2:杜籠県-⑥

 軽太はコラツルの撮影の邪魔にならないようにという建前で、カータクとそぞろ歩きしていた。交流相手と言えば家の人しか居らず、流石に誰かと接したくてしょうがなかったのだ。


 軽太にとって、蒼尾族と蛇人族の見分けは容易に付く。まず体表が全く異なる。モノクロ写真ですら蒼尾族固有の黒い模様と、根本的に異なる体格とで判別がつく。軽太にとって目立った例外といえば、先程の鳥類二人と、偶に蛙のような種族を見かけるくらいだろうか。どちらにせよ一目瞭然だ。


 人間は人間の識別が容易だ。逆を言えば、その他の判別は疎かになりやすい。誰が誰であるかは勿論、雌雄さえ判別できずにいた。初め軽太は彼らを胸で判断しようとしたが、爬虫類には乳房も何も無い事を思い出し早速諦めた。服で見分けようにも、そもそも男女で著しい差があるように思えない。一方で彼らといえば、彼ら一人一人を区別しているようである。

 声に関してはもう、動物の鳴き声がこの場に混交しているようにしか聞こえない。会話を頑張って聞き取ってみたが、意味不明であった。全員がコラツルのような言動をしているようにしか思えない。軽太として、自分が疲弊している自覚は到底なかった。


 カータクは、横に並ぶ彼の様子を尋ねるや否や、ブルースクリーンを吐くように暴れ出した。軽太は自分の気を疑った時にはもう遅く、金切り声を上げつつその辺の草を手当たり次第、殴りながら力づくで引っこ抜いていた。


 数秒して、軽太は現実を受け入れられず暴れ竦んでいた体が落ち着いたことに気が付く。身体を荒らげさせた痕跡だけが、彼の肺を突き動かしていたのだった。

 ☆


「ごめんね、その……暴れて」


 軽太は慣れない左手を用い、腰バッグから絆創膏を取り出す。数瞬前に出た言葉が空謝りだった気がしてならない。正気を無くした当時の自分を冷静に思い返していて気味が悪いのだ。


「ああ、大丈夫っすよ」


 ――さて、手当が終わった軽太は人物の識別法を訊くこととした。全く同じ姿でないと認識すれば疎外感は減ると直観が告げたからだ。顔と腹と尾を見れば分かると言うが、詳細を訊き理解を諦めた。咬みたい腹、尾の膨らみ等、大真面目に性風俗を説明する彼の熱意を無碍にも出来ない。苦笑いしながら聞き流していた最中、不意に、スズスハ親子から類推すれば良いこと天啓が舞い降りた。思えばコラツルのみ全く口調が異なっていたが、特に方言とも訛りとも感じなかった。どうも蛇人族女性の会話音声はどうも古典的な機械音声に近いし、形式張った行動が多い。寝ぼけたかのような挙動はコラツルを連想させる。逆に男性は抑揚豊かだし、ボディランゲージが激しい。ペンギンか何かのように警戒心がなく、基本的に衝動的だ。周囲の認識としてもフウギが大人しすぎるだけのようである。


 蒼尾人に関しては人間の逆で、女性が男性より声のトーンが低い。軽太は声変わりするかカータクに訊いたが、肝心の彼は人間の声が発育とともに著しく変化することに驚いている。尻尾のない人も少数存在し、軽太は身体障害の類だろうと察し尋ねないこととした。


「そういやさ。君って男なの?」


 軽太の認識として、カータクは中性的なトーンで話す。それに、『カラーコンタクトをしている人=女』と信じて疑っていなかった。無性別気味な見た目に拘りがある一少年としては、こちらの世界にも女装家が居るのだろうか、と少し期待する。


「さーねー。俺も知らねーっす」


 彼は微笑んだように見える顔を見せ、スカートを風に煽てさせる。


「えー。……ぇえーー」

「まぁ、男っすけど」


 カータクは、『兄は』と脳内で付け加える。予想を超えてきた事に軽太は驚愕を隠せず、カータクの弄びには気が付かぬままだった。


 ☆


 帰りの列車の中、カータクと軽太は各々の釣り革に左手を預ける。カータク側の座席の遠くでは二人が談笑している。


「『蛇人に比べりゃ楽勝』だっけ。あれどういうこと?」


 軽太はカータクに気掛かりを話す。窓の向こうを眺めようにも既に見た風景しか流れないし、スズスハ親子と会話しようにも彼らは爆睡している。取り押さえられた際から、その言動に関心を誤魔化せないのである。


