3:茜洛都-⑦
コラツルはレンタルの電動スケボーを借りて赴こうと考えていたが、魔が刺したカータクの一声には逆らえなかった。所要時間の23分が異様に長く感じられる。必死に手摺にしがみつき、立ったまま全方位を警戒する。
一日に莫大な人数を載せるこの電車のホームは注意喚起のアナウンスで埋め尽くされる。本来広告が掲載される箇所もシリアス調に乗車マナーを述べる。東果語は勿論、坵暁語や北苙圻語、ユゴス語まで取り揃わるこの都市は正しく『コンクリートジャングル』だろう。人の流れに任せつつ、カータクは厭そうに
コラツルは無心で階段を探し、5番出口へと急いだ。蒼畿地産品や江野丘を拠点とする本社の広告が彼女の頭上で光り響く。二人の事など考えられない精神状態であった。
出口を出、背後に二人が居ないと気が付く。左右を忙しなく見渡すも、彼らが続いては居なかった。多重の屋根に掛かった飛翔種族避けのネットが彼女を見下ろす。輝く避雷針や四隅の装飾も同上であり、彼女は本能と理性とを収める術を持たなかった。遅い二人が目に入り、とうとう手が出る寸前で正気を取り戻す。腹を殴られたと称するカータクを自業自得と断じ、彼を置いていくように歩き始める。
彼女は然程、都会の物に興味がない。彼女の日中の記憶といえば、地下へと降りた先のプラモデル専門店と、リュックサックの中に仕舞われたPe‐IIのプラモデルくらいだ。宿に戻る際も、黒灰色のコンクリートにノイズがかったネオン管の感触が染み付いて離れない。帰りの電車は行きと比べて格別で、コラツルには仮眠を取る余裕さえあった。
「昼飯また食べたくね?」
ふと、ツェラヒラは口を開く。大きい声であったが、隣で体を伏せるコラツルに聞こえることはなかった。
「……まー、普通に美味かったっすね」
カータクは食べ物に執着がない。認知機能障害と自虐する程には興味がなく、何を食べたかよく忘れる。
「いやー俺も地元で売りてー。売れるぜ絶対」
彼女の文脈から
「原材料どうするんすか」
車体は線路の切れ目切れ目で音を鳴らす。
「育てりゃいい」
コラツルはふと目を覚ます。彼女が水生菜の品種改良に興味を持つ中、カータクは微妙な笑顔を浮かばせる。
「失敗しないといいっすね」
彼の蒼い目は遠くを見ていた。水平線が朱の奥へと染まっている。
「俺が失敗したことあったか!?」
終点を知らせるアナウンスが行き通る。ツェラヒラと彼は感情を互いに向ける中、コラツルは乗車口と歩を進める。
「学部」
彼女に続き、カータクは席を立つ。
「おーそうだな」
ツェラヒラは目を見開いていた。その黄色い目は何も捉えていなかった。
乗車口が開き、コラツルは我先にとホームへと降り立つ。続いてカータクが列車を後にし、最後に魚皮製の靴が音を響かせる。
鳥が数匹、侘びしく鳴いていた。喧騒の圏外へと離れた。雲一つだにない夕空の下、三人は道路を歩く。
白い彼女の昂った声が暗がる路上を埋め尽くす。コラツルは何か厭な予感を覚えていた。
☆
「やっぱ3泊にしねーっすか。明日じゃ足らねえっす」
「なんで」
宿の白い客室の中、カータクは唐突に不平を垂れる。対岸では湿った夜の風景がガラス扉の先を埋めており、彼は憂鬱さを覚えていた。
「明日中にやれるか判んねー事があるんで」
ツェラヒラの疑問を適当に突っぱねながら、極力明日を考えないことを努める。カータクとて、あまり良い用事ではないのである。
「茜洛、きたねーし怖い、やだ」
茜洛都心部の薄暗い路地裏を思い出したのだろうか、彼女は忙しなく丸い眼を左右させる。二人が各々の布団に寝そべる最中、彼女はクッションにしてその場に立ちはだかる。カータクとしても、路地裏は景観を無くす程に電線が埋め尽し、電柱や変圧器には数多とグラフィティが横たわる光景はあまり精神衛生に良いと思わない。
「フェイクだろ、フェイク」
宿は首都のホテルらしく卦風を装っており、本場の東果文化を知る彼らにとっては不気味の谷だ。ランプの黄色を反映しない壁といい、べらぼうに黒を塗りたくった畳の縁といい、全てが狂気の沙汰を連想させる。
そも、都市圏の必要以上に治安を悪く装う様も、小賢しいレトリックを除去すれば『諸外国に舐められないため』。対岸で携帯に話しかける彼女は妄執的と捉えるが、彼としては至極真っ当な処置である。カータクは、あまりこの部屋に長居したくない。大陸で『ワル』とされる文化の雑な模倣なんかより、不自然な卦風が目について仕方がないのである。
「柄悪いよね、もっと掃除してほしい」
カータクらの思いなど存ぜぬと、彼女は自らを高揚させる。ツェラヒラの態度を前に、カータクは自信を失いつつあった。
「――。切るぞ」
コラツルは現状に気も留めない表情を続ける。聴き慣れた二人の声が微かに聞こえ、カータクは顔や舌を左右に振らせる。彼は幾ばくか精神的余裕を取り戻したのだ。
「外行ってくるっす」
ツェラヒラは舌を長くして席を立つ彼を追うが、カータクは右手で払い退けた。白くけたたましいノイズ源に付き合ってはいられない。暫くツェラヒラは部屋をうろつきながら、意味があるともないとも取れない言葉を部屋に垂れ流す。
