2:杜籠県-③

 食と住まいは確保できた水主軽太が、次にあっさり解決できなかった問題は衣である。まず手持ちが3着程度しかないし、使いまわそうにも今後の成長を考えたら必ず必要となる。そこでこの家の服でも借りようと思ったが、蛇人族と彼とでは大きく体型が異なり使い物にならなかった。

 なので軽太はコラツルに無理言って『カータクの着ている様式に似た服』を調達してもらった。軽太は、カータクの不要になった服を一瞥してイキっていた自分が愚かでしょうがない。というのもトップスの類は良いのだが、ボトムスがマトモに通らない。パンツは巻くだけだからまだ良いが、ズボンはそもそもマトモに通らないし、足を入れる箇所が根本的に人間と違う。

 軽太は一日、貰い物の扱いに困ったが、裁縫して着れるものにした。きまり悪いが、腰バッグや諸々で隠せば分からないだろう。周りからなにか言われても『ダメージファッションです』と言い張ることとした。軽太の想定として、最悪足骨折して縫った後でも見せれば痛い人には見えないだろう。一式着終わった軽太は何か鉢巻のようなものが余ったことに気がつき、彼女に用途を聞いてみた。この国では男は股に巻くパンツの他に、尻尾に巻く褌も付けるという。色々と言いたいことはあるが、軽太は心象を考慮しつつ、『ぼくに尻尾はないよ』で終わらせた。どうも融通が利かないし、彼女に器用さは求めるべきでないと肝に銘じた。


 ☆


 軽太は目覚まし時計のアラームを聞き目覚め、冷凍炒飯を加熱して食べる。外出先の『森が岳分屯基地』までは遠く、生半可な時間では間に合わないという。

 コラツルはスケジュールのない日は日付の変わる前に目覚めるのだが、確実に起きられるよう、手元にカイロを用意したし、パパにもそうさせた。前日、カメラの類は確かにリュックに入れたが、改めてその存在を確かめる。


 軽太は昨晩は曇っていたし温かい方だろうと軽装で赴いたが、その格好で外に行ったことを後悔した。幸い体感5分も掛からずにバスが到着したが、中も非常識なほど寒いとはつゆ知らなかった。乗車口が開き、親子はICカードをかざす。軽太は整理券を取り、右ポケットの中に入れる。自身の席につき、一瞬目を瞑って白い溜め息を吐く。


 窓ガラスの先の景色が後ずさってゆき、少しばかり背に重みを感じる。

 酉後11時69分。東の地平線に浮かぶお日様を見やりながら、軽太は『日付が変わってない』ことを噛みしめる。


「カルタ」


 反射的に彼は右側を見る。彼の表情の変化を訝しむコラツルを見て、自身が反射的に警戒していたことに気がつく。軽太にとって彼らの声は動物の鳴き声に近く、人気のない場所で最も警戒すべき声たるソレと思ってしまうのだ。


「お前の世界にも飛行機ってあるのか?」

「まあ……あるけど」


 率直に言うと、水主軽太は機械の類に興味がない。巨大なガジェット以外の何者でもなく、必要なら調べるが好き好んで知る気もない塩梅だ。


「ふむ」


 特段無難な回答を返す軽太に対し、コラツルは興味を失くす。軽太も苦手な話題だったので深入りしないこととし、フウギから貰った携帯でも使おうとする。


「あ、日付変わった」


 先程までは確かに、『23:71』と表示されていた。スリープモードを解除した所、ちょうど『00:00』となり思わず声を上げる。一小学生の水主軽太にとって日付の変わる瞬間など夜更かしししないと眺められないものであるし、日付をまたぐ大人の象徴的は憧れでもある。が、ここは早起きすれば簡単に日付を跨げる世界である。真横で寝そべるコラツルにとって日付を跨ぐ存在なんぞ、格好良くも何とも無いのだろう。


「夜中に変わるとは不便そうじゃな」


 コラツルは率直に意見を述べる。カルタが言うには、ニンゲンの世界では真夜中に日付が変わるという。東果語の持ちうる語彙で敢えて表現するならば、『午前』と『午後』だ。午の刻などという、どうでも良い時間に境界を敷いているのは実用的に思えない。


「起きてるのに変わっちゃうのも厭かな」


 と、軽太はボヤく。初めてだからこそ感動こそしたが、どうせ5回も経験すれば風情など感じない。こうも日付を跨げると、自分が早熟してしまったみたいで厭である。


「……そういえば、ムホービ、ケンポービってどういう意味なの?」


 彼女と自分とでは論点が噛み合わないだろうと察し、ふと思い出したことの話題を振る。日曜日、月曜日、に該当するものは居た世界のように7つある。共通部分は概ね、『曜日』を表す言葉だろう。概ね『方日』辺りの意味だろうと彼は察してはいるが、接頭辞の部分がよく分からずにいる。辞書を引こうにも興味ない情報を読み聞かされるので、彼は諦めた。


「さあな。儂は知らん」


 案の定の答えに対し、軽太は理解を諦めようとした。


「方角だったな」

「方角?」


 軽太は会話に入ったフウギの顔を眺める。ニンゲンにとって彼の顔はコラツルより判りやすいし、知的な鳴き声でしかないコラツルのソレに比べれば、声調にもどこか抑揚を感じる。


「同じ南西でも、けんともいぬいとも言うし。軍隊用語だといぬいって言うな方角のこと」

「なるほど……?」


 軽太は半分鵜呑みくらいの顔をして首を傾げる。コラツルは興味が無いので聞き流し、ぼんやりと電光表示板の方でも眺めている。航空機の外見や造形技術が好きなのであって、操縦技術や操縦者には大して興味がない。


