1:岶岼市-③

「アタシが岶岼に来て数ヶ月した頃かな。同居人がさ、『山行こうぜ!』ってね」


 オーナーの部屋にて、リョウセイは徐ろに歩きながら、四つ足で椅子に座るコラツルを目尻に口を大きくする。


「その頃はちょっとアタシも荒れてて。行ってなんになんの、って思いながら渋々付いてったのよね。目的が紅葉狩りっつってたから」


 リョウセイは目を瞬膜で瞬き、両手を膝掛け椅子の背もたれへと凭れさせる。


「ん。……ああ、そうか。山路に向いてんもんな、その足じゃと」


 ちょうど、リョウセイの白を浮かべた蒼い後ろ足がコラツルの目に入っていた。本来の生息場所が山中である蛇人族にとって山路を交通は苦ではないし、蒼尾族も緩い坂か階段を選べば登山下山は余裕だ。

 汽陸族の足と云えば平ぺったく、指と呼べるものは第一~四趾が結合したものと、第五趾の二本しかない。それに少し走ると息切れする貧弱な肺機能しか持たないのだし、山に登りたくもないだろう。


「そこは気合でどうにかなるんだよな」


 リョウセイの声を聞き、コラツルは彼女の方を向く。リョウセイは『そういえば彼女の真正面の顔をあまり見ていないな』と言わんばかりに、椅子を回転さえながらまじまじと見つめる。


「ふむ、……ああ。枯れてるか判らんのか。まあ、そういうもんじゃろ」


 失念していたと言わんばかりにコラツルは前脚を顎の横に当てる。

 汽陸族は二色型色覚を持つ。端的に言うと、『「赤色」と「緑色」、「青」と「遠紫えんじ色」が区別できない』し、それを示す最も身近な根拠として、標準語と東果汽陸語とで、色彩の語彙の各々が示す範囲には著しい差がある。

 コラツルに言わせれば『合理的』であるが為に中々意識に上らないのだ。というのも先祖が光も希薄な領域に棲む深海魚であり、海から離れない生活をする汽陸族にとって、300~800nmもの範囲の光を識別する必要がない。

 尤も、海と陸を行き来する生物として合理的なだけであり、大半が蛇人か蒼尾人かの岶岼に定住するリョウセイとしては鬱陶しいデバフでしかない。


「そういうもんって……色で何度も恥かいたんだよ」


 リョウセイは胸鰭を萎びれさせる。彼女自身、『我々は東果語での「赤色」と「緑色」、「青」と「遠紫色」が区別できない』とはよく聞くし、そこを混同をすることは想定をしていた。

 だがその風評を鵜呑みにしたのは本当に失敗だったと後悔している。爬虫類共を気さくに緑の肌をしている奴と形容した際に、何を言ってんだって顔で『いや黄色じゃねっすか』と返ってきた時が忘れられない。

 赤と緑どころか黄色すら似たような色にしか視えないし、青と純紫色と紫外色も同じだ。調べた所若葉色と紅葉色も似たような色にしか視えず、とにかく失意の念でいっぱいだった。

 思えば、ニュースサイトやSNSでも色に関する情報は無駄と見做し飛ばしていた。自身がまともに文章も読まない世間知らず野郎だとも気が付き、延べ3週間は被害妄想に陥っていた。結局悩んだ末に下宿の備品は全て柄付きのものとし、私物も共用の部屋に置きっぱにするなと口煩く、再三言っている。マゼンタか大紫色か白色か判らん誰かの単色マグカップがテーブルに複数置きっ離しなのを見ると鰓にプランクトンが詰まる。

 同じ種族が集まると碌なことはないとつくづく思う。茜洛あかづら都のようなバリアフリーなんて知らんわって顔でこうも自然に障壁を作ってくる。


「だったからさ。本当に渋々付いてった。まあ、意外と分かるもんだね、紅葉とやらの美しさが」


 呆れるように窓の向こうを視る。ちょうど槐の木が蛍色の街灯でライトアップされている。


「ふむ……ちょっとは判別付く、とかか?」

 

 コラツルは首を傾げる。汽陸族は見える色の数が少ない一方で原来の細かい光度の識別能力は健在であり、疑錐体ぎすいたいの感度も、色の全体量が爬虫類共の半分である以上非常に高い。

  

