2:杜籠県-⑨

 ツタが生え、側面に粗いネットワークを築かんとする様相は、カータクに忌々しい思い出を連想させて仕方がない。リョウセイの意向で完全に除去する気もなく、家主の説教臭い人柄含めこの建物を敬遠する理由となっている。害虫等のツル植物災害を期待して呪ってもみたが、成長・増殖しにくい種であると知り彼は更に絶望した。


 さて、玄関の扉をスライドし、とっとと中に入ってしまう。フェイクの銅鐘が彼を出迎えてくれたが、共用部屋の様子を眺めることに徹した。横長椅子に数人が座っており、一人はたった今日見た椿色の作務衣が、両手を掛けてテレビの方を見やっている。右足の靴紐が上手く解けず、一瞬下を向く。視認した所蝶々結びが固結びへと化けていたので、少し力を入れて紐を解く。


「カータクじゃん」


 北夷族の彼女は彼へ歩いて近寄り、カータクへと両掌を向けていた。問題の糸を解き、右の靴を脱ぎ終わった所である。


「休みっすか今日」


 彼は一瞬、右手をその女に向き合わせた後、左手同様に、もう片方の靴を脱ぐことへと費やす。


「うん、休み」


 スネーツリ・ツェラヒラ。岶岼大の獣医科学生であり、平日は大学に浸かっている。


「とーとー医者がサボっちゃったっすか~」


 カータクは背後で靴を揃えながら、陰険な表情を彼へと見せる。


「もうちょい大脳皮質使ったら? 変態さん」


 ツェラヒラは彼の嫌味に朱ったらしい頬を見、チラチラと赤白い舌を空気へと這いずり回す。


「頭頂葉鍛えたらどうすか?」


 目を瞑り、聞こえないと言わんばかりに耳の穴に手を当てる。カータクとしては兄の風評被害であり、聞き捨てならない。


「お前が鍛えても副嗅球しかおっきくならないもんな、悔しいな」


 彼女は下顎の方の鱗をプニプニと触り、聞き慣れた女学生のソレに比べ野太い音色を響かせる。


「腹側皮質視嗅しきゅう覚路通じりゃ刺激されるんで、ヘーキっすね」


 カータクは難しい単語は適当に覚える節がある。実用に耐える言語であれば何でも良いし、コラツルが医学を志していたなら喜んで覚えていただろう。結局『そんな効能ねえよ』と咎められ、愛想笑いを浮かべる終いであった。

 

「でさ、アイツなんかあったの?」


 ツェラヒラは丸い目と指で、黒い布を頭に被せる彼女を指して訊ねる。彼女はぶらぶらと、フェザーか何かの足枷の紐をぶら下げており、会話をしていない時は案の定、引っ張って遊んでいる。


「ストーカー被害」


 カータクは一言で纏める最中、指先の彼女はようやく目線を察し、彼の元へと拙く歩いていく。


「あら」


 ツェラヒラはただ丸い目で疑う。何処を向いているでもなく、強いて言えばカータクの方に考えは向かっていた。


「言ったじゃろ儂も」


 話題の彼女は重たそうに足を上げる。コラツル視点、彼女の性格は割り切ることとしているのだが、過剰に常識を気にする有様はどうも説得に苦労する。


「疑って罰悪い」


 瞳孔を広げ手を下げて謝る。


「予定変わる方が面倒じゃ」


 コラツルとしては謝られる理由が分からず、そのまま次の発言へと向かう。彼女は入間荘に付くや否や仮眠を取り、言語能力を取り戻してはいたが、思い出す気にはならない。結局『予定』という難しい言葉を難なく使いこなすので精一杯である。


「じゃあその枷何よ」


ツェラヒラは右手第二指の鉤爪で手枷の紐をつんつん突く。彼女が何をしているか自身の両手首で把握した途端、コラツルは両手指を無自覚に広げていた。


「過剰防衛対策」


 手を広げる不可抗力を気にしていないかのように、コラツルはそっぽ下を向く。


「ええ?」

「人殺しに成りたくは無いからな」


 東果国の出している犯罪統計上、蛇人族は発作の際に誤って殺傷に及びやすい。とりわけ彼女は力が強い方なので自衛としては正しい判断である。故にカータクは気にも留めていない。

 しかし一方で、余程に恨みを抱かない限りはせいぜい、器物破損がヤマだ。傷害についても今の彼女程安定した状態で及んだケースはまず無い。具体的な判例等には詳しくはなく、どうせカータクが面白可笑しくほざいているだけだろうと考えることとした。


