4:蛇芭大社-④


 軽太はフウギの車から降りて数分もしない内に、キャンプ道具でも持参すべきであったと心底後悔した。

 倉庫を中心にして人工物が蠢く彼女の棲まいとは軽太の目には『ゴミ屋敷』でしかない。軽太自身も部屋の片付け方が独特であるが、断じてその域ではない。10坪程の外庭にも家具だの物干し竿だのが正しい用途で、かつ乱雑に陳列されている。

 敷地を囲う柵の向こうといえば、木々草原の深緑だ。電灯も紙が分厚いが故に部屋は薄暗く、窓から注がれた太陽光の乱反射が余程に輝いてみる。



「ナザネルさん」


 倉庫に入って数分もしない内には彼は、舌を執拗に出す袢纏に共感するようして、不満な感情を眼の前の物体に託す。


「なにこの……オブジェ」


 『ゴミ屋敷』と一掃を試みたその様相は、複雑系を体現したかのような無秩序であり、軽太の語彙で表現できる代物ではない。結局軽太は歯切れ悪く自らの台詞を終わらせた。


山大蛇やまおおはぶエアプか? これより酷え巣もあるぞ」


 ナザネルは、カータクの経験から戦慄を隠せずにいる。ナザネルの体感としては、非電子のガジェット類は果物かごを中心となるよう、線上に散らばせているようである。彼の空間把握能力は並でこそあるが、弟の記憶故に正気を保っている。


「見るに堪えないんだけど」


 軽太は『山大蛇』へは適当な意味解釈をし、より解像度の粗い苦言を漏らす。


「舌使えよ」


 ナザネルはかごの中に入っていたノイバラを一粒を勝手に手に取ってはこの場を茶化す。


「盗み食いじゃなくてさ……」


「ああ、ニンゲンって舌で臭い判らんのだっけ」


 ナザネルは舌で実の香りを味う。彼女の家は数々の物品に、油性インク等強い臭いのする物体を染み込ませいる。例えば蒼尾族の軍隊に於いても、即座に物品判別が出来るよう臭いがする設計となっている。東果国住民にとって、嗅覚で感知することは珍しいことでもない。


「あのデブ女、臭いで全部判ってる」


 ナザネルは舌でノイバラの種を弾いた後、『多分』と自らの自信と共に付加する。気がつけば、右手には彼の唾液と種が付いていた。現実問題、家の物品全てとなると軍隊でも不可能だ。ナザネルの観察では、ヌヌカは全く迷わない程には物品の配列を記憶しているように見える。どうも彼女は流動的に配置を替えているようで、物品の配列には規則性がないに見える。故に、嗅球での空間処理に強い蛇人であろうと自身の興味が失せる。ナザネルは、こうも人生を飽きさせる弟の知識を呪った。


「ほい、おいはデブだぞ」


 ヌヌカはトンビのような声を上げ、床の端に並ぶガラクタとの接触音と共にナザネルの脚を横切る。彼女は二人を夫から預けられて以降、家を忙しなく這いずり回っている。


「え。あの人。臭いで判ってるの?」


 軽太は、異様な容貌をする彼女へ恐る恐る、手の指先を向ける。口輪もせず恵体をドシドシと右往左往させる様からは遠ざかりたくて仕方がない。


「勘だぞ!」


 ヌヌカは立ち上がると、挙手して彼の方へ向ける。反射的に軽太は彼女から両脚を退けようとした。軽太はすぐ後ろが壁であるとは気が付いておらず、結局両手の甲をを壁に付けるだけとなった。


「ああ。勘なんですね」


 軽太は自身の滑稽な挙動について、斜め横へと首を向けて応える。


「そういや君、さっきおいのお菓子食べたでしょ」


 ヌヌカは彼らに背を見せるように振り向き、ガラクタの塊からは孤島となっている円形のテーブルへと向かう。東果人にとっては入間いるま荘でも見られる、独特な形状をしたの物置き場であるが、彼女は気にもかけていない。


「……マズかったか?」


 ナザネルは舌を執拗に出し、果実特有の瑞々しい臭いをかき消そうとした。


「いや出すつもりだったから食べて」


 と、ヌヌカは紙で包装された小豆煎餅を机に置く。


「おうよ」


 ナザネルは彼女が机から手を離すや否や数個手に取り、一番奥側にあった包装紙を爪で破く。


「……?」


 軽太は煎餅を噛み砕く音を聞きつつ、再び部屋の外に出ていく彼女を訝しい目で見る。彼女の黒く光る服の生地には醤油のシミや外の土埃に草にが残り、その不衛生さは生理的嫌悪を覚えて仕方がない。


