4:蛇芭大社-⑧ 社に植ゑらる風車
軽太の世界では、『霊』とは人間の手で否定された存在であった。超能力を持つ存在は多少なりとも存在したが、科学的に立証された後に『存在しないもの』へと成り果てた。結局、人外とされたものも人間の内でしかないのである。
☆
「もう一回聞くけど、存在しない世界ってどんなんだよ」
祇社からすぐ数キロ泛にあった資料館の閲覧料200仾を払いつつ、ナザネルは再三疑問の感情を口にする。彼らの世界において、霊とは身近な存在である。科学的思考が普及する前も、東果国のみならず、大半の国々では経験則的に『霊』の概念を理解していた。
「観測可能って本当に言ってる?」
資料館は二階建てのようで、軽太は階段の向こうで大声を上げる。観測機器は
「カータクの専門でも出て来んだよなー」
ナザネルは手をラッパの形状にすると、恥を貫くようにして大声を向ける。『三角形は3つの角と3つの辺で成り立つ』程度の一般常識を語る気にはならず、真っ先に階段を駆け上った。
蛇人族こと、ツハタオオカナヘビは最も霊とは身近な存在であった。東果列島の遥か南方に位置する邁寵列島にて、進化の過程で霊能力を手にした。
「……あの緑の人たちって視えてるの?」
ナザネルの階段を掛ける音を聞きながら、軽太はすぐ横の説明文を斜め読みし、咀嚼する気もせずただ自分の解釈を話す。どうせ軽太にとって説明文の解読とは『源氏物語』の原文を読むようなものだし、そもそも人間の存在しない人文領域の把握など不可能なためだ。
「っつっても、『ある気がする』ってだけなんだがな」
尤も、現代に棲む9割以上の蛇人にとって、霊とは『視える気がする』程度の存在である。北方が原生地の亜種たる北夷族に至っては、頭頂眼など痕跡器官に過ぎない。科学技術を用いても存在が立証できただけであり、現代に於いても機械的解読は成功していない。
ナザネルは説明を加えたところ、ちょうど目は対角線上にある儀礼場のジオラマを見やっていた。木材や削り取った岩等、素朴な素材の組み合わせを塗料とニスとで塗ったもので、ナザネルは小学校の頃の図画工作を連想していた。
「あいつらは分かるらしいぞ、死体が何言ってんのか」
知らぬ間にナザネルはアクリルに手をかけていた。蛇芭一族を初めとした霊能力の強い家系は代々、神祇に仕える存在として栄えた。霊の持つ情報を彼らの理性に耐える言語的情報へと暗号化し解くことでダイイングメッセージを聞く事さえ出来る。
特に、龍屾の彼らの霊能力は高い。蒼尾族の霊的情報を初めて解読し、体系化した偉業さえある。渡来した蒼尾族からは『
「なら、死んでも大して困らないってこと?」
ふと後ろを振り返り、ガラスを触るナザネルに対して神経質に指摘する。彼はさっと花柄のハンカチを取り、触れていた近辺を丁寧に拭き取る。
「悲しいことに、魂魄は永遠ではないのだよ」
魂も永遠ではなく、やがて周囲に希釈されて消滅する。種族等、生物として基本的な情報は長く残る一方で、読み解くべきダイイングメッセージといった情報は平均で11日後に消失する。
東果国では「霊とは意味内容そのものたる
「そりゃそっか」
軽太は再び振り返り、一人呟く。
「ぼくも死んだら視えるの?」
壁際のガラスのケースを見つめつつ、適当な感想文を呟く。彼の視野には慣れない書体で書かれた巻物が見えていた。
「……無理だろうな」
ナザネルは不確定な情報の開示を躊躇いつつ、右回りに歩いて彼に近づく。
「視えるだけで、お前が何思ってるかまで分かんねえよ」
種族によって魂魄の質は異なる。異邦の種族に効果を発揮するためにはあと十世代程の歳月か、一握りの天才に賭けるしかない。
「視えてんじゃん」
軽太は一通り文字と絵図とを流し見したので、予定通りに資料館を後にした。
☆
「処分する場所ない? ボトルの」
空のペットボトルの質感が鱗に障り続け、ナザネルは迂闊に口を開く。
「ゴミ箱、ないよね」
