5:東果列島-③ 黒い鴉のホームセンタ


 酉前6時半、カータクはKhR龍屾線の各駅停車車にて顔を俯かせる。一駅一駅停まるこの車両は彼の精神を高揚させてならない。歴史的な経緯から龍屾線は平日の昼間に一つ、快速指定にされていない列車が運用される。真昼間のダイアグラムに合わせてわざわざ乗る者は蛇人の鉄オタ以外に居ないが、カータクは自身の感情を務めて周りには見せないようにしていた。


 適当なタイミングで席を立ち、ドアの前に立つ。アナウンスと共にKhR車両の扉が開く。カータクはコンクリートの床を一人で噛みしめた所、茶の塗装を剥した柱・天井が無愛想に迎えてくる。カータクは手提げからICカードを翳し、外に出る。彼は自身の浮かれた気分を、すぐ足元のアスファルトの香りで誤魔化しながら最寄りのバス停へと歩いていく。


 乗車したバスは広告が空軍の求人へと変わっていた。停車駅の名前など確認もせずにバスを降り、カータクは出口の階段を降りて行く。濃青の車体が遠くへ、排気音と走行音を撒き散らす。後はマッスルメモリーの赴くままに、傾斜の急な坂を進んでいく。スケジュール変更から今日は方日の日程となっており、兌方日は午後に講義は入らないこととなっている。前借りした休暇を見せつけるように、爛々と手提げを揺らして前へと進んでいく。


 息を荒げつつも舗装道と山道の堺となる逆∪字のフェンスを難なく超え、気がつけば見慣れた色とフォルムをした柵にフェンスに家にが目の前にあった。インターホンを鳴らし、じっと待った。三回鳴らした後に家の主は応じる気配が無かったので、カータクはフェンスを開けて敷地に入る。続いて黒いコンテナのドアに手をかける。どうせ彼は家になど居ない。核シェルターに部屋を構える変人である。


 反射的に手を離したが、今度は刃物の類が降ってくることはなかった。コンテナ内部の陳列は特に乱れていない。カータクはしゃがみ、足元にあったハッチを叩く。


 数分してハッチのハンドルが回転すると、空気圧の音が隙間から立ちつつ漆色の体毛をした彼が飛び出てくる。


「よーっす」


 右手を振らせつつ挨拶をしたが、彼はカータクの前に立っていない。暫くの羽音の後、後ろから硬い足音が淋しそうに響く。


「なんだよ」


 カーラ・クースン。漆鳥しっちょう族の少年であり、最近に9歳の誕生日を迎えたという。


「お前が呼んだんじゃねーかっす」


 鋤鼻器の指す通りに振り返り、カータクは子供のような嫌悪感と共に呂律を回す。カーラは視界に入らないよう、コンテナの天井の足場へと捕まる。彼らは先月に出会って以降、電子メールにて会話を繰り返す程度の仲だ。主に彼の電子上現実問わずの悪行自慢を聞き流し、返信として悪ノリを添えてるだけなのだが。


「とうとう誘拐ってマジっすか?」


 カータクは折檻用の簀巻きにする道具を手に取り、ぼんやりと眺める。


「してねーって!」


 カーラは頭の毛を毟られる感触を思い出し、すぐさま嗄れ鳴き出す。


「カルタくんと仲良かったっすよね?」


 カータクは手に握られたものを持ち上げつつ、カーラの方を見上げる。陰鬱な気勢を続けたまま、思い出したかのように『謎に』の二文字を付け加える。


「書いただろ俺は! 『コラツルのキッチンが荒らされたって聞いたけどって何?』 って!!!」


 カーラはひとしきり早口で解説した後、簀巻き用の布から手を離すように叫ぶ。


「東果語勉強してこいっす」


 睨み面で耳を塞ぐ。破裂音とも摩擦音とも取れない鳴き声が煩すぎて貯まったものではない。


「話してんだろ!!」


 天井を両足で握るとガタガタと音を立てだす。彼はキューガの伝聞をそのまま東果語にしただけだし、文面には『言ってる意味がわからない』との註釈も付け加えていた。


「どうせカルタは下に居るんだろ? 出せっす」


 国文法の崩れた東果語を読むだけの能力はカータクにない。面倒だからそれっぽく返信してるだけであり、一部一部は推測でしか読んでいない。


「誰そいつ」


 カーラは尾脂を出し、乱れた羽根を嘴で整える。ワンテンポ置いて間の抜けた声を発する。

 