 ふとカータクは床を見る。特に言語化出来る特徴はない。


「しかしまぁ埃が無くて綺麗っすねここ。おばさんは何時からここに居たんすか?」


 先程から感じていた違和感通りに後ろへと振り向く。やはりというか、期待していた人物であった。


「……ようこそ、遊びに来てくれて」


 リョウセイの、澱んだような音声が鳴り響く。胸鰭といい第一尾鰭といい、全てが堅苦しく周期運動を行っている。彼女は断じて友好的シグナルを送っていないし、カータクとしてもそんな彼女は気色悪くてしょうがない。


「飯は要らねえっす」


 左腕を広げ目を瞑りながら、カータク一歩分、前へと踏み出す。


「お前にやる飯はねえよ」


 リョウセイは二人を一瞥する。『はは、辛えっすね~』と暢気な声が聞こえ苛立ちが生じたが、その感情は鰓かどこかへと塞ぐことにした。


「……で、おばさん。変な手紙送られてきたりしなかったっすか?」


 カータクは欠伸を終わらせた後、リョウセイの方を半目で見据える。


「今度は探偵ごっこか?」


 ドスの効いたか効いていないか程度の声と共に、カータクを睨みつける。


「いやー、普通あんな様相で来るわけねえっすよ。ここに」


 カータクは緊迫した様子を無視し、彼女に人となり由来の嫌悪をぶつける。粘液の臭いも気味が悪くて仕方がなく、可能な限り舌を外に出さないように心掛ける。


「あいつだから勝手に来ると思っちゃうけどなー」


 リョウセイの脳の片隅では、コラツルは『他者に好意しか向けない』と把握している。大なり小なり普通は男性的な面を持つものだが、彼女は本当に他人へと悪意を向けることがない。故にリョウセイは彼女とは気が置けない。


「どうせ貴様きさま宛のもあるんすよね?」


 彼はふと音色を暗くし、舌を出し嗅ぎ散らすジェスチャーを見せつける。先がヤコブソン器官に触れないようには徹底しているが、どうも魚特有の臭いが舌に付いて仕方がない。


「大人しく帰ってくれ、頭痛えんだよアタシも……」


 好意とも悪意とも取れない彼の態度に、リョウセイは辟易するばかりだ。わざとらしい二人称は無視し、後頭部を抱えて後ろに視線を回す。険悪ムードを垂れ流す彼らを他所に、彼女らは元いた椅子で携帯ゲーム機で遊んでいる。多少は胸鰭に掛かる負荷が減った気がし、屈伸しようと手を床につける。


「前二人で行った時は彼女を咎めてたっすよね? 風の吹き回しどうなってるんすか?」


 カータクとしては特段、彼女に悪意を向けているつもりはない。ただ性格が嫌いだから当たっている節はあるし、どうぜ蒼尾人はそういう奴だと期待していない。


「まー今日は風強いからな」


 リョウセイは場の空気を読み、親しそうな鰭つきを返す。彼女にとって相手のペースを破綻させるのは単純作業である。相手の発言に粗があることとし、そこから無理矢理無い文脈を繋げれば良い。しゃがむ屈伸運動が功を成した瞬間だ。


「へーやっぱ汽陸族は人攫いなんすねー」


 今彼女が実践しようとしたように、世間的に汽陸族は人を丸め込みやすい。故にカータクはコラツルに付け入る彼女を善く思っていないし、こうも詐欺師のような手口で、人との会話を拒否する彼女が嫌いだ。


「ま。警察には言ってないし。何か問題が起きたらお前がごねるせいだ、っつっとくね」


 リョウセイとしては肯定の一言しか出ない。鰾を鳴らすのとは同時進行で、カータクの差別的発言に尾を振り肯定する。こうも闇雲に自己開示させたがる彼らの神経を解そうとは断じて思えないが。自分の心に釘を刺しつつ、


「写真なら撮ってあるよ。ほら」


 『兄に押し付ける』と宣う彼をよそに、携帯を取り出し、押し付けるように写真を見せる。カータクからすれば、弱い人が図々しく文句を言う構図に見えなくはない。


「なんすか、この白塗り」


 カータクは一目散に、目障りな情報を口にして共有する。適当に全ての値を255を選択したであろう色の編集がウザったらしくてしょうがない。


「個人情報」


 自己完結した疑問を呈する彼を他所に、少し両足で地面を蹴って立ち上がる。一方の彼は、悪い性として、こんなおばさんに隠すような個人情報なんてあるのかとつい勘ぐってしまう。


