2:杜籠県-⑧

 坤方日こんぽうびの昼間、自室にてコラツルはキーボードをカサカサと叩く。本来なら彼女は学校に居るべき時間帯であるが、先日に爆破予告が届いてからは休校となっている。コラツルは特別な事情がない限りは概ね11時50分に起床するのだが、昼の帰宅指示にペースを狂わされ寝坊した。というのも、彼女は小中からの慣習で実際の手足で登校することを心がけている。一人居候が増える程度で遠隔授業を受けようとは考えもしなかったし、遠隔授業を受けるとしてどのようなペースで日々を過ごすか検討もつけられない。そもそも教員が違う時点で頭を拒絶しそうになり、後で学校の友人に愚痴ることとした。幸い朝の授業が生物だったのでカータクから教えて貰った『適度にサボる方法』を実践することとした。どうせWebカメラも何も付けていないので監視はされて居ないと思うが、画面越しに見られているが怖くて気が気でなかった。


 ☆


「ホント、誰がやってるんすかね、爆破予告って」


 休み時間中、カータクは両手に湯呑みを持ち、コラツルの横のお盆へと置く。爆破予告は岶岼市内中、教育機関へと届いており、岶岼大学も例外ではなかった。


「お前、授業中に儂の周りをうろちょろするの、辞めたほうが良いぞ……」

 

 コラツルは左手で湯呑を取り、口輪の隙間から舌をチロチロさせて飲む。緑葉の香りが口内を充満するが、熱すぎて一旦そっぽを向く。


「アーハイ。保護者が映り込んでただけなんで、大丈夫っすね~」


 カータクは両手を広げ、大学生が教授に惚けるような姿勢で話す。


「そんな訳あるか、啼くぞこいつ」


 コラツルはタイムラグを伴ってある方向を指す。彼女の第二指がディスプレイを指していることに、カータクは暫く気が付かなかった。


「泣くって、警告音で?」


 カータクは、彼女の突飛な発言には慣れっこである。蛇人女性全般に言えることとして、彼女らは言動と内面が一致しない。彼らにとってぬいぐるみは話すし、星は人を眺めている。コンピューターやディスプレイも例外ではなく、コラツルからすれば『偶に話を聞いてくれない』し『うっかりスリープモードから醒めちゃう』。


「そんなところじゃな」

 

 特に自身の発言が妄想的かは吟味せず、コラツルは言葉を続ける。ふと、お茶が悲しんでいたので、再三、彼女は湯呑の中に舌をつける。


「やっぱ休めよ」


 率直にカータクはコラツルに申し出る。自身の世界観を隠す程の力の状態ならば休むべきだし、彼女らは中々気が付かない。特にコラツルは普段一人だし、軽太ではどうにもならないだろうと見繕って彼女の家に来た節がカータクにはある。


「じゃろうな……なんか無駄じゃな。儂、寝るべきじゃし休みの連絡入れる」


 コラツルはたった今、自身が相応に疲労していることに気が付いた。現実世界でのどの言葉を指しているか考える気も湧かない。鍵盤とマウスとを何も考えずに操作する。暫くした後に『メール』という言葉を思い出し、電子メールのアプリケーションを開く。

 適切な言葉を思いつく程の考えが回らず、『休む』の二文字だけを書き込み、担任のメールアドレス宛に送信する。送信欄が閉じたのを目視した後、反射的に目に入った本棚の方へと這い歩いていく。


「読むか、本」


 下の段に入っている本を順に触っていき、自分の手が取りたいと握った本の表紙を眺める。

 古生物図鑑。彼女が生物学に興味を持ったきっかけとなった図鑑だ。小さい頃、飛行機にヘリコプターに、せいぜい天気とお星さま程度しか世界を知らなかった彼女が新たに世界を知るきっかけになった本だ。現在、彼女は古生物学を専門にしようと考えてないし、実際大して詳しくない。故に毎回、新鮮な気持ちで本を眺めることが出来るし、疲れている時に読む方が丁度よい。


 今の彼女が図鑑の表紙を目にした当時の感覚を言語化するならば、「戦時中に死にっぱしの『せんとうき』をあらたに知った」だろうか。この本を知らなかったら今頃自分が何をやっていたのかは想像付かないし、興味がない。左手で緩速にページを開いてゆく。視野では本の内容を捉えながら、脳裏ではカータクのSF話が再生される。『だろう』辺りで脳内のテープには興味を無くし、ただ無心に本を眺めていく。30年前に描かれた図鑑なので信憑性は疑わしい。実際、中生代に関する学説はここ20年大きく変動したし、生物学への関心にピン留めをさせたニュースこそこれを告げていたので、鮮明に脳裏で思い浮かぶ。彼女の中で中生代の範囲は人類の想像力を鑑賞する場と割り切っている。


