4:蛇芭大社

4:蛇芭大社-①

 巽海たつみうみ自動車道にて、一台の車が朝日を反射させる。つづら折りを滑るように駆け抜けるその車体は、慣れない二人を乗せ、深閑とした車線を最高速度で駆け抜けていく。


 ドアガラスは延々と、山々が取り囲む風景のみを映しだす。散見されるランドマークといえばサバンナの木々程度の存在であり、後部座席の彼らは退屈そうに世間話を繰り出す。フウギにとって興味はないし、娘の参加しない以上は本当にどうでも良い話だろうし、底面に接地されたハンドルを引き続き、緩めずに握る。


 『↖出口 蛇芭へびわ大社 西宮』と書かれた看板を視認せずに従い、サイドミラーを見つつ、ハンドルを前に押すようにしてブレーキをかける。ようやく、彼の耳に後部座席の雑談が耳に入る。ニンゲンの自動車は蒼尾あおお人用の操縦法に近い、ニホン国に於いても左側車線であった、等。彼の車両にはETCカードが搭載されているが、『一般』に入り、2500仾札を3枚手渡す。お釣りを適当に受け取り、適当に仕舞っておく。忌々しい場所でしかない辻天に赴いた履歴を何処にも遺したくないし、フウギは自分の用事も早急に終わらせてしまいたい。


「……着いてしまったか」


 助手席に寝そべるスズスハ・コラツルは徐行と日光から目覚め、ガラスの先の風景から全てを察する。


「ああ」


 彼は呼吸器官の緊縮と倦怠感とを自身の声調に乗せる。ハンドルを握る両手が固まり、喉仏が目障りに膨縮する。杜籠県以上に格式だち、小綺麗に木材と瓦と漆喰の色調を並べる街並みは、フウギの視神経にとても受け付けない。助手席の愛娘のお陰で、彼は数多の違和や違和感そのものに押し潰されないでいられた。


「岶岼に来れば良いのにな、ママも」


 車が左折する中、直射日光を避けるように俯く。尤も、彼女にとって答えは分かりきっていた。


「そがいこたーせん、あの人は」


 互いの声はコウモリの超音波でしかなく、両者ともに沈黙する。フウギもコラツルも、母への図太い信頼に満ちていた。


「ママさんかー……」


 蒼尾人の彼は後部座席にて、妻の姿を思い浮かべる。娘の健康な体を鑑みれば、さぞ艶めかしい背と腹でもしているのだろう。


「不健康だよ、僕の妻は」


 信号に差し当たったフウギはふと瞬膜の裏を見、下品な姿勢を取っているだろう彼の下劣な妄想に割り込む。最後に見た彼女の住居といえば、ステージIVの癌としか表現できない。彼女の部屋どころか、家全体で知的生命体の最期を表すかのような光景であった。


「テメーが不健康だろ」


 黄色い鱗の彼は、運転するフウギの背を指差す。彼は標準体重を明確に下回っている。そもそも、直立身長6尺にして23.5キロそうは軽いがすぎる。


「それはそう」


 ナザネルの横にて、水主かこ軽太かるたは遠慮がちにフウギの背を見つめる。1凁は約2グラムのようだが、47キログラムを軽いと思わない。


「――で、着いてきてよかったのかい、君」


 フウギは詮索への恐怖を押し留め、後部座席の彼に再度確認をする。ナイラス・ナザネルとは部外者であり、左隣に座る彼とは違って庇護の対象でもない。


「そんなヤバい家ヤバい家言われたら気になるだろー」


 彼は里参りに関して、怖いもの見たさ以上の意味付けをしていない。悪風の吹く秘密はリークしてしまいたい気質であるし、弟ことカータクのように、特定した自宅に突撃する輩の性分は心底軽蔑している。


「適当に冒涜しててくれ」


 肯定的ニュアンスと共に、フウギは車を道なりに進ませる。


「因習ってクソだよなー」


 ナザネルは腕を顔に立掛け、ドアの方を見やる。徹底された安全運転であり、非常に退屈だ。高速道路の快速に比べてフラストレーションが募る。


「レベルが低い」


 フウギは笑い事を期待していたが、内容には心底、興味がない。


「教育実習でさー、蛇人小学校に行かされるの、悪習だろ」


 ふと、彼はカータクの記憶を思い出す。悪感情が根を張っており、想起は容易い。腕を枕にして背もたれに凭れ掛かっていた。


「僻みか?」


 彼は耳に入れる素振りも見せない。実際、走行音に紛れて半分は聞き取れないのだろう。


「冷静に考えてみ? 弟は高等課程ってんのにさ、なんで動物共の相手しなきゃいけねえの?」


 東果国に於いて、小学校は種族毎に異なる。蒼尾あおお族の小学校は集団授業を多く行う一方、蛇人族は個々の教育を重視する。昼間に慣れない北夷ほくい族は夜間学校であるし、汽陸きりく族は自宅学習の比重が高い。


「あー……それは本当にそうだ」


 フウギは共感を示す。蒼尾族の認識として、何時の時代も蛇人族とは『理知的な動物』でしかない。旗印は疎か、墓標さえ持たないその様は国際的にも珍しく、地域や国によっては本当に人扱いされない程だ。特に少年期の彼らは全く統率が取れないし、一クラス10人集めたならば、それはもう動物園である。


「動物扱いなんだ?」


 水主軽太は糸目気味に、異常な光景を思い出す。小学生低学年だろう蛇人達が、人間世界の囚人のように腰紐を結ばれ、一人一人が紐の末端を持ち、一列に歩くものだった。彼は周囲の態度から『正常な光景』と信じることとしたが、無自覚に憤怒を路上で散らす自覚さえあった。


「……? まぁ、そうだけど」


 両者共に納得を行かない表情をする。フウギは体にこそ出していないが、ナザネルは正面を見据える態度を取っていた。


「差別にならないの?」


 軽太は首を傾げる。木枝で眠る、高校生程度の蛇人が見えた。実のところ、差別の基準を把握していない。


「なんか……前衛的な被害妄想だな」


 ナザネルは慄き、威嚇するような態度を見せる。殆どは彼の、脊髄に対して直立する頭に対する反応である。


「あ、ならないんだ……」


 納得した素振りを見せ、そのまま彼は目を瞑る。軽く3時間は座席に座っており、何をするのも飽きてしまっていた。

 暫くして、彼は欠伸の声を立てる。どうも網膜が痛く感じられた。


「僕も寝てしまいたい」


 フウギは朝起きてからの時間の殆どを、ハンドルを握ることへ費やしてきた。高速道路を渡る間は非常に楽しいのだが、下道という名の現実に戻されてからは単に苦痛となっている。


「じゃあ俺様に運転させろー」


 ナザネルは右手を運転席の方へと凭れかける。


「不可能だろ」


 フウギは手を出すナザネルに対し、爪を軽く当てるようにして自主的に退けさせる。蛇人用の運転席は腹を席に付ける前提で作られており、蒼尾人の取るべき姿勢とは全く異なる。


「なんて真面目な」


 ナザネルは硬質な感触を覚えた右手をまじまじと握る。


「犯罪者にはなりたくないからね」

 

 後ろに手がないことを脚で確認し、黙々と運転を続ける。不適合な運転席による運転は昨年に厳罰化された。取り替えるにも30分以上は要する作業である上、根本的に殆どの家庭は他種族用のパーツを持ち合わせていない。


 フウギはカーナビを見ることもなく、第一の目的地へと向かう。古巣に向かう分には幾許か気が楽であった。


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