5/D

 

 大瑚は地下室の扉へ向かった深波と潤に続く。陽一郎のピーキングからどれほどの時間が経ったのだろうか。大瑚たちは随分時が過ぎるのを待った。何時間もじっとしていた。あれから深波が何度アプローチしても陽一郎からの返答はない。

 深波が滑りの悪くなった扉を無理やり開けると埃と共に砂利が落ちてくる。潤はそれを避けるように目を瞑りながら顔を出した。埃が地下へも流れてきて大瑚は咳き込む。


「外……」


 深波の後から出た潤がそうつぶやいた。大瑚も地上へ這い上がる。

 静まり返っていた。

 先ほど埃だと思っていたものは黒く立ち込める煙で、その先には不透明な空がある。まるで不運な瞬間移動で、燃える炭の中にきてしまったかのようだ。一階の一番端の部屋にいるはずの自分たちが何故屋外にいるのだろうか。割れたコンクリートの瓦礫がそこら中に散乱し、それらが深波の家であった証拠など見当たらない。ただ、先の方でグランドピアノと思われしものが逆さまになっているのを見つけた。ピアノの4本の足が滑稽に上へ向いている。


「それは……」


 深波が見下ろしている足元の物体は挨拶を交わした門番だった。

死んでいる。

 頭の半分が割れ、中から脳味噌が飛び出ている。崩れた家の残骸の中、煙の向こうで、ひとの形をしたものがぼんやりと浮かび上がる。だんだん輪郭があらわになり……家政婦の死体だ。

 そのうち、横たわる死体の中に小さな岩影が現れた。岩影、に見えたのだ。他とは異なる形をしたそれは斬られた自身の首を自ら抱えるようにして正座をしいられている。

 これは現実か?


「父、さん」


 模型のような体。他とは違い、あからさまに他の手によって整えられた格好。酷い。これは現実か? ファングネイルだ。ファングネイルでトドメを刺されたのだ。この世のものとは思えない惨い殺され方。

 潤は深波の震えを止めようと、自分の震えを止めようと、彼の腕を両手で抱きしめる。

 目を背けるように振り返った大瑚は高台から街を見渡す形となった。自分たちは今何処にいるのだろうか。適度な緑や色とりどりの花に囲まれたハイマ町は何処へ消えたのだろうか。平穏だった故郷を本気で探すがどうしても見つからない。街、海、空、全て同じ灰色に見えた。各地から噴煙が立ち込めて、世界は消滅しきっている。それでも家族の生存を信じて必死にピーキングをした。何度も神経がすり減るまでやった。しかし、その願いは届かない。


「家、行ってくる」


 放心状態で言う大瑚の向こうで、潤と深波は動く影を見た。ファングネイルをむき出しにしたハイマの男だ。それに気づいた瞬間、その男はもうすでに大瑚に斬りかかっていた。死ぬ。そう大瑚は思った。

しかし、意外にも斬りつけられた胸は傷を負わなかった。着用していた防牙爪が役にたったのだ──大瑚は呆気にとられた。


「誰だ」


 深波はファングネイルを出し、すぐさまハイマに向ける。潤も右手で威嚇した。すると、男の仲間がもう一人現れる。二人共、片頬に逆三角形の黒くて不気味なマークを施している。刺青だろうか。大瑚たちを睨んで、微かに頰を緩ませたかと思うとハイマ町を走り出す。


「ちょっと!」

「潤! 行ってはならない!」


 追おうとした潤を深波は止めた。


「どうすればいいの」

「奴らの罠かもしれない。全て誰かが仕組んだテロの可能性がある。敵は一人じゃない。今は下手に動かず、みんなでいよう」


 大丈夫だ。大丈夫。絶対に大丈夫。立ってろ、ちゃんと立ってろよ。俺は生きている。ちゃんと生きているから大丈夫。


「大瑚平気?」


 大丈夫。二人の足元を見つめながら正気を保つ。


「とにかく何処かへ隠れよう。あの様子だとすぐに数を増やして再びここへ戻ってくる」

「そうだね」

 

__助けて


流華だ。


「……呼んでる」


 彼女は生きていた。


「ダメだよ大瑚」

「流華、ひとりで不安がってる」

「大瑚やめて」

「いや。俺が行かないと誰が助けんだよ」

「正気なのかい?」

「お願いだから」

「行って来る」

「一旦落ち着いて安全な場所で状況を整理しよう。町には得体の知れないハイマが潜んでる」

「落ち着く? いいか、お前らとは違って、俺は、俺らはな、そんな風にはいられない。どうして町が、家がこんな風になってるのにペチャクチャ喋れんだよ。どうして人が死んでるのに立ってるんだよ! なあ深波、コレは誰だ? 教えてやる陽一郎さんだ。お前の親父だ! なあ! どうしてそんなに……」


 声を荒げて言ったものの、大瑚は喉に力が入らなくなった。


「……ッ……じゃあな」





 大瑚はハイマ町最大級の商業施設、ハイマタウンに向かっていた。そこは流華と待ち合わせをしていた場所だ。先ほどの得体のしれないハイマたちに遭遇するのを恐れ、辺りを警戒しながら規則性なく走る。民家はほぼ崩壊し、道端にも死体が転がっていた。いくら爆破後だといっても、もっと生存者がいてもおかしくないが、そんな気配は無かった。こんなにも呆気ないものなのか、と強靭なハイマの脆さを感じる。

 アーチ型のハイマタウンに天井はなかった。建物の側面だけが残っていてまるで野球ドームみたいだ。爆破直前まで楽しんでいた大勢の買い物客の死体で溢れかえっている。血に染まり、不自然に詰まれて重なった死体の山が各所で目立っていた。誰かが早速処理を始めたのだろうか。爆発があってから実に八時間が経過していた。売り物の服が煙まみれで散乱している。家具屋ブースからショーウィンドウを突き破ったテーブルに火がうつっている。耳をかいた。何かの拍子で作動してしまったノイズ混じりの館内放送が永遠に垂れ流されて、館内に響く女のハイマの声色は景色に反して明るく丁寧で気色悪い。

 女の声が不安定な音楽に切り替わった。

 リズムの良い島の唄だ。


 緑若葉覆う 山の神

 嶺に行き交う 白い雲

 潤む瞳に 幸宿る

 勤しみ集う 灰海で

 我らが光 この島の


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