「恐竜って面白いっすよね」


 といい、『ボルアホロゴザウルス』を指す。15年前に二種の生物が混同していたとみなされ、存在が否定されたばかりである。取り分け、恐竜上目は特に資料同士の食い違いが顕著である。インターネットで培った程度の情報リテラシーでは太刀打ち出来ない。カータクはふと、『我々の祖先は恐竜だ』と本気で信じている輩を思い出す。付け焼きの憎悪を蛇人に向ける様は滑稽であり、思い出し笑いを誘う。


「ああ。こいつは……」


 コラツルは説明をしようと『henwukterai科』のページに飛ぶ。近生代きんせいだいに栄えていたという、『bhor'ahrogo上目』の一つだ。れっきとした恐竜、『タワ』とは同じような地層に埋まってこそ居たのだが、放射性炭素年代測定より違う時代に栄えていた存在だと判ったばかりである。


「なんかこいつ。カルタくんっぽくねえっすか?」


 カータクは描かれた復元図の一つを指差す。コラツルは指の先にあるものを目に入れた所、何かが脳に引っかかり、その正体を明かしたいが為に黙って凝視する。


「……似とるには似とるが」


 ふと、心の声を漏らす。確かに、水主軽太との全体像は酷似している。蒼尾族のような、第一指を親指として扱う手の仕組み。縦長の形状をした掌にとは全くの瓜二つだし、高度な知能を持つという推察とも合致する。だが細部は全く一致していない。例えば軽太の顔はこうも赤く強張っていないし、毛は頭以外に全く生えていない。


「んー、ああそこの君。異世界人だったっすよね」


 カータクは、ちょうど縁側を通らんとしていた軽太の肩を叩き呼び止める。


「そうだよ~」


 軽太は目を瞑り、にっこりと返事を返す。自然に二人は彼の振った右手に着目していた。


「異世界の近縁種なんじゃねーっすか?」


 彼の歩行と木材らしく軋む音を聞きながら、カータクはコラツルの方へと視線を戻す。


「近縁にしては似とらんじゃろ」


 コラツルは未だに軽太へと凝視を続けたが、見切れた辺りで視線を図鑑へと戻した。


「例えば、……俺ら。近縁種と違う特徴、どれくらいあるっすか? 知能は無しで」


 カータクの指示を聞き、彼女は声の方を向く。


「まず、何度も尻尾を自切出来る点じゃな。それと栄養を腹に蓄えられる点。尾に栄養があっては、毎回自切するのに不便じゃしな」


 コラツルは前を向くと、プレゼンテーションのスライドの説明を行うように語る。腹に多くの栄養を貯められる体の構造は蒼尾族タイリクトウセイオオトカゲ含めごく最近の種にも存在するのだが、簡便のために説明しないこととした。


「多くねえっすか。それ」


 率直に、カータクは感想をコラツルの方へと漏らす。


「多いのか?」


 コラツルにとって、『多い』という感想は直観に則さなかった。思考に例えば、東果国内に於いても、椪中はやなかと端離のトカゲとは別種だし、この程度の差異はいくらでも見つかりうるものだ。


「直感的には多いっす。なんなら、北夷族とお前らですら結構違うっすし」


 彼の直感を呑み込めず、コラツルは疑問符を浮かべる。ふと、コラツルは手癖で牙を撫でようとしたが、口輪に遮られる。金属フレームのツルツルした感覚と、口輪の重みが彼女の触覚に差し込んできた。


「……言われてみれば、儂らの毒は近縁種には無いな」

 

 コラツルは手と口にぶつかった何かを撫で回す。普段こそ、部屋の中では口輪を外してはいるのだが、来客が来たので咄嗟に装着し直したのを思い出す。


「やっぱ、こいつらの仲間だと思うっす」


 ふと、カータクは自分の手の甲に蚊が止まっていたので、右手で叩く。鮮血の色をした体液が潰れた蚊の身体から滲み出る。


「そこは、遺伝子検査でもしないと分からん」


 コラツルは無表情で、彼の素人意見を肯定する。


「大学に見せりゃいいんじゃねーっすか。あのカエル野郎とか喜ばん?」


 カータクは大袈裟に、大学のある方へと、右手の第二指を向ける。二人の中で『カエル野郎』とは、ある研究室に籍を置く獣医科学生のことであり、職業柄、スズスハ親子とは面識があるのでよく話題に出る方である。