「……ニンゲンって警戒心無いんすか?」


 背景の分からない質問に対し、不安げにカータクは感想を漏らす。今彼に思う感情は、敵意と形容するのが一番相応しいだろうか。


「不審者には気をつけてるかな?」


 軽太は訝しむようにしてカータクを見る。お互い様であるが、決して疑問形で発するべき言葉では無かった。


「だからその……外国ってニンゲン居ないっすよね?」


 カータクは瞼を開き、真剣に彼を諭そうとしていた。


「よそ様も人間だらけだよ……」


 目を瞑り困惑する彼を他所に、カータクの瞼が力む。


「待てよ。この世界の外国に、俺らや、お前のすぐ後ろで寝てる奴みたいなの、居ると思うっすか?」


カータクは言葉を選び、具体的な質問を心掛ける。幸い蛇人との数多との会話から、宣言的な説明には慣れている。


「そりゃあ。……え」


 一瞬、思考が止まる。基本的事項が異なることは想定していたが、こうも違うなどとは想像出来ないし、無意識に思考から排除していたことに気が付く。カータクが微笑むのを見て、軽太は欠いた飄々さを取り戻す。


「アイツら力強いんすよね。道具必須」


 カータクは肩を組み、手すりに背中を凭れさせる。彼が素だと自称する態度だ。


「要るって……スタンガンとか?」


 軽太自身、スタンガンまで要求されるとは本気で思っていない。ただ、この世界の異常さを鑑みればこの程度、突飛なものが出ても決して不自然ではない。


「刺股程度でOKっす」


 『頑丈な』、と付け加える。猛獣処理と何ら変わらないようで、胸を撫で下ろす。


「あと、口輪してない奴は本当に近寄るべきではないっすね」


 カータクの視線の先を見、理由を把握する。


「咬まれて死ぬとかそういう――」

「毒が回るからっす」


 間髪入れずにカータクは応答する。何の装飾もない言葉が軽太の耳へ入っていった。


「嘘だろ?」


 軽太がパラダイムシフトに直面した場面での感情は、『驚愕』で片付く程度のものとなった。最初こそ言葉にもしがたい程の感嘆符でしかなかったが、それも何度も身の回りで起こば慣れてしまうものだ。


「……死ぬほどではないんでしょ?」


 彼の発言もまた、『この世界では、毒牙を持つクマが文明的生活に参画している』と読み替えてしまえば気にはならない。致死毒ならば口輪では対策として生ぬるい筈だ。


「普通、毒で死ぬことはないっすね」


 『ほらな』と、軽太はちょうど背伸びをしていた。


「――で、お前との相性が悪かったら?」 



 徐ろに、車体の中央へと軽太の体が寄る。後ろを振り返る。コラツルがちょうど目を醒ましていた。


 軽太の体はバランスを崩し、前へと倒れる。いつから手を吊り革から離れていたか覚えていない。停車していることにさえ気付いていなかった。

 硬い表面をした何かが彼の体を抑え込む。体がカータクに抱えられていたのだ。冷静さを欠いていない軽太にとっては新鮮な体験であり、何も出来ずに居る。


「……ま、コラツルはその辺のリスク分かってるんで、大丈夫っすよ」

 

 彼の顔を見上げる。軽太は、悪ぶれた目を逸らす彼の左足を踏み、元いた場所へと戻っていった。


 ☆ 


 軽太に貸し出された部屋は最初、清掃が行き届いて居なかった。尤も、埃や生ゴミの類は無く衛生上清潔ではあったし、微弱な臭いも換気程度で収まる範疇であったが、軽太の言語常識として、ダンボールや内容物等がさし迫っている窮屈な部屋を『片付いている』とは形容しない。


 人の家を勝手に弄る趣味は無いが、軽太は昨日の朝決心し部屋の隅へと追いやった。彼は間違いなくこの家に棲むしかないと確信しているし、この世界で生きるしか術は無いとも確信している。眠気を感じる頃に、酉後へと跨いでゆく感覚もまた奇妙で仕方がなかった。


 障子の音を聞き、軽太はその方角へ首を回す。想定していた位置に彼女の顔がなく、周辺視野を頼りに反射的に床の方を向く。


「来たぞ」


 重たい声を上げつつ、コラツルは瞼を瞑り不機嫌そうに四足で前進する。彼女は匍匐中、何度か蛇腹に前脚を当てて感触を確かめては、疑問をいだきながら更に前へ進んでいく。彼女は自身の腹部の膨張に現実感を抱いていない。事実として腹は張っているが、本当に張っているか確信出来ないのである。


「来てくれてありがとね。病院ってある?」


 軽太は挨拶だけ交わし、間髪入れずに本題に入り込む。


「病院?」


 コラツルの視界には、ちゃぶ台の前に胡座をかいて座る彼が見える。口調こそ別物だが、その大胆な姿勢はコラツルの脳裏にナザネルを思い浮かばせる。


「その……ぼくが行ける病院?」


 軽太は右手で、自分の顔を柔弱そうに指差す。


「? 言っとる意味が分からん」


 彼女は血に乾いたような声色を発する。実際、コラツルは意識のどこかに焦燥感を追いやっていた。


「だからその……ぼくが、安全に受けられる治療ってある?」


 軽太は声気を一層強め、手を大袈裟にふる。彼は幾度となく、常識の恐ろしさを思い知ってきた。コラツルは非常識でも何でもない。喩え強靭で毒を持っていようが、この世界ではありふれた一般人でしかない。郷に入った以上は、どこまでも郷に従うしかない。


