7/J

地下室は安全だったが、なにせ逃げ場が無い。ひとまず裏山に隠れようと移動する最中、潤の鼓動は確かに速さを増していった。それは恐怖とはまた違ったものである。この時、並大抵じゃない精神力を持つ深波は正常ではないと思いつつ、潤は気にも止めなかった。彼が決めたことや、やろうとしていることにはいつも賛同した。その気持ちが何なのか、潤自身も分からない。

ただ、深波について行く自分に自信はあった。しかしそれは無根拠で、例えば「前へ習え」をした時のようだ。あれは低学年の時。学校で「前へ習え」を強要させられた時、両手をきちんと出し、前の列からはみ出していないと思っていても潤は必ず教師に正された。自分の感覚は狂っているのか、きちんと真っ直ぐにいたつもりだった。絶対にはみ出してなどいないのにどうして、大人は正そうとするのかが不思議だ。けれども自分も疑った。本当ははみ出していて、はみ出しているが、自分ははみ出していないと思い込もうとしたのかも知れない。どっちにせよ、自分ははみ出していないという確固たる自信が、潤にはいつもあった。だから正されても正そうとは思わなかった。だって、自分は正しいのだから。


深波に咎められる大瑚を見て、彼は良い奴だが全うすぎて全く意味がわからないと潤は思った。大瑚は彼女が呼んでいるから助けに行くのだ。流華だからではない。「彼女」だからだ。そのことに彼自身は気付いているのだろうか。承知の上で「俺の今の彼女」だから会いに行くのか? 周囲優先で生きる彼のバイタリティーにいつも感心させられる。でもそんなことを繰り返していると自分が無くなってしまう気がする。想像しただけで恐ろしい。学校で声の大きい集団と群れたり、告白してくる女の子が可愛ければ即オッケーしたり、彼はまるで心が付属された機械のようだ。潤には理解できない自分のルールというものが大瑚にはあった。

全うなまま、大瑚は恋人の元へ行った。追わない自分は薄情なのだろうか、と考えた。でも、薄情になるから追う、ということは潤の理念に反する。


 裏山の一本杉に登り、荒廃した町の面積に絶望する。


「ハイマ町は全滅」


 大きくて目立つはずの学校は校庭に民家の瓦礫がなだれ込んで見つけることすら困難だ

った。コンクリートのボルダリング壁も見事に真っ二つだ。今日設置されたばかりだった

のに勿体無い。

自分の家や大瑚の家の方を見たくない。


「灰海街もダメかい?」


深波は下から潤を呼ぶ。


「うーん、ハイマ町の端にあるからよく見えない」


ここが全滅なのだから灰海街だって悲惨なはず。潤は目を細くしながら灰色が足下から海までずっと続くのを見た。


「どこからが灰海街なのかも分からない」


荒廃したハイマ町の色といつもの灰海街の色に大きな差が無いため、なんとなくでも判断できなかった。


「これって爆破テロだよね?」

「そうだと考えるのが妥当だね」

「強い恨みでもあったのかな。この島に」


 この島のハイマとゾーオンは深波の曽祖父である鈴木護貞を英雄と称し、これまでの世を歩んできた。その英雄はもともとこの島の生まれではなかった。護貞が大勢の仲間とここへ流れ着いた時、島にはゾーオンしか存在していなかった。

潤は歴史の教科書で習ったことを思い浮かべる。当時、ゾーオンたちは互いに領地を奪い合い、争いが絶えなく殺伐としていた。だが、護貞が島を仕切るようになってから島全体の統率がとれ、争いがなくなったと言われている。それ以来、鈴木護貞は島の平和の象徴でもあるのだ。彼は共に流れ着いた女のハイマと結婚し子をもった。仲間のハイマもそれぞれ子を作った。そうしてハイマは人口を増やしていったのである。護貞は広い意味で我々ハイマの父と呼べるであろう。ゾーオンにとっては平和の父、ハイマにとっては起源の父。それは島民にとって絶対的で揺るがないものだった。


「何がそんなに不満なのよ。信じられない」

「信じられないよ。でもね潤、今の僕がやるべきことは一つしかないと思っている」


 彼が何かを決めた。とても興味がある。いつも、とても興味がある。来い、と潤の目はそう待っていた。


「島からの脱出」


 深波の言葉を聞いて、鼻から吸った空気が目の表面で潤いとなって滲む。

陽一郎のピーキングが蘇る。深波は全てを切り捨てたのだ。ハイマの生き残り、島の最高指導者の息子として、全ての感情を切り捨てて決めたのだ。家族を殺された悲しみに暮れるより、託された使命を果たそうと薄い胸板の奥で決めた。


「我々の血を決して絶やすな……町長の遺言ね」


 そう言った潤の口角が自然と上がる。


「僕はその為に動く。潤はどうする」

「その為に動くよ。深波と一緒に」


 それは潤にとって、とても素晴らしいことだった。この島から脱出をするということは海の向こうを知れるから。深波の夢が叶うかも知れないと思った。


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