後編

2:杜籠県-⑦

 酉前11時12分。コラツルが放課後に入間荘へ赴く場合、いつもこの時刻にバスを降りることとなる。コラツルにしてみれば、夜長に比べれば日長は判りやすい。鈍角の夕日を浴びる中、昨日就寝前に眺めた論文の内容を思い出していた。


 まず、生理的特性上、蛇人族は8度以下では覚醒するのも困難となる。冬場の日平均気温は平然と氷点下になる為、大半の蛇人は篭巣りゅうそう手当をもらい巣篭もるのがセオリーとなっている。フウギを初め医者レベルの存在こそ自宅には居ないが、その場合も職場に巣篭もりする為、外の世界は他種族の伝聞でしか伝わらない。

 故に、冬至付近に延々と続く短い昼、という比較対象がないが為に、惰性で『なんか日が長くなった』と思いにくい。解剖学上蛇人族と蒼尾族とで有意な差は認められず、唯の迷信だと思っていたが、人文・社会科学的見地から理由付けされるとは思っても居らず、興奮の余りカータクにURLリンクを張っていたのだった。カータクは最初、当然だと突っ撥ねていたが、邁寵まいちょう諸島との比較まで語った所、彼も素直に関心していた。世俗常識などさながら机の外に落ちた有象無象の塊であり、机の上に拾い上げ整頓し直されるとスッキリするものだ。少なくともコラツルはそのような感覚を覚えていた。


 道なりに進む最中、誰かが自分を凝視している事に彼女は気がつく。通り過ぎるくらいでその人が入間荘の住民である事を思い出し、目的地へと進んでいった。


 ☆


 入間荘のオーナールームを一瞥し、汽陸族の彼女は部屋を大急ぎで整頓する。相手は相手故、部屋については気にも留めないだろうが、人を呼んどいて散らかしたままなのが彼女として気に入らない。重労働故に彼女は少し酸欠気味だ。皮膚呼吸のツールとして粘性の汗が溢れ、僅かに彼女の身体から垂れ出ている。


 石灰で出来たこう風のドアが叩かれる。彼女の部屋と外とを隔てる唯一のものだ。


「入って良いぞ~」


 リョウセイは入れるべきか躊躇ったが、今回は彼女がコラツルを招いた側だ。自信のプライド如きで後回しにする方が失礼に値する。扉が開かれ、招いた客が二足で立っているのを確認する。彼女は仰々しく扉を閉めた後、『お邪魔します』と、入れ知恵かのように発する。


「片付けながらでいい?」


 リョウセイも営業スマイルとして会釈することとし、自信の無礼について言及することとする。謝罪されても彼女にとっては理解不能だろう。


「構わんが……?」


 表面上、コラツルは呑み込んだ姿勢を見せるが、内心では彼女の言動を訝しんでいる。


「アタシの居ない間に部屋荒らされたらしくて。何処に見せるもん置いたか忘れちゃったんだよな」


 リョウセイは嘘は得意な方である。彼女は蛇人族の少女として典型的であり、騙し方も把握している。懺悔するよりかは呑み込みやすいだろう。


「なら儂も探すぞ」


 と言い、コラツルはしゃがんだ先にあった箱に入っていたノートを手に取り、中身を確認する。


「……あんま見ても良いことないぞ、そこ」


 リョウセイは花柄の表紙を見た瞬間、焦燥感を覚える。尤も、汽陸語で走り書きしたものであり、彼女には読めないだろうと推測こそしているのだが、日記を読まれるのは余り良い気持ちはしない。


「下の方も探すか」


 リョウセイの心情そっちのけで、コラツルは腕を次のノートへと伸ばす。実際、彼女は目的のものを探すこと以外は考えていない。


「ま、20分くらいしか部屋は離れてないし。本の中に挟まっては無いと思うな」


 リョウセイは顔色を変えない、というより、体力的に感情を明かさないのが精一杯である。ポーカーフェイスを徹底する程度では普通、何かを感づかれるのが、コラツルはまともに人の表情を見ない為問題はない。