「安全に……?」


 コラツルの倫理観として、彼のような単なる例外は常に許容されるべきである。郷から出る術もないのに何もしないのは非人道的なだけだ。母はそう彼女に教えていたし、彼女としてもその言葉は幾ばくとも噛み締めている。


「その……脳震盪とか、癌とか、大量出血とか! そういう、ね? すっごい手術要るやつ!」


 軽太は片目を瞑りながら、姉にごねるように話す。彼らも人間を知らない事に気が付けたのは僥倖であった。後はしつこく訊けば良い。幸い、コラツルは質問を厭わない。質問が不明瞭なら問い返す悪癖こそあるが、こうも心強い人に軽太は出会った事がない。


 コラツルは暫く床の方を向くと、軽太の顔を凛と見上げる。


「……無いじゃろうな」


 再び、場は沈黙と化す。軽太も知ってはいたのだ。人間に適合した治療法などこの世界には無いなんてことは。献体も何も無いのだから調べようがないし、確立した治療法も何も無い。この世界の標準治療を受けようにも、例えば輸血は不可能だし、薬もマトモに通じるか怪しい。知識である程度は補えるのだが、手術の要る怪我をしたら祈るしか無い。

 

「だよねー、本当。やだーーーー死にだぐないーーー」


 軽太は出鱈目に四肢と首を動かし、コウモリのような甲高い奇声を上げる。コラツルにとって彼の挙動は、背を地につけ藻掻く幼児のようであった。


「答えたまでじゃぞ」


 すぐに『事実を!』と付け加える。彼女の脳は最早、腹痛へと労力を割いていない。正直、コラツルは最初の質問からして彼の発する意味内容を察していた。延命手段など無いと伝えたら取り乱すだろうと想定していたし、知りたくもない情報を知らせたら間違いなく複雑性PSTDものだ。コラツルは可能な限り四肢と腹を床につけ、一切の情報を遮断しようとする。

 昨年のトラウマが蘇る。彼女の友人が外来種を外に逃した時のことだ。校舎にて愚行を知った彼女は処理不能の感情に襲われた。チャイムも忘れて彼女はただ相手に質問し、ただただ相手に事実を伝えた。科学的事実を前に激昂する相手が理解出来ずに居たが、今思えば相手に恐怖を植え付けるだけの発言であったし、彼女も恐怖に襲われた故の言動をしていた。


 コラツルは彼が怖い。彼も怖がっている。このまま不快な情報が入れば間違いなく取り乱すし、非力そうな彼に襲いかかろうもんならそれこそ命取りとなる。


「あー、コラツル?」


 リョウセイに衝動的に襲いかかった事件も脳裏によぎる。とっとと逃げてしまいたい。来るな。さわるな。


「……ぼくはヘーキだよ。もう暴れ終わったし」


 全く恐怖の無い声を聞き、わなわなと彼を見る。軽太は息を荒げてこそいたが、何事も無いかのように平常時の声色を発する。軽太は大袈裟な振る舞いこそしていたが、知っていたことをコラツルに言語化してもらっただけである。


「死ぬと知ったら怖いもんじゃろ?」


 威嚇と恐怖の混ざった音色で彼に声をかける。


「ぜーんぜん!」


 彼女は目を瞑っていた。後に、ちゃぶ台を叩くヒステリックな音が脳を通過する。後の会話も加味すれば、コラツルは余計に、ニンゲンという生物が理解出来なりつつあった。


「ま、死んじゃうのは確かにやだなー」


 軽太は障子を閉めに向かう。からっ風が不快で仕方なかったのだ。

 軽太はかつて野宿をよくしていたし、怪我をして帰ることも珍しくない。大腿骨を盛大に折り、搬送先で祖父に怒鳴られた際には死にたくもなった。それでも死のリスクとは経験し飽きた脅威であり、個人を判別出来ない世界の方こそ狂うに値する。未練という観点で死を恐れる必要も彼には無い。


「それより、裏切られる方が嫌だよ」


 だからこそ、彼は生き永らえる方が良い。こうも騙してくれたへの腹いせとして最適である為だ。障子の向こうからは乾いた風が吹いていたが、一瞬だけすきま風を発した後に消え失せた。


「お前、頭おかしいんか」


 コラツルは恐怖を忘れ、純粋な疑問を発する。反射的に発された言葉に思えて仕方がない。


「知っといて喚く方が頭おかしくない?」


 とだけ漏らし、軽太は改めて座ってコラツルの両手を握る。彼女にとって軽太の手の感触と言えば、肌の裏側に鱗があるようで非常に気味が悪い。


「教えてくれてありがとね」


 軽太は自信が不器用な方だという自覚はあり、感謝を伝えるためにはここまですべきと考えていた。


「……部屋に戻らしてくれ」


 コラツルは彼の思考が理解できないじまいで、部屋に戻った瞬間、布団の中で目を瞑っていた。昼夜とこうでは彼女の体力が持たない。何かやろうとしていた気がするが、それも忘れて身を毛布に委ねた。

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