6/D

 

__どこにいる?


____左を見て! エスカレーターよ。


 流華と二人の老いたハイマがエスカレーターの下で身を寄せ合うように隠れているのを見つけた。


「来てくれてありがとう」

「良かった。怪我はない?」

「うん」


 流華のボブヘアが茶色から煤色へ変わっている。


「ここだって急に崩壊するかもしれない。今すぐみんなで出よう」


 大瑚の言うことはもっともである。建物は原型をとどめているものの至る所にザックリとしたひび割れがあった。


「動き回るのが怖いんじゃ」

「兄ちゃん、ここへ来るまで奴らに合わなかったか?」

「奴らって刺青を施したハイマのことですか?」

「そうだったかのう。とにかく、奴らは爆破の後、急に現れたかと思うと生存者を見つけては片っ端から斬りつけよったわい」

「せっかく生きておったのにのう。酷いことよ」

「私たち、ずっと奴らから隠れているの」


 しかし、このままではいずれ見つかってしまう。やはり山の中に逃げたほうが安全だ。大瑚は3人を促すがみんな動こうとしない。いや、足がすくんで立ち上がることさえ困難な様子だった。傷んだ配線でバチッと電気が光った。流華だけおぶって逃げようか。だが二人を見捨てることはいけないことである。とは言っても一緒に死ぬのはごめんだ。自分ひとりで複数のハイマと戦いながらみんなを守ることなんてできない。大瑚は頭をフル回転させたが何も思いつかなかった。そして、葛藤した。


「良い。わしらのことは気にするな」

「わしらはもう動けん。足が動かんのじゃ」

「婆さん……すみません。流華行くぞ」

「ごめん、どうしよう、私も動くほうが怖い」


 目の前で何人も殺されたのだ。何度も殺戮の場を目撃した流華にとって敵に晒される街へ出ることは非常に勇気がいった。彼女は潤む目頭を両手で押さえている。


「行くしかない。頼むから来てくれ」

「無理、無理」

「流華、俺は助けに来たんだ」

「ごめん、ごめん」

「はやくしないと、頼む」

「もう行って、一人で行って」


 大瑚はその場を離れる時、決して流華を見捨てたわけではないと自分に言い聞かせた。何故なら彼女にちゃんと提案したからだ。自分の提案を拒否したのは彼女の方である。大瑚は己がいつも果たすべきことを自分自身で指示していた。こういう時はああ言う、こうする、こうあるべきだ、とよく思うことがある。今日も彼氏は彼女を助けに行くべきだ、と自分が自分に言われてここまで来た。彼女に対し、彼氏らしい行動をとったではないか。自分はちゃんとやれることはやったのだ。

 年上に返事をする時は明るく、元気に。そしたら下手な位置には付かずにいられる。友達は多い方が楽しいに決まっている。粋がったりせず、少し大きめの声で皆のノリに合わせる。すると徐々に目立つようになる。副会長、副部長、副リーダー、「副」が自分の身の丈に合っている。それもその役職になるにあたり、立候補はしない。リーダーに推薦されてから断り、仕方なく副リーダーを務める形をとるのだ。これが一番精神的にも楽だし心地良い。彼女は普通より少し容姿が良くて、自分より少し頭が悪いくらいが丁度良い。あと、絶対に身長は低めが良い。もし、他人が愛想良く話しかけてきたら愛想良く対応し、無愛想な奴だったら無愛想に返す。教科書、参考書、単語帳。親、先生、年寄り。それがそれであるように、先賢が残してくれた道は生活が豊かになる為の最短ルートなのだ。

 ふと、潤との会話を思い出す。本を読め、就職はしろ、社会からズレないように、会社で学ぶんだ、みんなで目標を成し遂げたときの達成感を知るべきだから、お前の為に言っているんだ、と言って彼女のなんで? に大瑚はいつも言い返した。


