4:蛇芭大社-⑦


 岶岼市とは質の異なる日光を浴びつつ、軽太は蛇芭祇社の参道を登る。ナザネルは、彼が坂の前で頭を下げた事が不思議で仕方ないが、自転車での競争に負けたことが悔しくそれどころではなかった。


「鳥居って無いの?」


 半ばで、彼は口を開く。半ズボンの彼は仄かに暑い今に似合っており、一般の人間にとって『普通の友人』とは彼のことを指すのだろう。軽太としてはカータクに比べ、邪気がないために親しみやすい。


「……寺にあるもんだぞ」


 ナザネルはガサツに足を運びつつ、機械的なイントネーションを発する。実のところ、厭味の一つでも言いたくもなっていたのだが、弟のような情動から忌避していた。


「この柱は?」


 柵と木々に囲まれた参道の脇には石像の正六角柱が並んでおり、その上で蛇の石像が彼らを見下ろしている。所々がひび割れており、石色のダクトテープによって補修されている。


祇柱ぎばしらのことか? 祇域ぎいきと俗界を分けてるらしいな!」


 ナザネルは雄弁に舌を動かし、『柱で囲われた中が祇域である』とも続けて知らせる。軽太は、境内を定義するポリゴンのようなものと解釈した。


「そういや、蛇人以外の葬式って――」

「不謹慎だな!」


 ナザネルは軽太の目を見つつも、反射的に大声を森林の中に響かせ溶かしていた。


「何を今更」


 軽太とて、社でする話でないことは承知の上であった。東果国において空気の読めない行動とは、コラツルからして大した恥ではないようだし、そもそも彼で狼狽える彼も大概である。


「わかってる! 自分らの場合は土葬だな!」


 発言は無知故であるとは理解しているが、どうしても蛇人小学校の自由極まりない生徒を連想させ、アナフィラキシーショック気味に口を破裂させる。


 軽太は一度足を止め、詳しい話を聞き出した。東果列島を含む、東ワグンに棲む蒼尾人は死者を初めは個人が識別できるような形で埋めるという。蒼尾族は死後35~40日以降の方日ほうびに洗骨を行い、再び同じ地にて今度は識別不能なように、バラバラにして埋める。


 北夷族、汽陸族についても聞き出した。北夷族も概ね、蛇人族と似た内容の風葬であり、汽陸族は死体のうち肉の部分を焼いて喰らった後、骨は海に流し祈るという。


「リョウセイさんも食べたの? 両親」


 軽太は顔を輝かせつつ、輝かしい声を放つ。常識等はとっくに捨て去っており、年齢相応の好奇心のみで聞いていた。

 

「そりゃ食っただろ……」


 ナザネルは彼の凹凸に欠ける顔を見、訝しい顔で対応する。東果国の文学的表現に於いて、共食いとは血筋の継承の意図を含んでいたのだが、そこまで説明すべきだったかと少し後悔する。


「なるほどね?」


 軽太は神妙な顔をすると、本人も気が付かぬ間に歩いていった。


「よく顔が変わるな?」


 ナザネルは遠く曇った声を出しつつ、彼に慌てて数歩分、大きい足音を出す。話題が話題故にトリメチルアミンの臭いを感じてしまい、彼は鋤鼻器に舌先を遠ざけていた。


「いやあ……なんかね」


 軽太は再び足を止め、内面の言語化をためらう。


「?」


 訝しみ、目を見開くナザネルを前に、軽太はぼんやりと蒼黄色黒のそれを見つめていた。総じて彼らは、死を当然であると受け入れている。人間社会では『死』という自然な存在ごと埋め立てているように感じたし、平然と埋立地に近寄る友人には猜疑の目を向けていた。


 人間基準では軽太は、自らが全くの異常者である自覚があったが、軽太からすれば彼らのほうが自然な態度に見えてならない。


「――! 行こっか、神社」


 鳥の羽ばたく音が二人の耳に入る。軽太は再び足を止めていた事に気が付き、燥ぐ子どもを取り繕って上り始める。


「祇社な!」


 奇っ怪な態度を見せる彼の語彙を戒めつつ、ナザネルは彼に追いつかんとした。



 ナザネルは軽太から断片的に語られる日本国の宗教事情を聞きつつ、自然と知識を深めていた。祇道では名の無い而神あまつかみと名を持つ地祇くにつかみの双方を崇めるのだが、日本国の『神道』では天津神、国津神を崇めるという。

 而神は形而上の存在を神格化したものに対し、地祇は故人等、土地に依存した具象物を神格化したものである。蛇芭大社では『龍』のシニフィエを崇める神社と、『龍』から零落した様々な具象物を崇め納める祇社を多数抱える。日本国の天津神・国津神は祇道の二者とは異なり連続した概念ではないようだが、礼拝施設はまとめて『神社』だという。


