5-東果列島-⑥ 孤島落日
長屋の自室にて、ナイラス・カータクは朝一番にラップトップを開くと、各種SNSの検索欄にニンゲンに関する固有名詞を注ぎ込んでいった。東果国のSNSは概ねが国内で完結しているが故、SNSの総人口は少ない。大衆目線ではインターネット自体が情報インフラ+αでしかないのだし、Fediverseを構築するために採用されているプロトコルの都合も相まり、僻地の道を辿る程度には情報の検索が困難である。それでもカータクとしては最も早く情報の集まる場所であり、玉石混交な特徴を掴んだ彼にとっては信頼のできる情報源でもあった。
『出る訳ねえだろ……もう辞めろって』
ナザネルが彼の頭の中で話す。一人の環境はカータクに何か悪い記憶を思い出させるものだ。
「ちょっと黙ってて貰えないか」
カータクは愚兄の声をEnterキーで掻き消す。検索結果には7日前の情報が頭に出ており、カータクはこのSNSに張り付くのは無駄だと考えた。
『せめて食べろ』
彼がブックマーク欄から別のSNSを開くのを流し見しつつ、ナザネルは現在時刻を知らせる。酉前2時半にもなって朝食を取っていないし、そもそもカータクはよく朝食を忘れる。
「腹減ってねえんで俺」
カータクも今更食べ忘れに気がついたが、意地でノートPCから手を、椅子から尻と尻尾を離すことをしない。
『大人しく「リョウセイ」って書けばいいんじゃねえの?』
カータクは検索欄に『カルタ』と打ち込んだ後、数秒フリーズする。
「……『リョウセイ』なんて一般名詞、ノイズだらけで使えねえだろっす」
言い訳がましくナザネルの言葉に反発する。カータクはまだ検索結果に映っていない。不可抗力で止められているようだった。
『文脈で分かるのに?』
カータクは理解していた。例えば同じ『
「……なんであの女を調べなきゃいけねえんすかねえ」
カータクは不機嫌そうに今開くタブを閉じ、キッチンへと向かうこととした。
『得体の知れないバケモンより余程調べやすいだろ?』
彼は包丁を取り出すと机の上の梨を手に取り、まな板の上に置いて包丁でサイコロ状に切り分けだす。
「大嫌えだよ、あんなクソ女」
窓の向こうに響き渡るほどの音量でまな板に包丁を当て、ようやく梨を切り終える。
『好きな癖に』
ナザネルの声が頭に響く。カータクが皿にブロック状の梨を入れた時だった。
「お前が、だろ!」
怒鳴りつけると再び席につく。確かにカータクはリョウセイに好感を持っているが、それはナザネルの性欲が原因に決まっている。彼は大半の人に欲情するし、リョウセイもその対象の一人だ。体というハードウェアを共有していることが一番嘆かわしくて仕方がない。
『そんなんなら俺様が調べてやろうか?』
ナザネルは弟を撫でるように見つめている。実際に見つめてはいないが、カータクの認識としてはそれ以外の形容が思いつかない。
「自分で調べるんでいいっす」
カータクは梨を箸に取ると、口に運んで特定作業を続ける。このインスタンスの検索仕様はデフォルトではOR検索であることを思い出し、AND検索を意味する『 && 』を単語の間に挟み込むこととした。500件近くあった検索結果は25件に減り、カータクはざっと目を通す。次に候補のワードを入れては適当に検索を組み合わせる。このインスタンス上にリョウセイの情報はないようで、諦めてブックマークから別のインスタンスのURIを踏むこととした。
『あ、見つけた』
同じ検索ワードを5回ほど試し、案の定存在しなかった後にナザネルは暇そうに呟く。
「んあ」
『ほら見ろよ、この男。噛まれたい口元してて――』
「――黙れ」
筋肉質な胸筋をした蒼尾人男性の半裸写真が目に入りかけたが、カータクは努めて忘れることとした。
『女なら良いのか?』
「そういう問題じゃねえって……」