ふと軽太は疑問を呈する。
「あー5年前、ゴミ箱を使った毒殺事件が起こってな――」
ナザネルは自身の記銘能力を濁すため、ニュースを暗唱するように語る。特定の組み合わせの物品がゴミ箱の中で混ざるようにし、致死濃度の毒ガスを発生させた事件である。手軽な手法であるが故に模倣犯が相次ぎ、今では公共施設からゴミ箱が撤去されるようになった。
「……その辺に棄てたら駄目?」
情報の波に疲れ、軽太は予備電力を駆使するように考えていたところだった。
「駄目」
「いや、川とかさ」
彼の知る外の世界にはゴミ箱はないし、人一人いない地上にて不要物を棄てたところで誰も咎めない。棄てた跡が残るのが嫌なのだろうと推測していた。
「十分アウトだわ、ボケ」
ナザネルは不埒ないとこを思い出し、ぶん殴るようにペダルを踏みつける。
「お米踏んづけるようなもんなの?」
軽太は、彼が勢いよく前に進むのをぼんやり見ていたが、口にしてようやく、軽太の脳に想像が追いついた。
「それやって村八分に遭ったダチの話でもする?」
ナザネルは高校時代を思い出す。彼の友人は清掃中、自身の弁当の米を踏み荒らした。不味い飯である等と鳴き喚いていたのだが誰の耳にも届かなかった。その冒涜的な行動はインターネット上に伝わり、結局彼は居場所だったコミュニティ上で無視されることとなる。発信者情報開示請求等の作業を行う術が無かった為に泣き寝入りになったといい、ナザネルもこれ以上を思い出すつもりはなかった。
「そんなことやるんだ」
愛想笑いを浮かべ、先程も通過した花の方を見つめる。蝶はどこか遠くに飛び去ってしまっていた。コラツルのような人々が村八分めいた行為を行うとは考えにくいし、杓子定規な彼ら相手にそんな事をすれば訴訟沙汰にもなるだろう。
「蒼尾人は陰湿だからなぁ」
ナザネルは思いっきり自転車のペダルを踏みつける。蒼尾族は種族や相手、場面により精神性が大きく変わるというが、当事者からしたら『ただ陰湿なだけ』だ。
「なんか、水と油だよね」
軽太は一度欠伸をすると、小学生程度の言語能力で要約を試みた。蛇人族と全く別の精神性を持っている、という内訳は正常にナザネルにも伝わっていた。
「……シラネー」
多くの種族と親しいナザネルからすれば、むしろ『水と氷のような関係』だ。同じ帰属意識を持ち、互いの精神性も理解こそ出来るが、決して相容れない。
☆☆
二人は嫌々、昼食を摂りにヌヌカ宅へと戻った。彼女は朗らかな態度で歓迎するので、軽太はナザネルのような仏頂面を貫いていた。一般施設のそれに比べ奥へと広がるオリーブドラブ色の天井は強く、彼に不穏感を抱かせていた。
「てか、なんだその……汗?」
入口をくぐった最中、軽太を覆う白いベールらしきものに気がついたナザネルは、慣れない日常用語と共に首を傾げる。
「汗かかないの?」
軽太は陰に差し当たった所で首を傾げた。彼の頭は現状、空のように広い天井にのみ支配されており、爬虫類と発汗の欠如とがよく結びついていない。
「管椎目じゃあるまいし」
「そういやそうだった」
ナザネルの困惑した様相は無視し、軽太は雑多なガジェットに囲まれた椅子に座る。時計の秒針が8回、場違いに綺麗な音を鳴らした後、隣の椅子が引きずられる振動を聞いた。うろごろと寝転がるガラクタに対する苛立ちを抑えつつ、つとめてテーブルから目を離した。物こそ散らかっているが、よく観察すれば埃が一厘ともない。彼はケーブルを部屋に巡らせる、新品も同然のテレビの筐体から目が離せずに居た一方で、頭の中では汗の処理方法を考えていた。汗故に獣臭くなることが恥ずかしい。蛇人族も蒼尾族も熱の発散とは口や鼻頼みのようで、直接的に発汗する器官を持たない。軽太は自身が放つだろう異臭を想像したくない。一刻も早く肌着を脱ぎ捨ててしまいたかった。
「ほい出来たぞー」