「分からんじゃろ」


 コラツルは既にノートを手に取り、パラパラとページを捲っている最中であった。彼女に本の中身を覗き見る趣味など無いし、そもそも汽陸語は読めない。


「医者でも出来ないだろ」


 大抵の場合、蛇人族は身近な職業で喩えると説得しやすい。特に彼女の父は医者だし、何かと説得に便利だ。


「なら適当に探すか」


 リョウセイの思う壺の通りに彼女は箱から関心を無くし、床の隙間等を見るよう彷徨き始める。


「あったあった、これだ」


 適当なタイミングでリョウセイは声を上げ、一通の手紙を指差す。実の所はポケットの中に入れていた。邁服まいふくは体液の遮断に便利なもので、ただいま手で触れた分しか濡れていない。


「……実際に見てもらったほうがいいな、アンタの場合」


 リョウセイは丁寧に畳んだ手紙を開封し、目線を合わせてコラツルに手渡す。彼女は情報戦には滅法強い。大半の嘘は見抜かれているし、彼女の嘘も巧妙である。一方で日常生活というものは情報戦ではない。考慮すべき事象が曖昧な場では嘘一つが重労働であり、故に彼女は悪意を持った隠し事など出来ないに等しい。


「……ふむ。……ん~?」


 コラツルは手紙の頭を黙読した段階で強い違和感を感じる。手書きでこそあるのだが、筆跡になる筈がない。読み進めた所、物理的に不可能であることに気が付き納得するが、特に表情に表れることもない。


「だよなー。やっぱお前じゃないよな」


 リョウセイは手を付けてしゃがみ呼吸を荒げこそいるが、他人の様子の把握は意識せずとも出来る。自分の書いた文章をぼんやり眺めている筈がないし、演技だとしても大根役者のソレの筈だ。


「なんじゃ、これ」


 彼女は律儀にも全文を頭に通し、リョウセイに手紙を指差す。差出人名が『スズスハ・コラツル』となっていることと、恐らくリョウセイだろう名前対する罵詈雑言である事以外は見て何も分からなかった。


「……まあ、お前じゃなくてよかったねって話」


 リョウセイは誤魔化すように胸鰭を上に持ち上げ、コラツルの顔辺りを見つめる。


「はあ?」


 コラツルは四肢を床に付け、ただ睨む。彼女にとって、特に用がないなら帰ってしまうべきである。


「夕飯でも食べる? アタシも急に呼んじゃって悪いし」


 彼女としても大袈裟な節はあるし、付き合ってくれてバツが悪いと感じている。


「今日パパ休みなんじゃよな」


 リョウセイはただ、想定外の言葉にきょとんとし、気がつけば胸鰭を触っていた。コラツルは『帰るぞ』と尾をリョウセイに見せ遠ざかって行く。


「て、オイ。おれ用事あるんだまだ――」


 焦って正面を見る。彼女は既に部屋の外を出ていた。リョウセイはカエル跳びで走れば彼女を止められる自身があるし、息こそ切れ気味だが脚を動かすだけの体力は温存している。さて外に出ようと両手を付けた所、彼女の携帯電話が振動と共に大きな着信音を流す。右手で確認した所、『コラツル』と彼女が登録した連絡帳の名前が映し出されている。


「後は電話で聞くぞ」


 着信ボタンを押し、耳元に携帯を移す。コラツルの乾いた音声が聞こえてくる。彼女は部屋を出て追い回す必要がなくなった。


「アタシも心配過ぎたんだよ、とうとうかって」


 リョウセイは無意識かつ咄嗟に思考を切り替える。この手の事は最初に伝えてほしいのだが、指摘するくらいなら続きを話す方が合理的だ。


「とうとう?」


 断続的に鳴るノイズと共に、コラツルの返信が耳元に届く。l


「『とうとうお前の風評下げてきたか』ってことね」


 立ち上がりつつ、続きを話していく。暫くはコラツルの歩行らしき衝撃音が鳴る。


「下げる理由も分からんが、あんなもので下がるんか?」


 彼女は携帯の向こう、ただ疑問を呈して立ち止まる。他人を風評を落とす動機といえば、ただの恨みだろう。彼女は自分の風評を思い浮かべてみるが、『動物学会で発表したことがある』以上のものが思い浮かばない。宇留野県民、かつ特徴的な苗字からして蛇芭へびわ大社の後胤と思う者も居るだろうが、態々自分を狙うとは考えたがたい。考えているうちに狭苦しい唸り声を上げていた。


