10/J

私は今、誰かを待っている。大きな階段の下から二段目に腰かけ、赤い絨毯の先にある背の高い玄関を見つめる。

 ここは深波の家だ。


『潤ちゃん、コーンスープ作ってみたんよ。おいで』


 深波の母、華子さんはにっこりと微笑んでくれた。家政婦さんもついてくる。断るのは可哀想だと思ってゆっくりと立ち上がる。


『遅いね』


 私は言った。

 華子さんはそうだね、と言う。

 まだー? と私は聞く。さっきから何度も聞いている。


『潤ちゃんももう上で寝ない?』

『ううん』

『深波の部屋で一緒に寝たら良いよ。もう夜遅いから』


 スプーンを握りしめたまま私は首を振っている。まだ寝たくない。

 玄関が開く音がして、私はとてつもないスピードでリビングを飛び出していく。


『おかあさん』


 私は母の足に飛びつく。


『潤ごめんね、遅くなったね』


 母は屈んで私を抱きしめた。

 すぐ隣を見上げると、陽一郎さんに肩を抱かれた父が顔を片手で覆っていた。泣いているのかもしれない。


『あれぇ、おにいちゃんは? おにいちゃんはどこー?』


 私は何を言っているんだろう。

 父の泣いている声が大きくなった。


『どこ? ねーえ』


 私を抱きしめる母の腕にぎゅっと力が入った。震えていた。

 どこからともなく湧き上がってきた泣きたいという感情がぐうんと胸を支配する。


『どこー、ねぇ、どこぉ』


 どこ。どこにいるの? あの子はどこにいるの? 


『おにいちゃん……』

 









「潤、潤」


 夜中の何時頃だろうか。目を覚ますと自分の体がぐっしょりと汗に濡れて気持ちが悪い。見張り番の大瑚が少し笑った表情でこっちを見ている。彼の後頭部にある月は雲に隠れてぼやけていた。


「また唸ってたぞ」


 夢に魘された私をおちょくっている。

 あれから灰海街で奪った食糧を手にし、東灰海に突き出た断崖に姿を隠している。


「見張り代るから寝ていいよ」


島の円周には監視所が散りばめられていて、ここはその一つ、東灰海監視所だ。

東灰海監視所は灰海街のはずれに存在するため、爆破されている可能性は少ないだろうと立ち寄ったけれどジバたちは抜け目なかった。わずか7畳程の監視所は壊され、コンクリートが崩れて天井も奥行きもない洞窟のようになっている。

死体は見当たらなかった。恐らく、爆風で海へ投げ出されたのだと考える。忘れ去られたかのようなこの跡地で一晩過ごすことにした。


「少し海を触りに行くかい?」


 フォグブルー色のコンクリート。瓦礫の上で目を覚ました深波は微笑んだ。


「うん。大瑚も行こう」

「俺はいい」

「そう。すぐ戻るね」


 断崖の下は月の光も届かず、風に揺れる深波の前髪が辛うじて影として分かるほどで、とても暗い。

岩から岩へ渡り歩いた。そのうちより大きい波が来て、思ったより冷たい海が足元にかかった。

ジバに追われ、生存者は見つからず、ゾーオンから見放された今、船の情報を手に入れることはより困難である。港や海岸を偵察したけれど船らしきものは見当たらなかった。今の自分たちには脱出するための手段がない。このままでは島で生き延びることはできない。

一から船を造るとしても知識の無い自分たちに出来るはずがなかった。そもそも何でこの島は船製造禁止令なんて作ったのか。船があるとより遠くまで行けて、より多くの面積で漁をし、魚だっていっぱい採ることができる。船を造ることは島発展に役立つことではないのか。島は何で船製造禁止に拘ってきたのだろうか……って、何を今更。少し考えれば疑問を持つようなことなのに自分はこれまで、全く島に興味がなかったのだと突きつけられる。謎だ。島は何を考えているのか。どうしよう、と訳がわからん、が混在してキャパが少ない潤の脳内はとっくに旗をあげている。


「昔よくさ……三人で僕の家で隠れんぼしたの覚えてる? なんて、流石に覚えてないか」


ずっと無言だったのに突如暗がりから声がして、潤の体は少し跳ねた。深波は近くにいるはずなのに何処にいるのかはっきりしない。


「まって! 夢か事実か曖昧だけど、なんかぼんやり思い出せる。いつも深波が鬼だったよね?」

「僕は昔からじゃんけんが弱かったから……よく覚えてたね。驚いた」


 深波の家のリビングにある大きなソファの下によく潜った。今考えるとあの隙間によく収まっていたなと思う。


「私もびっくり。だって私5歳とかだよ」

「ううん。潤はまだ3歳だった」

「そうなんだ! 尚更びっくり」

「僕たちが5歳」

「え、そしたら大瑚は3歳だよ」

「……ううん。大瑚はね、潤が小学生になってから友達になったでしょ?」

「あれ、あ、そっか、でもさっき三人って……」

「おい、何が『すぐ戻るね』だよ。俺まだ寝てないんだけど」


 少し長居してしまったようだ。降りたった大瑚が大きく伸びをするのが気配で分かった。


「ごめん。呼びに来させてしまって」

「ピーキングしたら良いじゃん」

「この距離でするとか神経の無駄遣いでしかないから」


 潤と深波は戻ろうかと思ったが、大瑚は波に浸かりした。


「なぁ、どうすんだよ」


 彼の言葉は救いようがなかった。


「このまま死ぬのか俺たち。それとも隠れながら一生過ごすのか? 船は最後の希望だった。やっぱ奇跡起こらなかったな」


「なんで過去形なの?」


 焦る気持ちは他の二人も一緒である。大瑚のマイナス思考は今の潤の気に触った。岩に打ち寄せる波音のおかげで声を張るのが許されていく。


「なんで? って、どう考えても過去形だろ。港探したけど船無いし手がかり無いし。ていうかゾーオン敵になっちまったし」

「ハイマ町の港に無かったってだけでしょ」

「は? ハイマ港に無かったらもう無いから。もしかして過疎ってる島の周囲まで回るつもりかよ。あったら奇跡だわ」

「ほらまだ奇跡あるじゃん」

「だから無いって」

「分かった! 全部の監視所に片っ端からあたってみるのはどう? そしたら誰かは船のありかを知ってるんじゃない? それにちゃんと回らなくてもある程度近くまで行けばピーキング届くでしょ? 私冴えてる」

「お前は馬鹿か? さっきまで自分が寝てた場所はどうなんだよ。爆破されてたよな? え、俺の見間違い? 違うよな? 他の場所もやられて監視員もきっと全滅だ。それにピーキングは面識ある相手にしか伝わんないよな? え、監視員って全員お前の知り合いなの? まじ何年ハイマしてんだよ」

「十七年だよ」

「真面目に答えんな」

「何なの? 理不尽なんですけど」

「えっと、君たちもういいかい?」

「ああ」

「もう良いよ、こんな奴」

「は」

「島周囲の監視所をあたるのは一つの手かも知れない」


 深波は二人を遮って言った。

 大瑚が重くため息をつく。


「深波まで何言ってんだよ」

「大瑚の言う通り、爆破され、生き延びている者は少ないかも知れない。でも可能性がゼロではない限り試す価値がある。それに一年前、父さんたちについて行って監視所周りをしたことがあって、僕は監視員全員と面識があるのさ」


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る