「……圧巻だっんだよ。色とか関係なく」


 惜しいと言わんばかりにリョウセイが首を振る様子を、コラツルは否定の合図だと察するのにコンマ数秒かかった。下を向く彼女に見て気持ち受け取り方への疑問を感じ、『ああ、アンタの言う通りでもあるよ』と付け足しとく。


 『紅葉なんて視る意味ない』というリョウセイの地元の風潮が、『「赤色」と「緑色」が区別できない』が先歩きしたが故のデマだと知ったのは、実際に赴いた時のことである。

 些細な色の違いは重箱の隅を突く程度の指摘であり、生まれてこの度山など映像でしか見たことのなかったリョウセイにとって、葉っぱに関する全てが圧巻の一言だった。生で葉が大量に落ち地面に積もる光景自体が既に呆然とさせるし、突風により足元からてんでバラバラに散る様はなんとも言い難い。下宿の連中とのいざこざより余程世界の視え方による齟齬を痛感した。


「ま、アホな地元の連中はこれも知らないで今ものうのうと海運作業でもしてるんだぜ」


 鰾が痙攣し、半笑い気味となる。つくづく、同じ種族が集まると碌なことはない。


「……別に楽しそうじゃが」


 コラツルは前脚を組み、この部屋にある本棚に関心を向けていた。決して話を聞いていない訳ではないし、彼女の意図の通り滑稽で笑える話なのだが、特段重要な話に聞こえずどうでもよくなっていたのだ。


「言い忘れたけど、これは本題じゃないわ。テストみたいなもん」


 椅子の軋む音がコラツルの気を散らせる。パンパンと弱くリョウセイは自身のスカートをはたく。


「テスト?」


 コラツルは半目気味で彼女を見る。前置きが長い人だとは何度も思い知らされていたが、『テスト』とはなんだ。


「ま、通過儀礼に近いもんだよ。アタシが伝えたいことって、に留まらんからな」


 リョウセイは椅子に腰を掛ける。汽陸族誰しも自分と同じ感想を抱くし、そもそもコラツルなら識ってて当然だし、正直ウザいの一言だ。


「前置き長いんじゃよな」


 コラツルはちょうど耳辺りが痒くなり、頭に巻くタオルごと指先で軽く撫でる。これでもかなり言葉を気遣ったと思うが、実際発声して言葉の酷さに気が付いた。


「こんな事も分からない馬鹿ばっかだからな、世間ってのは」


 腕と脚とをピンと伸ばし、ガラガラと欠伸をする。シマシマちゃんならまだしも、この年頃の蛇人族は他者目線で考えなくて嫌になる。


「儂は馬鹿ではないが」


 ……例えば、目の前の彼女とか。リョウセイは溜息を付く。


「……ま、それ以降、ちょくちょく山の方に行くようになったよ。登山書書いてもっと上の方に登ったりとかな。酸素薄いし死にかけたけど」


 その薄さはと言えば、服を全て脱ぎ川に潜り酸素補給した程だ。実際死ぬ程ではないのだが、酸欠故に常に走馬灯が見えて気持ち悪かった。


「馬鹿じゃろ」


 コラツルが冷笑を口輪越しに浮かべるのを見て、リョウセイもそれを聞き笑う。実に滑稽なエピソードだ。


「それはいいんだ。大体冬休みはいる時くらいかな。KhRに乗ってさ、たつやまえ分水嶺公園の方でも行ってたら、何か、人影のようなものを見たんだよ」


 枯れ木に覆われ、陽の光が殆ど差さない山道のことだった。一瞬後をつけようとかというらへんで一旦記憶が途切れる。

 リョウセイは少し躊躇うように胸鰭を触る。その部位の殆どに肉質故の弾力が伝わる。


「そこからの記憶は……ないな。気が付いたら川の流れの浅い所で鰓付けて寝てた」


 目が覚めたのは昼時くらいのことだ。全裸であることに気が付いたリョウセイは真っ先に川から出、誰も来ないことを祈り身体を乾かし、すぐ近くに干されていた自分の服を着た。

