東果を覆う海陸のもの

浅葱柿

岶岼市

1:岶岼市-①

 スズスハ・コラツルはヤマスズメの囀り声を聞き、重い瞼を開ける。

 春の朝はどうも慣れない。恒温動物とは云えど我々は冬篭もりする動物だ。本能的行動に反して動くのにはどうも納得がいかない。


 同時に、我々人類は身体的困難を乗り越える事に特化した動物であることも思い出す。本能的行動なのだから布団に籠もらなくとも良いのだ。

 布団に挟まる自分の体を、左前足、右後ろ足、右前足、左後ろ足と動かす。掛け布団が必死に彼女の体に纏わりつくものの、やがて諦めて地面にへばり付く。


 両前足を上に上げ、二足歩行に移ろうとする時に欠伸が出る。先に肩でも回すべきだったかと少し後悔し、立ったままゆっくりと両肩を回していく。

 この部屋でパッと見目ぼしいものといえば、画鋲で刺されたスケジュール表に障子程度しかない。

 後は、棚の上にびっしり並べた航空機のフィギュア群と、作業用ノートパソコンと。これ以上彼女にとって特筆すべきものはない。

 この家の様式が東果の伝統的な住宅の延長にあるという事実は、彼女の関心外だ。木製の床に、木製の壁。竹鉄筋コンクリートに、紙を立方体になるように貼ったLEDの灯りには全く関心が惹かれない。

 尤も、一般的な東果つはた国の住居としては普通の、1.5畳の部屋である。一蛇人族のメスにとって、たかが背景に関心を抱く方が難しいのだ。


 彼女は肩の運動を止めることにした。時計はと云えば、12時47分。普段の寝起きより2、3分遅い程度だ。

 コラツルは立ち、高机の上に置いた葵い作務服を手に取る。年相応な蛇腹と、魅力的でもない背中とが服に包まれ隠される。着用が済むや否や、部屋の外へと急ぐこととした。

 

 障子を開け、縁側にいざ出る。朝日が脚に当たり、床からは熱を受け動く気になる。

 縁側と中庭とを区切る柵の先にはスズメが居た。なるほどこいつはチュウオウヤマスズメだ。スズメの巣でも作ってくれてたら有り難いのじゃが、と天井を見上げてみる。

 案の定、ただ木の天井があるのみだ。悔しがるまでもなく、右折しリビングへと向かう。


 舌先の検知するここら一体の匂いといえば、いつも通り嗅ぎ慣れた木と芝生の水気の臭いだ。突き当たりの所で、コラツルは目の前の戸を開ける。スズスハ家のリビングだ。畳の床の上にあるものといえば、テレビ、本棚、その他雑多な物だ。

 

 そして何より、翡翠色の作務服を濡烏色の帯で結び、真っ黒な短袴を両足と尾に通した細身の同族の男性が目に入る。スズスハ・フウギ。岶岼さこゆり大学病院に勤務する精神科医であり、コラツルの父でもある。

 彼はというと、右手で床にある茶碗を支え左手で箸を持ち、器用にご飯を口へと運んで行く。彼の左脇にはリモートコントローラーが伏せられていた。

 床でくつろぐ彼を避け、食事を取りに行く。今日の朝飯は米と卵汁とイナゴ入り山菜だ。お盆を両手にとり、慎重に運んでいく。右脇に達したのを確認し、お盆を床に置く。


 現状、二人して床に這い食事をし、特に興味もないニュースを聞いている。まず、ニュースキャスターの美貌に興味はない。違う種族であることを差し引いても、服装や身なりには何も惹かれない。名前だけ聞く存在と言っても良い。

