4:蛇芭大社-⑥


 介護施設最寄りの駐車場にて、フウギは体を強張らせていた。ドアを開けた途端、体が悪意に絡め取られるように、車の中から出られなくなった。ロックの解除されたままのドアが弱い音を立て、不完全に閉まる。フロントガラスにて輝く日の光。アスファルトのコンクリート。思考がこれ以上に進もうとしない。早急に外に出てしまいたかったが、本能的に扉のロックを施錠していた。

 しばらく彼は、周りを把握していた。娘は車に居ると行って彼について来ていたが、助手席に彼女はいない。恐怖が頭を襲う。フウギは助手席を信じられず、そこへと近づこうとした。


「儂はここで車を守っとるぞ」


 娘の声が聞こえたときには、フウギは震え出していた声帯を止めていた。コラツルは後部座席に入り込んでおり、外で見せないような大口を開いた。自分の口輪はフロントテーブルに置き去りにし、神経を尖らせるように、四肢を床に付けている。


 フウギは一旦、周囲を見渡そうと首を左右にふる。振る動作を続けながら、草鞋の紐を一旦緩め、ハンカチで足首周辺を覆うこととした。次に布タオルを尻尾の根本に結びつけ、地面に直接尾につかないようにする。自然と、ヌヌカの服装の長い裾を思い出す。

 草鞋の紐を留め直したと目視し、次は首に黒いタオルを巻く。頭頂眼の辺りにまで付いた所で口輪のベルトの中に押し込み、固定する。最後にフウギは手袋を嵌め、四肢を地に付ける。しばらく息をする後に機嫌を取り戻した。


「ほな、ワシは行ってくる」


 フウギはリュックサックを背負った後、地面へ這い降りて扉を閉じる。彼の体は倦怠感のみを這いずり散らす外界から遮断されており、今ではすっかり、学生時代の解剖の感覚を思い出していた。

 コラツルは席の間をスルスルと這い、ドアを施錠した。



 500泛も歩いた先の介護施設の物陰にて変装を解き、重量を増したリュックと共に、施設の中へと向かった。いつ、どこに蛇芭の連中の息がかかった輩が居るか等とはつとめて考えないようにしつつ、受付を済ませる。

 

 蛇人として、介護施設での生活とはストレスフルなものだ。問題点や改善策等はよろこんで受け入れられるも、人手不足であるし、施設自体も自由自在の空間ではない。フウギはこれが彼女が本当に望んだ老後生活であるのか、最早確かめる術もない。


 大昔、家族のうちで痴呆症となった者は霊山に還す習慣があったし、現在でも煩雑な手続きと厳しい審査から、生分解性素材による、貝紫色の枷を嵌めさせた上で霊山に放す直魂じっこん制度が存在している。彼はツルイグレと同じ立場になったならば手続きを行うよう伝えてあるし、捺印を押した肉筆の指令書さえ作成した程だ。

 

「スズスハさん、面会の時間です」


 フウギは職員の声を聞き、指示を仰ぐ。蛇芭一族は部外者である限りは敵対的ではないし、最早自分のことなど忘れている。蛇人の精神性からして疑う余地もないが、彼は忙しく、あちこちを睨むことで頭へと言い聞かせようとしていた。



 フウギは彼女の病室に立ち入り、付き添いの職員の退室・鍵の施錠を目視したのち、襟元に左手を伸ばす。


 1年ぶりに見るツルイグレは相変わらず、石製の手枷・足枷と共に革製のハーネスが付けられていた。枷同士を繋ぐ紐は鉄鎖であり、一般的なものより短く作られている。

 東果国の常識として、認知症の蛇人とは図体の大きい子供と喩えてもよい。故に子供同様、厳重に動きを制限されて然るべき存在である。口輪については籠状の部分を取り外せる仕組みで、口輪を外さずとも飲食が可能である。可動部の留め具は彼女の手が届かないよう、手枷の中央でハーネスの腰紐に繋げられていた。医療用らしく分厚い作りになっており、革の剪断さえ不可能な代物だ。両手足首にかかる質量をを気にし、掌で不思議そうに撫で回す様は5歳頃の娘に似ていたが、単に脳が萎縮したが故の行動であるとフウギは知覚していた。