 帰宅した後は大変だった。なにせ3日も行方不明となっていたのだから。


「……うっかりしとっただけじゃろ?」


 時計を眺めるコラツルに、『まあそうかもしれんな』とだけ相槌する。実際自分のことだしうっかりしてたんだろう。

 率直に言って人為的なものしか感じないが、コラツルはこの手のものに疎いので説明しないことにする。


「で、その頃からかな。アタシは変な夢を見るようになったんだ」


 その話題はコラツルの関心を引く。父から精神医学の話はよく聞くもので、夢にはとても興味があるのだ。


「人の形した何かが、アタシの見る夢に混ざってくるんだよ、毎晩毎晩毎回毎回。変な妄想にも取り憑かれたよ。身体が偽物とか、知る由もない感覚の記憶とか、そういう。うちの主治医には鼻で笑われたけどねえ、夢も本当に意味不明だしさあ!」


 リョウセイはガシガシと肘掛けを持つ。感情を堪えられず、リョウセイの声の震えは頂点に達する。コラツルにとってその化け物の唸り声は聞き覚えしか無く、その近辺の記憶が想起される。

 彼女とは元々接点は無かった。自分の友人であるナイラス・ナザネルが別の学生の家に泊まりに行くと言い、悪ノリで女将さんを驚かせようと言うから付いていっただけだ。

 暫く数時間ほど部屋主と遊んでいたが、その時の記憶はあまりない。コラツルはデジタルゲームとは無縁であり、特に興味はない。会話は二十四分おきに一回くらいで、その数少ない会話の殆どがゲームシステムに関する質問攻めであった。


 ふとコラツルは、早く家に返してほしいと苛立ち始める。実際何時間経過したのかと思い携帯電話から時計を確認してみた。

 13:35――概ね、日の入りの時間となっても食事を持ってくる気配がないことにナザネルも気が付く。コラツルが父と定めた門限を優に超えていた。

 『様子見に行くわ』、と言葉を部屋に残す彼と共にオーナーの部屋を目指した。『邪魔だ』、と。聞き慣れない質の声がドア越しに、くぐもるように聞こえる。

 ナザネルがノックをしても応答する気配はなく、そのまま彼は襖を開けた。


「それで……腕を斬り落とした、と」


 コラツルは続きを思い返す。二人の眼の前に居たのは、汽陸族の中年女性。それも、左腕に包丁を握った。

 生々しい鉄の匂いが二人の舌先を貫く。よく見れば彼女は右腕の肘の先以降が無く、動脈血をただただ、カーペットに撒き散らしながら、本来あるべき体の部位を包丁で叩き潰していたのだ。


 気が付いたらコラツルは無言で見も知らずの彼女に飛び掛かっていた。門限を破った罪悪感と眼の前の異常な光景とが混ざり、軽くパニックとなっていたのだ。

 ナザネルの声が場を貫くも聞き入れる精神的余裕など無く、コラツルが理性を取り戻したときには、彼女を四足で跨り、互いに顔を向けあっていた。

 

 その後はナザネルが救急車を呼び、リョウセイは然るべき治療を受けた。いくら再生能力の高い種族とはいえ四股切断の回復は非常に時間がかかる。腕と言える形になるまで3ヶ月を要した。

 そして再生した片腕のリハビリに一月を要し、回復後は退院し下宿のオーナーとして復帰した。


 結果として彼女の異常行動を止められたのだが、コラツル自身は好く思っていない。恥じらいと嫌悪感を誤魔化すように自身の左手を眺める。


「……説明可能なことってあるか、夢で」


 蛇人族のメス全般に言える事だが、人の方を向く時は胸元あたりを見る。面と向かって会話する生態でありその文化圏に居るリョウセイにとっては一瞬気が付かない。


「……見たこともない……なんだ? ……なんつうか、全部のものが、見たことあるはずなのに気持ち悪いんだ」 


 その抽象的すぎる悪夢を思い出し、頭を抱える。実際彼女にとってそれ以上、夢の中身は説明不能だ。とにかく、『訳が分からない』としか説明ができないし、無理矢理解釈をつけようとして壊れた。

 

「象徴的なものとか、そういうのはないのか」


 コラツルは分析心理学の教科書的な語彙を用い尋問する。失った記憶と悪夢とが関連していると睨み、夢分析を試みているのである。



 リョウセイは暫く戸惑った後、重たそうに口を開く。



「象徴? …………あー、さっき言った、人の形した何かと、決まって見たこともない『自宅』の中に居たりとか、――場所が決まって、南失なんしつ高原だってことくらいかな」

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