 かといって、彼女の報道する、ユゴス連邦との折衝等は二人の関心にない。フウギにとってユゴスといえば、兪東ゆとう戦争で用いられた戦闘機にしか興味はない。

 取り分けコラツルは海馬に入れようともしていない。特段テレビの光も音も不快なものではないし、パパが情報を仕入れるというから気にしていないだけだ。

 精神科医としては全く必要のないニュースだったが。黙々と、食事をすることに徹する。


『――次のニュースです。資源エネルギー省は海中資源の試験採掘を行いました。先月より、資源エネルギー省は外東果海の排他的経済水域内にある海底熱水鉱床、通称、――』

「おぉー、エエなこの船」


 フウギは箸を止め、モニターを凝視する。

 『茶神門ちゃみかど造船じゃろ』、だとか、『よなが』だとか、未知の固有名詞を子供のようにぼやく。


「ああ、好きなんか」


 コラツルはパパの方を左眼だけ向ける。


「うん」


 スズスハ・フウギは嬉しそうに二つ返事を返す。コラツルも知る通り、彼は軍用重機が大好きである。理由は『強いしかっこいいから』。

 かっこいい、は個人の価値観として、この船が強いとは思えない。大体鉄色の見た目をしているというのに、こいつは白い。

 そもそもだ。社会情勢に疎いコラツルからしても、そもそも資源如きで海軍、が大袈裟に聞こえてならない。


「軍用機ってあるんか?」

「巡視船。警察の」

「へえ」


 転用した船ってことだろうか。コラツルは視点を食卓へと戻す。容器を見たところ、半分程残っていた。


『――マンガン保有量は凡そ50年分の見積もりとされています。続いてのニュースです。環境庁は月末より、特定外来種の取締を強化するとの方針を――』

「はあ」


 コラツルの左手が箸を握り潰さんとする。外来種による生態系変化そのものも嘆かわしいのだが、彼女にとっては保護区の立ち入り規制がより嘆かわしい。

 コラツルはアマチュアながら生物学の研究をしている。彼女は大学にも通っていない未成人ではあるが知識は確かなものであり、生物学者から一目置かれている。昨年は動物学会に参加し、杜籠もりかご県山間部の小動物に関する研究を発表した。故に誰も彼女を悪い素人とは思わないし、自治体が許可を出さない理由は無い。だが、趣味でやっている研究に一々許可を要求されるのが純粋に面倒なのだ。

 そして明確に、外来種については悪い思い出がある。今でもあの時は鮮明に覚えている。昨年の秋。友達が外来種のペットを外に逃がしたと聞いた時のことだ。それも、問題の保護区に近い場所を住まいとする人が、だ。

 衝動的に咬んでしまいたくなった。実際、口輪の存在も忘れて咬み殺そうとした。

 半年経った今も生態系が崩れている様子はないのだが、翌年、翌々年に何か起きたらどうしてくれるのか。唯一救いを言うならば、彼が文系コースへ行ったことは有り難い。二度と関わらなくて済むのだから。


「思い出しとるんか」


 フウギは右目で娘を気にかける。


「ああ」


 コラツルはこれ以上考えないことに務め、黙々と箸を茶碗へと進めていく。暫く茶の間には無音が続く。

 

『東果空軍森が岳分屯基地は、来週の方日ほうびに一般開放の日を設けると――』


 特徴的な効果音を鳴らし、次のニュースが報道される。


「あーーこれ儂ホームページで見た!」

 

 コラツルの両手がお盆を揺らし、空になった卵汁の容れ物が倒れる。


「行きたいと思っとったんじゃよな」


 彼女は航空機が好きである。理由は恐らく、『空が飛べるから』。物心ついてから暫くは航空機にしか関心がなかったという。


「ワシも行こうかな」


 フウギは左手を顔に付き、襟で隠した蛇腹をコラツルに見せ寛ぐ。


「仕事大丈夫?」


 コラツルは再びパパの方を向く。森が岳へ赴く分にはお小遣いで事足りる。


「休み取るよ、坎方けんぽうに」


 フウギは目を瞑る。彼の勤務時間は酉前ゆうぜん2時半頃からであり、仮眠を取るには十分な時間がある。


 コラツルは無用の長物と化したテレビの電源をオフにする。

 食べ終わり次第、盆をキッチンへと片付けた。


 学生服に着替え、荷物を背負ったコラツルは玄関横の竹籠に容れられた口輪を手に取り、自身のマズルを中へと押し込む。

 鼻上に革が当たる感触を確かめた上で、喉革のワンタッチバックルを締め口輪を固定する。

 毒牙を封じる鋼の籠は、口元に実際以上の重量を感じさせる。

 

「いってきます」


 返事は無いが、コラツルは玄関の施錠を解き、大して面白くない高校へと向かっていった。

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