「ほい、ワシじゃぞ」


 緊張から開放されたフウギは、反射的に挨拶を交わしつつ、彼女の前に左手を出す。


「……」


 眼の前のツルイグレは彼の手を掴むも、無視を続けるかの素振りを見せる。彼女はフウギを知覚こそしているが、意識を向けていないのだろうと容易に想像できた。認知症はどの人類にも発病する病であり、とりわけβ型認知症はどの種族に於いても病理が一致する。


「フウギはお前の部屋に居るぞ」


 精神科医として、フウギは末期の精神病によって荒廃した人々は何人も診てきた。外部要因が原因であるものを除けば、認知症によるケースは特に多い。例えば蛇人は人格の自閉という形で顕れるので、その手の患者に話すように、彼女に寄り添った三人称で話を進める。


「フウギ」


 彼女は彼を見るなりすぐ、彼の手の中にあるものを触ろうと、指を器用に使ってまさぐる。


「ほい」


 フウギは彼女の意図を察し、彼女の手に石を掴ませる。


「どこにあった?」


 平坦とした声でツルイグレは呟く。彼女はあちこちを向いていた。彼女は子供のように石を掴んでは、口に入れようとしてハーネスに止められる。


「家の近くに落ちとったぞ」


 彼女が引っ掻くのを見て爪が痛くなったフウギは、彼女の部屋の隅に置かれた石に指を指す。小学生低学年のように、物を蒐めているようで実は集まっていない様にはありふれたプレコックス感を覚えており、焦燥感からフウギは適当を言ってしまった。


「あれと同じ? 机の屋根上の」


 ツルイグレは身振りでは穏やかにフウギの意図に従っていたが、言語上では明らかに違う方を指した。


「ワシは石を知らん」


 幸い、彼女は病室が介護施設の一室であるとは記憶していないし、記銘した所で認知機能の外に追いやられる。フウギは落ち着いて言葉を発した所、彼女は無言で、果物が入るだろう籠の中に入れる。彼女はブドウを石の一種としか認識していないのだろう。果物入れ自体も彼女の病状に合わせ、籠の網目は大きく、小さい蒐集物がすり抜けるものとなっている。最後に面会時にも確認された症状であり、フウギは今更面食らうことはなかった。


「昔、フウギとお前は二人でゲームやったな」


 フウギは窓辺に二足で向かいつつ、小ジャブのように、昨年も交わした話を話す。彼女は四足歩行をすると反射的に幼児退行を起こすので、一歩一歩、後ろ足を噛みしめるように歩いていく。


「やった?」


 ツルイグレは相変わらずの抑揚のない声を発する。脳内ネットワークが蝕まれた彼女とっては思い出させる程の情報とならずにいた。


「NgETl。4代目の」


 フウギは手癖で窓のロックを外し、そのまま開けてしまう。建具を開閉する癖は公有地でない場所であれば顕著に現れる。彼女の前ならば尚更だ。


「4代目」


 彼女はただ反芻し、指先で物を握る素振りを見せる。


「戦えるWiウィ-1とか作っとったな、お前は」

「うん」


 フウギはWarbuild 2.5という海外のゲームを思い出す。世界各国の航空機を用いる事のできるフライトシュミレータだ。本来不可能な兵装を施すことが可能であり、彼女は輸送機でしかないWi-1にハードポイントを付けて遊んでいた。


「なんで戦えねえのか疑問で」


 彼女は珍しく自らの言葉を続ける。フウギは薬理作用こそ完全に理解しており、彼女が1年半前から多少は改善した態度を見せることも不思議ではない。


「……必要ないんじゃ」


 ――不思議ではないという彼の脳の予想と反し、実際のフウギは彼女の進歩に当惑を覚えていた。ふっ、と我に戻る時には、葉が吹かれ転がる音を聞いていた。


「輸送物、……落とす? のにうってつけじゃん」


 ツルイグレは、頭から失われた語彙を身振りと平易な東果語で代替しつつ、平常な会話を続ける。


「護衛がありゃーええけぇな! ぁぁぃうのは」


 フウギは最早、彼の立つ現在地が憎き天辻であることを忘れていた。娘にも滅多に聞かせない大声で騒いだが、防音ではないと思い出し声量を調節する。


「君みたい」


 ツルイグレは彼に言葉を発した。

 

「ワシはLasラㇲ-1xか何かじゃ」


 フウギは暫く押し黙った後、自分にとって当たり障りのない返事をした。

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