5:東果列島-② 人間失 、
岶岼林間高等学校にて、物理学の授業を終えたコラツルは廊下にのしのし出ると、定位置の窓辺にて息を整える。晴れとも曇りとも言い難い天気であり、窓の向こうは露がかって感じる。
足音を数音聞くも彼女の意識には入らない。ぶっきらぼうな態度こそ崩さないが、彼女は半ば正気では無かった。
「コラツルちゃんーー」
キューガ・ハズトル。林間高等学校とは主に蛇人の精神性に合わせた高等学校の総称であり、岶岼林間高等学校こと『通称・岶岼高校』は普通教育と少数の専門教育とを担当する。蛇人族が這い稀に蒼尾族が座る中、肌の組成から異なる彼女はクラスから浮いた存在であった。
「次の時間なんだけど――」
「邪魔」
元より異端な精神性を持つ彼女の囀り声が成す意味内容はコラツルの鼓膜へ届いていない。教員に話しかけられる程度ならば現在の彼女も気に障らないが、不安感に覆われた中不快な刺激が続けば貯まったものではない。
「ひどい」
ふと日差しが射す。コラツルは興味もない彼女とは会話をしたいと思わないが、無視を続けても察さない相手であるとは、入学して以降、つくづく理解させられている。
「……今日は儂は機嫌が悪い」
父曰く、彼女は適応障害気味であるというし、親戚関係が悪いともいう。コラツルは『親戚関係』なる精神科用語を理解していないが、常に棲家を荒らされる状況と考えたら彼女のストレスをある程度想定できる。コラツルは『優しく接する』の意味を理解していないが、感情とされるものを明示することで彼女には対処している。
「何かあったの? 私で良ければ」
コラツルは一瞬、部外者たる彼女の何が良いのかと言いたくなったが、ふと森が岳では彼と遭遇していたことを思い出す。
「カルタが消えた」
水主軽太。
コラツルにとっての同居人であり、研究対象でもあるニンゲンが行方知らずとなった。カータクと付き合いに入間荘へ赴くと言ったっきり、水主軽太は帰って来ていない。
「?」
「ニンゲンが消えた!」
彼女の微妙そうな余所見を相手に、コラツルは反射的に言い換えをする。ユゴス連邦を始めとし、極北の地に棲む鳥類種族は疑問を呈する際に余所見をするという。
「にんげん……何?」
キューガはわざとらしくコラツルを眺めつつ、慣れない東果語を話す。疑問文は
「知らんか、あのゴムみたいな肌して、鬣を頭部に生やしとる!」
コラツルは軽太の文面的特徴を思い出し、必死に呂律を回す。
「あぁー」
キューガは嘴を開くと、服の上を羽を繕う要領で整えだす。正直、『鬣を頭部に生やしている』についてはマトモにヒアリング出来ていないが、おそらくはカーラと似た毛を持っていた奇抜な少年のことだろうと目星をつけてはいた。
「……心当たりないか?」
コラツルからするとキューガは面倒な鳥類である。質問しないし誤理解も多い。飛行機のエンジンの原理について流し聞きされていたと知った際には暫く、学校で専門的な話をする度にトラウマ気味に思い返してしまうこととなった。
「カーラくんなら……?」
故に、コラツルは目の前で口を開く彼女を信頼してはいない。彼女のイントネーションが憶測気味であったことは幸いである。信じさせておいて実は齟齬を起こしていた、なる出来事が起こらないことに彼女は喉元を緩めた。
「なんだ、誘拐か」
彼女は緩め下ろした喉元とともに軽口を弾ませる。彼は脅迫状を電子メールで送りつけるような小学生である。親も軍人だというし、カーラ・クースンといった
「しそう。」
彼女は上の方を見つめると、断定のイントネーションを返す。
「返せって交渉しといてくれ」
コラツルは、名前付きで出た知人について間違えているとは考えていない。彼女には返せとのみ返した。
「はーい」
「ついでに。リョウセイって奴も知らんか?」
快活な二つ返事を聞き、ついでに聞いておきたかった情報を求める。彼女は脳裏ではカーラの挙動について思い出す。軽太も、『小学生の冗談のよう』と漏らしていたのだがコラツルにとって脅迫など面白い要素もないし、冗談と扱う彼の感性も謎である。
「りょうせい……?」
そっぽを向くコラツルを見、キューガは内心不安がる。窓の向こうには何も無い。
「儂がよく夕食食いに行っとる所」
コラツルは彼女に向けて端的な説明をする。口では反射的に説明をしつつ、意識の大半は校舎の更に遠くにて森林の枝を渡っていくソンカイヒヒにと向いていた。
「知らない」
再びキューガは余所見する。彼女の台所など知ったことではない。
「そいつもカーラから怪文書を貰ってな」
素性も知らない生徒が横通り、若干足元が振動する。コラツルは彼女の断定的な口調を聞いて目を合わせる。彼女はあまり『知らない』とも言わない。フウギによると端的に『そういう文化圏』だという。
「……やりそうだな」
キューガは前を据える。『確証はないがそのイメージはある』程度のサインである。視界に彼女が映る。コラツルは相変わらず、上の空そうに視野を窓辺の方に固定し、暇そうに凝視している。
「そのことも伝えといてくれ」
ヒヒがコラツルの視界に収まらなくなった。ソンカイヒヒは
「はーい」
二つ返事を聞く。何の鳴き声であるかと首を傾けさせたところ、彼女はようやく会話の意図を思い出す。
「……感謝するぞ」
コラツルは背を低くして廊下を這うと、予鈴に合わせて目的の教室へと向かっていった。
☆
バスの中、コラツルは背もたれを折った可動椅子に四足を付ける。バスのマットは不快な感触を持つのだが、触れないように試みる余裕は彼女に無い。『