「面白半分で人の嫌がるとこ見て笑ってる奴って何処でも居るんだよなーホンマ」


 リョウセイは声を濁らせる。地元の親族を思い出し、口を苦そうにヒクヒクさせていた。


「ネット民ってすぐ人バカにするだろ?」


 一瞬、『カータク』という例を挙げたくもなったが、一握りの良心が彼女の慨嘆を制止していた。


「確かに?」

 

 一人、自室で蛇人の声がこだまする。コラツルの声は最早、リョウセイの聴覚器官には届いていなかった。


「狭い井の中イキってるだけな奴ってさあホンマ、あぁーゆうのが嫌で山まで来たんだよ、◎□※%✕$!」


 間髪入れずに彼女は鰾を震わせ、ヒステリックに女々しい呪詛を吐き棄てる。手に携帯電話があることすら忘れていた。過去の記憶がもう、ウザくてウザくて仕方が無かったのだ。


「母語が出とるぞ。分からん」


 ちょうど、コラツルは横断歩道を渡る為に前を向いていたのだが、聞き取れない彼女の発言を耳にしてそちらに目線を向け直す。端末越しの罵声は不思議と不快にならない。文脈からして罵倒語の類だとは察してこそいるが、具体的ニュアンスが分からずどうにも気になる。


「……まあ、『死んじまえ』くらいしか言ってないぞ」


 リョウセイは彼女に釣られて冷静さを取り戻す。思えば視界が白く濁っている。どうやら瞬膜を閉じる程に感情的になっていた。


「笑いを求めて悪意ばら撒く奴とか、どうしようもないからね。だから早めに共有しときたかった、ってのと――」


 手持ち無沙汰な左手を用い、本棚の中を整理する。コラツルからは特に相槌はない。


「――なんかさあ。妙~にアタシの情報知ってんだよね、送り付けてきた奴。本名なんて誰にも教えて無いのに」


 リョウセイは全くの脈絡もなく過去の恨みをぶちかました訳では無い。彼女の本名を知るのは家族程度であるし、行政も汽陸族の文化を尊重して本名の代替となるものを用意している。例えば、彼女の渾名である『リョウセイ』等。


「確かに、それは気になるな」


 コラツルはふと文面中、聞き慣れない固有名詞が含まれていたことを思い出す。東果国民の共通認識として、彼女は本名を知られた所で大したダメージはない。知った所で誰も思い出す程の興味は持たないし、最悪の場合は個人情報の不当な拡散・定着として大本をしょっぴける。


「そんな奴がわざわざ、アンタの名前を騙らないと思うんだよな。何がしたいのか良く分からない」


 最後の本を棚の中へと挿し直し、リョウセイは後ろへ振り返る。


「警察に相談すべきでは?」


 コラツルの提案を他所に、彼女は勢い余って尾鰭を本棚にぶつけた。強い衝撃ではなかったし、蔵書も零れ落ちていない。


「セオリーだとそうなんだろうけど、油を海に突っ込む真似なんじゃないかって思ってる」


 そろそろ同居人が自分を気にする頃だろうと思い、ドアの方へとゆったり向かってゆく。


「どういうことじゃ」

「ガキのイタズラにマジになってどうするの。それこそそういう奴の思う壺だよ」


 リョウセイは声だけでも嘲笑わないよう心掛ける。客観的に見ても、彼女はしょうもない悪戯を受け流すことに長ける方だ。パソコンの設定を荒らされた事件については住民全員に問いただしたが、全員シロと知って以降は全く、脳裏に思い浮かべていない。


「そういうもの? ……か」


 コラツルは疑問混じりの返事を返す。


「まぁもし。お前宛にも変なのが届いたら、アタシの家に泊まりに来いよ? 返り討ちにしてやる」

 

 どうせ彼女は理解していないだろうが、簡便に済ませるべきだろう。彼女は自分の右手をドアノブにかけようとしていた。


「了解」


 電話が切られたと指し示すブザー音と共に、リョウセイの携帯の液晶はロック画面へと戻された。

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