「ねーねー」
コラツルの背中に何かが凭れ掛かる。熱苦しさを帯びたそれは彼女へ抱きつこうとする。
「邪魔!」
彼女は背に乗るツェラヒラに生理的嫌悪を覚え、全力で彼女を跳ね飛ばし距離を置く。父親の為の背中が穢された気がし、上服を上下に動かし祓おうとする。
「なんだよ! せっかく暇なのに!」
コラツルは跳ね飛ばされた彼女の顔を見上げる。ツェラヒラは自分が絶対だと思っている目をしていた。
「お前、服薬したか?」
彼女に顔の高さを合わせつつ、コラツルは彼女のバッグを漁る。
「あ。忘れてたわ。飲んでない。ヘーキヘーキ、触るな」
無視し、淡々と彼女のバッグのサイドポケットを開く。黒色の中、光沢と白を見せるそれはよく視認できた。慣れた手つきでパックを手に取り、彼女に掌ごと見せる。
「飲め」
彼女は気が大きい。本来、夜行性の北夷族にとって昼への適応は精神に異常を来しやすい。その時期は概月リズムと一致し、彼女の場合は数日の躁病的性質として現れる。
「いらねー」
ツェラヒラは自分が異常だと認識していない。認識できないのではなく、本当に認識していない。
「飲め」
淡々とした口調で、コラツルは彼女に服薬を促す。効くのには半日かかるが、法律の知識も疎い彼女相手であればベッドに拘束しておけば良いと考えている。
「俺にこれ必要あるん? 医者が勝手に言ってるだけだろ」
優位性のみを示す彼女に、コラツルは四足で這いずり近寄っていく。
「おい」
彼女は無機質な呼びかけをする。無意識にツェラヒラは後ずさっていた。
「なんだよ――」
現実を知覚する最中、ツェラヒラは下腹腹に重い衝撃を感じた。彼女の口輪の金属フレームがぶち当たり、疼痛とも圧迫感とも取れない感覚がひりつく。彼女は仰向きに倒れ、気がつけばコラツルに乗られていた。
苦味のある薬を入れられ、左手で口を塞がれる。彼女は気が付けば呑み込んでいた。
「じっとしとれ」
数秒の沈黙の後、ツェラヒラは。続いて口を強く振り手を放させる。喉仏を激しく上下させ、激しく舌を出し入れする。
「――、はあ、なんだよいきなり!! 俺に気あんのか!?!?」
二人は四足のまま睨み合う。コラツルは冷淡に荒い息をし、横にあった自分の黒いリュックを頭突き飛ばして中身を取り出す。右手にもった後、すぐさま、俊敏にツェラヒラの腹を押し上げに行く。
「じっとしとれっつうの」
意識の隙間の最中、彼女は両手をバタバタと抵抗する。内容物を持っていた右手に偶然彼女は掴みかかるが、コラツルは上腹部を頭突いて強制的に押し倒し、馬乗りになる。
「やめろって!! なんなんだ!!!」
ツェラヒラは布団の上、必死に両脚を動かそうとする。全身で暴れようにもコラツルは交尾前のオスかのように微動だにしない。両手を前に動かすことさえ叶わない。
「騒音になるじゃろうが」
コラツルは彼女の右手を掴み、手枷を嵌めて後手にする。自身がパニックに陥った用に持ってきていたものであったが、彼女を留める為には一晩分機能していれば良い。
「知らねえよ!!!! 助けろ!」
大声で叫ぶが、誰の耳にも届かない。やがて体力が底をつき、彼女の両手は虚しくも封じられる。
「助けとるじゃろうが」
コラツルは自身の口輪を外し、口を大きく上げるツェラヒラの頭部に無理やり押し込む。
「――!」
ツェラヒラは、無理矢理噛み切ろうにも口輪が邪魔をすることに気が付く。
「そこで寝とれ」
コラツルは彼女の両足も同様に縛ると、用を足す際は自分に訊けとだけ言い自身の寝床に赴いた。
☆
カータクは慣れた湿気を纏い、暫く外をぶらつき歩いていた。緋と翡翠色の寝間着をラフに羽織る。寝間着には全く拘りがないが、普段通りの紺色の服を着ようとは思わない。
元から共用の大浴場に入る予定であり、入った後は部屋に戻ろうと思っていたが、中々帰ろうと思えずに居た。白い面倒の処理をコラツルに押し付けたことが申し訳無い。救急車のサイレンを聞いた際には嫌気が差し、気が付けば東果国の文化を擬態した部屋の扉に居た。
騒がしい声がしないことから、恐らくは処置が完了したのだろう。カータクは期待し扉を開ける。
部屋の中にいる彼女らは音一つ上げていなかった。しかし、ツェラヒラの異様な姿は彼の想定外も想定外であり、思わず目を留める。
「……なんすかこれ。御用?」
咄嗟に、連想した言葉を吐き自我を保とうとする。というか、御用という言葉では言い表せない。むしろ、両手両足を背に拘束され、口さえ碌に開かせないその姿は過剰防衛の痕である。
「コンプラ違反」
何でもないとコラツルは応える。事実、彼女は咄嗟に精神科のマニュアルを思い出し、記憶通りに模倣しただけである。
「通報されたら終わるんすけど俺ら」
目を瞑る。彼女の奇怪な行動原理には慣れていたつもりで居たが、こうも捕虜のように扱われるツェラヒラを見ると、疑問が浮かぶようで浮かばない。
「どうせ寝とるし大丈夫じゃろ」
何がどう大丈夫なのか、考える気もしなかった。彼は自身の布団に赴き、就寝するとだけ告げ目を閉じた。
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