1:岶岼市-④

 次の日の夕方頃。岶岼大学の研究棟の影裏にて、コラツルは身を屈し涼んでいた。

 夕日に照らされたツハタアオイが蒼色の花を輝かせる。国の花とだけあり、どこでも見るし、淡い花弁も地面に散らばりがちだ。コラツルはといえば、硬いアスファルトとの変わり目を掌が通過する感触をよく楽しんでいる。この頃は冷たい地面が腕と膝に当たって気持ちが良い為、よく彼女は裸足で出歩く。それ故足裏が汚れることもあるのだが殆ど気になっていない。擦り傷ですら言われて気がつくレベルで彼女は触覚に疎い。

 舌を出し、ヤコブソン器官で嗅ぎ取る。僅かに、キャンバスの中央から木蓮の匂いがすることを嗅ぎ取れるが、それ以上にパパの鱗の香りと竹特有の乾いた匂いがダイレクトに至近距離で混ざっていて気持ち悪い。実際殆どこの行動に意味はないのだが、約束の時間をこうも無視されると行儀よくするのも嫌になる。タブレット型端末を床に置き、『まだか』と催促するDMを送る。


「時間通りっすね」


 数分の間ミニブログにストレス発散の航空機語りをしていた所に、聞き慣れた声を聞いたコラツルは前を向く。ひらひらとスカートがガーターベルトを付けた脚へとはためく様子が見えた。彼らの声帯は彼女らのそれとは相似器官程度の関係だが、若干トーンが低いこと以外は概ね同族の声である。

 『少し待って』と適当に書き込みを切り上げる。


「7分待ったぞ?」


 コラツルは上を見上げる。端末のUSBポートから小型キーボードを外し、同じく地面に置いていたリュックサックの中へと仕舞い込む。見慣れた顔だと知ったので遠慮なく悪態をついたのだが、向こうは何が面白いのか口先をにやけさせる。


「切り下げたら遅れなしっすよ」


 舌をチロチロと誤魔化すように出す彼を前に、『四捨五入なら10分じゃがな』と指摘する。実際粗探しをする程度には彼のコンプライアンス意識のなさに腹立てている。

 ナイラス・カータク。黒い鱗に黄色い線を通したような肌を持つ、教育学部2年生。ナザネルの弟でもある。

 コラツルにとってこの人は、外来服の女性的な服を着こなすが無性別であると主張する、変な蒼尾族だ。彼自身は男として扱われたがる他、好みの女性の話をすることもあるのでコラツルにとってはよく分からない。


「んで、儂が昼にした、『変な生き物』の話じゃな」


 完全に端末を仕舞い切ったコラツルは『よいしょ』、と立ち上がり、彼と目線を合わせようとする。全長からして彼より短いのだから身長で彼に叶うことはない。実際叶っていてもコラツルはデフォルトで人の顔を見ない。


「あー、うん。俺も付いていくんすよね。その服似合ってるっすよ、可愛い」


 カータクにとって正直、話の内容自体に興味はない。どちらかというと、彼女のガワと仕草目当てだ。

 コラツルは大学に赴く際、可能な限り服装を替えることとしている。例えば、カータクが上に羽織るような、外来服の形式を模した服を着るなり。普段持つバッグは持たず、リュックサックを背負うとか。普段頭部を覆う布もデザインを変え、口輪も竹製のシックなものにしている。パパに無理言って借りたお古の口輪がどうもマズルに合わず、そのキシキシとした感触を不快がるのをカータクは見逃していない。そういう意味でも可愛らしい生娘である。


「学校の連中が、変な生き物を見たと騒いどってな」


 そもそも議題が共有されていないことを確認したコラツルは、可能な限り簡潔に纏めることを心がけることとした。コラツルにとってナザネルの方が対話がしやすいが、手持ち無沙汰な友人を同伴者に出来るならば、別に兄でも弟でもどうでも良いのだ。精神性が違うのみで、持久力と排熱・蓄熱に優れた体という点では全く同じだし、彼は実際友人の中では暇な時間が多い。

 最初自分に報告した同級生にお供を頼もうと思ったが、結局『この件に関わったら儂は恨む』とハッキリ釘刺した。自分と同じ年齢でモラルない生物素人なんぞ信用できないのだ。

 一瞬、ある女が思い浮かんだが、彼女は獣医科学生であり多忙なため、方日ほうびの今日はスケジュールが合わない。大半の理系学部の友人は同様の理由で候補から削除した。

 ナイラス兄弟は文系の割に真面目な方だ。少なくとも、生態系とパパを冒涜する連中ではない。ナザネルは今引き籠もってるので、消去式でカータクになっただけだ。


「あー、それなら俺も見たっす」

「見た?」


 目の前の蛇女がこちらを覗き込むのを見て、ようやく話す気を向けてくれた、と内心悦に浸っていた。


「SNSで、っす。君の友人鯖に一垢拵えてるんで」

「……よくそんなの見とるな」


 コラツルは彼に関心を失い、舌をチロチロさせる。意図して嫌味を吐いた自分を認めたくないし、嫌味を吐かせたカータクへ見せつける目的はあった。『変な生き物』の目撃情報や写真に絵、家庭環境の嘆き、例の外国人への愚痴等あまり良い情報はない故だ。転校した直後に友人になった人なので試しにアカウントを作ってみたが、興味が湧く不快な話ばかりで見の危険を感じたので即エイリアスを作り逃亡した。今はそのインスタンス全体を彼女のミュート対象としている。 


