4:蛇芭大社-⑩ 忘れ草散る有為の奥山
☆
「あー、あれ? 東果の社の統率取ってるだけの省だよ」
ヌヌカは瓦礫のように置かれた物入れ奥のリモコンを口に取り、オオトカゲのように∪ターンをする。
「……? 神社が統率取る必要ってあるの?」
軽太は地面に置いたバッグの荷物を指差しで確認しつつ、質問を続ける。彼は神祇省という未知の言葉に魅力を覚えていた。
「信仰とかバラバラだしね、津々浦々」
彼女は口からリモコンを離すと、今度は前足でリモコンを引きずるようにして運び出す。
「?」
軽太は引き続き荷物の整理を行う。彼は人の家に立ち入ったことはないが、どうも応急手当の類は持っていくべきではなかったらしい。リモコンが床を這いずる音が耳障りに感じて仕方がない。
「整えてるの、喧嘩が起こらんよう」
ヌヌカは平易すぎる東果語で解説を続ける。軽太にとってその口調は一般的な小学生に近い。
「? 神話の統合とか?」
彼は自身の顔色を、疑問が浮かんだ時のそれに変えつつ、適当な解釈を口に出す。軽太は日本神話程度しか知らないが、神話の統合の歴史があったとは、小学校の日本史で学んだ気がする。
「ちがう」
ヌヌカはナザネルを横切った後、流れるようにしてリモコンのオンオフボタンを押す。
「?」
軽太はいっそう首を傾げる。その顔は年少の人間に対する顰め面へとなっていた。LED光がなんとなく嫌になってテレビに背を向ける。
「神話の統合というか、原始の神話の再構はしてるな」
『神話学者に高い金を払って』と、嘲けつつ補足をする。ナザネルからすれば雑な研究を元に助成金を横領する『自称・神話学者』について、その神経の図太さには感心を覚えている。
「『喧嘩が起こらんように整える』って。本当に喧嘩しないようにするだけ……?」
軽太は這いずるヌヌカの方へと立ち上がる。そも、人間史といえば大体はアイデンティティの統合あるいは導出で出来上がっているものだ。日本でも征夷大将軍に江戸幕府、更に言えば獲加多支鹵大王等、列島のアイデンティティの統一を基軸とする出来事には尽きない。軽太にはそこまでの語彙力など無かったが、強烈な先入観を抱く程には人間社会への常識はあった。
「そーそー」
彼女は嬉しそうに鳴き声を上げる。
「……意外と、科学的だね」
軽太は感想を呟き、勿体ぶって地べたへと座る。彼の中で神祇省とは、カッコいい存在から地味な存在へと格落ちしていたのだ。
「そーゆーもんじゃねえの? 行政って」
ナザネルはテレビを見ようと地面へ寝そべる。公的機関のうち、社会的推論が主たるものは非科学など信用しない。
「おいは微妙だった」
ヌヌカは『そーゆーもん』に対する信頼を指して口を挟む。
「家がね、強すぎて」
彼女はテーブルの上を片付けては、声ごと力ませつつその上へ乗っかる。辻天もそうではあったが、実際に公的手続きを行うまでは半信半疑であった。
「影響力とかそっち方面で?」
軽太は体制を整えてテレビを見つつ、彼女の奇怪な言い回しを解読する。
「そうそう。あと夫も」
声の源を気にして二人は振り返ってみる。彼女もテレビの方を向いていた。軽太にとって、こうも荒れた自宅の中にて寛げる彼女は異様に感じて仕方がない。
「崐央出身って聞いたが」
ナザネルは崐央県の印象が耳元に浮かんだ。崐央は行政の杜撰さにて悪名高い。まず、田舎の町村については野山と大差がない。その自治体に棲む者は蛇人しか居ないのだが、公共施設が既に不便極まりないものであり、当自治体との連携はブラックな仕事と称される。尤もその分厚生等は手厚い為、精神衛生上携わろう人は物好きである、に尽きるが。問題は県庁所在地こと崐央市だ。政界に深く関わった者は狂気に堕ちるという。カータクは怖いもの見たさからマニフェストを覗いてみたが、物々しい雰囲気から数日は情緒不安定となった。