 ☆


 淡い外光に照らされた建物の奥にて、カータクはトントンと靴の底を打ち付ける。ふと携帯電話の画面から目を離してみたが、彼女の姿は無かった。


 外付けの小型キーボードを触り、SNSからブラウザへとアプリを切り替える。今日に限って燦々と輝き散らす絵が鬱陶しくて仕方がなく、彼は無光無音の環境にでも閉じ籠もりたかったのだ。ブックマークからWebニュースのサイトに飛び『国際』のタブをクリックし、『鴻・苙圻』の文字が含まれていないことを確認してから適当なリンクを踏む。ムーバ大陸に関するニュースは珍しく、カータクは時間を忘れて読み入っていた。カルセマイト脈に関する話で、各国間で連携が取れていないが故に揉めているという、なんともムーバらしい話であった。


「えーと、カータクさん? だよな」

「……そうっすね。カルタくん」


 聞き馴染みのない声質の声が、『岶岼駅』改札付近の壁に凭れる彼を呼ぶ。少し想起に手間取った後、彼がニンゲンという異世界人だと思い出した。

 改めて、カータクは彼の容貌を見る。卯の花色の肌をし、多少のグロテスクな血管を浮かべる白黒の両目。造形的な外耳に、桃の唇。そして鬣のみを持ち合わせる潰れた顔面。服は自身の着るものにスタイルが近い。萱草色と黄色と緑と青とで固めた服装は、小学校の絵の具を彷彿とさせる。腹はどうなっているのだろうかと思ったが、男性に思うべき感情ではないので忘れることとした。


「パパさん。もうちょい早く来てほしかったっすね」


 カータクは半目で不平を垂らす。


「ゴメンね、これが精一杯で~」


 笑顔で謝るコラツルのパパを尻目に、問題の彼女の方を見る。普段時間に煩いというのに、こういう時に限って遅いのは頂けない。


「間に合っとるじゃろ。0時66分発の快速に乗る、で」

「……はあ」


 改札にICカードを翳すスズスハ親子を余所目に『時さえ正確なら何でも良いのかよ』と言わんばかりに舌を吐き棄てる。実際時計の針はまだ58分を指してあり、彼女の言い分は何一つ間違っていない。


「まあ、待たせてごめんね?」


 きっぷ投入口に切符を入れた軽太にカータクは無言で続く。群衆の声とまばらな足音が改札口に鳴り響く。彼女に粋さを求めるのは間違いなのだが、どうも納得行かない。考えるのが面倒になったカータクは先程の記憶との境界を引くこととした。


 ☆


 快速列車の中にて、広告紙と吊り革が左右に揺れる。ここから『椎伊良しいら駅』までは25分程かかり、各々は好き勝手に時間を潰すこととした。


 軽太にとって、窓の先の風景は幻想的に映る。かつての世界の山道は総て、都市シェルター間のトンネルか、より事故の可能性の低いバイパスへと代替された。軒並み放棄され、草木が生え放題であった。軽太にとって山道は崖にあるくらいのイメージしかないし、祖父と数回見に行った程度の存在でしかない。


 しかし東果国ではどうだろうか。奈落の方へは様々な建築材料によって地面が増設されており、斜めに突き出す木材とコンクリートの支えが美しい。崖に昇る方へは階段上に建物が建てられ、上の道路とも接している。電柱は第二の街路樹かのように設置されているし、割れてもいない街灯もそこに備え付けられている。KhRの線路は坂の外側に造らられているようで、車体は鉄骨の上を通過する。悉く通り過ぎるが為によく観察できないが、駅のホームの大半は橋を増築して設けているようだ。


 決して、人間社会の取る風景ではない。彼らにとっても『ニンゲン』の住まいは幻想小説の見開き一頁なのだろうか、などと思い馳せていれば、竹場からは夥しい数の竹筒がトラックで運ばれていく。東果国は木造建築が多いのだが、この世界にも外国や輸入品も存在するのだろうか。それとも、築100年くらいの建物を修繕して保っているのだろうか。かといって、軽太の知る世界と対して変わってないものも存在する。例えばチェーン店やコンビニの類はこの世界にもあるのか、前に外に出た日と同じロゴをした看板が散見される。


「カルタくんさぁ」


 カータクが向かいの座席から顔を覗く。ちょうど軽太が車内に目を向けたときだった。


「ニンゲン世界ってどんな感じだったんすか?」


 カータクは水面のように目を輝かせている。


「あんな街はなかったかな」


 軽太は擁壁で固められた崖の方を指差す。


「ニンゲン以外って居たっすか?」


 食い気味で次の問をカータクは続ける。人文系に携わる人として、人間世界が地下都市だけとはどうも思い難いのだ。


「居なかったな。ほとんど」


 坂の始まりに伴い、車体は下方へと傾く。彼の鬣が風もなしに靡く。


「絵は描ける?」


 カータクは柔和に顔づく。


「……ちょっとは?」


 軽太は不穏そうな顔をする。


「見せてほしいっす。ニンゲン世界の風景でも」

「描けないってば」


 軽太は唐突な質問の理由に安堵こそしたが、直後にその無茶難題に苦笑いを浮かべる。


「練習してりゃ何とかなるっすよ、こういうのは」


 カータクは優しい声をしながら、横をわざとらしく睨む。スズスハ親子は両者ともに携帯を触るなり寝るなりしてるだけであり、この場に一人残されたカータクにとっては退屈でしかない。


「じゃあ、まず君たちで練習しようかな」


 睨んでいた瞼が閉じる。20にもなる自分が今更描かれるとはなんと照れくさいことだろうか。


「……残り1時間、どうするっすか?」

 

 カータクは瞑って欠伸をした。腕を上に組む彼は、傍から見ても不貞腐れてるようだった。

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