3:茜洛都-④

 兌方日の夕方。一同は『杜籠駅』の改札を抜ける。予約した新幹線の出発までは35分程かかる。

 オオスズメが一羽、ビルの上に降り立ったのを確認し、コラツルは携帯のカメラを構える。前腕に冷たい、大理石の感触を覚えながら、ビデオカメラ機能を作動させる。先日、クラウドの空き容量に関する通知が来たことを思い出し、帰宅まで容量が持つか気にする。


 本来、彼女は軽太さえ預けられれば良い。二人で行くつもりだった故、若干気が萎む。茜洛までは2時間ほど、その中で退屈な時間が続くことを思い出し、どう気を紛らわすか考えていた。


「そいや、なんでついてきたの」


 彼女は声源へと目をやった所、ツェラヒラと目線が合う。


「それは――暇じゃから。三連休が」


 理由を言語化しようとしたが、衝動的にシャッターを連打する。


「意外じゃん」

 

 ツェラヒラは彼女の行動原理をつとめて意識する。どうせ、新把あらは空港の発着の様子さえ観ていれば気分が収まるだろうと考えているのだろう。彼女は聞いて気を悪くする。


「まあ、俺も暇なんで」


 ふと、耳鳴りするように甲高い足音を真横にしてコラツルは立ち上がる。ツェラヒラのこともいと知らず、つい、彼女はカータクの横で手すりを掴んでいた。不快な凹凸を持つ手摺だったが、気に留める余裕など無かった。


「アンタ年中暇だろ」


 ツェラナザは、先程振り向いたカータクに微妙な目つきを返す。


「そんなこと無いっすけどね」


 人混みを一度見、カータクはそろそろ乗ろうかと二人に呼びかける。すぐ近くの出口に寄り、直射日光から各々眼を守ろうとする。天然のフラッシュバンが収まった後、リング状になった歩道橋を左回りに渡っていく。


 コラツルは外出する際、二足歩行をあまり多様しない。故にキャリーバッグの取っ手を掴み、前へ動かすことには慣れておらず、普段に比べても緩慢である。


「持つっすよ」


 カータクは応答を待たず、彼女の手を握ろうとする。


「いい」


 彼女は意地から断った。重たいバッグを押し出すことで必死であり、気を毒したように彼が立ち位置に戻る様子は視認していない。


「そーいやさー」

 

 半ばまで渡った後、カータクは少し気を抜く。間延びした接続詞は彼女の代名詞である。


「なんかさ……何? 内蔵で包んだみたいな人が居たんだけど」


 彼女は記憶を面白がるように、尾を左右に振り回しながら話題を振る。彼女は、隣で遠ざかるコラツルを特に気にかけていない。


「どこに」


 カータクは呆れの感情からぶっきらぼうに、すれ違う他の女性を次々見回している。


「俺の家に」


 彼女は立ち上がってから、興奮気味に声を発する。カータクには、彼女が下腹部を見せつけているように見えた。


「お前の家知らねーっす」


 舌を長めに出す。日光と埃が混ざったような匂いを覚え、多少は張り詰めていた気が解れる。


「実家じゃない方」


 建て物に日避けにが一瞬、カータクの視界の中で揺れる。彼女の声なぞよく聞こえていなかった。


「本当に知らねえ」


 カータクは自分の肩に乗っかっていたツェラヒラの手を、強く掴み、空中に置くように除ける。


「カルタのことじゃろ」


 ふと、ツェラヒラはこの場にコラツルが居たことを思い出す。実のところ、彼女の性格を考えて何度も指摘していた。


「カルテ?」


 確かにツェラヒラは『カルタ』と聞き取っていたが、その音韻から人名を思い浮かべることはなかった。

 自動扉が開く。新幹線の改札が併設された建物であり、まずは複数の商業施設が彼女たちを出迎える。


「カコ、カルタ。」


 確かに聞き取れないだろうと考え、コラツルは気持ち長い音韻で言葉を発する。通路の左右には飲食店や呉服店が多く並び、彼女の興味を退ける


「何、言葉遊び?」

 