「はー」


 カータクはわざとったらしく大声を上げると、布を持った手を上に掲げて投げつける。コンテナの中に手衝撃音が響く。


「……要件くらいまともに書いてほしいものっすねぇ!」


 彼は怒鳴ると、情けない目で拘束具の方を睨んでいた。


「オレが出来ても、キューガちゃんが出来ねえんだって!」


 再びガタガタと天井の支えを揺らして怒鳴り散らす。鳥類種族は例外なく、発声に鳴管を用いる。故に彼らは複数の鳥類種族言語を統合した『鳥人共通語』にて会話する。口頭では秘密の会話を交わせるといえど、文章に於いては共通語に対応するメールソフトが、東果国に流通するOSに存在していない。


「は? ……互換アプリ使えよっす」


 教育学部でこそあるものの、職としてマスメディアを目指すカータクはIT方面に詳しい。故にカーラの説明したいことは察しているし、『彼らが互換レイヤーのアプリケーションの存在も知らないエアプ野郎』だとも想像はついた。


「それが、出来ないんだってば、キューガちゃん」


 カーラこそユゴス連邦規格のOSとPCと互換レイヤーのアプリケーションを用いることで対応しているが、彼女は東果国の携帯しか持ち合わせていないし、体型としても嘴でタイプする羽目となり不便である。故にキューガとのメールでのやり取りは大雑把なものだ。


「本当に免罪だったか」


 カータクはふと地面を向くと、折檻用の道具が落ちていたので、元あった場所に戻そうとしゃがむ。


「いやさ、キッチン荒らしてやろっかなとは考えたよ? でも面倒だし羽でバレたら捕まるし」


「親にぶん殴られるもんねっす」


 漆鳥族の家庭において、親の躾がドメスティック・バイオレンスなのは正常な家庭であるという。カータクは自らの経験から程度を想像していた。


「羽根を毟られたり、半日重りを付けられたりとか」


 嬉しいとも辛いとも取れない鳴き声でカータクの発言を訂正する。都心部を初めとした一般的な家庭ではせいぜい足で蹴られる程度なのだが、クースン家は特に過激な方だ。彼が口にした分でも軽い方で、拘束、目隠しをされた上で、雪の融けない外にぶら下げて放置されたことさえある。複雑性PTSDを含めた後遺症からもユゴス連邦では全くそのような家庭教育を推奨していないが、地元の因習の方が優勢な辺鄙な地域では過度な習慣が保存されている。


「□●※☆」


 カータクはカーラの視線を見ずとも後ろを振り向いた。動物の鳴き声にしては長い音声であった。


「……□●※☆」


 カーラが天井から同じ言葉を発するので、カータクも声真似をした。共通語なのか、ユゴス連邦東北部の漆鳥族間で使用されるという『ニーゾン語』なのかは判別つかないが、『ただいま』の旨を表す言葉なのだろう。彼が床に飛び立ち、翼の音を響かせる。


「○□☆●□◎」


 彼らの囀りを聞き、カータクは鳥人共通語は極度に抽象化された、ほぼ図形のような文字を用いることを思い出す。東果語文字コードの共通規格である『WahTaRuワタル 2331 KheHi』において大半は文字化けする。25年前に『Unicode』なる共通規格も考案されたが、種族ごとの精神性の違いやコストに見合わないことから実装しないアプリケーションは多く存在するし、そもそものOSでもここ最近10年で対応し始めた程度だ。東果国標準OSではワグン州共通文字コードには対応しているが、Unicodeへの対応は当分先となっている。


「……なんつってるんすか?」


 ふと、カータクは彼らの会話の中身が気になった。カーラはといえば、父であろう人物の翼が覆いかぶさっていた。


「恥ずかしいからやめて」


 父らしき人物はカーラにに嘴を近づけ、次の瞬間にはツンツンと触っていた。漆鳥族間では一般的な愛情表現であるが、カータクには伝わっていない。


「誰っすかね」


 カータクは彼に似た迷彩柄の腰布から父であるだろうと推察が付いていたが、意地から答えないこととした。


「ヒェールマ・クースン」


 カーラの一倍大きい彼はそう鳴いた。カータクの耳では彼らの声の判別はつかない。

 

「……」


 カータクはヒェールマにお辞儀をすると、コンテナの外に出ていく。彼らは最早興味の対象ではない。水主軽太の失踪には本当に関与していないのだろう。囚われの身ならば絶叫なり何なり上げるだろうし、死んでいたら殺人罪、または鳥獣保護管理法の対象となるか弁護士に相談するだけだ。

 やって来た父も誘拐など咎めるどころじゃないだろうし、家のどこに隠そうというのか。カータクは第二容疑者を思い浮かべる。帰宅する前に、少し寄り道しようかと考えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る