「拘束して良いのか? 大学に」


 コラツルの印象として、ニンゲンがそういう習性であるはさておき、軽太は奔放な性格をしている。古くなったノートPCは言われずとも使いこなすし、自主性も何も無い研究対象として置かれるだけの環境はストレスとなると察している。


「結構あの子退屈そうっすけど。外に行く機会が増えるだけっすよ」


 ふと、通知音が鳴る。コラツルは電子メールの通知を見て中身を開く。彼女は文面を黙読すらしない。それほどに今、学校が面倒になっている。


「……なんすかこれ?」


 カータクはその内容を見て固まる。決して、あってはならない内容の電子メールであったためだ。


「返答じゃろ、返答」


 寝ぼけたような様相で、コラツルは送られてきているだろう文章について解説する。


「From欄だけでも読めってば、ホラ」


 カータクは切羽詰まった様相で、アプリを閉じようとする彼女の胴体を掴み、文面を読ませる。コラツルは弱く四肢で暴れようとした後に本気であることを察し、愚痴を吐きながらも、せめて数行だけでも読み上げることに努めた。



 スズスハ・コラツル様へ


 From:aofmsdpao3dgso@yuyiyuyi.qhile.khhyl...rekw

 To:koratlsuzusha@qhureksae-ng.qhe.khhyl..rekw


  杜籠県岶岼市中央区雛井町2-156 みぃ~つけた♪


  Las-2の子。坎方に鵜鶻町の入間荘に出入りしてたね?

  明後日の朝復讐に行くから、待っででね♡ 変な奴と覚悟しろ

                                     』


「……? なんじゃ、こりゃ」


 コラツルは文章だけ読み上げたのだが、どうも文面に納得いかない。


「何って、脅迫だろどう見ても」


 カータクの刺々しい指摘に対し、彼女は『ほんとじゃ』とだけ漏らす。ちょうど彼はホールドする腕の高度を下げていたが、コラツルの意に介してはいなかった。ただ『ふむ、なるほど』と理解をする感動詞だけを口から発し、彼女の腕は脊髄反射だけで動いている、と記述して過言ではない。


「『見つけた』、か。出かけてくる」


 コラツルはやる気が出たとばかりに、カータクの腕のロックを力ずくで外し、床の上に着地する。


「おい、何するんすか」


 カータクは急に力を強めた彼女に対し、悪い予感を抱く。


「リョウセイの奴が『悪いメールが来たら泊まりに来い』って言っとったからな。パパにも病院に居るよう言っとくぞ」


 意味内容を理解したカータクは拳を強く握る。胴体からもぎれた蚊の脚が押しつぶされ、液とも固体とも取れないものを拳の穴から流す。


「まあまあ、カルタはどうするんっすか?」


 カータクは嘲ってやったつもりでいたが、彼自身顔の感覚として正常心など貫けていない。なんでリョウセイになんかに彼女の保護を先回りされているのか、理解したくない。


「お前が預かるって出来ないか?」


 既に彼女は『数日家を出る』なる旨の文章を書き込んでいる最中だった。宛先はフウギのメールアドレスであろう文字列であり、カータクはぽかんと心が無になった。


「……まあ、いいっすよ別に」


 その後、コラツルは必要な備品をリュックに入れた後、入間荘へと向かっていった。


 旅立つコラツルを見送るや否や、カータクはスマホの写真アプリを開く。独りでに、最後に取った写真が表示される。コラツルのパソコンのディスプレイを撮影したもので、例の脅迫文がきっちり収められている。


 カータクは携帯の電源を切り、丁寧に畳む。メールなんか送りやがった奴が嫌いで憎たらしくてしょうがない。なんでコラツルをこうもあの女に取られなきゃいけないのか。静か、かつ独りでに、携帯を手で震わせる。


「……誰っすかね、あのメール」


 湿った風が彼の服を揺らす。撮影した文面を、適当なサイトで取得しただろうメールアドレスをただただ睨む。

 携帯をポケットに仕舞う。たまたま掌に蚊の死骸があったので、両手で擦って払い落としてみる。血痕は既に乾ききっていた。

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