 荒魂・和魂についても、東果国に対応するシニフィアンがないだけであり、弟が調べた文献を複数思い出して意味内容を紐づけた。思えば、物事は多面的であるのが当然であるとナザネルは受け入れているし、東果国に於いて異議を聞いた例がない。神道では神の人格さえ分割するというので、ニンゲンにとっては余程に受け入れ難い事実なのだろう。


 ナザネルが神道本体にて唯一驚いた点といえば、『神社の神域に立ち入り可能』であるという点だ。神社の神域は森林内部や山奥の滝等、人目の付かない空間である。一般人の立ち入りは禁止されているし、神職も修行や儀式目的でしか赴かない。非公開の情報も多く、神事に関する情報漏洩は防衛秘密と同程度には厳罰である。ニンゲンの世界は科学技術が進み、相応に廃れた世界であるというが、ナザネルには東果国が数世紀後にそうなるとは到底、想像がつかなかった。


「昭和からして雑だったからなあ……」


 参道の側にて木々に祇柱の陰をくぐりながら、軽太は世間話を続ける。


「だからって、カオスすぎんだろ。天地開闢前の宇宙か?」


 ナザネルは知的な興奮を覚えつつ、本能的に舌を動かしてでも理解しようとする。神道には、そのあり様にも驚愕ものの歴史を多く抱えるのだ。


 東果国に於いても拝天教と祇道は混濁としているが、水と氷のようなもので、原型が判別不能な程ではない。それに比べ、神道と『南アジア州』から伝来した『仏教』の関係とは熱湯にミョウバンを溶かすようなものだった。近世には『キリスト教』と呼ばれる外来宗教も流入したとも。ナザネルは近世に汽陸族が流入したようなものだと捉え、それ以上は考えないこととした。


「……それを言うなら『ビッグバン前の宇宙』じゃないの?」


 軽太は『開闢』の意味を解さず、苦し紛れに小学生程度の語彙を捻り出す。


「科学ってつまらなくね?」


 ナザネルは正面を向き直しつつ、軽太の知的に見せた言い換えを流す。自然科学とは世界を都合よくするツールでしか無い。癪な表現ではあるが、彼もカータクと2割は同感であった。


「そーいや、そっちの世界に霊っていねえの?」


 ナザネルはふとコラツルとの会話を思い出し、足に突っかかった虫をようやく取り払うかのように軽太の方を向く。


「存在しない、かな」


 砂利の道から石の床に移り、二人の足音は硬くなる。ナザネルとして乾いた砂利とは裸足で踏みたくなるものであり、頻繁に下を向いては脱靴欲求に抗っていた。


「変な言い方だな」


 ナザネルはふと、遠くの祇柱を見やる。動物の像は最早こちらを見ておらず、彼らの背が見えていた。


「フィクションの存在ってこと」


 軽太はしまったと口を覆おうとしていた。ナザネルの物言いの意図こそ理解していたが、脳で咀嚼される前に口が動いていたのだ。ナザネルは帯から天然水の入ったペットボトルを取り出し、賽銭の前で飲みだす。


「……こっちの世界、本当にお化けいるの?」


 彼は掌に白色の指先を当てつつ、無自覚に服の胸元を掴んでいた。


「居ねえけど?」


 ナザネルは空のペットボトルを潰して帯に挟み、代わりに懐に入れておいた5仾玉を二枚取り出す。東果人の認識として、非常識とはすぐ隣町に転がって然るべきものなんだが、彼のもつそれは特に体を煩わせる。


「なんだ、幽霊は居ないんだ」


 軽太はため息をつき、賽銭箱の前で立ち止まる。かつての地上に放置されていたものと全く同じ形状であったが、朽ちた様相でないそれはとても新鮮に映った。


「幽霊はいる。で、お化けと何の関係があるんだ?」


 ナザネルは彼がお化けを出した意味を理解したが、意図して理解しないふりをした。軽太の髪が、もつれた雑巾の繊維のように西方へと流れていく。彼には笑顔が伝わらないと知っており、ナザネルは無言で馬鹿にしていた。


「……宗教的な意味で?」


 5仾玉が木材にて転がる音が鳴る。軽太は財布に手を出した所であった。


「科学的に」


 ナザネルは頭を下げ、両腕を後ろに回して無音で祈る。


「……詳しく教えてほしいな」


 軽太は彼と同じ方式の祈祷をした後、すぐさまナザネルへと声を上げる。


「長ったらしくなるから、帰りで良いか」


 ナザネルは引き返すと同時に、想定通りの二つ返事を聞いた。

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