4:蛇芭大社
4:蛇芭大社-①
ドアガラスは延々と、山々が取り囲む風景のみを映しだす。散見されるランドマークといえばサバンナの木々程度の存在であり、後部座席の彼らは退屈そうに世間話を繰り出す。フウギにとって興味はないし、娘の参加しない以上は本当にどうでも良い話だろうし、底面に接地されたハンドルを引き続き、緩めずに握る。
『↖出口
「……着いてしまったか」
助手席に寝そべるスズスハ・コラツルは徐行と日光から目覚め、ガラスの先の風景から全てを察する。
「ああ」
彼は呼吸器官の緊縮と倦怠感とを自身の声調に乗せる。ハンドルを握る両手が固まり、喉仏が目障りに膨縮する。杜籠県以上に格式だち、小綺麗に木材と瓦と漆喰の色調を並べる街並みは、フウギの視神経にとても受け付けない。助手席の愛娘のお陰で、彼は数多の違和や違和感そのものに押し潰されないでいられた。
「岶岼に来れば良いのにな、ママも」
車が左折する中、直射日光を避けるように俯く。尤も、彼女にとって答えは分かりきっていた。
「そがいこたーせん、あの人は」
互いの声はコウモリの超音波でしかなく、両者ともに沈黙する。フウギもコラツルも、母への図太い信頼に満ちていた。
「ママさんかー……」
蒼尾人の彼は後部座席にて、妻の姿を思い浮かべる。娘の健康な体を鑑みれば、さぞ艶めかしい背と腹でもしているのだろう。
「不健康だよ、僕の妻は」
信号に差し当たったフウギはふと瞬膜の裏を見、下品な姿勢を取っているだろう彼の下劣な妄想に割り込む。最後に見た彼女の住居といえば、ステージIVの癌としか表現できない。彼女の部屋どころか、家全体で知的生命体の最期を表すかのような光景であった。
「テメーが不健康だろ」
黄色い鱗の彼は、運転するフウギの背を指差す。彼は標準体重を明確に下回っている。そもそも、直立身長6尺にして23.5キロ
「それはそう」
ナザネルの横にて、
「――で、着いてきてよかったのかい、君」
フウギは詮索への恐怖を押し留め、後部座席の彼に再度確認をする。ナイラス・ナザネルとは部外者であり、左隣に座る彼とは違って庇護の対象でもない。
「そんなヤバい家ヤバい家言われたら気になるだろー」
彼は里参りに関して、怖いもの見たさ以上の意味付けをしていない。悪風の吹く秘密はリークしてしまいたい気質であるし、弟ことカータクのように、特定した自宅に突撃する輩の性分は心底軽蔑している。
「適当に冒涜しててくれ」
肯定的ニュアンスと共に、フウギは車を道なりに進ませる。
「因習ってクソだよなー」
ナザネルは腕を顔に立掛け、ドアの方を見やる。徹底された安全運転であり、非常に退屈だ。高速道路の快速に比べてフラストレーションが募る。
「レベルが低い」
フウギは笑い事を期待していたが、内容には心底、興味がない。
「教育実習でさー、蛇人小学校に行かされるの、悪習だろ」
ふと、彼はカータクの記憶を思い出す。悪感情が根を張っており、想起は容易い。腕を枕にして背もたれに凭れ掛かっていた。
「僻みか?」
彼は耳に入れる素振りも見せない。実際、走行音に紛れて半分は聞き取れないのだろう。
「冷静に考えてみ? 弟は高等課程ってんのにさ、なんで動物共の相手しなきゃいけねえの?」
東果国に於いて、小学校は種族毎に異なる。
「あー……それは本当にそうだ」
フウギは共感を示す。蒼尾族の認識として、何時の時代も蛇人族とは『理知的な動物』でしかない。旗印は疎か、墓標さえ持たないその様は国際的にも珍しく、地域や国によっては本当に人扱いされない程だ。特に少年期の彼らは全く統率が取れないし、一クラス10人集めたならば、それはもう動物園である。
「動物扱いなんだ?」
水主軽太は糸目気味に、異常な光景を思い出す。小学生低学年だろう蛇人達が、人間世界の囚人のように腰紐を結ばれ、一人一人が紐の末端を持ち、一列に歩くものだった。彼は周囲の態度から『正常な光景』と信じることとしたが、無自覚に憤怒を路上で散らす自覚さえあった。
「……? まぁ、そうだけど」
両者共に納得を行かない表情をする。フウギは体にこそ出していないが、ナザネルは正面を見据える態度を取っていた。
「差別にならないの?」
軽太は首を傾げる。木枝で眠る、高校生程度の蛇人が見えた。実のところ、差別の基準を把握していない。
「なんか……前衛的な被害妄想だな」
ナザネルは慄き、威嚇するような態度を見せる。殆どは彼の、脊髄に対して直立する頭に対する反応である。
「あ、ならないんだ……」
納得した素振りを見せ、そのまま彼は目を瞑る。軽く3時間は座席に座っており、何をするのも飽きてしまっていた。
暫くして、彼は欠伸の声を立てる。どうも網膜が痛く感じられた。
「僕も寝てしまいたい」
フウギは朝起きてからの時間の殆どを、ハンドルを握ることへ費やしてきた。高速道路を渡る間は非常に楽しいのだが、下道という名の現実に戻されてからは単に苦痛となっている。
「じゃあ俺様に運転させろー」
ナザネルは右手を運転席の方へと凭れかける。
「不可能だろ」
フウギは手を出すナザネルに対し、爪を軽く当てるようにして自主的に退けさせる。蛇人用の運転席は腹を席に付ける前提で作られており、蒼尾人の取るべき姿勢とは全く異なる。
「なんて真面目な」
ナザネルは硬質な感触を覚えた右手をまじまじと握る。
「犯罪者にはなりたくないからね」
後ろに手がないことを脚で確認し、黙々と運転を続ける。不適合な運転席による運転は昨年に厳罰化された。取り替えるにも30分以上は要する作業である上、根本的に殆どの家庭は他種族用のパーツを持ち合わせていない。
フウギはカーナビを見ることもなく、第一の目的地へと向かう。古巣に向かう分には幾許か気が楽であった。
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