「なんで会社に就職して、そこで皆で目標を成し遂げた時の達成感を大瑚だけじゃなくて、私にも知って欲しいの? ほっといてよ」


 もう答えられなかった。大瑚はそうあるべきとしか思えないのだ。

 足元で瓦礫が粉々としている。粉々としすぎて、ふかふかのように感じる。この世に必要ない感触。大瑚はそれをわざと潰すように踏み歩く。


「待って」


 声がした。声がして、そっと振り返った大瑚が目にしたのは胸にファングネイルが貫通した流華だった。後ろから前へ、大瑚の方へ誰かの爪が、彼女の胸から……。

 彼女はそのまま人形のように倒れ落ちる。婆さんたちの悲鳴が聞こえる。3人のハイマが悠々と大瑚に近づいて来る。電気がまたどこかでバチっとした。その瞬間、脳内で学校のチャイムが鳴る__________



『On your mark』位置につく。『get set』腰を上げる。空砲が鳴り、地を蹴る。直線わずか400メートル。400メートルしかないから短距離走しかできない。20秒20と前を走る潤が言われ、22秒05と自分が言われた。


『大瑚、何で本気出さないのよ』

『本気だ』


 腰に手をつき、息を整える大瑚の後方で他の生徒たちが次々にゴールしていく。


『嘘。どうせ体育大会で目立ちたくないからでしょ? だからいつも私がリレーのアンカーに選ばれるのよ』

『アンカー、嫌じゃないだろ』

『嫌じゃ無いけど』

『じゃあ問題ない』


 ひとりだけで目立つことは好きになれなかった。粋がっていると思われたく無いし、何事も見ている方が楽しいのだと信じている。だから体育の授業はある程度力を抜く。


『手加減しないでよ』


 そう言って潤は頬を膨らませた。



 捕まえれるもんなら捕まえてみろ。手加減などするわけがない。してる場合ではない。ハイマタウンを抜け出して外へ出る。山の中へいつでも入ることはできたが、大瑚はわざとそうしなかった。道路だけでなく、落ちた看板、瓦礫、屋根、どこへでも乗り上げた。こんなにも本気を出したのは初めだ。ハイマ町をアトラクションにするのはいけないことだ、など言っていられない。いつしかハイマたちの姿はなくなり、大瑚は家の前にいた。庭に溢れていた花々は枯れ、一階の窓から女性の腕がぶら下がっている。その腕が母のものであるのか、母の生徒のものであるのか。当たり前のように歩いた玄関までの石階段と表札だけが姿形を残している。それ以上、自分の家だった物に近づかないまま、大瑚はその場に崩れ落ちた。


 雨が自分の頰に落ち、また落ちて、だんだん地面を濡らしていく。紛れて、叫ぶように泣いた。ここに来るまでに壊滅した街の情景を散々目にしてきた。でも、自分の家だけは大丈夫だと心のどこかで願っていたのだ。ハイマ町の消滅は大瑚から普通や当たり前をことごとく奪っていった。

 強い雨が酷く自分を打ち付ける。

 手と膝に無数の尖る石が食い込む。

 濡れた景色は暗い、というか、酷く黒い。


「ねえ!」


 近くで声がして反射的に身構えた。学校の授業以外でファングネイルを出すのは初めてだ。


「大瑚……平気かい?」


 息を切らした潤と深波だった。

 大瑚は再び蹲み込む。張り詰めていた何かが彼らの顔を見ると溶けてより泣けてきた。


「……本当になくなったんだな、ここ」


 張り付く前髪の奥で我慢できない涙が流れる。


「僕たちはこの島を脱出する。大瑚もついてくるかい?」


 どうして彼らはそんなに強く立っていられるのだろう。髪が濡れているせいで潤と深波の顔はいつもよりハッキリとして見えた。

 どうしてそんなに強いんだよ。


「……ああ……」


大瑚にとっての日常はもう二人しか残っていない。

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