4:蛇芭大社-⑤ 死生観に於ける圏論

 36分もした頃に軽太は退屈に負けた。彼はヌヌカの自転車を借り、山道を漫ろ走っていた。蛇人用の自転車とは『ハンドル付きのスケートボード』に近い様式であり、軽太は立ち漕ぐ要領で運転させる。

 持ち手横には携帯端末が置けるスペースが用意されており、軽太のものとはピッタリ嵌った一方、自転車として自然な位置を握る際には被さり邪魔であった。

 ナザネルは許可を得た上で自転車をトランクに積んでおり、軽太が外に出かけると知りすぐに愛車を走らせた。蒼尾族は人間に近い骨格をしている。軽太からしても、彼の自転車は自転車だと認識した。一方で全く同じというわけではない。尻尾が脊髄と直結するために床へは座れない。自転車の台座も同上であり、尻尾を外へと受け流すように傾いている。


「やっぱ蛇芭祇社だよなー辻天と言やァ!」


 蛇芭祇社とは、本社を蛇芭大社とする祇社ぎしゃの総称である。本社は山の中だが、現在地とは盆地を挟んだ対岸に位置しており、自転車での往来は絶望的だ。分社でさえ、隠居の身であるヌヌカの自宅からは最近の場所でさえ25キロ泛はくだらない。


 ナザネルは帯にペットボトルをしまい、定期的に頭部に置くなり中の天然水を口にするなりで冷却している。軽太も一回り小さいペットボトルをハンドルごと握っている。軽太は自分の耐久力に不安を覚えていなかった。彼は身長が167cmと年の割に恵体なのだが、東果国の縮尺では2.7泛であるという。1泛が正確に何メートルか把握していないが、概算して20キロメートルよりは短いだろう。彼はその程度ならば1日中歩いていられるし、実際に何度もその距離を地上世界にて旅してきた。

 

「そういや、蛇芭大社とあの家族って――」

「名字見りゃ判んだろ阿呆か?」


 ナザネルは彼の言動からフウギを連想し、会話を殴り棄てようする。ちょうど緩い坂を駆け下りている所であり、惰性でブレーキを掛けていた。


「仲悪いの?」


 軽太は彼の言動からカータクを連想し、押し切るように会話を続ける。蛇芭は東果語で『スズㇲハ』であるし、軽太の耳でも『蛇芭』と『スズスハ』は全く同じ音として捉えていた。


 ナザネルは暫く舌を遊ばせつつ、軽太の方に蒼黒い瞳孔を向けていた。


「シラネー」


 彼は雑に吐き捨てると、首を前に向け直して進みだす。彼にとって蛇芭大社とは政治的に面倒な存在である。学術的な会話ならまだしも、雑談として出す話題ではい。現に車内でのフウギの説明は痴話程度にしか聞いておらず、ただただ腐り堕ちたその芳名を馬鹿にしたいとしか考えていない。


「なんかフウギさんの話もフワフワしてるというか――」

「場持たぬ地祇定期」


 軽太の無知に嫌気が差し、ナザネルは舌を突きつけるように話す。気が付けば彼は、木漏れ日がかった前の道に目を向けられていた。


「場持たぬ……なんて?」


 スピードを増した彼を追う中、軽太は未知の慣用句を前にしていることに気が付く。


「15禁でーす」


 ナザネルは駆け抜けるように、意図のみを判りやすく説明する。実のところ、先程のナザネルは口癖で『検索しろカス』とさえ言い放とうとしたが、インターネットでの政治的話題は誤情報の塊でしかないのでとっさに言葉を差し替えていた。


「社にそんな要素なくない?」


 軽太は疑問形という体で否定をする。追いつこうと徐行レバーを握る左手を緩めようとしたが、慣れない車体から坂道での事故を連想してしまい、余計に握力をかけていた。


「ありまくりだぞ儀式とか」


 『待って』と叫ぶ軽太を軽視し、多少は速度を緩める。軽太の自転車は坂道で速度が出せないことを失念していた。


「変な本じゃあるまいしさ……」


 軽太はブレーキを緩め、一息点くようなリアクションを返す。小学校にて、『「えっちな本の儀式とは性的行為を含む」という構造をがある』とよく耳にしただけである。


「でもその変なもんを祀ってんだよな~」


 ナザネルは隣町の神社を思い出し、顔も変えずに面白がる。二股の木の幹を祀る様を見て以降、ナザネルにとって社とは成人向け雑誌程度の存在となった。


「ちょっと面白そう」


 尤も、蛇芭大社は畏怖の念を持ち合わせてはいないのだが。ニンゲンも俗っぽさを解すると知るや否や、ナザネルはしめたと口角を上げる。


「な? 行こう!」


 木の陰から日向に差し掛かる所で、二人はウキウキと下り道を駆けていった。



 暫く漕いでいる内に、二人は辻天の市街地を横切る。崖を通じたすぐ左端には湖を取り囲むように近現代的な家屋が並び、その果には雪を残す山脈が取り囲んでいる。岶岼に比べても木造の家屋はよく目立っている。というのも、伐採されきっていない森林の中に入れ込むようにして建造されているためである。特に湖の近くでは朽ちたも同然のものさえ並んでいるが、そこにも洗濯物や洗濯桶とが並んでいる。一方で水源の遠くでは、ペンキで色分けしたような集合住宅や一軒家にがまだらに分布しており、軽太はシベリアの家を連想した。ナザネルからはユゴス連邦等の北国の影響であると聞き、勘が当たったことに個人的に満足した。


