23/J
潤が連行されたのはジバに捕えられた場所より、より深く西へ進んだ森林の中だった。前方に現れたのは断崖最上部の真下をえぐったような巨大な空間。それは岩窟住居と呼べるものだった。暖かな灯が諸所で目立ち、いたるところに花が植えられた鉢が並び、中で大勢の人が寛いでいるのが見える。近づくとそこは女と幼児で溢れかえり、のべ百人ほどが賑わっていた。子供たちは裸で、女たちは麻のワンピースだけを着て下着などはつけていない。牢獄のような冷たい空間に監禁されるのだろうと構えていた潤にとって、外部との接触はないが開放的で暖かく、そして自然体なその空間はとても意外な景色である。幼児が部屋を仕切る低い土の柵に登り、裸足でぺたぺたとその上を伝って遊んでいる。
「おい、これ貴様の子供だろ。危ないからちゃんと見てろ」
「はーい」
先導するジバは子供の腕を引いて側の妊婦を注意した。潤はそのうち【十二】と壁に表記された部屋へ追いやられる。
「ようこそ。私たちの楽園へ」
「え?」
「私、同室の江羅。後二人いるんだけど今日の夕飯係りだから外に出てる。あなたの名前は?」
両頬に小さなえくぼを持った女性は潤の少しカサついた手に握手を求めた。どうやら自分を入れて計四名が【十二】のルームメイトのようだ。潤は「亜沙」と名乗った。
「亜沙はどこから来たの?」
手を握ったまま潤を地べたへ座らして江羅は言う。潤が灰海街だと答えると自分も同じであると微笑んだ。隅にあった二枚の座布団に手を伸ばし引っ張って、片方を潤に渡す。部屋には本棚や果物、明かりの灯ったランプが並べられている。髪を二つに分けた三つ編みを解き、また結び直しながら江羅は潤を見つめていた。
「江羅はいつからここにいるの?」
「私は七年前。ほら、任意でここへ来た組なのよ。亜沙も通知来てたでしょ?」
「そうだっけ」
「ほら、何年も前から櫂吏様がゾーオンに呼びかけしてたじゃない。知らないの?」
二重の丸い目が大きく開く。
「私は……灰海街だけど辛うじて灰海街って言うか、ハイマたちが住んでいる方に近かったから警戒されて来てなかったのかも知れない」
「そっか、それは勿体なかったね」
江羅は少し哀れんで潤を見て、
「そしたら何でここを知ってるの?」
と目をパチクリさせた。
「えっと、もう何もかもが嫌になって、迷子になってたところに声かけられて、良いとこあるよって言われて、でもそれしか聞かされてなくて……」
「分かる。あんな所嫌になるよね。私は通知が届くのが待ち遠しかったよ。友達は皆、灰海街から離れなくてさ。あんな所にいたって何も変わらないのに……。最初は一人で心細かったけど、今となってはあの時決断した自分に感謝してる。私たちは先駆者の仲間入りだね」
と微笑んでいる。
「ごめん。私、今日ここに来たばかりで本当に何も知らない。その、先駆者の仲間入りってどういうこと?」
世間知らずなゾーオンである設定の潤に江羅は親切に教えた。地場櫂吏とはまさに拘置所で見た男のことで、ハイマ町をはじめ、ハイマが取り締る島の施設を爆破する計画を立てた張本人であり、ハイマ根絶の元凶であった。
「可哀想だけど仕方ないわ。ハイマとゾーオンが本当の意味で共生する世界を造るためにはジバでないハイマを殺さなくちゃね」
「そうなんだ……」
「亜沙、心を強く持って。同情しちゃいけないの。私たちは正しいのよ」
「あ、うん」
「そうね、鉛筆で黒く塗りつぶされた画用紙を思い浮かべてみて。そこに新しい絵を描きたいんだけど、黒く塗りつぶされてると難しいじゃない?」
「うん」
「その時亜沙はどうする? まず消しゴムで鉛筆を消していく?」
「うーん」
「消してる最中に破けるかもしれないし、シワができるかもしれないし、消せたとしても本来の綺麗な画用紙には戻らないわ」
「うん」
「そんなの効率が悪いのよ。黒く塗りつぶされた画用紙は捨てて、さっさと新しい画用紙を用意すれば良いの。そういうこと」
「え?」
「櫂吏様がしようとしていることはそういうことなの」
彼の望む『共生』とはどういうものなのか。
「櫂吏様こそが島のトップに相応しい。櫂吏様は私たちが下手な真似をしない限り、とても親切にしてくれるの」
現にここに住む女や子供は皆笑って過ごしている。この岩壁住居は三十年前から存在し、ハイマに極秘でゾーオンの女を連れてきては住まわせて、自身の子孫を一から増やしていたのだ。だからジバの連中は皆まだ若いのか、と潤は納得し、自分の組織を作り上げるため精力を惜しまない櫂吏の信念の強さに圧倒された。女は強制的に連れて来られることはなく、あくまで灰海街で江羅のような志願者を募って集めた。ハイマに規制された質素な日々を送るより、ここで何不自由なく子育てして生きることを選ぶ者も多かったのだ。それほど灰海街というのは生きにくい場所であった。
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