 彼女は慢心気味に、空軍隊員募集のポスターに眼を停めていた。その様子からツェラヒラは馬鹿にされているのだろうかと深く疑う。


「多分そいつっすね。グロテスクな人ってのは」


 適当にカータクが合図し、ツェラヒラは異常な存在に「カルタ」の名辞を振り当てた。反射的に瞬膜を瞑り、歩を進める脚が震える。名前を付けた途端に、仄かに赤がかり、陰影がある油のような顔が脳裏に浮かんだ。


「なんか……何? あれ腹で呼吸してんの? カエルかなんかみたい」


 下腹部だけを周期的に膨張収縮させるアレは異様でしかなく、目を留めることしか出来ない。とうとう、オーナーも見たという悪夢を体験したのではないかと、舌先を摘んでもみた。眼の前の光景から覚めることがないから現実でしかないが、どうも信じられない。


「横隔膜で呼吸しとるだけじゃろ」


 カータクは『蒼尾族おれらと同じか』、と相槌する。隣で慌て気味の医学生への当て擦りだったが、当の彼女は気に留めても居ない。


「にしては膨らみ方がおかしいんだけどな。なにあの……何?」


 コラツルは、リョウセイも彼を不気味がっていたことを思い出す。生物学上、鱗も羽毛も持たない種は多く渡る。ウラナイカジカ科の魚やシロキュウソ目の哺乳類等、平らな顔面を持つ種も珍しくない。それ故に彼らの主観が不思議で仕方がない。


「そこはレントゲンでも取らんと分からんが」

「超音波測定もやりてえなあ」

「家でやりたいんじゃがな、そういうの」

「騒音被害だろ」

「それ言うたらX線のがヤバイじゃろ」

「鉛で防げるから良いじゃん。中性子と違って」

「確かに。水だらけじゃと陽電子とか出るしな」


 カータクは科学系連中の話について行けず、搭乗までの時間はよしなに処理した。



 新幹線の中、コラツルは通路―座席間の暖簾を閉め、自分の座席すぐ左の窓をぼんやり眺めていた。500キロ泛毎秒に迫る車体とは思えない程に重い慣性を感じない。空は夕焼けを醸し出していた。

 途中、ツェラナザは買い物に行くと席を立った。新幹線には自販機が備え付けられており、加熱式弁当や菓子、飲料水の類を購入出来る仕組みになっている。


「おまたせー」


 新幹線の座席は概ね、『窓 匚二 ‖ 通路 ‖ 二コ 窓』のような配置と形状をしている。ツェラヒラは暖簾 を潜り、カータクの方へ顔を向ける。コラツルすぐ右の手摺に菓子を置いた後、『_』の位置に陣取って、コラツルへ尾を向ける。


「なんで――蜂蜜味なんすかね」


 カータクは彼女の位置取りからして一瞬、交尾でもしてるのかと言いたくなった。性的な話を嫌う彼女の性格を考え、寸での所で話題を購入物への難癖に替える。


「いやー色がお前みたいだったから」


 ツェラヒラは、適当に相槌を返す。カータク色の餅だという単純な連想だけで選んだかと言われると、それですらない。彼女は単に適当に購入した。コラツルはふと振り返りたくなり、椅子の手摺に置かれていた菓子の包装を爪でこじ開け、口の中へと放り込む。


「――てか、なんで急に茜洛なん?」


 コラツルは反射的に、すぐ斜め後ろを伺った。


「……家族。家の人に話すべきことがあって」


 カータクが口を開くのを見て、自分ではないと判断しようとした。実のところ、ツェラヒラの視線がこちらを向いていないことからようやく判断がついた。自分に言及されているかのようで気分が悪い。実のところ。彼女が茜洛に行く目的といえば単に、あるトラウマを克服する為だ。一人ではどうしても恐ろしく、父を連れて行こうとも考えていたが。茜洛に強い悪感情を抱いていた事を思い出して諦めた。


「現実逃避してんのに偉いな」


 『そういうとこだぞ』、とカータクは心の中で愚痴る。餅を握りしめ、数粒ほどすぐ横隣の彼女に上げようか迷った。一方でコラツルは最早、彼らの話を聞いていない。とにかく、首都たる茜洛都に苦手意識を持つのは相応に、将来に取れる行動が狭まる。早急にトラウマを処理して起きたかったの。