一見は正常な文章でしかない点も恐怖を誘う。行政が二重に信用できなかったのだろうか、とナザネルは推測する。
「顔を合わせたときはまともなんだ。でも、一度家に帰れば妄想漬けになる。怖いだろ、うち」
ヌヌカはテーブルから降りたのち、再び床を這いずり回る。そもそもの映像など見る気もないようだ。
「なんか、どっかの本で見たな、同種族が仲良く出来る数、っていうの」
「……ダンバー数?」
藪から棒の話しぶりに対し、軽太は特に考えず、ふと思い浮かんだ言葉を発する。ナザネルからすれば『ダンバー』など聞いたこともない言葉であった。
「たぶんそれ!」
ヌヌカは割り込むように回答する。彼女は言葉など聞いているようで聞いていないし、ダンバーというクランベリー形態素も解読する気はないだろう。
「……そのだんばー数ってのが、蛇人は高々30程度って聞いたことがある」
ナザネルはダンバー数を生物社会学で言う『安定社会匹数』と考え、その通りに返す。蒼尾族の200に比べれば非常に少ない数であり、彼らが30人の壁を超す為にはルールやプロトコル、法律の手を要する。
「急にどうしたのさ」
軽太は、地べたに付いていた手を少しひねってナザネルへと向ける。急に人が変わったようであり、彼の意図がつかめない。
「ストレスなんじゃねーの、一族で纏まるってこと自体」
蛇芭一族は辻天には30世帯ほど、東果中ならば100世帯程であろう。一世帯4~5人であると考えれば優にその数を超える。
「かも」
ヌヌカは興味を無くしたように歩を止め、天井を見だす。
「不祥事の連発なんて想定してないんだろ」
ナザネルはぶっきらぼうに腕を慣らして席を立つ。恐らくはルールとして敷かれているであろう『一族の掟』も、種族上は同族である相手に対して不公平を要求するものだし、一度エラーが起きた所で修正は難しい。
そして一般に蛇人族は想定外に対して脆弱だ。そうなれば――
「――コラツルのせいだとか、辻褄合わせしようとするよな」
ナザネルは一度携帯の画面を付け、通知を確認して庭へと出やる。数時間ぶりの日光だ。軽太はお辞儀をし、適当な別れの挨拶をして車の向かうだろう方角へと向かった。
「ああ~、時間なんで帰ります! これ、ありがとうござい……」
彼は慌てて家の中へと戻り、携帯ゲーム機をヌヌカの元へと返そうとした。既に彼女は何処かに消えており、一瞬は彼女をお探そうと考えた。
「……置いとくか」
ナザネルは彼女の位置の予測など出来ないと考え、彼は机の上にでも置いた。
☆
宇沽野から山囲へと続く帰路を夕日が照らす。助手席のコラツルは無言で頭の下に伏せ、風景に対して無反応でいる。
「つーか――」
ナザネルの口はフィラーをばら撒こうとしていたが、隣で眠る軽太に気が付き声を収めた。そういえばフウギも無言であり、フロントガラスの前の光景のみに集中している。
山囲での一時間は退屈でしか無かった。彼は右に倣って睡眠でも取ろうかと考えたが、目が覚めたとて長いトンネルの中だった。トンネルを通過する車両と、空気を巡回させる巨大なファンの音だけがナザネルの鼓膜に響く。ジタバタと両足を動かしたところ、何かがポケットに引っかかったので取り出す。視認する頃にはそれが携帯だと把握していた。
ナザネルは携帯の電源を付け、ツェラヒラとのSMSを開く。
『暇だわ』
考えの赴くままにタイプし、「送信」ボタンを押す。
『なんだよ』
『辻天 帰り 退屈 暇 なんとかしろ』
