9/D

目を覚ますと光線が顔にかかっていて思わず顔を顰めた。壊れた校舎の隙間から太陽が何も知らない顔で照っている。カラスの鳴き声が聞こえる。雨は止んだみたいだ。

横で潤が小さく唸っている。起こしてやると、すぐに目を擦り、おはようと言っ た。

足音がしたと思えば、頭上から手が伸びてきて、目の前にペットポトルが垂らされる。


「食堂で何本か無事なのがあったよ」


深波は潤にも渡す。面倒臭いのか彼女は起き上がらない。寝たままペットボトルに口つけた彼女の顎に水が流れ、哺乳瓶かよと言うと、うるさいと言われた。


「飲んだら進むよ」


それからはハイマ町を散々走った。刺青のハイマたちに見つかる度に逃げまくった。

そして分かったことが一つあった。敵は二から三人体制で行動していて、その班は決して多くはないということだ。

一方で生存者は見つからない。もうすぐ灰海街に着く。


「なんでなの」


 潤は困惑した声をあげた。


「何で何も変わらないの」


 灰海街はいつもと変わらず腐臭に満ち、市場がひしめき合っている。ゾーオンたちはいつものように屋台で飯をくらい、雑談し、生活をしている。

 奇妙すぎる。昨日の爆破のことなど何も知らないような……いや、そんな訳がない。知っているはずなのだ。

 全身汚れまみれの三人は灰海街に溶け込んだ。


「ねえ、灰海街は無事なの? 爆破は?」


 潤が一人のゾーオンに話しかけた時、その場にいた民は一瞬で三人を見た。


「生き残りだ! 生き残りがいるぞ!」

「捕まえろ!」


箒や釣り用具など手にできるものを持って三人を取り囲む。このようにゾーオンがハイマに敵意を剥くのは非常に珍しいことである。大瑚は自分たちが惨めに思えた。ハイマが三人しかいないからといって、そのような行動に出るゾーオンが許せないのだ。


「それを下ろして。さもないと──」


 潤がファングネイルを出そうとしている。


「君たちを傷つけたくない。武器を下ろして欲しい」


 深波は冷静だった。

無精髭のゾーオンはいやらしく笑う。


「傷つけたくない? 笑わせないでくれ」

「僕たちに一体何が起きているのかを教えて欲しい」

「ふん、今にわかるわい」


 ゾーオンがそう言った瞬間、屋台の上を飛躍して刺青のハイマが三人現れた。見た顔だ。さっきまで自分達を追っかけまわしていた。巻いたとおもったのに追いつかれていたのか。


「しぶとい連中だな」


大瑚は苛立った。


「貴様らを根絶させる。おとなしく降伏しろ」


 まだ若い声だと思った。抑揚がなく、機械のように単調である。


「同じハイマじゃないか。君たちの目的は何だ」


 深波の問いかけに刺青のハイマたちは嘲笑う。


「俺たちはジバ」

「ジバ・カイリが全て」

「貴様らは陥落。貴様らの時代は終わり」


 ジバ……聞いたことのない単語である。組織の名称か? ジバ・カイリとは人の名前だろうか。

 ジバの指先からファングネイルが伸び始める。


「時代が終わりとは何のことかい?」


 行くよ、と深波の背中は言っている。

 ゾーオンたちは今から始まるハイマ同士の決闘に身を引き、屋台の奥へと回った。

 そうか……戦うのか。

 大瑚は短く息を吸った。



 昨日の昼間、深波の家で潤と爪牙闘技をして勝ったけれど別に嬉しくなかった。


『私は左手使わないからね。だから大瑚、本気出してよ?』


 となったのが理由だ。


『両手使えよ』

『それじゃ大瑚フリじゃない』


 左手を拳にしてその上から犬の口輪のようなグローブをはめた潤は大瑚を見据えた。潤は両利きだ。だから本来、左手の指からもファングネイルを生やせるのだった。

 なんだかな、と大瑚は思う。これは平等であるのか、いや、わからない。あまり良い気分ではない。


『二人とも防爪牙はしっかり着てる? ヘルメットは外れない?』

『サポーターとシューズもバッチリ』

『全部完璧だ』

『OK. 潤は距離感意識して。大瑚は腰をひかないこと』


 お互い最後まで集中して、遠慮しないで、と深波は続ける。


『Set your nails』


 彼の合図で右手の爪を鋭く伸ばし戦闘態勢に入る。


『Fight』





 舞った血が、口に入った。

 不味い。

 敵が倒れ、大瑚は舌についた血をできるだけ取り除こうと手の甲で拭った。

幼い頃から爪牙闘技を楽しんでいた深波の体は圧倒的に軽かった。乳白色の濁りない彼のファングネイルが綺麗に赤く染まってゆく。

潤は感情のままに相手を斬った。生まれつき少し赤みのある彼女の爪は血が加わる事でより芸術的になった。

大瑚は爪捌きよりも脚力や筋力、体力面に自信がある。これまで表に出さずとも前々から自分の運動神経を自覚していた。走ったら確実に撒ける。逃げて済むのならただ走れば良いじゃないか。

でも、これ以上は何も失いたくなかった。自分だけが逃げて助かるなんて、もうできなかった。

だから斬った。

そもそも船なんてあるはずがないと思っている。二人について行く理由は一人になりたくない、ということでしかない。爪に血が付いて悲しい。


潤と大瑚が無事だったのは決して彼らに戦いのセンスがあったからだけではない。ファングネイルが掠っても血が出ないのは防爪牙のおかげだった。

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