ヌヌカは料理をテーブルへと載せると、ナザネルは形態を仕舞い、軽はずんだ声で体ごと90度、テーブルの方へを向ける。彼女はテーブルの下に這いずって食事を始めた。
軽太はヌヌカの口が開くのを見、彼女を視認しないよう、そっと、料理の乗った器を手探りで持つ。続いてその内容物を視認した。
刺身である。軽太はすぐ、瑞々しくも仄かに血腥い匂いを感じ、先程捌かれたばかりなのだろうと想像がついた。そのどれもどれもが皿の上にて丁寧に盛り付けられているのを見た軽太は、ここがゴミ箱を引き摺ったような家であることも、汗だくの衣服のことも忘れていた。
「もしもーし」
ナザネルが隣で、食べながら呂律を雑に回す中、軽太は白身を一口、口に運ぶ。淡白で舌にしっかり絡みつき、サバサバと食感が離れるような味わいはアユに近い。気が付けば全てを平らげていた。
「? 誰?」
ナザネルが反応しないことから完食を優先させた。室内で食べるサバイバル飯というものも新鮮だ。殺風景に綺麗な家の中ならば逃げてしまいたい程の不協和音だが、程よく蓋のない掃除機を引き摺り回した程度のこの部屋を眺めながら食べる分にはそう感じない。平時より遅く、一つ一つから出汁を搾り取るように噛んでいった。
☆
『滅びるべき存在じゃ、消えろッ!』
完食しきった時、軽太は聞き慣れた声に気がつく。ナザネルは携帯を持ち、そこからコラツルの罵声が小さく音割れしていた。彼女は息を吸う暇もなく言葉を発していたようで、すぐに空気を肺に通過させる音を発した。
ナザネルは至近距離で音割れを浴びせた彼女に悪態を漏らしつつ、すぐに沈着な態度で、居ない彼女の方を見据えた。
「死ね死ね消えろだけじゃ、よくわからんねーんだよな」
彼は軽太に席を立つと申し出、最後の一切れを口にする。彼は適当に目についた中庭へと出ていく。
『儂も判っとらん!』
画面の向こうの彼女は相変わらず、動物の叫び声を二者に発する。
『儂が天才天才言われるようになった三ヶ月後には、蛇芭の連中はようわからん態度取りよって』
ナザネルは眠気を覚え、適当に聞いた言葉を口にしていた。
「天才ってそんな――」
『霊能力の素質』
画面の彼女は切羽詰まらせた態度を割り込ませる。
「ようわからんって何だよ」
ナザネルは数秒、ハッキリと目を開閉させていた。嫉妬した同級生に疎まれる程度の才能ではないことへようやく、思考回路が巡った。彼女は言葉を喉元で詰まらせ、その間無言を続けていた。
『……』
コラツルからすれば、空と海の区別さえつかない世界の記述に等しいし、科学者としての矜持が、意地でも観測した狂気を認めさせたがっていた。
『何をしても儂に結び付けられる』
数歩分のノイズを鳴らしつつ、彼女はいっそう抑揚の無い声で実体験を述べる。『動物を観察すると霊能力に結び付けられて気味悪がられる』、『ラジオコントロールのヘリが壊れたのはコラツルのせい』等は軽い方だ。『彼女のプラモデルが壊れたのは霊気のせい』などと吹聴されたこともあるし、主犯は別の蛇芭一族であったという。
『リノ、という女が壊れたのは儂のせい、なんて話も聞いたな』
ナザネルは湿った、瑞々しい芝生がふいに気になりだす。コラツルは修業など殆どしていないが、神職が遠くない身としては荒唐無稽そのものであった。
「なんでお前なんだよ」
足先を芝生にこすり鳴らしつつ返答を待つ。
『知、ら、な、い。』
わざとらしく、音節毎に区切れた声が発される。携帯を持たない左手を急に慰めたく感じた。
「……一旦切るわ、昼食で」
彼女は理由を答える気がない、ナザネルは強迫的にそう解釈し、適当に口と足を動かしつつ携帯電話の終話ボタンに手をかける。
「なんだったの」
「適当言ってたななんか」
ナザネルといえば、爪先を世話しなく閉じては離している。岩の上を伺うような気分と共に、軽太にゲーム機を貸すように手を向けた。
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