 市街地が木々に隠れる頃、蛇芭神社まではあと3キロ泛という標識を目にした。二人は辻天の景色が初見である軽太に合わせ、徐行したままであった。


「祭りとかねえの?」


 閑散とした道路を進む中、ナザネルは中身が半分のペットボトルを揺らしつつ、たぷたぷと苦言を漏らす。彼は人の多い所が好きである。


「資本家がね……」


 祭りという言葉に対して軽太は、アナフィラキシーショックを起こしていた。純粋に祭りを盛り上げるための屋台の列とは、軽太にとっては最早昭和の光景であった。ポケットティッシュを配る大人にくじ引きを開催する大人、ブランド品とやらを売り勧める大人等、屋台のうち商魂たくましい面だけを抽出しただけの存在となっていた。


 ナザネルは彼の異様な反応が気になり、カータクも遭遇したという『前提条件の違い』を探ろうとした。


「ニホン国の祭りって――」

「老舗のない商店街」


 軽太の抑揚のない声を耳にしたナザネルは苦行を連想し、既に退屈を想像した口を潤すため、ペットボトルに舌をつける。

 

「そういやさー」

 

 軽太は続きの台詞を躊躇し、前方にて舌を擦るナザネルの方を向き直す。彼が不思議がるのを見ながら、恐る恐る口を開く。


「……霊山って何?」


 市街地に差し当たるすぐ前のことだが、軽太は携帯のアプリにある交通案内を無視し、マップから算出できる『算数的に最短であろうルート』を選んでいたのだが、『卸躯おろぐ霊山』という看板と共に行き止まりに差し当たった。軽太はどうも自分の考えを曲げる気がせず、許可を取ろうと考えたのだが、ナザネルの態度はシリアス調に変わり始めた。市街地を徐ろに過ごして尚、至近距離の怒声と腕をキツく握られる感触はハッキリと覚えている。軽太は概ね、その想定が付いているし、それ故に余計に、聞いてよいのか判らずに居た。


「えっ。ニンゲンって葬儀やらんの?」


 ナザネルはポリエチレンテレフタレートで出来たそれを握りながら、体を彼の方へと向ける。彼は警戒態勢か何かのようにブレーキをかけ、体を横のめり気味にして着地する。


「……墓場?」


 軽太は無言でペットボトルを仕舞う彼を更に怖れ、わなわなと口を震わせる。


「そうだな、あと、なんだその顔」


 ナザネルは平常時のトーンで、怯えるコラツルに説明するように接そうとしたが、鳥類の水浴びのように唇のみを震わせる彼には面白みを覚え、つい真顔となった。


「この国だと、死んだ人はみんな山に埋めてるってこと?」


 ナザネルの意図を察し、可能な限り軽太は言葉の密度を増やす。軽太は意味内容をよく理解していなかった。峠浦とうげうら龍之介たつのすけの妻であった峠浦瀬奈せなもVR世界での遺像と、地上に置き去りにされた墓場でしか存在を認識していない。身近な人が死体に変わった瞬間を経験したことがないし、葬儀もよく知らないでいた。


「んや、蛇人だけだぞ」


 ナザネルは尾を彼に向けて、アスファルトの上を歩き出す。霊山とは蛇人の墓場を指す言葉である。龍屾地方では『卸躯オロぐゥ』だけで霊山を表すのだが、諸外国の近代化への対応に追われた時代からは、東果国の方針でこの地は重言で呼ばれることとなった。地名をデータベースに登録する際には正式に『卸躯霊山』と命名され、今では龍屾地方の人々からもそう呼ばれることとなった。


「にしては警備が厳重すぎじゃあない……?」


 軽太は、彼について歩こうとしたが、急にタンポポと、その付近を飛ぶ蝶に目と脚が奪われていた。軽太の知る人間の世界では、『死んだら焼いて埋め立てて終わり』であるし、義祖母の埋まる墓地跡にもダイアモンドフェンスや有刺鉄線に検問所、そして無地で恐怖を煽りたてる看板は設置されていなかった。


「出来ちゃうだろ、完全犯罪がよ。野晒しにすんだぞ死体を、俺様でも出来るわ」


 ナザネルは少しして、後続の足音が気になって振り返った所、野の草をじっと観察する彼を見、気付けば乾いた笑いを示していた。ナザネルはよく心から笑うのだが、軽太にとって彼らの笑いのシグナルとは、不自然な真顔にしか見えていない。

 

「あー、それで警備員がいたんだ……」


 ナザネルは『修行者な』と訂正する。霊山の管理とは神祇省及びに警察庁によって指定された社の管轄であり、霊山での弔いの儀式等で修行を積むものである。


「なんか……。なんでもないよ、行こう」


 軽太は喜と哀楽の混ざった感情を覚えて悩みそうになった一方、先程のナザネルの嘲笑気味の真顔を思い出し、何も考えず、ハンドルを握りナザネルを追い越した。


「んあ!? ああ、待てよ!」

 

 ナザネルは全速力を出す彼にすぐさま反応し、立ち漕いででも彼を追い越そうとした。結局、駐輪所までに追い越すことは叶わなず、悔しそうに自転車を停めた。

 

 参道に挑むまでの間、軽太はなにを思ったのかが消化出来ずにいた。

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