであったと大いに後悔した。けたたましい音がコンテナの着地音として鳴り、首と胴体を左右に振る。誰も居ないと察し、へばりつきながら降りていく。土に降り、カータクの身体はコンテナの影に入る。警戒が取れず、しばらくは身体を凍りつかせていた。


 ふと、コンテナに背中で這いつくばる彼の手に凸状のものがぶつかる。


「……?」


 しばらくして、カータクは目の前のそれに彼が居るだろうと察する。


「ドアか……」


 目的地がすぐに見つかり、肺の圧迫感が減る。知らぬ間にスズメの鳴き声を背に浴びていた。鴉のように黒いコンテナだ。カータクの脳裏には前見た記事が思い浮かぶ。東果国都心の地下鉄はシェルター目的での利用に値するかという内容であった。文章の末に個人用に言及しており、検索した所可搬型は角の丸いコンテナのような概形であった。

 カータクは故に、目の前のそれもシェルターであると受け取ってしまっている。配置が斜めになっていないことを考えると、地下に設置されているのかもしれない。軍人は儲かるものなのか、それとも軍から譲り受けたものなのか。陰謀論的だが、ユ連にとって東果を山火事で滅ぼす為の第一歩だろうか。

 カータクは今までよく山中の民を見てきたのだが、彼らは不可解な趣味を持つものだし、シェルターがある程度は気にもならない。それに、変に遠くに隠れ家を持つよりかは、所有権や固定資産税等の扱いでスマートだろうし。蛇人はこの手のものを魔改造するものだし、彼らの協力の元に普段使いに耐える設計となってるかも知れない。ワクワクのままに、カータクはドアへと手をかける。


「えっ――」


 右手に刃物のような感触を覚えた時にはもう遅かった。すぐさま、カータクの身体は後ろへと弾けるようにして翔ぶ。

 綺麗な断面をした尻尾が地面で跳ね踊り、切断された血管から僅かな血を垂れ流す。そのまま腐り絶えることも理解していないようだった。



☆☆

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