「別の色で塗り替えていいっすか……自己規制の色ぉ……」


 彼女にその意図がないことは十分承知なのだが、汽陸族でも知覚できるはずの青の要素の度合いでやられるのは鬱陶しいこと極まりない。一旦目を可能な限り携帯の液晶から離す。


「どうぞ」


 彼女自身、彼らが色に過敏であるのは承知しているし、こうもしき酔いを起こすことは想定していた。許可を受けたカータクは青の値を適当に『200』と設定し、彼女の塗りつぶしを更に塗りつぶす。自然な検閲になり、改めて画像を見返す。少しして、カータクは画像の筆跡から多くの決定事項を読み取る。


「ありがとうっす。それじゃ帰るんで」


 カータクは携帯を自然な様相で返すと、燃える煤のような感情を手で握り隠す。


「え、何しに来た――」

「あと、ケータイくらい拭いてから渡す方がいいっすよ」


 さてカータクは塗れてない手で取ったハンカチで、彼女の粘液に塗れた右手を拭く。兄であれば悦んでいたかも知れないが、彼に異種の体液に欲情する性癖はない。


「は? 意味分かんないんだが……?」


 リョウセイは両足を弾ませ立ち上がったが、その頃には鐘の音がただ鳴り響いていた。


「……何アイツ」


 そういえば彼女はカータクに何かをさせたがっていたが、思い返せば何故彼に絡んだかを忘れていた。



☆ 


 帰宅後すぐ、カータクはノートPCと対面していた。目の前の写真に映り込んでいる看板の中、『公園』の文字が続く固有名詞を見つけ、拡大してみる。固有名詞部分は良く判読できないが、可能性のある文字列を全て列挙し、一つ一つ総当たりで検索してみる。スパム判定を考慮し1分ほどインターバルを置きながらであり、その間の切迫感は、単に兄と文で会話することで誤魔化した。


 さて、5つ目の候補を検索欄に代入した所で漸く意味のなすサイトが検索結果として現れる。


 『椎伊良公園 椎伊良に位置する公園』


 カータクは文字列を脳に記録するや否や、洗面所へ向かい、備え付けの鏡をよく見てみる。脱皮の兆候は特に無いし、服が汚れた跡も無い。下に着た兄の甚平も肌触りで確認してみる。彼のことだから知らぬ間に汚したかと思っていたと軽んじていたし、半ば衝動的にあんな奴の家に赴いた自分が嫌いで仕方がない。

 次に玄関へと向かい、床に整頓された何足かの靴を眺める。軽太の水色い洋草履が隅に置かれていることがカータクとしては新鮮な気持ちだ。彼女は履物を着けようともしないので、小さい頃からの些細な夢が叶いそうになかった。さて少し迷った後、明日は白縹色のフェルト靴を履くことに決めた。靴紐を結ぶ最中に彼は明日、どれだけ最寄りのバス停に煩わされるかを心で測っていた。そうでもしなければ自分の感情に圧し殺されそうで仕方がないし、今壊れては何の意味もない。


「風呂入ったよー」



「俺は兄の部屋で寝るんで」


「えっと……お兄さんは……」


 軽太は唇を磁性流体のようにぶよぶよさせる。


「……あんま兄帰ってこないんすよ」


 カータク視点、人間は氷渡族と氷鳳族の中庸のような精神性をしている。特に、他人の世界観に入ろうとする習性は彼女を連想させ、対応は考えずとも思い浮かぶものだ。


「りょーかーい」

 


 カータクは兄の部屋へと入る。無造作な卦風空間だ。同じ黄土色のパーティションでさえ、兄にとっては至極ありふれた簾でしかない。書籍一つとっても、誰もが彼を俗物と形容するだろうし、カータクとしても好ましくはない。


 だが互いの部屋には干渉しない方針だ。カータクは今日明日の分のメモを記入し、文面を見直す。非倫理的極まりない要旨を書く彼を眺める自分が居た。軽太の寝る挨拶の声が酷くカータクの臀部に突き刺さってくる。


「……」


 ――どうせ兄のことだし、自分の所業にはOKを出すだろう。ナイラス・カータクはただ鉛筆を机に転がすように放り投げ、黄色い外套を外す。やっとこさ悪い感情から開放された気になっていた。

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