カータクは自分の頬を殴ると集中し直す。平時であればともかく、異常事態の今執拗にNSFWへと誘導するこの淫魔は面倒でしかない。30分程したカータクは特定作業に飽き始め、適当なワードでアカウントの観察をするだけになっていた。
『おーいカータクーーーー』
「何だよ」
『ほら見ろよ、エアロモーフだぜ。たわわに全裸で――』
「性別が問題じゃないってくらい気がついてくれんか?」
検索に引っかかっていた絵を一瞥した後、カータクは後にコラツルに見せる用にブックマークに入れておく。ナザネルはコラツルがキャラクターに興味がないことを知っているが、あえて知らせないでおいた。
『ショタロボならいいんだな? 探せよ』
「ヒューマノイドなら良いってもんじゃねえんだわ、色ボケが」
『じゃああの女――』
「だからさ――」
カータクはウザったらしい声をはねのけるようにスクロールした後に下の画像を見やる。
『――あのさ。おばさんじゃねえのこれ』
ナザネルの言わんとする意図に気がつき、カータクはと真っ先にサービス名を確認する。海汢地方の漁師の伝言表を意図に建てられたインスタンスで、どうも連合することには熱心ではないようだ。
「……あいつ同族嫌いだったろ」
真っ先に日付を確認する。昨日の酉後11時34分12秒と出ている。カータクは真っ先に使い回しの可能性も考慮したが、どうも目が惹かれて仕方がない。
『防護服持ってる汽陸人なんてアイツしかいないよな』
ナザネルは必死そうに推論するも、カータクらの記憶と写真の中の彼女の記憶がどうも一致しない。似ている気がする止まりだ。ふと二人は同じ人物を思い出し、せめて地名だけでも突き止めることと決めた。
☆☆
覆面の男との軟禁生活は何日も続いた。2日間に渡る粘り強い交渉の後、軽太は物理的な拘束からは開放された。代わりに軽太の左足首は重量を感じさせるものが付いており、気が気になって仕方がない。軽太はフウギから携帯を貰っていたが、検索しようにも案の定没収されていた。例の誘拐犯にその用途を聞いた所、漁師が用いるGPSの足輪であるという。本来は水難事故の場合の身元確認兼、法的に問題な海域を避けるためのものだという。どうもその設定は自由に変更できるようで、家の敷地の外に出ようものなら電気ショックを発する。実際に軽太は即逃げようとして痛い目を見たし、現在も痺れたように左足が動きにくい。
この装置は完全に防水のようで、風呂に入った程度では破壊されない。本来の用途が用途であるが上に容易に外れない仕組みになっているようだが、その上にはんだ付けまでされたので外すことは不可能となっている。軽太は真っ先に刃物による切断も考えたが、足輪爆弾にでもなってて、切断しようものなら足を失う羽目にはなる、までは想定が付いていた。
数時間もして脱出を諦め、軽太は家で遊んでいた。この世界にも『古いゲーム機』という概念は存在するようで、ファミリーコンピューターやメガドライブを連想させるゲームを勝手に起動し、勝手に遊んでいた。上手く行けば電気の不正使用で警察を誘導できるかも知れないし、暇も潰せて一石二鳥だ。
「ただいま」
誘拐犯の彼はのたのたと後ろにて重たい音と息切れした様子を防護衣の中から響かせる。
「脱げよ」
軟禁生活に於いて、その言葉は軽太の挨拶代わりの言葉となっていた。初め彼は複数犯を疑っていたが、その挙動から同一人物であると判断した。彼が防護衣なんぞ着ている理由が余計に理解できない。梅雨時にそんなゴムの塊なんぞ羽織っていたら暑いし、軽太もその様は見るだけで発汗を催す。
「はい、野菜買ってきた」
軽太は水気もないレーションに飽きたので、駄々捏ねて彼に野菜や果物を食べさせるように要求していた。『海巨峰』など珍味ばっかであったが、彼ら基準では通常の食材であるようだ。
「大根……? どうやって調理するんだよ」