続けるようにして、頭の中のタイプ予測の通りに言葉を並べる。ナザネルにとってのツェラヒラとはからかい甲斐のある存在だ。間近で何度も何度も会話と情緒を重ねたのにも関わらず、ナイラス兄弟が同一人物であることさえ知らないのだ。カータクの破局を聞いた際は心底呆れの感情を浮かべつつ、互いに陰気な方の人格への悪口を重ねていた。決して仲の悪い関係ではない。
『なんでそんなとこ行ってんの???』
『友人の付き添い』
ちょうどトンネルを抜け、画面は一瞬暗くなった後に再び輝き出す。
『コラツル?』
『そんなとこ。あとカルタって奴』
座席の横側にて軽太は口を大きく開け、欠伸らしき音を立たせる。PAに止まるというので、ナザネルは一旦外に出ると伝えた。
『誰?』
車が停まり、緩やかなエンジン音と外の環境音がブラーがかるのみとなった。
『ニンゲン』
ナザネルはすぐさま外に出た。体が強張っていたので道路を駆け、気が付けば無人のガソリンスタンドの方へとついていた。
『造語症か?』
給油口から店舗入口を数往復した後に体が運動を止める。ナザネルは横隔膜を荒げつつ、数瞬だけ彼の記憶を辿ってみる。弟は彼女に軽太の存在を伝えていなかっただろうかと戸惑う。
『リョウセイにでも聞きゃ良いんじゃねぇ?』
ふと軽太はリョウセイの家に預けられていたと思い出し、ぶっきらぼうに書き込む。
『うちのオーナー、帰って来てねえ』
『山で遭難しただけじゃねーの? また』
『は?』
『あの女だしあるあるww』
ツェラヒラは困惑を浮かべているとは理解しているが、ナザネルの体は従う気がなかった。彼からすれば、自分がツェラヒラに餌を与える感覚になりきっていたのだ。
『これで3日目なんだがな』
ナザネルはすぐ横にて轍の作られる音を聞き流していた。
『それもあるあるだろ』
『ないないなんだわ』
『これで俺が料理させられる苦行 is なに』
ナザネルはスマホを一旦右手に仕舞い、周囲を見渡す。ガソリンスタンドの屋根の中のようで、一台、車が給油を行っている。離れた防風柵の先では夕焼けと、農業用機械とが停まっており、ビニールハウスと共に轟々とした音を立て続ける。
『え』
血と鉄とムチンと、その他多くの臭いを思い出していた。次に感じた感覚と言えば、魚を叩き潰すような衝撃音で、その次には知人同士の金切り声。自分の怒声。今にでも飛び掛かりたいと、筋肉中に衝動を撒き散らす自分自身。塗装された金属の感触。携帯を持つ手が震えていた。
010。気が付けばナザネルは文字をタイプし、そのまま送信していた。緊急通報用電話番号である。ふと頭の横に当たった、透明で乾いた感触のそれを見やる。
『ふざけてんのか』
ツェラヒラの反応を見、彼の混濁しつつあった情動は怒り一色へと点火した。
『(# ゚Д゚)』
『俺様は眼の前で見たんだぞ』
『フツーに嫌なもん思い出させんな』
ナザネルは画面を凝視する。気が付けば大胸筋を伸ばしては縮ませていた。体が舌を出させては無理矢理、ガソリンの匂いを嗅がせて仕方がない。
『スマンね』
通知を見、ナザネルの緊張は緩む。ツェラヒラはしおらしく返していたのだろうと想像でき、意識的に肩の力を抜く。
『ヘーキだよ自分は(●`ε´●)』
現にナザネルは血液や死体、部位の切断程度では動じていたのではない。ナザネルからすれば、自身の軽率なイタズラからコラツルをパニックに陥らせた事が度し難くて仕方がない。
『何だよその顔』
ナザネルは再び画面から目を背ける。目前の自動車は通り去っていった。
『変換ミス。じゃ!』
ナザネルは携帯の電源を切り、周囲の状況を確認した後、再び同じ道を駆けていった。
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