「お前、食えんの?」


 ナザネルが取り出した煎餅を軽太は無言で受け取る。紫がかった褐色を間近で見、不安そうに紙を千切って中の物を取り出す。


「この紙って食べれないの?」


 すでに軽太は煎餅の欠片を頬張っていた。菓子の包装紙は基本的に可食であるし、劣化・虫喰みの度合いから消費期限の指標ともなっている。


「マズイから嫌い!」


 軽太は彼の子供舌を小馬鹿にしつつ、無言を取り繕って紙ごと口に入れる。渋甘い可食紙は軽太の口では噛み切りにくい。煎餅を執拗に噛み、唾液を少し溜めた上で強引に喉に流し込んだ。


「ところで、何してたらいいの?」


 倉庫の高い屋根を見ながら、慄いた態度で彼はナザネルに問う。家の主の不潔さもそうだが、なにより散らかった家屋が軽太に悪い記憶を連想させて仕方がない。


「寝てたらいいぞー!」


 横から獣めいた咆哮が突き刺す。彼女は離れてというものの、特に不健康な生活習慣を繰り返している。


「夜に寝ろよ」

「元からデブだぞ」


 ナザネルは、急に立ち上がった彼女の回答を聞き捨てたっきり、悪態を誰知らずにつく。人妻である以上彼女は正常な人格であるとこそ想像はつくのだが、その度に、現実での支離滅裂な行動に思考が翻弄される。


「外で寝てていいですか。あと、携帯ゲーム機とかないですか」


 軽太は知らぬ内に自らが拳を握っていたことに気が付き、喋りながら腕を下げていく。


「うち初代ポータブルNgETlポータブルンぃーエーつㇾーしかないけどいい?」


ヌヌカは。軽太が答えようとした時には既に、彼らの目線上に彼女は居なかった。


「使用済じゃねえか」

「使ってないとおかしいじゃん?」


 ナザネルの下劣な冗談に対しヌヌカは笑いもせず、再び暖簾と煉瓦で区切られただけの『自室』へと這っていった。彼は真っ当な返事を聞き捨てたっきり、悪態を大袈裟についた。


「これ、マトモな家なの?」


 軽太は口でこそ自分の正気を疑っていたが、スズスハ家での面倒事と彼の度を越した色欲っぷりから耐性はついており、頭の中では次はコップの使用許可と飲み物でも頂こうと考えている。


「マトモなわけあるかよ、常識あんのか」


 ナザネル声色を細くさせると、わざとらしく舌を向ける。蛇人族に比べると蒼尾族の非言語的なジェスチャーは判りやすい。これは怒りを向ける時の仕草である。


「もう、異邦人に常識を求めんなって!」


 軽太は負けじと声を出す。その唸りを聞いて、ナザネルはしばらく待つようにした後に、笑顔で両手を打ち付ける。軽太の目では真顔と大差ない表情であり、呆れたが故の慰めの拍手としか捉えられず、逃げ出したい気持ちにさえなった。


「自分のもキボンヌ」


 ナザネルは腰を低め、両手を彼女の前へと差し出す。


「携帯触ればええやん」


 再びヌヌカは立ち上がると、自動で動く台座に置くかのように、軽太に携帯ゲーム機を渡す。受け取った後、彼はすぐさま家屋の外へと飛び出した。


「現代人として古式なゲーム機に触れられる機会は早々ないので、貸し出してくれたら幸いです」


 背を既に向けた彼女を見て、ナザネルは教員に阿るように口を動かす。軽太にはこれが冗談なのか本気なのか判らず、先程の感情も相まって合成写真のような微笑となった。


「三つ以上はないのだ」


 ヌヌカはボディランゲージ無しに再び後ろを向く。


「あんなら貸せって」

 

 ナザネルは軽太を他所にして喧騒を続ける。


「家族用」


 ヌヌカはやはり、釈然とした態度で応える。


「未亡人じゃねえの?」


 軽太は後付けで切り抜いただろうガラス扉に手をかけると、わざとらしく音を立て陽の光を浴びにいく。前提として、東果人は死について、人間ほど遠い事象と感じていないが故に、死に関する冗談とは少し不謹慎な程度だ。それでも、軽太はナザネルの無礼な発言に対して顔を埋めたくさえなった。


「さっき見たじゃん!」


 ヌヌカは何を言っているんだと言わんばかりにナザネルを見つめ、次の瞬間には軽太の後をついていくように扉を閉じに向かった。


「……。ああー……」


 ナザネルはすぐにフウギの元妻の話を思い出し、暫くは足を動かさないでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る