コラツルは予定の時刻に4分半遅れたバスを降り、目的地へと向かっていく。交通事故と渋滞の影響でダイアグラムが乱れており、夕日を浴びる一分一秒さえストレスで仕方がない。
気持ち速く四足を進める。目的地に近づくにつれ突き刺さるような音は遠ざかり、思考をする余裕も取り戻す。頭の中で、何故彼女は入間荘に向かっているかを言語化する。軽太は昨日に帰宅する手筈であったし、コラツルもそれを前提に生活の方針を立てていた。彼女が異変に気がついたのは日も暮れた酉後1時のことである。後の3時間は何を考えていたか、彼女は殆ど覚えていない。内なる混乱に精神がやられる寸での所でフウギは探偵を雇うと言い、彼の姿の写った写真データを必死に探してUSBメモリへと移していた。次に彼女は、軽太が入間荘を気に入っていることを思い出し、滞在しているのではないかと考えていた。
コラツルは道なりに進み、『入間荘』の看板の取り付けられた下宿の中に入る。玄関の先の共用部屋を無言で通り抜け、マッスルメモリーの赴くままに体を動かす。匂いの方角こそ想定通りであるが、油の質感から全く異なる。壁に寄りかかり、様子を垣間見る。普段使いのリュックサックの重量を今更ながら感じ取っていた。
見覚えのある人物であった。リョウセイが四股切断沙汰を起こした際、オーナーの代理人として立ったという蒼尾人だ。リョウセイの療養中の時期は巣篭もりと被る為、殆ど知らない人物である。見知らぬ彼に聞くのを躊躇い、引き返そうと尾を三日月の形に引く。
「リョウセイなら居ない」
コラツルは瞳孔を縮ませる。乱反射光が視界にちらつく。目の前のものが何か把握出来ない。
「……聞いとらんお前に」
自然に緊張が治まり、瞳孔も楕円程度の形へと戻っていく。すぐ近くの白鱗がスネーツリ・ツェラヒラであると知覚した彼女は立ち上がってリュックサックを下ろす。
「なんで来たんだよ」
ツェラヒラは少し距離を置くと、トラウマ気味に語る。彼女は藍い法被と短ズボンを着ていたアイツと親しい関係であるし、大体この女の動機は典型的なまでに電波なので面倒だ。
「カルタが消えた」
彼女は口輪の中、平坦な声を発する。
「は?」
ツェラヒラの瞬膜に力が入る。『カルタ』の三音節は彼女のブローカー野にて聞き覚えのない案の定な単語として処理された。
「こいつ」
コラツルは携帯を取り出し、暫くしてツェラヒラに液晶を見せる。
「? はっ……、え。そいつが消えたの?」
ツェラヒラは画像の中身を理解すると、目の焦点をあちこちに動かしだす。
「……そっちのがニュースじゃん?!」
興奮気味の彼女には興味がないかのように、コラツルは頷く旨のリアクションのみを取る。
「普通にニュースだろ、あんな鱗ひん剥かれたグロ肉が外彷徨いてんだぞ」
視界はコラツルを慌ただしくも収めているが、彼女の凝視は意識に上っていない。ツェラヒラにとって、『あの人』はグロテスクな存在だ。青黒い血管を隠しきれない肌に中途半端に生えた黒い毛。目もヒヒ科動物に似ているし、どっかの研究所のキメラの失敗作か何かと考えたほうが都合が良い。とにかく複数の想像が思い巡って仕方がない。気がつけば片足は貧乏ゆすりをしていた。
「パパが探偵雇っとる」
コラツルはその様から抗昼薬の飲み忘れを疑ったが、時期的に合わないのですぐさま棄却した。
「……というか、こいつ?」
ツェラヒラは携帯を袖から取り出し、コラツルに突きつけるように見せる。彼女の目は一か月ほど前を指したタイムスタンプへと動き、次は写真に留まった。森が岳分屯基地開放日の光景で入口が映されていたものだ。中央すぐ右隣にはコラツル自身が写されており、その隣にはフウギ、そしてカータクが写っている。
「肖像権侵害じゃな……?」
実のところ、コラツルは権利関係には疎い。法学上は権利侵害なのだろうが、正直、自身がそんな所で盗撮されていようがどうでも良い。
「これ、ニンゲンとかいう奴だろ」
彼女自身、口にしてみれば棘のある物言いであった。瞼を瞑ってさえいるのが感情に疎いコラツルの前であるが故とは考えていない。ツェラヒラは帰宅してのこと、ある日に『ニンゲン』についての軽口を叩いた。彼女は口が軽い部類の人だ。気に食わないものへは率直な陰口を叩くし、実際に交際していたカータクは『信用ならない』と判を押す。一方、知人としての付き合いならば、これ以上無く人当たりの良い存在だ。ナザネルとは品のない発言の応酬を重ねるし、コラツルとは学会の愚痴を吐き合う仲だ。弱みを彼女にひけらかす真似さえしなきゃ良いだけの話であり、カータク以外は彼女の性格を了解しているものだ。
無論、リョウセイも彼女の口の悪さを咎めることはない。ニンゲン、と言葉に出してはその外見の印象を口から叩き出したのも、ほんの冗談のつもりであった。
次の瞬間には、目の前のオーナーはぶつぶつ、目を虚ろな方向に向けながら解説を続けていた。どうとも言えない異様さから問いただしたが要領を得ない返事ばかりだ。混沌とした情報を撒き散らした彼女は翌朝には旅立っていたし、ツェラヒラは思い出す気もなかった。
「じゃな」
目の前の女学生は平坦な相槌をする。本当に人格に関心を向けていない彼女は、リョウセイの異様な平坦さとは違って気の鎮まるものであった。
「食う?」
「食うか」
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