「はあ。なんかおばさんに似てんなあ」


 二人は適当な会話を続けている。特にコラツルの興味を引く内容ではなく、再び首を窓へ向ける。カータクは退屈そうに、ちぎった数粒を口内へと入れ込む。蜜特有の甘味が舌に広がる。ヤコブソン器官が潰れそうなほど甘く、水をツェラヒラに要求する。


「俺そんな加齢臭酷いか?」


 彼の要求のとおりに渡そうと思ったが、腹が立ったので辞めることとした。


「いけ好かねえんすよね、あのオーナー」


 カータクは特に、どう勘違いしているかは明示せず、単に誤解を解くこととした。


「いけ好かないってなんだよ」


 ため息の後、ツェラヒラは手をペットボトルの方へ向けるカータクの為、下に転がるペットボトルを転がすようにして渡す。彼女はこんな奴のために、座席を立ってやる必要を感じない。


「まず、色が鬱陶しい」


 カータクは脚に転がってきたペットボトルを握るように持ち、すぐさまキャップを外す。


「差別だろ」


 脊髄反射で出た言葉であった。北夷族の精神性として、民族の特徴に言及する様に対してあまり寛容で居られない。


「色々と、色にこだわりがあるのが鬱陶しいんすよね」


 カータクは、彼女がどう差別と受け取ったか把握していないが、説明するくらいなら言い換えた方が楽だと判断した。


「そら気にするだろ。半分くらい見えてないんだぜ色」


 会話を取り持つが、正直彼女はカータクへ同情を向けている。知識ですら色覚の差を把握してなかったのは自業自得だし、それで根に持たれても彼女としては大人気無いだけだ。紅葉でマウントを取る、かの中年女性の様態が思い浮かぶ。彼女が嬉々として報告しているのが馬鹿らしかったし、山登りに目覚めたのも馬鹿らしかった。そこまでして死に急ぎたいのかと口走っていたが、特に誰も聞いていなかった。


「色覚ってそんな病むことか?」


 ふと、コラツルは口を挟む。聞き馴染みのない駅名に停まる旨のアナウンスが為されており、彼女は窓を見ても退屈だと判断した。


「病む?」


 ツェラヒラは言葉の表現を気にした。というより、色覚と病むが結びつかない。彼女としてもオーナーはどこかメンヘラを拗らせているとは思うが、病人呼ばわりされる程の認識ではない。


「引き籠もり気味だったとか言っとらんかったか?」


 コラツルは前に、リョウセイから聞いた会話の中身を取捨して話す。細部まで覚えておらず、ざっくばらんとした説明になる。


「いやさ。オーナーさん引き籠もったのは……」


 ツェラヒラは言葉を詰まらせる。暫くして、思い出すのを断念し、目を瞑る。


「どうした」


 再びコラツルは窓を見やったが、駅のホームドアが障壁として、彼女の視界を遮っているだけだった。


「いや……なんで急に引き籠もったんだろうなって」

「? どうい――」


 疑問を口にしきる前に、ツェラヒラは口を開き直した。


「本当、急に引き籠もってさ。んで……病院搬送された」


 彼女が目を向けた先の人物はただ押し黙っている。鮮血特有の記憶を消そうと、必死に舌を出さないよう心掛けている。


「メンヘラなんすかね」


 カータクはコラツルの方を見た後、すぐさま興味もない白鱗の彼女の方を向き直す。


「そうでもないけど」


 横方向に緩やかな慣性が働き、ツェラヒラは少しバランスを崩しそうになる。特に彼の言い分を聞く気はなかった。


「ほら、腕切ってんじゃん」


 知らぬ間に彼は口角を上げていた。興奮気味に舌を伸ばしていたことも自覚していない。


「……はあ」


 ツェラヒラは、彼の不謹慎な冗談に瞼で応える。悪意が滲み出ていた。


「あー……すまねえっす」


 彼は彼女へ謝罪する演技をし、ポケットの携帯めがけて手を伸ばす。


「まぁお前の尻尾に免じて許すわ」


 反射的に尻を見やる。自切した様子もない、生え替わりの短い尾があるだけだった。

 カータクは彼女の寛ぐ様子に対して、可能な限りの陰性感情を押し留める。『そういうとこだぞ』と舌を向け威嚇する。

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