「まあ、知っといて損は無いじゃないっすか」


 大半の人は趣味か身内か、所属する自治体でサーバーを選ぶ。ローカルSNSは連絡網としても機能するため、大学に所属した途端その大学の鯖へアカウントを移行させる者もいる。

 二桁にも及ぶアカウントを駆使し情報を収集しているカータクはかなりの変人だろう。実際、カータクは取り分けインターネットの扱いには長けている。コラツルも情報の授業で習ったことだが、東果国に於いてFediverseの発展は特に著しく、企業やその部門ごとにサーバー内にミニブログを立て、会社の近況を伝える程度は大半の企業が行っている。

 他の国ではあまり見られない特徴である。先生に詳しく聞いてみたがはぐらかされた覚えがある。目の前の教育学生が言うには『社会性地位や寡占に興味が薄く、かつこうも先進的な社会を営める国が非常に稀な為』だとか。


めてほしいもんじゃな。岶岼大サーバー見とるんなら」


 コラツルは瞼に力を入れ、カータクに懇願する。コラツルは大学の友人が多い為、大学のサーバーにアカウントを設けている。しかしまあ大学生とくれば浮かれた連中が多い。蒼尾人は取り分け、迷惑な存在である。良い面としては対等に議論を交わしたり雑談とやらを交わせるのだが、好奇心の高い連中は嫌でしょうがない。対等に話し合う年下がそんなに珍しいのか、妙な返信を送られたり、興味もない話題を吹っかけられたり。

 実際にキャンバスを歩いていて教えろと詰められたは我慢の限界に達した。気がついたら繁殖期のオスの如く相手を突き飛ばしていた。自分が非力な女じゃなかったら大怪我になっていただろうし、パパとはいつも通り取っ組み合いになりながら、『次から人目付かん道通れや』と、強く叱られた。言われた通り大学の友人に用がある際は人目のつかない場所を待ち合わせにし、極力人目のないルートと時間を選ぶようにしている。服装を変えたのもそのためだ。

  

「正義の味方じゃないんで。あいつらと関わって良いことはないっす」


 穢れるとばかりにアウターを扇ぐ。岶岼大生と積極的に関わらないカータクは蒼尾人として特異だ。彼の兄は典型的で、同じ所属に居る人とは積極的に話し、友人関係を築こうとするというのに。


「そういや、どこに行くか決まってるんすか?」


 改めてコラツルの方を向く。どうやら蝶に気を取られているようで、手に乗せようとジタバタしている。


「山の方」


 コラツルは蝶を諦めた後、自然に会話に戻りそのまま答える。


「俺は登れねえっす」


 カータクはそろそろ、彼女の言う『変な生き物』に興味を持ち出している。最初小馬鹿にしていたが、そもそも生物に詳しい彼女がUMAに騙される情弱などではない。集団幻覚の可能性も考えたが彼女の話しぶりからして昨日今日の話だ。蛇人族間ですぐ共有されるとは思えない。


「車で行けばいいじゃろ」


 移動する用意が出来たとばかりにコラツルは身を屈ませる。


「……運転くらいなら出来るっすけど」


 カータクは自信なさげにアウターの上耳部分を掴む。実際彼は山道での運転があまり得意ではないと思っている。


「なんじゃ、付き合い良いな」


 悪意のない言葉がカータクの心に突き刺さる。実際コラツルとしては見直したという宣言だ。


「俺は人の誘い無碍にしねーんで」


 口角を上げ、爽やかな人格を取り繕う。実際真っ赤な嘘であるし、自分がこうも取り繕っている事実が面白いのだ。


 その後、コラツル、カータクと、駐車場へ歩を進めた。カータクが電子ロックを解除した後、先にコラツルが車に乗り、助手席を倒し寝そべる。シートベルトを締め、5,6回くらい試行を重ねて金具を挿す。胴体の固定はしっかりなされた。

 カータクはというと、シートベルトの金具を流れるように挿し、車にエンジンを付ける。


「で、医者のお嬢ちゃん。どこにドライブすればいいですかい?」


 自動車の揺れをコラツルは四肢で受け止める。内熱機関のみで走る車は今どき珍しく、震える車体に身を預けるのはとても楽しい。家の車では決して出来ないことだ。


「ん、聞こえんかった」


 コラツルはタブレットを開きながら、わざとらしく大きい声でカータクに話す。騒音に声が遮られる点は嫌いだ。


「どこ、ドライブ」


 コラツルの聴覚を加味し、カータクも洒落の効いた言い回しを辞めることとした。


「地図のこの辺」


 と言いながら、彼女はマップを見せる。特に何もない廃屋だったが、人為的に荒らされた廃屋の話題が例の身内鯖で成されていたので、彼女の意図を酌むことは容易かった。


「了解」


 カータクは両手でハンドルを掴み、車のアクセルを踏む。車体の慣性を二人は感じながら目的地へと向かっていった。

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