彼と目の前の汽陸人とでは食性が異なる。汽陸人は捕食の際に獲物を丸呑みにするのだが、陸上ではウナギの粘液を用いて、硬質の舌上を滑らせるようにして食べる。一方で人間といえば、噛み砕いて味を嗜める生き物だ。硬いものを噛み砕かんとすれば、間違いなく歯の方が砕ける。
「ガスコンロ使えば旨い料理出来るんだよ、おれは」
例の汽陸人は既に、ガスコンロの方へ図体を向けていた。彼はリョウセイとは異なり四つ足で調理をする習性があるようで、まな板も包丁も取り出しては床に置いている。
「葉っぱも入れてね」
「あいよ」
この汽陸人は妙に親しみ深く、ゴム手袋を付けた手を振っては切った大根を入れていく。単に懐柔したいだけなのだろうと察し、軽太は上辺で付き合ってあげることにしている。
「あと、人参の皮は剥いてよ?」
「自分でやれよ……」
彼の愚痴に対して軽太も応戦する。彼の右手に持つその包丁さえ手にさえさせてくれば彼の片足でも刺し、近隣住民に悲鳴でも聞かせて発見してもらおうと考えているが、彼も想定はしているようで近寄れそうにない。
「ねーずっと疑問だったんだけどさ――」
軽太は可能な限り、意図を隠すようにして言う。
「――なんで人間のことそんなに知ってるの?」
「なんだ?」
一瞬彼は軽太の方を見る。ただいま。エリンギを入れている所だった。
「初めてあった異世界人にしては、ぼくに詳しいなって」
言い終えた所、彼は具材を入れ終えたところでフリーズしていた。彼はわなわなと胸鰭の入った部位や両足を震わせている。
「野菜も、わざと毒が入ってて自殺しようとしてる、とか考えないのかなって」
軽太は思った言葉を発した次に彼の異様な様子に気が向く。これ以上の詮索はやめるべきだ。
「アンタもそうそう死にたいとは思わんだろ」
彼は顔も見せず、抑揚もなく平坦な声を出す。
「そうだね――」
「るっセぇんだよ汚物が!」
「ひゃあ?!」
目の前の灰色は間欠泉でも湧かせるかのように、軽太に対する生理的嫌悪感を吐き出す。軽太は彼を刺激などしていないし、何か物音が立ったわけでもない。彼はちょうど、存在しない何かに心を踏まれ荒らされたかのようであった。
「異世界なんかじゃねえんだ、ここは!」
軽太をガラス越しに見つめる。彼の居る空間と彼女は連続していないとはいえ、その煮込んでいる最中の具材のように歪む顔面のパーツが不快で不快で仕方がない。
「……??? えぇ……? ええ」
目の前の彼は殺気立った様子をガスマスク越しに見せていた。軽太は彼らは鰾を震わせて発声していると聞いていたし、今思えば異様な震え声は正常なトーンなのだ。先程の、これ以上なく抑揚がない音声が異常であることに気がつくべきであった。
「お前の知ってる地球なんだよ、ここは!」
軽太は目を見開いて彼の狂気を見るしかできない。防護服の男は後ろに振り向くと、すぐさまバッグに飛びつく。
「なんだよ、急に……」
彼はバッグから携帯を取り出し、操作するとすぐさま、軽太の方に突きつける。
「あのな、日本列島なの。お前のよく知る。ここは。よく見ろよ」
軽太は思わず二度見する。東果列島の衛生写真であった。
――それは彼の親しみ深い、日本列島と概ね同じ形状の島々であった。『
「……そうだね?」
尤も、真っ先に東果国のインターネットを漁っていた軽太にとっては初日に知ったことであり、今更こいつは何を言いたいのかと俯き顔を見せる。彼は瞬きもせず、ただ軽太を睨んでいた。
「何も思わないのかよ。何がしたいんだよ、お前は」
彼は一度は収まっていた呼吸を再び荒げ、浮袋からは脂ぎった雑音を鳴らし散らす。軽太は絶対的に間違っている彼に対して重ねる言葉もない。暫くして無言で彼は家を去る。異様すぎる態度を見せる彼を前ににして、軽太は何も出来なかった。
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